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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
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Episode33-5:さあ、跋扈をはじめよう



ミロスラーヴァの体には、生まれつき類い稀なる生物が住み着いていた。


その生物とは、一種の名も無き細胞。

彼女の中で潜伏を続け、いつか来たる目覚めの時に備えていた小さな生命(いのち)だった。


この細胞がミロスラーヴァ自身に害を齎すことはなかったが、症状が出ないだけで全く特性を持たないわけではない。

知らず知らず彼女の体に影響を与えていたのを、彼女自身が自覚していなかっただけだ。


彼らの内には、現代の科学では解明できない神秘が秘められていた。

ここでは、その神秘の概要を一部説明する。



ミロスラーヴァの体内に宿っていた細胞には、極めて特殊な性質があった。


その一つが、がん細胞に対する驚異的な耐性。

柔軟性といってもいいだろう。


人が悪性腫瘍を発症する要因の一つとして、所謂細胞の不死化が上げられる。


本来、人の細胞は質を維持するために、必要以上に分裂、増殖しないように制御機構が働いている。

不死化とは、この制御が働かなくなり、際限なく増殖し続ける細胞の活動のことを指す。


不死化と癌化とが両立すると、癌細胞の無限増殖が可能となり、生体内で癌細胞が増え続けていく一方となる。

後に、これに一定の条件が加わることで、結果として悪性腫瘍が生まれるのだ。


ただ、人の細胞は一部が癌化しても、必ずしも悪性腫瘍に繋がるわけではない。


多くはアポトーシスと呼ばれる細胞自殺によって、生体に危険が及ぶ前に塞き止められている。

癌化した細胞が悪性腫瘍に成長する前に、アポトーシスが水際で防いでいる場合が多いのだ。


しかし、不死化した細胞はこのアポトーシスを回避するため、不必要な細胞が死滅されずに残ってしまう。

つまり、悪い細胞が体内に留まり続けてしまうのだ。


結果、蓄積した癌細胞が悪性腫瘍になり果ててしまう、というわけだ。



ミロスラーヴァの体内に宿っていた新種の細胞には、この不死化を良性なものとして機能させる作用があった。


体内で不死化した癌細胞を発見すると、それと自らを融合させ、死滅させる。

その上で、癌細胞の持つ不死化という形質のみを残す。


言ってしまえば、宿主の体に悪性腫瘍が発症する可能性を、限りなくゼロに出来てしまうのである。



しかし、これほどの特性を秘めていながら、ミロスラーヴァにはその自覚が全くなかった。

自分の体にそんな魔法のような生き物が住み着いていたなどとは、当人は夢にも思っていなかったのだ。


何故なら、先述にもある通り、彼らが潜伏している間は表立った症状が出ないから。


彼らの特性はあくまでポテンシャルの概念であり、不死化した癌細胞と融合するというプロセスを経ない限り働かない。

癌細胞と対する存在であるからこそ、癌細胞の有無が彼らの存在意義に直結しているのだ。


故に、彼らの存在は立証が難しい。

腫瘍となって現れれば分かりやすいことだが、彼らの役目はその腫瘍を防ぐことにある。

当人の知らない内に未然に防がれてしまったことは、最初から起きていなかったも同然だ。


宿主が彼らの存在を自覚することは、現状ほぼ不可能なのである。



ここで少し話を戻すが、何故ミロスラーヴァがそんな細胞を宿していたかについてだ。


実は、彼女以外にもこの細胞を宿していた女性が、極稀にいた。

詳しい原因はまだ解明されていないが、彼女達の間には一つだけ共通点が存在する。


それは、自らの母親、乃至は母方の祖母が、過去に卵巣腫瘍を患った経験があるということだった。


胃癌など他部位から転移したものではなく、卵巣を発生地とした腫瘍であることが重要であるらしい。

腫瘍の種類は、胚細胞腫瘍、性索間質性腫瘍などがこれに該当する。


後に、フェリックスはこの細胞をInverted-cell、反転細胞(はんてんさいぼう)と名付け、反転細胞を宿した女性のことを総じて宿主(やどぬし)と呼称することを決めた。


ただ、当たり前のことだが、卵巣腫瘍を経験した女性全てが宿主を産むわけではない。

卵巣腫瘍の発症はあくまでファクターの一つ、と考えるのが適当である。



ここで、また新たな疑問が出てくる。


ミロスラーヴァの他にも、宿主とされる女性は確かに存在した。

ひょっとすると、自覚がないだけで世界中にいるのかもしれない。


なのにだ。

フェリックスがこの研究所で発見するまで、反転細胞は世の誰にも知られていなかった。

これほど医学が発達した現代において、一度もその存在が認められてこなかったのだ。


それこそ、フェリックスに見付けてもらうのを待っていたかのように。


無論、これも単なる巡り会わせによるものではない。

フェリックスが優秀な学者であるという前提も一理はあるが、本質はまた別にある。


フェリックスが反転細胞を発見することが出来たのは、反転細胞が活性化するまさにその瞬間に立ち会うことが出来たからだった。


反転細胞が覚醒する、恐らくは唯一と思われる条件。


妊娠をすること。

それも、ただの妊娠ではない。

研究所の中で結合卵(けつごうらん)と仮称される、フェリックスの作り上げた特別な受精卵を着床させることで、反転細胞は初めてその真価を発揮する。


世界中の誰しもが反転細胞の存在を知らないでいるのは、誰も反転細胞を覚醒させる術を知らなかったからだった。



反転細胞が覚醒すると、彼らはまた新たな力を働かせるようになる。

言い方を変えると、視野を大きく広げるようになる。

今までよりターゲットを増やすことが可能となるのだ。


覚醒前は癌細胞のみに焦点を当てていたところを、覚醒をきっかけに別の細胞へとシフトする。

今度は健康な、正常な細胞を主なターゲットとし、そちらを意図して不死化させる力に変異するのだ。


健康な細胞を不死化させる、と言えば聞こえはいいが、この覚醒は宿主の肉体に深刻な影響を与えることが分かっている。


冒頭にもある通り、人が行える細胞の分裂、増殖は、ある程度回数が制限されている。

この制御機構が働くことによって、細胞は正常な状態を保つことができているのだ。


ところがだ。

この反転細胞が覚醒すると、あらゆる細胞の不死化を強制的に促してしまうことが発覚した。

これが起きると、結合卵の妊娠状態が安定期を過ぎるまで、宿主の肉体に苦痛が伴い続ける。


日夜、四肢が押し潰されるような痛みに襲われ、その影響から一時的な不眠が起きる。

固形物を体内に入れると全て吐き出してしまうため、栄養補給は点滴のみに限定される。


他にも、一夜で髪の毛が10センチ以上伸びたり、一日中涙が止まらなくなるなどの症状が出る場合もある。


これらは全て、結合卵を着床させて宿主が妊娠したことにより、反転細胞が覚醒した結果によるものである。



その後、安定期を迎えると同時に少しずつ症状は落ち着いていくのだが、症状が落ち着いた後に待っているのは、急激な衰弱だ。


不死化が頻発する時期は妊娠初期であり、安定期を迎えるまでに身体のあらゆる機能が活性化する。

そして、妊娠中期を過ぎた頃から、その弊害が現れ始める。


あらゆる機能が活発になるということは、それだけ体力を消耗し続けるということでもある。

その皺寄せが終盤に集中するため、宿主の肉体は苦しみ抜いた果てに、着実な死へと向かっていくのだ。


まるで、必要な栄養を吸収した子供が、不必要になった母体を早死にさせたがっているように。


プロジェクトに参加させられた代理母達は皆凄惨な死を遂げているが、中でも苦痛を強いられていたのが、宿主の女性達である。



だが、その中で実験に成功したのはミロスラーヴァだけだった。

ミロスラーヴァ同様に反転細胞を宿し、同様の妊娠期間を経た女性はミロスラーヴァの他にもいた。


なのに、ミロスラーヴァ以外の宿主は全員失敗してしまった。

自ら落命しただけでなく、彼女らが出産した子供達も程なく命を落とした。


この結果を鑑みるに、ミロスラーヴァが無事にゼロワンを出産できた理由には、他にも要因があったものと考えるべきだろう。


反転細胞の有無以外にも、彼女の体には特異ななにかがあった。

となれば、やはり彼女の血筋に秘密が隠されている可能性が高い。


彼女の持つ反転細胞。

そして、彼女の遺伝子を近親交配させた受精卵、結合卵。

その他、まだ明らかとなっていない不可解要素が組み合わさることにより、科学反応が生じ、ゼロワンが生まれた。


覚醒が齎す胎教への影響は計り知れず、常識で考えればまず死産になる可能性が高いだろう。

仮に出産出来たとしても、子供の心身に深刻なリスクが伴うのは間違いない。


だが、ゼロワンだけは耐え抜いた。

宿主の母胎の中で、あらゆるものを自らの糧として吸収した。

それは、自らの母の命さえもだ。


そちらの分析は未だ続行中であり、根本的な要素は解明出来ていないのが現状である。



では、これまでのことを整理する。


FIRE BIRD PROJECTにおいて、ミロスラーヴァは初の成功例となった。

彼女自身は後に落命したが、ゼロワンを無事に出産したことに意味がある。

成功か否かの判断に、母体の生死は含まれていない。


何故彼女だけが成功したのか、明確な原因は不明だが、彼女自身に特別なポテンシャルがあったのは確かだ。


その内の一つが、がん細胞を無害化する特性を持つ、反転細胞。


これは卵巣腫瘍の発症と治癒を経て変異したものと仮定され、腫瘍を患った当人には発現しない。

当人が娘を出産した場合に限り、遺伝という形で娘、もしくは孫娘の方に宿ることがある。

ここゴーシャーク研究所では、反転細胞を宿した彼女らを"宿主"と仮称している。


反転細胞の特性として上げられる能力は、現時点で判明している限り二つ。


一つは、前述にもある通り、癌細胞を無害化させること。

癌細胞に伴う不死化を良性なものとして機能させる効果だ。


単にDNAを修復する機構は誰の体にも存在するものだが、これは生体内に不死化した癌細胞が発現した際に真価を発揮する。

DNA修復機構、そしてアポトーシスさえもが防ぎきれなかったものを対象としているのである。


二つは、正常な細胞を軒並み不死化させ、生体のあらゆる機能を活性化させる能力。

こちらはある条件を満たさない限り発動されず、この条件を満たした状態にあることを研究所では"覚醒"と呼称している。


上記の覚醒に必要な条件は、現段階で確認できている限り一つのみ。


混血の血を近親交配させた受精卵を着床させること。

そうした上でなんらかの科学反応が起こり、被験者が宿主であるかどうかを見分けることが初めて可能となる。


つまり、平穏に日常生活を送っている宿主達が、自らが宿主であることを自覚することはほぼ不可能なのである。


覚醒というプロセスを経ない限り、反転細胞は宿主の体内で眠り続けるだけ。

反転細胞が本格的に活動を始める条件を、一般人が満たせる可能性は極低いからである。



そして、ミロスラーヴァが成功例となったもう一つの要因が、恐らく彼女の血筋にある。

原因は定かでないが、ミロスラーヴァの血統には類を見ない特別な"なにか"が存在した。


ミロスラーヴァが唯一の成功例となったことを鑑みるに、反転細胞の有無よりも、彼女の血統そのものに価値があったと思われる。



反転細胞の名付け親であるフェリックスは、最期までミロスラーヴァの特異性を解明しようと尽力した。


生前の宿主達の細胞を媒体に、あらゆる物質との相性を試し、プロジェクトの鍵となる点がないか調べ尽くした。

だが、とうとう彼には解明することが出来なかったようだ。


フェリックス亡き後は、部下の研究員達が解析を続けているが、今のところ成果は出てない。

ファイルはここで終わっていて、その後の経過は記されていなかった。




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