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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
217/326

Episode32:分裂



2月23日。

この日は、私が世界に生まれ落ちた日。

私の11歳の誕生日だった。


当日には、毎年両親がお祝いのパーティーを開いてくれている。

母がごちそうを作り、父がプレゼントを買ってくる。

自室に飾ってある白熊のぬいぐるみも、昔誕生日に父が買ってきてくれたものだった。


家族三人だけで行われる慎ましい宴。

あまり華やかとは言えないかもしれないが、幸福の度合いで言えば、どんなセレブなパーティーにも負けていないと思う。


なにより、私は愛する両親に生誕を祝ってもらえることが、格別に嬉しかった。

生まれてくれてありがとうと、二人に言葉をかけてもらえることが、最高のプレゼントだった。



この日、この時だけが、私が私の生を肯定できる唯一の瞬間だったから。


いつ突然命を落とすかわからない不安定な日々の中で、確かに訪れる一年という区切り。

以前の誕生日から、無事に365日を乗りきることが出来たという、形のない証。


また一年、自分の足でこの世界に立っていられたのだと。

健やかに迎えられる節目の瞬間を、私も両親も大切に過ごしてきた。



だが、身内だけでお祝いをするのは昨年までの話。

今年からは、例年通りのパーティーに、例年にない客人を迎える手筈になっていた。


お友達のヨダカさんや、ヘイズ先生。

それから、父の昔馴染みに、母の手芸仲間。

グレーヴィッチ家に縁のある何人かの知人友人を招いて、彼らにも楽しい時間を共有してもらうことになったのだ。


出来れば、お世話になっているフェリックス先生や、研究所の人達もお招きしたかったのだけれど。

生憎、当日は予定が埋まっているとのことで、残念ながら研究所の関係者は一人も集まらなかった。



これは、せっかく私の交友関係が広がったのだからと、母が提案してくれたことだった。

念願叶ってようやく友達と呼べる相手が出来たのだから、祝い事には招待してあげるのがマナーというものよ、と母は言った。


今まで友達らしい友達が一人もいなかった私には、そんな発想思い付きもしなかった。

そういう文化が存在することは知っていたが、自分には到底縁のない話だと思っていたから。


でも、実際にその時を迎えてみると、こんなに楽しいことはないというくらい、みんなと共に過ごす時間は楽しかった。


親しい人がわざわざ訪ねてきてくれるというのは、家族三人で祝う時とはまた違った喜びや趣があった。


母が作ってくれた料理を皆で食べて、皆がこしらえてくれたプレゼントを私が受け取る。


なんだかしてもらうばかりで申し訳ない、と私が言うと、誕生日にそんなことを考えている人はいないよ、とヨダカさんが笑っていた。



そして、招待客の皆から一通りお祝いの言葉を頂いた頃。


パーティーも中盤に差し掛かったところで、最も到着を気にかけていた最後の一人が、満を持して我が家にやって来た。


ヴィクトールだった。

綺麗にラッピングされた箱を脇に抱え、珍しく息を切らした彼は、いつになくお洒落なコートを着て私の前に現れた。


もしかしたら来てくれないのではないか、と内心不安だった私は、彼の顔を見た瞬間、嬉しくて思わず大きな声を出してしまった。



よく見ると、黒いコートの肩口にはまだ微かに雪が積もっていた。

私が手で雪を払ってやると、ヴィクトールは抱えていた箱を怖ず怖ずと差し出してきた。


青いリボンでラッピングされた、A4サイズ程の白い箱。

箱を受け取り、ヴィクトールに一言断ってから包装を解く。

蓋を開けてみると、中には暖かそうなマフラーが入っていた。


ネイビーの生地に、白と黒のチェック模様が施されたマフラーだ。

色合いやデザインは控えめだが、肌触りがとても良くて、一目で上等だと分かる品だった。



「誕生日おめでとう、キオラ」



白い肌に滲む朱は、外の雪景色がそうさせたのか。

それとも、彼の内側から込み上げるなにかが、こうして色となって現れたのか。


囁かれた祝いの言葉と、弧を描くオレンジの瞳。

この時のヴィクトールの顔が、一瞬だけはにかんだように見えたのが、強く私の胸に残った。



「ありがとう、ヴィクトール。

来てくれて嬉しいよ」



わざわざ顔を出してくれただけでも嬉しかったのに、まさかプレゼントまで持参してくれるなんて。


私は、ヴィクトールに心からの感謝を伝え、受け取ったマフラーを早速首に巻いた。

ネイビーに顔を埋めて喜ぶ私に、ヴィクトールはよく似合っていると褒めてくれた。



それから私は、マフラーを巻いたまま一旦席を外すと、そそくさと隣室まで移動した。

そこからあるものを持ち出して、リビングに戻ると、ヴィクトールが不思議そうに首を傾げていた。


私は、持ってきた"あるもの"を差し出して、なにも分かっていない彼にこう告げた。


"お誕生日おめでとう、ヴィクトール。

一日早いけど、あなたの生誕を一緒にお祝いさせてくれませんか?"



パーティーに招待した友人達の中で、私がヴィクトールの到着を最も気にかけていた理由。

それは、単に彼が多忙の身で、究極欠席になる可能性があるからだけじゃなかった。


2月24日。

私の誕生日の翌日が、奇遇にもヴィクトールの誕生日だったのだ。


その話を本人から聞かされた時、私は真っ先にこのサプライズを思い付いた。


前述の通り、ヴィクトールは多忙の身故、当日にお祝いの時間を割けるか分からない。

なので、確実に会える時に、必ず出席すると言ってくれた私の誕生日に、二人一緒に祝ってしまおうと考えたのだ。


両親やみんなにも、今回のことは伝えてある。

ただ私のお祝いをするためだけに、駆け付けてくれた彼だけが、なにも知らずにここにいる。



狙い澄ましたタイミングで、突如沸き上がる温かい拍手。

予想だにしない展開に狼狽えるヴィクトール。


私がプレゼントを差し出すと、彼は困惑しながらも受け取ってくれた。


私が彼に贈ったのは、使い勝手の良さそうな手帳と、ちょっとだけ高級なハンカチが二枚。

いつも以上に家事の手伝いを頑張って、こつこつと貯めたお小遣いで購入したものだった。


相手の趣味に影響しない、使い切ることのできる消耗品を見繕った結果、この二つになった。


ヴィクトールがプレゼントしてくれたマフラーと比べると、随分ランクは落ちるが、それでもヴィクトールは、こんなに嬉しい誕生日は初めてだと喜んでくれた。


同席する他の面々とヴィクトールの間に面識はないが、皆もヴィクトールの生誕を心から祝ってくれた。

見知らぬ人達からおめでとうと声をかけられ、最初は当惑していたヴィクトールも、存外満更じゃなさそうだった。


結果的に、私とヴィクトールの誕生日パーティーは、大成功の末に幕を閉じたのだった。





「ありがとう、キオラ。

君のお世話役に任命されたこと、今ではとても光栄に思っているよ」



毎日が、楽しい日々だった。


ヴィクトールとの出会いから、この日で約三ヶ月。

打ち解けるには時間を要したが、今では敬称なしでファーストネームを呼び合える仲になった。


彼は少々偏屈で、気難しいところがあるけれど、全く情緒が欠落しているわけではない。


自らの欠点を認め、それを改善しようと努力したり。

不得手な物事でも決して放棄せず、後回しにせず、解決するまで真摯に向き合おうとする。

知れば知るほど、彼の美点はたくさん見付かった。


ただ彼は、誰より博識でありながら、自分という人間性について殆ど理解が出来ていない人だった。

誰より優れた才を持ちながら、己の自我に対する肯定感が、誰より希薄である人だった。


だからこそ、自分はなにを求めているのか、望んでいるのかがずっと分からなかったらしい。

他者から求められたこと、望まれたことに応えるばかりで、自らの意思でなにかを決定したことが殆どなかったと。



ヴィクトールは、私が過去に出会ってきた人達の中で、どのタイプにも当て嵌まらなかった。


好き嫌いや趣味嗜好が全く不明となると、どうコミュニケーションを取ってよいかわからない。

感情が表に出るタイプでもないので、接する時は常に手探りだった。


だが、不思議なほど、ヴィクトールが側にいることを苦痛に感じたことはなかった。


時には頭を悩まされることもあったが、彼のパーソナルな部分を掘り下げていく作業は、難しくて楽しかった。

私の好きなものを彼も好きになってくれた時には、感動も一入だった。


少しずつ、ヴィクトール・ライシガーという個人が肉付けされていく様は、見ていて興味深かった。



こんなことを言うと驕りのようだが、ヴィクトールは私と出会ってから徐々に明るくなっていった気がする。


実際、研究所の人達にも同じことを言われた。

私と一緒にいる時のヴィクトールは、いつもより楽しそうで、前より人間らしい顔付きになったと。


気付けば私達は、お世話役と重篤患者の関係から、唯一無二の親友同士になっていた。

私にとってヴィクトールは、一番気心の知れた友であり、理解者であり、実の兄のような存在だった。


私にないものをヴィクトールが与え、ヴィクトールにないものを私が与える。

双方に分からないこと、知り得ないことは、二人一緒に学ぶ。


持ちつ持たれつ、互いの欠点を補い合う。

年齢が近い分、自らが持ち合わせていないものを、互いで埋め合わせられる関係になったのだ。





ただ。

どれほど自然に話せるようになっても、好き嫌いを共有できるようになっても。

ヴィクトールは絶対に、自分の過去のことだけは教えてくれなかった。


自身の生い立ちも、失敗も成功も、家族のことさえ、何一つ。

まるで、私と出会う前の己など、この世に存在していないとでも言うように。



仲良くなったら、いつか気まぐれに教えてくれることもあるかもしれない。

そう思って、ずっと機会を待ち続けているものの、それらしいタイミングは一向に訪れない。


本人が言いたくないなら、こちらから尋ねることはしないと決めた。

あくまで、今の彼自身に焦点を当ててきた。


不満には思っていない。

人間、多かれ少なかれ秘密はあるものだ。

ヴィクトールの場合、それが過去十数年の全てだったというだけで。



しかし、不満はなくても、不安になる時はある。


彼の過去には一体どんな秘密が隠されているのか。

一切明かせない訳とはなんなのか。

どういう家庭で育ったのか。兄弟は、友達はいるのか。どんな幼少期を過ごしたのか。


もっと知りたいという欲求と、これ以上は覗いちゃならないという自制が、同時に揺れ動く。


知りたいけれど、知ってしまったら、なにもかも失ってしまう気がする。

ヴィクトールの正体を知ったら、私達はきっと、二度と元には戻れない。


根拠はないが、そんな予感はしていた。



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