Episode32-6:分裂
ヴィクトールと、アンリ。
私はこの二人のことが大好きだ。
双方に抱く感情は少し意味合いが異なるけれど、どちらもかけがえのない存在になった。
だから、大好きな二人が仲良くなってくれることを、私は望んでいた。
今後は、三人で一緒に食事をしたり、共に刺激し合える関係になれたらいいと思っていた。
この頃の私は、今思うと平和ぼけしていたのだ。
私の目から見る彼らと、他の視点から見る彼らが、微妙に異なった姿をしていることも。
私の何気ない言動が、知らず知らず彼らを傷付けていたことも。
何一つとして気付かずに。
「それにしても、不思議な縁だな。
先生にご子息がいることは伺っていたが、まさかその君がキオラの友人になるなんて」
私の願望通りに、世界は動いているわけではない。
二人の出会いは、私の期待に反して険悪なものだった。
あれは、私が13歳の頃だ。
アンリのホームステイが落ち着いた頃合いを見て、ヴィクトールが我が家に訪ねて来た。
二人が対面する日を今や遅しと待っていた私は、ようやく迎えたその機会を張り切ってセッティングした。
当時のアンリは機嫌が良かったし、ヴィクトールも仕事休みでリラックスできていたと思う。
私の体調も、この日ばかりは安定していた。
天気は穏やかな晴れ。途中で邪魔が入る予定もない。
大切な人を紹介するには、まさに絶好のタイミング。
この日が、私達三人の始まりになるはずだった。
いつかの未来に、笑って語り合える思い出になるはずだった。
だが、双方が顔を合わせた瞬間。
一気に空気が固くなったのに気付いてしまった。
露骨にいがみ合ったり、避け合ったりすることはなくても、雰囲気が酷く冷たかった。
二人の発するオーラは、初対面の相手に対するものとは思えないほど、鋭く尖っていた。
あれは、紛れも無い敵意だったと思う。
態度や言動に出ていなくても、二人の目付きや呼吸のリズムを見れば分かる。
ヴィクトールのこともアンリのこともよく見ていた私だからこそ、すぐにあの違和感に気付くことが出来たのだ。
それに引き換え、私の両親は全く状況が読めていない様子だった。
ヴィクトールもアンリも取り繕うのが上手くて、一見にこやかに接していたから、すっかり打ち解けたものと思ってしまったんだろう。
久々に会うヴィクトールにばかり構っては、アンリの知らない昔話に花を咲かせていた。
私はアンリの隣の席に座っていたので、彼の心の声がまざまざと聞こえてくるみたいだった。
きっと疎外感を感じているだろうことは、想像に易かった。
私は何度か話題を切り替えて、両親の関心がアンリにも向くように計らった。
だが、それがなかなか上手くいかなかった。
却ってアンリの疎外感を煽るような流れを作ってしまったりして、空回った。
その度にアンリは、寂しそうに目を伏せていた。
"そういえばヴィクトール君は"
"ヴィクトール君はいつも"
"さすがヴィクトール君だね"
両親の口から出るのは、次から次にヴィクトールの名前ばかり。
私は三人の会話に相槌を入れながら、内心モヤモヤしっぱなしだった。
"やめて、待ってよ。父さん、母さん"
"ヴィクトールに会えて嬉しい気持ちは分かるけど、ここにいるのは彼だけじゃない"
"すぐ側に、アンリだっているでしょう。
二人がゆっくり話せるように、私達はお膳立てに徹しようって、さっき言ってたじゃない"
"アンリだって、私達家族の一員なんだよ。
せっかくなら、皆が共有できる話をしようよ"
"アンリにこんな、悲しい思いをさせないでよ"
両親はなにも悪くないと分かっていたけれど、この時ばかりは少し怒ってやりたい気分だった。
アンリだけを除け者みたいにしないでと、大声を上げたい気分だった。
でも、愛する両親に口答えするなんて、私にはできなくて。
こっそり隣にいるアンリを心配すると、彼は大丈夫だからと笑っていた。
その気遣いが、尚更不憫で辛かった。
私は、彼の生い立ちを知っている。
先生と不仲であること、お母様から虐待を受けて育ったこと。
大体のことは彼が自ら教えてくれた。
だから、彼がどんな気持ちで私達と接しているのかも、何となく分かっていた。
分かっていたんだ。
あの状況が、彼の中のなにを呼び覚ますきっかけになるか。
一人だけ蚊帳の外に追いやられた彼は、過去の苦しかった思い出をぶり返していたに違いなかった。
「そうだろう、キオラ」
「そうだよな、キオラ」
ヴィクトールもアンリも大人で、優しいいい人だ。
当然、話も合うはずだと思っていた。
でも違った。
私の目から見た二人は、どちらも良い人にしか見えないけれど。
それは、二人が私に優しくしてくれるからだ。
私が知らないだけで、二人にも後ろ向きな側面くらいあるはずなのに。私はそれを見ようとしていなかった。
自分にとって都合のいいことだけを信じていた。
自分の想像力の欠如と、両親の平和主義が、知らず知らず二人を苦しめていたのだ。
私は今回のことを反省し、これからは二人の後ろ向きな面も理解しようと心に決めた。
私が、二人を繋ぐ懸け橋になるのだと決めた。
――――――――
「最近はあんまり出かけてなかったし、お天気も落ち着いてきたみたいだから、どうかな。
アンリさえ良ければ、だけど」
その後、私は思い切ってアンリをデートに誘った。
ヴィクトールに会ってから気が滅入っていたようなので、少しでも気分転換になればと思ったのだ。
アンリはすぐに快諾してくれた。
後日、二人だけで外出する予定を立てた。
これまでにも何度か二人で出かけることはあったが、改まるとちょっと気恥ずかしい気分だった。
アンリも当日を楽しみにしていると言ってくれた。
私は、その日を万全な調子で迎えられるよう、いつも以上に気を付けて過ごした。
ところがだ。
デート当日の朝になって、私の体調が急変した。
朝目が覚めた時から、なんだか今日は気分が優れないなと思っていた。
でも、数時間後にはアンリとの約束がある。私のせいで急にキャンセルをするようなことだけはしたくなかった。
気分が優れないのも、きっとそのうちに治まるだろう。
起床して体を動かしていれば、少しずつ元に戻るに違いない。
その時はそう楽観して、私は体調不良のことをアンリに伝えなかった。
でも、いくら時間が経っても、体を動かしても、体調が戻ることはなかった。
むしろ、時間が経つほどに悪化していった。
そして、アンリが学校に行ってしばらく後。
とうとう立っていられないほど体調を崩してしまった私は、救急車で運ばれるという事態を招いてしまった。
酷い吐き気と目眩と、息が上がるほどの高熱。
昨晩床につくまではあんなに元気だったのに、たった半日経過しただけでこの始末だ。
「キオラ。キオラ、大丈夫か?
ここがどこか、分かるか?」
次目を覚ました時には、私はもうベッドの上だった。
ゴーシャーク研究所の医務室。私がよく目にしている光景だ。
起こしてくれたのは、いつものことながらヴィクトールだった。
私のバイタルが安定したのを確認して、優しく体を揺すってくれた。
私は、目覚めて一番に彼の顔が映ったことに安堵した。
同時に、酷い罪悪感にも苛まれた。
場所は研究所の医務室。
側にはヴィクトールが控えていて、私の腕には管が繋がれている。
ということはやはり、私は耐えられなかったのか。
先程まで夢うつつに見ていた景色は、夢ではなく現実だったのだ。
そこで改めて、私はアンリとの約束を破ってしまったことを自覚した。
"だめだ"
"私、約束したのに。こんな時に倒れたら、また、迷惑を"
"せっかく、楽しみだって、言ってくれたのに"
"自分から、誘ったくせに"
"ごめんね、アンリ"
ヴィクトールは、私が救急車で搬送されていた時から付き添ってくれていたらしい。
その間、熱に浮された私は独り言を呟いていたそうだ。
その内容が、とても印象的だったと教えてくれた。
私自身に当時の記憶はないが、たった今までアンリの夢を見ていた覚えはあった。
それがまさか、寝言となって表に出ていたとは思わなかった。
「へえ…。じゃあもうじき、約束の時間になるってことか。
このまますっぽかしてしまうと、君の面子に関わるね。
ああ、無理に起き上がらないで。今はまだ安静にしていないと駄目だ。
心配しなくても、後のことは俺がやっておくから大丈夫だよ。
アンリ君には俺の方から伝えておくから、君はゆっくり、ここで休んでいてくれ」
ヴィクトールは、何故あの時寝言でアンリに謝っていたのかと尋ねた。
私は今日の約束のことを正直に明かした。
このままではアンリに迷惑がかかってしまうことも話した。
するとヴィクトールは、自分が代わりに伝言を伝えて来ようと言ってきた。
私はとても悩んだ。
これは私とアンリの問題だ。
無関係のヴィクトールに手間をとらせるのはどうかと思った。
自分の不始末を人任せにするのも忍びなかったし、どうせ断るしかないのなら、ちゃんと自分で謝りたかった。
しかしヴィクトールは、頑として私の外出を許可してくれなかった。
先程目を覚ましたばかりなのに、自宅にとんぼ返りなんてしたらまた倒れるに決まっている。
珍しく強い口調で私を説き伏せた。
確かに、言われてみるとまだ体が重かった。
全身が酷く強張っていて、正直ベッドから起き上がるだけでも精一杯だった。
私は観念して、ヴィクトールに伝言をお願いすることにした。
ヴィクトールは、優しい手つきで私をベッドに寝かせてくれた。
私の頭を撫でてくれた掌は、いつものように温かかった。
こんな時にも、彼は優しい。
世話をかけてばかりなのは申し訳なかったが、ヴィクトールがいてくれて良かったと心から思った。
だが。
「ねえ、ヴィクトール。……私のこと、怒ってる?」
態度は穏やかだったけれど、雰囲気が妙にピリついていることに、最初から気付いていた。
彼の笑顔は目だけ笑っていないことがよくあるが、今日はいつにも増して鋭い眼光を灯していた。
なにか、腹の中で煮え立っているものを、理性で押さえ付けているような。
もしかして、私の考えが至らなかったから怒っているんだろうか。
そう思い、私は素直に怒っているのかと尋ねた。
「まさか。俺はキオラに不満を抱いたことなんて、一度もないよ。
ただ、アンリ君になんて言って説明すればいいのかと思ってね。
少し、文言を考えていただけだよ」
あの時はああ言っていたが、本当のところ彼の心情は分からない。
私の身を案じて気遣ってくれたのかもしれないし、全く別の件で腹を立てていたのかもしれない。
ただ、この日を境に、ヴィクトールとアンリは急に親しくなった。
私の伝言を伝えに行った際に、出先でなにがあったのかは知らない。
次二人と顔を合わせた時には、先日までのよそよそしさが嘘のように打ち解けていたのだ。
私は二人に当時の様子を聞いてみたが、二人は絶対に教えてくれなかった。
私はこの展開を最初喜んだが、腑に落ちない感じはしばらく胸に残った。
『This is just between you and me.』




