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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
224/326

Episode33-2:さあ、跋扈をはじめよう



「先生は亡くなった。悲しいことだが、この結果は変えようのない事実だ。

だから、これからは俺が、君を守るよ。どんな手を使ってでも、俺が君を生かし続ける。

今度こそ、君達との約束を果たす時がきた」



フェリックス先生の急逝は、私とヴィクトールの関係にもある変化を齎した。

正確には、今の関係以上の要素が付加されたのだ。


実の兄妹のように気心の知れた友人だったのが、主治医とその患者という側面も持つようになった。

つまり、ヴィクトールが私の新しい主治医になった、ということだ。


世間的には、優秀な学者としての面が多く認知されていたが、私にとっての先生はただ一人の主治医だった。

他に私の病を扱える者がいなかったので、先生だけが頼みの綱だった。


それを、弟子であるヴィクトールが丸ごと引き継いだ。


キングスコートの主席として、一学者として。それから私の主治医として。

生前の先生がこなしていたものを、そっくりそのままヴィクトールが交代したのだ。


といっても、大袈裟に治療方法が変わるわけではない。

しばらくの間は、専ら様子見だ。

先生の開発した薬を引き続き処方し、経過を観察すること。

今まで通りを継続することが、今後の主な治療になると思われる。


肉体の成長に伴い、少しずつではあるが私も耐性がついてきたようだから。

規則正しい生活を心がけ、決まった時間に薬を服用していれば、昔のように突然失神することはない。


時折目眩や頭痛に襲われるものの、それ以外に目立った症状も出ていない。

まだ完治したとは言えないが、良くなってきているのは確かだ。


このまま順調にいけば、完治の夢も夢じゃなくなるかもしれない。

そう希望が持てるくらいには、安定した日々が続くようになっていた。




――――――――


そんなある日のことだ。

多忙であるはずのヴィクトールから、急遽会えないかと連絡がきた。


指定されたパテルタワーに向かうと、お馴染みの軍服を纏ったヴィクトールがいた。



「おはよう、ヴィクトール。今朝も早いね」


「……ああ、おはようキーラ。昨日はいきなり電話して悪かったね」


「それは全然構わないけど…。

それで、どうしたの?毎日忙しいだろうに、わざわざ時間を作ってくれるなんて…。

なにか大事な用件?」



当時のヴィクトールは、妙に覇気がない感じだった。

日夜主席としての務めに追われているというし、疲れが溜まるのは当然のことだ。


だが、どうにもそれだけではなさそうだった。

疲労だけでなく、なにか別の悩みも抱えているような、思い詰めた顔をしていた。


それに、治療以外の用件でパテルタワーに呼び付けられるのも珍しい。

たまに二人で食事をする機会があるが、そういう時は大体ヴィクトールが車で迎えに来てくれる。

どこか外で待ち合わせる場合には、街の公園で合流するのがほとんどだ。


そうなると、今日の呼び出しは研究所、もしくは私の病気に関わることなのか。


返事を待っていると、ヴィクトールはふと私の手を取った。



「あまり悠長にしている時間はないから、詳しいことは説明してやれない。

ただ、君に見せたいものがあるんだ。部屋に着いたら訳を話す。一緒に来てくれ」



そう言って、ヴィクトールは私の手を引いた。

向かった先は、やはりゴーシャーク研究所だった。


"時間がない"

"見せたいものがある"

言葉数は少なかったが、ヴィクトールが言わんとしていることは大体理解した。


けれど、部屋とは一体なんのことだろう。

目的地を教えてくれないのは、その部屋とやらに私は通されたがないってことなのか。


疑問に思いながらも、私はとにかくヴィクトールの指示に従った。



「あ、あの、ヴィクトール。

なんか、今日は、随分人が…、少ない、みたいだけど…」



ゴーシャーク研究所に到着し、ヴィクトールと私は足早に廊下を渡った。

その内に、私は一つの違和感を覚えた。


人がいない。

ヴィクトールと私以外に、研究所の廊下を歩いている人間が一人もいないのだ。


いつもなら、スタッフが絶えず往来している。

それだけここは定員が多いし、彼らは常に業務に追われているからだ。


なのに、今日はどうしたというのだろうか。


今はまだ午前中だから?

いや、ここの職員は24時間交代常駐のはずだ。

私が来る前に、なにか異常事態が発生したのか?

だとすれば、こんなに静かなはずがない。ヴィクトールが冷静にしているのも、却って不自然になる。


じゃあ、どうして。

前を歩くヴィクトールに尋ねても、その話はまた後でとしか答えてくれなかった。



「着いたよ。ここだ」



やがてヴィクトールは、ある扉の前で足を止めた。


研究所の南西に位置する、日頃から往来の少ない場所だ。

職員達が勤務する管制室や会議室からは、100メートル以上の距離がある。

今のように無人でなくても、この辺りには滅多に人が寄り付かない。


大きな扉の表には、ローマ数字でⅠと表記されているが、内装がどうなっているのかは分からない。

ここが何のために設置された部屋なのか、初見では全く見当が付かない。



私の手を離したヴィクトールが、速やかにセキュリティーロックを解除する。

短い電子音の後に、Ⅰの扉は左右に開かれた。


ヴィクトールは先に中へ入ると、私にも続くようにと促した。

私も恐る恐る足を延ばし、中を見渡した。


てっきり、扉の向こうに部屋が広がっているのかと思いきや、扉の向こうにはまた別の扉が待ち構えていた。

長方形の狭い空間に、二つ目の扉がぽつりと佇んでいる。

その様式は、さながら民家の風除室だ。


規模は先程のものより小さいが、セキュリティーは先程のものより頑丈そうに見える。


この先にもまた扉があったとしたら、段々と小さくなっていくマトリョーシカのようだと思った。



「なんか、すごく厳重な感じがするけど…。私みたいな一般人が入っちゃっていいの?

スタッフ以外は立ち入り禁止とかなんじゃ…」



不安に駆られた私は、思わずヴィクトールの裾を掴んだ。

ヴィクトールはこちらに振り返ると、私の肩に手を置いて答えた。



「君の言う通り、ここは関係者以外立ち入り禁止の区域だ。

研究所に属する人間の中でも、ここに立ち入ることが出来るのは限られた者だけだ」



やっぱり。

内心そう呟いて、私は天井の隅に設置されてあるものに目をやった。



「でも、監視カメラが……」


「それは心配しなくていい。今だけ電源を切ってあるから、しばらくの間はやり過ごせる」



研究所内に設置されている監視カメラを、一時的にオフにする。

今やヴィクトールはこの研究所のボスだが、彼の権限を以てしても、そんなことは容易くできないはずだ。


例えここ一箇所のみの話であっても、カメラは常に作動させておくのが規則だと聞いている。

それこそ異常事態でもない限り、個人の独断で行えることではない。



時間がない、か。

ここにきて、先程のヴィクトールの言葉が一気に腑に落ちた。


つまり彼は、このカメラが復旧される前に目的を果たしたい、というわけだ。



「……私は、ここでなにをすればいいの?」



時間が惜しいというので、今度は単刀直入に尋ねた。

ヴィクトールは一つ頷くと、話が早くて助かるよと呟いた。



「この扉の先に、研究所のデータを保管した資料室がある。

国家機密にも等しい重要なデータだ」


「それを、私に閲覧してこいってこと?」


「端的に言うとそうだ」


「私がやる理由は?」


「それが君にとって必要なことだからだ。

危険を冒してでも洗い出す価値がここにはある」



ヴィクトールによると、この先は資料室になっているらしい。

それも、選ばれた者のみが閲覧を許されるという、極秘のデータを保管した資料室だそうだ。


そんなものを私に見せたがる訳は謎だが、ヴィクトールの態度は真剣だった。

そうした方がいいではなく、そうするべきであるというニュアンスが感じられた。



「もし見付かったらどうなる?」


「俺は罰を受け、君は記憶を抹消される」


「……っどうすれば内密に済ませられる?」


「内密に済ませることは不可能だ。遅かれ早かれ、ここに君を通したことは必ず発覚する」



ヴィクトールの言葉に、私の中の動揺が広がる。


もし、私達がここに侵入したことがバレたら、ヴィクトールは罰を受ける。

私は記憶を消され、せっかく手に入れた情報も手放さなければならなくなる。


だったら、見付かる前に済ませてしまえばいいだけの話だ。

そう思ったのに、見付かるのは時間の問題だとヴィクトールは言う。


どういうことなんだ。

最後には必ず消されてしまうと分かっていて、私がここのデータを閲覧することに何の意味がある。

どうせ忘れてしまうなら、覚えたところで無駄だろうに。


この状況で"どうして"は言いたくなかったが、あまりに説明が足りない。


だったらなんのために。

私が疑問を口にする前に、ヴィクトールは続けてこう言った。



「よく聞いてくれ、キーラ。

確かに、君の記憶はこの後抹消される。

だが、ここで見たものは、記憶が消された後も君の中に残るんだ」


「どういうこと?」


「君が忘れても、君の中にいるやつが代わりに覚えていてくれる。

だから君は、出来るだけ多くのデータを閲覧するんだ。

見付かるかどうかは問題じゃない。見付かる前に、どれだけ多くの情報を蓄えられるかが重要なんだ」



消されても残る。

私の中にいるやつが覚えていてくれる。

ヴィクトールの言っていることはさっぱり意味不明だった。


意味不明だった、が。



「………分かった。片っ端から読み漁ればいいんだね」



私が頷くと、ヴィクトールはさすがだと言って笑った。


セキュリティーシステムの前に立ったヴィクトールが、位置に着くようにと私に促す。


私は二つ目の扉の前に立ち、深く息を吸って、吐いた。



この際、余計なことは考えないことにする。

疑問も不安も捨てる。

必要なことだけを思考し、後ろは振り返らない。


私はヴィクトールを信じている。

そのヴィクトールがやるべきだというのなら、私はやるだけだ。



「ここから先は刻限との勝負だ。

俺も出来るだけ時間を稼ぐが、多分長くはもたない」


「分かってる。それでもなんとかやってみるよ」


「…そうか。じゃあ始めるよ、キーラ。準備はいいかい」


「待った」



ヴィクトールがシステムを解除する姿勢に入った。


いよいよか。

まるでランナーがスタートダッシュを切るように、今か今かと鼓動が騒ぐ。


ヴィクトールがこちらに合図を送る。

私はそれにいいよと返す前に、もう一度だけヴィクトールの顔を見た。



「さっき言ってた罰っていうのが、どんなものなのかは知らないけど。

もし苦しいことだったとしたら……。ごめんね」



今回の騒動は、恐らく双方が報いを受けることで帰結する。

私は記憶を消され、ヴィクトールはなんらかの罰を受けることになる。


気掛かりだったのは、私のせいで罰を受けるというヴィクトールの安否だった。

もしそれが苦痛を伴うものであったなら、忘れてしまう前に一言謝っておきたかった。



「……こんな時まで綺麗な人だな、君は」



最後に見たヴィクトールの顔は、安らかな笑顔だった。


先程よりも複雑な電子音が不協和音を奏で、狭い空間に残響する。


"行け"

しばらくの間を置いて、ヴィクトールが小さく呟いたのが聞こえた。


脇目を振らずに、私は膨大なデータの住み処に向かっていった。



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