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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
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Episode31-8:キオラ・シャムシュロヴァ・グレーヴィッチの幻想



その中で、最も私に友好的に接してくれたのが、鳥達だったのだ。

彼らが自ら歩み寄ってきてくれたおかげで、私の孤独もどれほど癒されたかわからない。


中でも、国内にのみ生息しているとされる二種は、街中で見掛ける機会が多い分馴染みの深い存在となっている。

名をミーフとフェンゼルといい、白と赤のコントラストが美しい鳥だ。



私が一番に鳥を愛好している理由を話すと、ヴィクトールは黙って耳を傾けてくれた。


しかし、彼はまだこの国にやって来て間もない身。

他国には生息していない生き物の話をされても、いまいちイメージが湧かない様子だった。


そこで私は、用意してもらった図鑑の力を借りて、ヴィクトールにもミーフ達の生態や美しさを知ってもらおうと、もう少し詳しく説明することにした。


さすが最新版というだけあって、世界的にはマイナーであるミーフの項目もフェンゼルの項目もすぐに見付けることができた。

両者は同じ地域に生息しているため、掲載されているページも隣り合わせで比較しやすい。


掲載された写真を指し示すと、ヴィクトールの顔がぐっとこちらに近寄る。



「こっちの白いのがミーフ。それで、こっちの赤い子がフェンゼルです。

詳しい原因はまだ分かっていないそうですが、ヴィノクロフ州に多く生息しているそうで、私の家の近くにもミーフの巣があります。

ミーフの鳴き声は鈴みたいな可愛い声で、フェンゼルの鳴き声はオカリナの音色みたいだって言われることがあるみたいです」



彼らが拠点としている地域がヴィノクロフに集中していることもあり、私の家の近くにもミーフの巣があった。

時折私の部屋まで遊びに来てくれるので、彼らと戯れるのが毎朝の日課となりつつある。


無論、叶うならば犬や猫などの動物ともいつかは触れ合ってみたいと思っているけれど。

幸い彼らが側にいてくれるおかげで、耐えられないほど寂しいと感じることはなくなった。


少なくとも今は、彼らの可愛らしい鳴き声が聞こえてくるだけで、私は満足だ。



「へえ。思っていたより小さいんですね」



私が熱心に話すと、ヴィクトールは固い表情のまま仕方なさそうに頷いた。


元々表情の変化に乏しい人なのかもしれないが、それにしても眉一つ動かない。

こうも無表情でいられると、なにを考えているのか全く読めなくて、二の句を切り出すのにやや躊躇う。


好きな話題を振ってもらえた嬉しさから、つい調子に乗って喋ってしまったけれど。

もしかして、私がつまらない話をぺらぺらと語ったせいで、彼を不愉快な気持ちにさせてしまっただろうか。


再び訪れた沈黙に私は焦り、なにかに急かされるように慌てて図鑑を閉じた。



「あ、…そ、そんなことより、ヴィクトールさんのお話も聞いてみたいです。

ヴィクトールさんは、エメリーから私のことを聞いたそうですけど、私はヴィクトールさんのことをなにも知りません。

ヴィクトールさんは、なにか好きなものとか、ありますか?」



言葉に詰まり、自分から提供できる話題が思い付かなかった私は、とっさにヴィクトールの個人的なことに流れを変えた。


彼の方は既に私のプロフィールを把握しているようだけど、私は彼のことをなにも知らないから。

先程のヴィクトールの言葉を借りるなら、まずは相手の趣味嗜好を理解するところから始めようかと。



「特には、ないですね」



しかし、私の問いに悩むこともなく、ヴィクトールは即答でそう答えた。

回答の内容から徐々に話を膨らませていこうと考えていた私は、差し延べた手をぴしゃりと跳ね除けられたような気分になって、一瞬狼狽える。


だが、ここでめげてはいけない。

好きなものの話は上手く広げられなかったが、いくつか質問をしていく内に、必ずヴィクトールの心にも刺さる話題が見付かるはずだ。


ヴィクトールの一挙一動を見逃さないよう、今度は彼の顔をしっかりと見詰め、懲りずに質問を投げ掛ける。



「じ、じゃあ、嫌いなものは」


「特にないです」


「得意にしていることとか!」


「自分で言うほどのものはないです」


「…えっと、じゃあ、毎日の日課とかは」


「これといってないですね」


「……お休みの日にしていることは」


「別に決まったことはしてないですね」



……て、手強い。

こちらの賢しい予想に反して、ヴィクトールはどの質問にも一切食いついてくれなかった。

なにを聞いても返ってくるのは迷いのないNOばかりで、まるで取り付く島がない。


毎度返事が即答であるのは、本当に思い当たることがないだけなのか。

それとも、私とのコミュニケーションを面倒に思って、そもそも取り合う気すらないのか。


いずれにせよ、展開させる前に遮断されてしまったら、こちらとしては手の打ちようがない。


せめて一つくらいなら、ヴィクトールの興味を引く事柄もあるのではと思ったのだが。

どうやら彼は、私が想像していた以上に頑なでミステリアスな人物だったようだ。



好き嫌い、特技、日課にしていること、休日の過ごし方…。

当たり障りのない話題は今のところ全て空振っている。

となると、他に広げられそうな話題は限られてくる。



「……あ、じゃあ、ここに来る前までは、どんなことをされていたんですか?

先日は、ギムナジウムを卒業してすぐこちらに就職したって、おっしゃってましたけど…。

ヴィクトールさんは今17歳、なんですよね?じゃあ、学校は飛び級をして卒業されたってことでしょうか」



今現在の趣味嗜好がはっきりしないのなら、過去の出来事なら話せることもあるかもしれない。

そう思い、私は質問の内容を変えて、ヴィクトールの経歴に焦点を当ててみることにした。


先日教えてもらったプロフィールによると、彼の年齢は現在17歳。

ギムナジウムを卒業後すぐにフェリックス先生にスカウトされ、そのままこの研究所で働くことになったのだそうだ。


ただ、17歳で既にギムナジウムを卒業済みという点には、矛盾が生じている。


通常、ギムナジウムと呼ばれる学校制度は、殆どの生徒が18歳で卒業するものだ。

仮に飛び級をしたからこういう結果になったのだとしても、その場合実年齢と学年が一致しないし、季節も卒業のシーズンに合わない。


私が無知なだけで、中には年齢を重視しない特別な学校もあるというなら、辻妻は合うのだけど。



その辺りの矛盾点も出来れば教えてほしかったので、まずは学生時代のエピソードから話してくれないかと、私はさりげなくヴィクトールにお願いした。


すると、ヴィクトールの動きがぴたりと止まって、電池が切れたように急に瞬きをしなくなった。


私の目を見つめるヴィクトールの顔が、微かに歪み始める。

困惑のような動揺のような、不快感が滲み出た表情に変わっていく。



「……聞きたいですか?」



数秒の間を置いてやっと喋ったヴィクトールは、低い声で囁くようにそう言った。

だが、こちらに尋ねる口調ではあるものの、声色からは駄目押しするような意思が感じられた。

聞きたいのか、というよりは、まさか聞くつもりなのか、という脅迫に近いニュアンスだ。



その瞬間、私はヴィクトールの地雷を踏んでしまったことを瞬時に悟った。


彼にとって、学生時代の話こそ最も触れられたくない話題だったらしい。

直接注意をされなくても、漂い始めた不穏な空気が、彼の苦い過去を物語っている。



「……い、え。やっぱり、なんでもないです。ごめんなさい」



やってしまった。心の中で私は呟き、気まずさから思わず顔を背けた。


ヴィクトールとの仲を深めたいと思ってやったことが、却って彼の自尊心を傷付けてしまった。

例え悪気があろうとなかろうと、何気ない一言が取り返しのつかない事態を招くこともある。


いつも私の話し相手になってくれるのは、大人の人ばかりだったから。

年頃の近い若者と、それも異性とこうして接するのは、ほぼ経験のないことだった。


だからだろうか。同じ年頃の相手とはどうコミュニケーションを取るべきなのか、さっぱりわからない。

自ら話題を提供し、親しくなるために歩み寄るというのが、こんなに難しいことだったとは知らなかった。

知らず知らず、私は周りの人達が世話を焼いてくれるのに甘えていたってことなんだろう。



私がもっと気配り上手だったら。友達が多かったら社交的だったら。

きっと、こんなことで躓いたりしなかった。


考えても仕様のない"もしも"が頭の中を駆け巡り、この状況を覆す突破口が見えてこない。

再び訪れた沈黙を痛いと思うのに、口が開かない。声が出ない。


ああ、もういっそここから逃げてしまいたい。

知らない人と密室に二人きりだなんて、やっぱり私には早過ぎるシチュエーションだった。


ヴィクトールには悪いが、エメリーが恋しい。

こうなったら今からでもエメリーを呼びに行こうか。二人が三人になれば、少しは話も弾むだろうし。


いや、でもヴィクトールを置いてはいけない。

私が彼の神経を逆撫でするようなことをしてしまったのがいけないのであって、気まずいのは彼が悪いからではない。



あれこれと思案を巡らせている内に、私はすっかり注意力を散漫させてしまっていた。

そのせいで、いつの間にか近付いていたヴィクトールの手に、直接触れられるまで気付かなかった。



「……あの。どうして俺の話ばかりするんですか」



はっと意識が浮上した時には、私はヴィクトールに手を握られていた。

膝の上で固く強張っていた私の握り拳を、ヴィクトールの掌が包む込むように覆う。


続けて掛けられた言葉に私が顔を上げると、ヴィクトールの表情は少し前までの無表情に戻っていた。

まるで何事もなかったように。


ひょっとして私が思案に耽っている間に、随分な時間が経っていたのだろうか。

壁に立て掛けてある時計を確認すると、そんなことはなかった。

私がヴィクトールの地雷を踏んでから、まだ二分と経過していない。



てっきり、私が不用意なことを口走ったせいで、ヴィクトールを怒らせてしまったかと思ったのに。

今の彼からは怒りのオーラが感じられないし、特に気にしている様子でもない。


ということは、怒らせてしまったと思ったのは、私の勘違い?

私が勝手に悪い方へ想像しただけで、そもそもヴィクトールは私の発言をそこまで気に留めていなかったってことか。


…なんだか、一人で色々と盛り上がっていたのが、段々恥ずかしくなってきた。

真剣に向き合おうと思っていたのは私だけで、ヴィクトールの方はきっと、仕事だからと付き合ってくれていただけなのに。



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