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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
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Episode33-4:さあ、跋扈をはじめよう



その時、通気口の側に設置されていた警報機から、けたたましいサイレンが鳴り響いた。

全てを思い出した私には、このサイレンの意味が瞬時に理解できた。


恐らく、ここに私が侵入したことがバレたんだ。


ヴィクトールと別れてから、既に一時間以上が経過している。

時間を稼ぐとは言っていたが、もう長くは保たないだろう。


どう足止めしても、30分以内には確実に人が集まる。

天使の皮を被った悪魔の配下の者達が、直にここに押し寄せて来る。



ならば、くじけている暇はない。

気合いで涙を引っ込め、私は南側に続いた書架に目をやった。


たった今130冊目を読み終わえたところだから、まだ全貌の半分も洗えていない。

しかし、たった30分で残り全てを読破するのは不可能だ。


そうなると、もう順を追って読み進めていくのは効率が悪い。

ここから先は、めぼしい資料を狙い撃ちしていくのが最短ルートとなるだろう。


先程まで開いていたファイルを無造作に投げ捨て、私は南に向かって走った。



最古の資料が保管された書架は北側にあった。

ということは、反対の南側に最新のものが置かれているはずだ。


部屋の突き当たりまで来て、私は南側の書架を隅々まで見渡した。

側板と棚板を確認してみると、案の定最近の日付が刻まれていた。

やはり、南に行くほど近況のデータに推移しているようだ。


同時に、ふと目をやった先で、今までにはなかったものを発見することができた。


書架の左下の隅に、小さなスペースが設けられている。

何らかの意図があって分けられたであろうそのスペースから、形容し難い独特な気配を感じた。



"MOTHER DATA 01"

棚板に小さく刻まれていたのは、母親の文字だった。

そこに、僅か四冊ほどの資料が乱雑に置かれていた。



母親の記録。それも、ゼロワンという数字が語尾に付属している。

これは、ゼロワンの生物学上の実母、乃至は代理出産を行った女性に関するデータ、と考えるのが妥当だろう。


幸い、スペースは足元にある位置なので、梯子を持ってくる必要はない。

迷わずそこへ手を伸ばし、私は並んでいた四冊の資料を纏めて取り出した。


その場に膝を着き、Ⅰと番号が振ってあるファイルだけを残して、他を床に置いた。

はやる鼓動に急かされるように、抱え直したⅠのファイルをめくる。



「この人って……」



ファイルの1ページ目に添付されていたのは、とある女性のバストアップ写真だった。

その女性の姿を見た瞬間に、今までとは違う衝撃が私の中を駆け巡った。


グリーンの瞳にヘーゼルの髪をした白人で、年齢は20代前半くらいだろうか。

体型はスレンダーで、北欧系の整った顔立ちをしている。

誰に見せても美女と形容されそうな、美しい女性だ。


ただ、どこか儚げというか、影を感じさせる雰囲気も纏っていた。

整った顔には一切の表情がなく、魂が抜けたような目付きでこちらを見ている。


その目を見て、私は漠然と理解した。

この人はきっと、私を産んだ女性だと。


顔立ちはタイプが異なるし、瞳の色も違っている。けれど、髪の色は同じだ。

それに、この死人のような表情を見る限り、自分と他人な気がしない。



「ミロスラーヴァ・ロマノフスカヤ……」



視線を下げると、写真の下に女性のプロフィールが記載されていた。


ミロスラーヴァ・ロマノフスカヤ。ウクライナ出身の21歳。


父親がチェコ人とウクライナ人のハーフで、母親がベネズエラ人とレバノン人のハーフ。兄弟は双子の兄が一人。

ミロスラーヴァを含めて、計四人の家族構成だ。


父は弁護士、母は大学の教授を務め、兄も衛兵の内定を貰っていたほど優秀な一家だったとある。


本人は動物好きが高じて獣医を目指しており、大学と動物病院とを行き来しながら修業を積んでいた。

3歳年上の婚約者がおり、近々その人物と籍を入れる予定もあったという。


身長は166センチメートルで、体重は51キログラム。

スリーサイズは上から86、60、87で、足のサイズは24.5センチ。

視力は右目が1.2、左目が1.5。


特技は料理とマッサージ。

趣味はツーリングと映画を観ること。

犯罪歴や病歴などはなし。

家庭環境に恵まれた才女でありながら、平凡な暮らしを好む心優しい女性だったようだ。


ところが、ファイルの2ページ目以降からは、その後の彼女の半生が綴られていた。



当時、ロシアを拠点としていた犯罪組織が各国に蔓延り、彼等が若い女性を誘拐する事件が相次いでいた。

誘拐された女性達は組織が運営する売春宿に引き取られ、そこで娼婦として働かされていた。


しかし、組織の拡充は後に強制打ち止めとなった。

地元ロシア警察が介入したことにより、売春宿のほとんどが摘発されたのだ。


発見された女性達は、心に深刻なトラウマを負ってしまったものの、無事に家に帰ることができたという。


その中で、摘発されなかった売春宿の方はどうなったかというと、表沙汰にならなかったのをいいことに難を逃れていた。


そちらに所属していた女性達は保護されることなく、安否を確認することもできなかった。

以後は組織の残党に連れ去られたとされ、現在も消息不明なのだそうだ。



その連れ去らた女性達の中に、かつてのミロスラーヴァがいた。


ロシア警察が介入を始めたのは、彼女が誘拐されて間もなくのことだ。

つまり彼女は、娼婦として働かされる運命からは逃れたものの、組織から救出されることもなかったということだ。


彼女の親族、そして婚約者の男性は、消えた彼女の行方を探し続けていた。

だが、懸命な捜索も虚しく、ミロスラーヴァの身柄が発見されることは、とうとうなかった。



ここまでを読むと、彼女はそのまま組織に捕われていると推測するのが自然だが、実際はそうではなかった。


ここ、ゴーシャーク研究所が、フェリックス先生の指示で内密にミロスラーヴァの身柄を引き取っていたのだ。


詳細は不明だが、例の犯罪組織とゴーシャーク研究所の間に、なんらかのパイプがあったものと思われる。

ミロスラーヴァの身柄を貰い受けることを条件に、研究所側が組織の後ろ盾を請け合っていたのかもしれない。



研究所に引き取られたミロスラーヴァは、綿密な検査の末に、貴重なサンプルとして監視下に置かれた。


やがて、彼女をプロジェクトに正式投入することが決定し、ミロスラーヴァは数いる代理母候補の一人となった。



ただ、他の代理母とミロスラーヴァの間には、決定的な違いが一つあった。


このプロジェクトにおいて、代理母は重要な役割を担っているが、代理母本人のスペックはさほど重要視されない。


無論、優秀である方が望ましいが、必ずしもそうである必要はないのだ。

一定の条件をクリアしていれば、健康面に問題がない限り適性と判断される。


何故なら、彼女らはあくまで代理に過ぎないからだ。


重要なのは、事前に作成した受精卵の方。

中身が充実していれば、外身は見栄えが良ければいい。

所詮、中身のない器に価値はないということなのだ。



それが、ミロスラーヴァだけは違っていた。


彼女の場合、他人の受精卵を代理で出産するのではなく、彼女自身の卵子が採用された。

つまり彼女は、私の生物学上の母親でもあったということだ。


そして、私の生物学上の父に当たるのが、ミロスラーヴァの双子の兄。シドニーだった。


シドニーの遺伝子は、地元ウクライナの精子バンクで冷凍保存されていたものを取り寄せた、と記載されている。


それをこちらで解凍し、ミロスラーヴァの卵子と結合させて、受精卵を作った。

その結果、私が生まれた。


ミロスラーヴァは、私を出産して間もなくに衰弱死したとされ、24歳の若さで世を去ったという。

家族と婚約者のことを案じながら、苦しみ抜いての壮絶な最期だったそうだ。



彼女が、私の本当のお母さん。

あまり実感は湧かなかったが、言われてみればそんな気もしてくる。


売春宿に売られたというだけでも相当に悲運なのに、そこから更に酷い運命に巻き込まれて。


どれだけ恐ろしかったことだろう。不安だったことだろう。

彼女の家族や婚約者だって、きっと長らく苦しんだはずだ。

もしかしたら今でも、彼女の帰りを待ち続けているかもしれない。


私は、そんな人から産まれてしまったのか。

自分の生を手に入れるために、無実の彼女を犠牲にして。



また溢れそうになる涙をこらえて、二冊目のファイルを手に取った。

休む間もなく、三冊目のファイルも手に取った。


ⅠからⅢにかけてのファイルには、ミロスラーヴァが研究所に捕われてからの半生が綴られていた。

そのどれもが目を背けたくなるような内容だったが、これで彼女の経歴は理解した。



そして、最後となった四冊目。

Ⅳと表記されたファイルには、彼女の分岐点である出来事が記されていた。


数いる代理母達の中で、何故ミロスラーヴァだけが実験に成功したのか。

その理由には、現代の科学では解明できない謎が内包されていた。



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