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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
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Episode33-3:さあ、跋扈をはじめよう



扉の向こうには、私が想像していたよりずっと古典的な資料室が広がっていた。


面積は約70平米ほど。高さは3メートルほどといったところだろうか。

天井の四隅に空けられた通気口からは、最低限の酸素が室内に送り込まれている。

保管された資料が劣化しないよう、室温も常時一定に保たれているようだ。


なにより圧巻なのは、内蔵されている資料の山。

ドミノのように並べられた、背の高い書架の列だ。


書架の天板は天井に、底は床に固定されていて、一分も動かすことができない。

材質はスチールに似ているが、実際はもっと強度な物質でできているんだろう。


棚板には一段一段スライド式のガラス扉が施されている。

そこに、所狭しとファイルが並べられている。


国家機密にも等しいと聞いていたから、ある程度の覚悟はしていたが。

まさかこれほどの量が保管されているとは思わなかった。

ざっと見ても、300冊は下らない感じだ。


資料が全て紙で統一されているのは、セキュリティー面を考慮してのことなのだろう。

ハッキングやウイルスの脅威がない分、テクノロジーに頼るより安全だ。


ただ、なにか変な感じがする。

前にも一度、ここと似た場所に来たことがあるような。

それがどこだったかは覚えていないけれど、そこでも私は、なにか重要なものを目撃した気がする。



資料室の有様に気を取られていると、背後から微かに風を切る気配を感じた。


振り返ると、たった今通ってきた扉が閉じてしまった。

先程聞いた短い電子音と、ガチリと施錠するような音が順に鳴る。

人の出入りが確認でき次第、勝手に閉まる仕様のようだ。


ヴィクトールはまだ扉の外にいる。

彼も中に入ってくる様子はない。

時間を稼ぐと言っていたし、もうこの近辺からは離れたのかもしれない。


ここからは、私一人でなんとかするしかないんだ。

資料の膨大さに辟易している時間はない。

一分でも一秒でも早く、一冊でも多くの資料を閲覧することだけ考えよう。



ぐるっと周囲を見渡し、私は最初に手に取る資料を選んだ。


書架の裏板は全て背中合わせになっていて、それぞれ南北に正面が向いている。


部屋の入口から見える側板には、一つ一つ年代が振ってある。

北側に移動し、書架の正面を確認してみると、棚板の一段一段に更に細かい日付が刻まれていた。


その中から、最も古い日付のものを見付けた。

一番北にあった書架の、一番下段だ。


膝を折ってガラス扉をずらし、中に並んでいたファイルの一冊を手に取った。


表紙には、2004年2月23日から、同年4月10日までと表記されている。

やはり、これが最古の資料で間違いないようだ。


立ち上がった私はファイルをめくり、中の文書に目を通した。



「ゼロワンの出自とその軌跡を、ここに記す……」



そのファイルには、ゼロワンと呼称される存在の出生についてが記録されていた。


人の手によって生み出されたデザイナーベビー。

近親間での交配をテストし、特異な生命体を創造するという大規模なプロジェクト。


驚く間もなく、記録された文字列がすらすらと私の中に入ってくる。

そのスピードと円滑さは、自分でも驚くほどだった。


まさか自分に、速読なんていう特技があったなんて。

思いがけない発見だったが、そんなことは今はどうでもいい。



資料の内容は、俄かには信じられないものだった。


要するにここは、ゼロワンという人工生命体のデータを保管した場所であり、秘密の中心地だ。


ゴーシャーク研究所とは、例のプロジェクトとやらを推進するための本拠。

近親間での交配という、常軌を逸した実験を繰り返していた施設だったのだ。


加えて、このプロジェクトを指揮していたのが、我らがフェリックス先生。

表の顔は、所詮彼の一側面に過ぎなかったわけだ。



私の知らない領域で、密かにこんなことが行われていたとは想像もしなかった。


けれど、想像しなかっただけで、全く意外だったわけではなかった。


信じられない内容だと、私の脳は認識している。

なのに、全く驚きがないのだ。

悍ましい研究データの山を前にして、今の私はやけに冷静だ。


なんなんだ、この感じは。

重い鎖で繋がれた扉の向こうに、灼熱の地獄が閉じ込められているような、そんな感覚。

初めて目にするはずのそれらに、何故か覚えがある、気がする。


デジャヴと呼ぶには曖昧で、フラッシュバックと呼ぶには易しい。

私の中でなにかが燻っていて、でもどこから煙が立っているのか分からない。


頭が痛い。立っているのがやっとなほど、強烈な目眩がこめかみの奥でうねっている。


それでも、私の眼球は動き続ける。

歪む視界から得た情報を、次々と脳が吸い上げていく。


傍から見れば、今の私は狂っているように映るかもしれない。



「これっ、て……」



三冊飛ばしで資料を閲覧し、最古のものから20冊目に手をかけた頃。

私は私の中の違和感の正体に、やっと気が付いた。


この、ゼロワンと呼ばれる人型生命体。

彼女の成長過程を収めた写真を見ていて、ふと思ったのだ。


この子の顔、少し私に似ていないか。

顔立ちだけじゃない。髪の色、目の色、耳の形。

どれを取っても、私の外見的特徴と類似している。


成長に伴い、ゼロワンの姿はどんどん私に似ていった。



そんなはずはない。

私には父さんと母さんがいる。キオラという大切な名前がある。

帰る家だってあるし、家族と共に過ごした思い出だってある。


だからきっと、嫌な予感がするのは思い過ごしだ。

彼女と私の顔が似ているのは、他人の空似というやつだ。

百歩譲って、遠縁かなにかだったとしても、彼女と私は無関係だ。


自分で自分に言い聞かせるように、私はひたすら資料を読み漁った。

一冊手に取っては、ざっと目を通し、片付けては次の一冊へ。


そんなはずはないんだ。

どうか、私の幻想を打ち消してくれ。

私の悪い妄想を否定してくれ。

心の中で願いながら、震える指でページをめくり続けた。


いつの間にか息が上がっていたことも、目が血走っていたことにも。

他には一切気が回らないくらい、私の頭はゼロワンで一杯になっていた。






「………っあ」



でも、私の妄想が否定されることはなかった。

これ以上ない証拠を、私自身が所有してしまっていたのだ。



ゼロワンは、研究所で暮らす日々の中で、ある行為を日課としていた。


痛みや恐怖を伴う生体実験。

彼女の特異性を立証するため、研究員達は彼女を実験の道具としていたのだ。


中には、思わず目を逸らしたくなるような、凄惨な内容のものもあった。

酷い苦しみを強いられてきた彼女の境遇を思うと、激しい憐憫にも駆られた。


だが、同時に。

私はこのことも知っている、と思った。



あれは、まだ私が子供だった頃の話だ。

当時の私は、夜な夜な悪夢にうなされていた。

妙に生々しく、鮮明な悪夢を頻繁に見ていた。


どうにか悪夢を見ずに済む方法はないだろうか。

解消することが無理なら、せめてその原因を知りたい。

困った私はヘイズ先生に相談し、助言を求めた。


ヘイズ先生は、私に夢日記をつけてみるといいと勧めてくれた。

夢の内容を逐一記録しておけば、後々手掛かりになるかもしれない。

理解が深まれば、それだけ回避する術も見付かるはずだと。


その日から、私は悪夢を見た場合に限り、欠かさず日記をつけるようになった。

そのおかげかは分からないが、少しずつ悪夢を見る頻度は減っていった。


どうしてあんな夢を見るのか、正確な原因は突き止められなかったけれど。

ヘイズ先生のおかげで、一応の安眠は手に入れることができたのだ。



その日記に記した内容と、資料に記録されている実験の内容が、完璧に一致した。

細かい心象に至るまで、寸分違わず同じだったのだ。


それでも、ただの偶然という可能性もゼロじゃなかった。

やがてたどり着いた、100冊目の中身を目にするまでは。




やがて11歳に成長したゼロワンは、試験的に研究所から出されることになった。

今まで監禁同然に飼育されていたのが、普通の少女として日常生活を送ることになったのだ。


その際に、ゼロワンが与えられた名前は、キオラだった。

ファミリーネームは、グレーヴィッチ。



グレーヴィッチ夫妻は、フェリックス先生の熱心な協力者だった。


先生のためなら命を投げ出しても構わない。

必要とあらば、悪魔に魂を売ることだって厭わない。


先生に気に入ってもらうためならなんでもする。

先生の信者は数多くいたが、その中でも特に狂信的だったのが、グレーヴィッチ夫妻だった。


そこで先生は、夫妻にある役目を与えた。

それが、ゼロワンの世話役。

私の、仮初めの親になることだった。


優れた頭脳、均整のとれた価値観。

先生に対する狂気じみた情念さえ除けば、至って平凡な思想の持ち主。

なにより、妻ソフィアの容姿が、ゼロワンと似ていたから。


そういう理由があって、先生は夫妻に重要な任務を与えたのだ。



信奉する先生に役目を貰った夫妻は大層喜び、授かったゼロワンを我が子同然に育てた。


新たに捏造した記憶を植え付けられたゼロワンは、なにも知らずにすくすくと育っていった。

同じ血で繋がっていると信じていた両親が、実は赤の他人であったなどとは、夢にも思わずに。




「……っあ、ぁあ、っ…」



涙が止まらなかった。

あんなに、あんなに大好きだった父さんと母さんが。

大切に育ててくれた両親が。愛してくれた両親が。

他人、だった。


私を愛してくれたのも、全部、そうしろと言われていたから。

私を愛しているように繕えと、先生が言ったから。

だから、私を愛しているお芝居を、してくれていただけなんだ。


なにもかも嘘だった。

私は、先生が用意した舞台の上で、躍らされていただけだった。


両親との思い出も、全部作り物だった。

小さい頃、父さんと初めて植えた苗が、小ぶりのサボテンだったことも。

母さんと初めて一緒に作った料理が、形の歪なオムレツだったことも。

初めて両親と交わした言葉が、"だいすき"だったことも。


全部、台本だったんだ。

研究員の奴らが好き勝手に作り上げた記憶を、私はずっと、かけがえのない思い出だと思い込んで。


重い神経の病を抱えているというのも嘘。

時々体調を崩していたのは、ただの後遺症だ。

実験で蓄積されたダメージが、トラウマとなって私の体を刺激していたに過ぎない。

処方されていた薬も、ただの鎮静剤を大袈裟に繕っていただけだ。



やっと、思い出した。

私はここで生まれ、生きていた。


何度記憶を塗り替えられても、完全に消えることはなかったんだ。

時折覚えていた既視感は、勘違いなんかじゃなかった。


溢れる涙を止められなくて、漏れる嗚咽を止められなくて。

でも、ページをめくる手が止められない。



私は、望まれて生まれた子供じゃなかった。

そう自覚した瞬間、真っ先に浮かんだのはアンリの顔だった。


彼は、フェリックス先生のただ一人の子息だ。

つまり、私にとっては宿敵の血を引いた相手、ということになる。


それでも、アンリに対して憎悪は少しも湧かなかった。

私の運命を八つ裂きにした悪魔が、彼の父親だと分かっても。

どうしても、嫌いにはなれそうになかった。


偽りだらけの日々の中で、アンリと過ごした時間は、確かに本物だったから。

彼を愛おしいと感じた心は、作り物なんかじゃなかったから。


初めて、自分の心が愛した人を、嫌いになれるはずがない。



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