表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
223/326

Episode33:さあ、跋扈をはじめよう



アンリとの出会いを経て、4年後の夏。

16歳となった私の世界に、突如としてその衝撃は落ちてきた。


フェリックス先生が亡くなった。

享年76歳だった。


死因は脳幹出血。

幸い痛みは長引かなかったようだが、その分あっという間の幕引きだったそうだ。

あまりに突然の出来事だったので、皆先生の命を救う努力さえできなかった。



信じられなかった。

何故って、信じられるはずがなかった。


先生は、世界的なお医者様で、有能な学者様だ。

最新の設備が整えられた環境に身を置いていたし、自らの健康管理にも余念がなかった。

事故であろうが病気であろうが、必ず逆境を覆せるだけの力が先生にはあった。


なのに、死んだというのか。

それらの力を行使することも叶わなかったと。

自らの死を意識する暇もなかったほど、一瞬の幕引きだったというのか。


有り得ない。真っ先に出た感想がそれだった。


これはきっとなにかの間違いだ。

間違いでないなら、悪質な嘘だ。誰かが偽りの情報を触れ回っている。

そうでなければ、先生が死んだなどという話が耳に入るわけがない。


でも、言い聞かせる父の態度は真剣だった。

目には涙を浮かべ、震える声で語る父は、確かに私に言った。

先生が亡くなってしまったと。


父は嘘をつく人じゃない。子供だからと真相をはぐらかすこともしない。

だから、父の言葉を嘘とは思っていなかった。


思っていなかった、けれど。

父の目から滴る涙を見て、父は嘘を言っているのではないのだと、本当の意味で理解した。



そうか。先生は、亡くなってしまったのか。

実感した途端に、じわじわと虚しさが込み上げてきた。

肺の辺りに、大きな風穴を空けられたような感覚を覚えた。


だが、涙は出なかった。

父も母も泣いていて、先生とあまり親しくなかった人達も泣いていたのに、私は泣かなかった。


違う。泣けなかったのだ。

とても悲しいと思うのに、悲しい以上の衝動が私の中で生まれなかったのだ。


先生に最も恩義があるのは私だ。

先生と最も縁が深かったのも、多分私だ。


私には、先生の死を愁う資格があったし、嘆く義務があった。

先生を永遠に失った事実に、一番取り乱さなきゃいけなかったのが、私だ。


なのに、私が一番落ち着いていた。


悲しかったのは本当だ。胸が潰れそうなほどの不安にも襲われた。

先生なしでこの先どうやって生きていけばいいのかと、叫びたくなるほど狼狽したのも本当だ。


なのに、どうしてだ。

出ない。涙が出ない。雫が全く溢れてこない。

掻きむしりたくなるような悲痛が湧いてこない。


私だけ。私だけが、平然と立っている。

膝を着き、顔を覆い、悲嘆に暮れる人々が周りに溢れ返っている中で、私だけがただ立っている。


先生を嫌っていたアンリでさえ、我を失うほど動揺していたというのに。

私は、自分でもおかしいくらいに冷静だった。


"やっと死んだのか"


ふと誰かが呟いたのが聞こえて、顔を上げると、周りには誰もいなかった。


その日から、私の世界は微かに色を変えた。

ワントーン色彩が暗くなった景色は、物悲しい静寂に包まれていた。






――――――――


先生の没後、世界は一時的な大混乱に陥った。


誰もが知る医学界の父。

神とまで崇められた人物が急逝したのだから、こうなるのは火を見るより明らかだった。


各国の医師会には不安が広がり、先行きを悲観した重病人達は集団ヒステリーを起こした。

先生の開発した薬を我先にと買い求め、奪い合いに縺れ込んだ金持ち達が争いを始めた地域もあった。

先生を慕うあまり、後追い自殺をする信者も各地で現れた。


パニックは次第に鎮静化したが、当初の騒ぎは世界滅亡に等しいものだった。

私は、先生の存在がいかに尊く、大きいものであったかを改めて知った。



そんな中、特に深刻に取り上げられていたのが後継者問題だ。


薬、技術、設備、新人育成。

あらゆる分野で功績を積んだ先生は、たくさんの財産を世に残してくれた。

おかげで、先生亡き後も医療は衰退せずに済んだ。


先生がいなくなっても、先生の残してくれたものが人類の未来を支えてくれる。

世界がまた平穏を取り戻すことが出来たのは、先生が近未来までの安寧を約束してくれていたからだった。



だが、学者として先生の後継を担える者はいても、一国の長として先生の代わりを務められる者は限られていた。

平たく言えば、新しい王様候補だ。


白衣に腕を通す資格は、確かな頭脳と技術があれば手に入る。

しかし、玉座に座る資格は、単なる秀才には与えられない。


正しい治世。逆境に耐えうる統制。

そしてなにより、民草を惹き付けるカリスマ性。

これらのアドバンテージを兼ね備えた者にのみ、ようやく候補を名乗る資格が与えられる。


つまり、こればかりは"学び"によって勝ち取れない。

なりたいからとなれるものではないのだ。


そういう意味では、先生に並び立つ存在はほとんど目星がつかなかった。

先生は唯我独尊であったからこそ、唯一無二の人だった。

先生以上に暴君と名君を両立させられる人間は、二度と現れないのではと言われていたほどだ。


特に、私達国民は当事者だ。

面白がって騒ぎ立てる他国民とは立場が違う。

次期主席選抜は、自分達の命運を決するに等しい行事だった。

一連の衝撃を軽率に語る人間がいたとすれば、それは外国人だけだ。



不幸中の幸いだったのは、私達の心が最初から一つに決まっていたことだ。


先生が存命していた当時から、次期主席に最も有力な候補がいたこと。

そして、彼が後を継ぐことに、誰も不満を持っていなかったこと。


その最有力候補というのが、先生の子息にして唯一の直系。

アンリだった。


この頃アンリは、大学に進学して間もなかった。

高校在学中はお母様の姓を名乗っていたこともあり、成長した彼の姿はまだ世に知られていなかった。

誰も、大人になったアンリ・F・キングスコートを知らなかったのだ。


しかし、先生に子息がいることは周知の事実だ。

他に相応しい人物がいないのであれば、やはり世襲によって帰結するのが妥当だろうと。


どんなやつなのかは知らないが、実の息子ならそれなりの器を持っているはず。

最後にはきっと、アンリが後を継ぐことになるのだろうと、皆が思っていた。



ところが、予期せぬ事態が発生した。

アンリ自ら、次期主席選抜をリタイアしたのだ。


彼には、国を治めるより重要な仕事があり、王様になるより叶えたい夢があったのだ。

それは自分にしかできないことなのだと、打ち出された決意は確固なものだった。


私は、彼がそう言うのなら、それでもいいと納得した。

最も可能性が高かったというだけで、主席就任は義務ではない。

本人にその意思がないのであれば、誰も強制できない。


ただ、アンリがリタイアしても、後継者問題は終わらない。

子息が継がないのであれば、一体誰が次の王になるのか。

急に始まった主席選抜は、また振り出しに戻ったかと思われた。


そんな時に、先生の遺言書が発見されたのだ。



遺言書には、アンリを後継に立てたいとは一言も記されていなかった。

先生自ら、自分の後継に相応しいと指名した人物は一人だった。


ヴィクトール・ライシガー。

先生の一番弟子にして、恐らく先生が最も長く側に置いていたとされる青年。

ヴィクトールと先生の師弟関係は有名な話だが、密かにそっちの教育も施されていたとは誰も知らなかった。



ヴィクトールの名前が上がった時の世間の反応は、とても前向きなものだった。


先生に最も可愛がられていた有能な一番弟子。

その上、主席としてのノウハウも勉強済みとなれば、反対する理由などなにもない。


問題は解決したも同然だった。

先生の遺言書が見付かってからというもの、驚くほどとんとん拍子に事は進んだ。


やがてヴィクトールは、正式にキングスコートの主席となった。

この件をきっかけに、ヴィクトールの名前は海外にも広く知れ渡ることとなった。


特別な歓迎ムードはなかったものの、国民も彼を新しい王様として受け入れた。

中には反対する者もいたようだが、アンチは数少なかったと聞く。



その後、我が国は少しずつ落ち着きを取り戻していった。


ヴィクトールの手腕は目を見張るものがあり、先生の抜けた穴をたちまち元通りに修繕してみせた。

カリスマ性だけは先生に及ばなかったが、持ち前の技術と知識は引けを取っていなかった。


さすがはフェリックス・キングスコートの一番弟子。

国民はヴィクトールの才能を信頼し、それに伴って徐々に評価も上がっていった。



私は、ヴィクトールが有名になったことが嬉しかったが、手放しで喜ぶことはできなかった。


確かに、先生の能力を最も色濃く受け継いだのはヴィクトールだろう。

国民に認められるようになったのだって、彼自身のたゆまぬ努力があったからこそだ。


でも、それを言うなら、アンリだって同じだった。

アンリだって、ずっと頑張ってきたのだ。

先生の期待に応えようと、幼い頃から努力に努力を重ねてきた。


例え、誰からも省みられずとも。

誰も褒めてくれなくても、アンリは必死に生きてきたのだ。


なのに、ヴィクトールが脚光を浴びる度、アンリの存在は霞んでいった。

元々知名度は高くなったが、ヴィクトールが表舞台に出てきたことで、益々アンリは関心を持たれなくなった。


それだけではない。

いつからか、アンリのことを木偶の坊だの、名ばかりの血統だのと野次る輩まで現れ始めた。

自ら選抜をリタイアしたことが、最悪の形で尾を引いてしまったのだ。


弟子に全てを押し付け、自分は責任から逃れた親不孝な息子。

心ない中傷がネット上に拡散し、アンリの人柄は悪い方へと肉付けされていった。



我がヴィノクロフの民は、実はアンリがキングスコートの一族であったと知っても、変わらずに受け入れた。


本来の身分を伏せていた頃から、アンリは人一倍努力家で謙虚な人物だったから。

実は王族の血を引いていることが発覚しても、誰も騙されていたとは非難しなかった。

むしろ、それほどの大物が控えめに振る舞っていたのかと、好印象を持ったくらいだった。


アンリのことを良く思ってくれる人は、元々のアンリを知っている人達だ。

なにも知らない連中が、大きな声で浅知恵を振り撒いているだけなのだ。


なにも知らないくせに。

アンリがどれだけ苦しんで、悩んできたか、見たこともないくせに。


アンリ自身は、言いたいやつには言わせておけと流していたけれど。

私はどうしても、世間の在り方が気に食わなかった。



「ねえキオラ。本当のところ、あなたはどちらの彼が好きなの?

どちらを選んだとしても母さんは応援するけど、もしアンリ君を好きになったのだとしたら……。

いずれ、辛い思いをすることになるかもしれないわね」



ずっと、二人の味方であり続けたかった。

ヴィクトールともアンリとも離れたくなかった。


でも、それはきっと叶わぬ望みだ。


いつか、二人の内のどちらかを選ばなければいけない日が来る。

どんなに辛くても、どちらかを突き放さなければならなくなる時が来る。

そんな気がする。


今まで二人の背中を追い掛けて来られたのは、辛うじて二人の足並みが揃っていたからだ。


でも、大人になった二人は、もう歩き出してしまった。

それぞれの道に進み始めた彼らは、二度と引き返すことはないだろう。


だから、二人の背中を同時に追い掛けることは、もうできない。

側にいたいのなら、どちらか一方の後を追うしかない。

どちらか一方と疎遠になることを、受け入れるしかない。



最初の人か、唯一の人か。


今はまだ、私の足が遅いから、決断を迫られる時には至っていないけれど。

やがて辿り着いた分岐点で、私は迷わず選択できるだろうか。


さよならと、遠ざかる背中を見送れるだろうか。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ