Episode31-5:キオラ・シャムシュロヴァ・グレーヴィッチの幻想
ヘイズ先生とヨダカさんに別れを告げ、ダヴェンポート診療所を後にした私は、その足でキングスコート州まで直行した。
ヴィノクロフとキングスコートは隣り合わせに位置しているため、今いるベシュカレフからも簡単にアクセスすることができる。
ただ、私の本当の目的地はキングスコートにある"秘密"の地下施設なので、そこへ向かうにはちょっとしたコツがいる。
バスを乗り継ぎ、電車を一本利用してキングスコート入りのゲートを潜れば、あっという間に辺りは首都の街並みに変わる。
どこか田舎っぽい雰囲気のあるヴィノクロフと違い、キングスコートはまさに近代技術を結集させた未来都市なので、ゲートを抜ける一瞬はまるで異次元に迷い込んだかのような錯覚さえ覚える。
ビジネス街に建ち並ぶビルは年々数を増やしていて、活気のある遊歩道では大勢の観光客や住人達が一日中往来する。
至る所に最新の設備が配置され、著名店が軒を連ねる繁華街では買えないものなど存在しない。
自立型の掃除ロボットが闊歩し、高級車ばかりが行き交う国道には、徹底的な管理によりゴミの一つも落ちておらず。
夜になれば、美しいネオンが色鮮やかに街中を照らし出し、空の下で息づく人々の営みは昼夜を問わず行われる。
当初はアメリカのニューヨークの町並みをモデルにして首都造りが進められたそうだが、モデルとなったアメリカと違ってキングスコートにはスラム街が存在しない。
人種的な差別はないものの、入国審査が厳しい分、永住を許された住人達は一人残らず優秀な人材だからだ。
加えてキングスコートでは、才能がある者には等しくチャンスが与えられる。
性別、国籍、年齢、宗教を問わない。血筋や生い立ちさえも関係ない。
人より秀でたなにかを一つでも持ち合わせていれば、経歴がないからと門前払いにされることは絶対にない。
キングスコートにスラムが存在しないのはそれが理由であり、一度同胞として認められれば、本人が努力を怠らない限り永続的な安寧を約束してもらえる。
眠らぬ街。成長し続ける都市。
光を失わない大地の上。闇に呑まれぬ空の下。
悠久の繁栄を約束された国家。
それこそがこの国、フィグリムニクスであり、国内一人口が多いとされる首都、キングスコートなのである。
そして、キングスコートとは切っても切り離せない、もう一つの大きな特色。
それが医療。
国内で最も医療施設の数が多く、世界でも指折りの名医達が集結していることでもキングスコートは名を馳せている。
故に、観光客や永住希望者の他に、余所では受け入れてもらえなかった重病人が病気療養のためキングスコートを訪れることも少なくない。
人材育成の点でも先進しているため、キングスコートで学んだ医師が世界中に羽ばたき、広く活躍しているという話も頻繁に聞く。
医学の道を歩むうら若き卵達は、いつかキングスコートで学びたい、勤めたいという確かな憧憬を抱き。
医学の世界に救いを求める弱き者達は、誰からも見捨てられた果てにキングスコートに最後の希望を托す。
この世の痛み苦しみと深い因縁を持つ人々が、神のように崇め奉り、こぞって憧れを禁じ得ない実在の人物。
フェリックス・キングスコート。
フィグリムニクス建国の発起人としても知られる彼の存在あってこそ、この国は生まれて間もないながらに強国でいられるのだ。
そんなフェリックス先生に命を預けている弱者の中には、この私も含まれている。
適切な治療を根気よく続けなければ命を落とす可能性もあるという、この身を蝕む不治の病。
この病を治すために私はフェリックス先生と出会い、今尚共に戦っている。
先生が抱えている患者は他にもたくさんいるけれど、私の病を扱えるのは、この世でただ一人フェリックス先生しかいない。
最早私の命は、先生の手中にあるといっても過言ではない。
たった一度でも先生が私から目を背けるようなことがあれば、私の命運は尽きたも同然だ。
だからだろうか。
生来からの付き合いであるからか、時に先生のことを、もう一人の父のように近しく感じてしまうことがある。
ーーーーー
「───お待ちしておりました、キオラ・シャムシュロヴァ・グレーヴィッチ様。お時間通りの到着でございます。
ただ今案内の者を寄越しますので、そちらのロビーにてお待ちください」
もう一つバスを乗り継ぎ、繁華街から少し外れた工業地帯に赴くと、一際目を引く漆黒のビルが見えてくる。
その名も、パテルタワー。ラテン語で父の意味。
フェリックス先生のご自宅からもほど近いこのタワーは、半分が研究所の職員達に提供された住まいとなっており、もう半分がフェリックス先生のオフィス兼、書庫として使われている建物だという。
先生が普段拠点とされているキングスコート病院にも、当然先生用のオフィスや書庫は存在するが、こちらの方がややプライベートな空間になっているそうだ。
なので、このパテルタワーに立ち入ることが許されているのは、フェリックス先生から直々に許可を得た限られた人間のみ。
一見変哲のなさそうなこのタワーこそ、私の本当の目的地。
秘密の地下施設、ゴーシャーク研究所へと続く唯一の入口なのだ。
タワーの玄関ホールに常駐している警備員に軽いボディーチェックをしてもらった後は、国民証のドッグタグを提示して中へ通してもらう。
通常の来客にはもう少しセキュリティー上の手続きを踏んでもらう必要があるそうだが、私はほぼ顔パスで入館を許可してもらえる。
さすがに週一で通っていれば、警備員のお兄さん達とも顔馴染みというわけだ。
タワーの中に入ると、綺麗だがやや暗い印象のロビーが来客を迎えてくれる。
ダークレッドの絨毯に、落ち着いたブラウンの壁紙、モノトーンで揃えられたソファー。
外観もそうだが、内装も控えめな色合いで統一されており、フェリックス先生のプライベートタワーと聞いて期待していると、思いの外地味だという印象を受けるかもしれない。
資産家の割に派手な散財や装飾を嫌う、先生らしいといえばらしい建物だ。
その後、受付嬢の女性に到着の旨を伝え、しばらく待つと、奥のスタッフルームの方から白衣を纏った男性が現れた。
「こんにちは、キオラさん。いつも時間ぴったりですね」
ロビーで一人待っていた私に笑顔で近付いてきた彼の名は、エメリー・ロカンクール。
ゴーシャーク研究所に勤める研究員の一人で、私がパテルタワーを訪ねた時には、いつも彼が案内をしてくれている。
容姿端麗で穏やかな物腰が印象的な、親しみやすいお兄さんだ。
「こんにちは、エメリーさん。
いつも思うんですけど、ここには私以外の人は通っていないんですか?
他に誰かがいるところを見たことがないんですが……」
「まあ、そうですね。大抵の患者さんは病院の方に行かれますから。
ここに用があるのは、我々研究員や職員、それから君と、たまに興味本位で冷やかしにくる部外者くらいのものです。
……その辺りは、あまり気にしないでください。君だけ特別扱いをしていることが発覚すれば、色々と始末が大変ですから」
「そうですか……。それもそうですね。
ここのことは私と両親しか知らないはずなので、誰かに探られるようなことは、これからもないと思います」
「上出来です。今後とも我々の秘密基地については、他言無用でお願いしますね」
口元に人差し指を宛がい、困ったような笑みを見せるエメリー。
というのも、私がこのパテルタワーに、そこから繋がる研究所に通っていることは、私達だけの秘密なのだ。
私の抱えている神経の病は、世界的に見ても極めて特殊な奇病なんだそうで、今のところはフェリックス先生しか扱える医師がいないらしい。
しかし、それほど珍しい病を扱うとなると、条件が多い分治療費も桁違いに高くなってしまう。
そこでフェリックス先生は、病のデータを採取させてもらう代わりに、治療費は免除にするという措置を取ってくれたのだ。
家計にもあまり負担をかけたくないと思っていた私にとって、それはまさに願ったり叶ったりな話だった。
それに、私が自分のデータを提供することで、同じ病に苦しむ人々の役に立てるかもしれない。
先生の経歴にも良い結果を齎すことができるかもしれない。
そうとくれば、断る理由などなにもない。
先生からの提案に、私と両親はすぐに快諾した。
おかげで、こちらは最低限の通院費や入院費を負担するだけで、治療に至っては実質無償で診てもらえることになったのだ。
ただ、この措置は特例中の特例とのことなので、データ提供の他に口外してはならないという条件も付加されている。
私だけが特別扱いを受けているとなれば当然他の患者達から不満が出るだろうし、贔屓をする医者などといった悪評が広まっては先生に迷惑をかけてしまう。
なので、私が特殊な病を抱えていることを知っている人はいても、その治療のために研究所に通っていることを知っている人は少ない。
全てを把握しているのは、先生と研究所の関係者、私の両親だけだ。
「では、早速ご案内しますね。私の後に付いて来てください」
エメリーに連れられ、先程彼が出て来たばかりのスタッフルームに通される。
部屋の中は特に変哲のない普通の内装なのだが、奥に一つ他とは種類の違う扉があって、その扉の脇にはセキュリティー関連の機器が設置されている。
慣れた様子でエメリーが機器にカードを通すと、短い間を置いて扉が横に開かれた。
このカードは研究所に属する人間のみが所持しているIDカードで、研究所の中では重要な役割を持つアイテムらしい。
開かれた扉の向こうには、長く続いた階段がある。
薄暗く静まり返った階段を降りると、先程のものよりも更に大きな扉が、またしても私達の行く手を阻む。
脇に設置されている同様の機器に再びカードを通し、もう一つ網膜認証システムをクリアすると、天井に付けられた監視カメラから人の声が聞こえてくる。
『氏名、所属部署、IDの発行ナンバーを述べてください』
「エメリー・ロカンクール。ゴーシャーク所属。ナンバー0069A-13」
『───認証しました。エメリー・ロカンクール、ゴーシャーク研究所への入場を許可します』
IDカードのデータ読み込み、網膜認証、声帯認証。
それから、管制室でこちらの様子を常時監視している"塔番"と呼ばれる専門の職員達と、口頭での確認を行う。
それら全てのセキュリティーシステムを突破し、ようやくゴーシャーク研究所の入口は開かれるのだ。
機密漏洩を防ぐため、そして徹底した無菌空間を維持するために建造されたこの地下施設は、フェリックス先生が新薬の開発を目的に整えた施設であり、その存在を知る者は極少ない。
地上にあるキングスコート病院が先生の医師としての職場であるなら、こちらの研究所は先生の学者として、研究者としての職場といっていい。
公に存在を秘匿にしているのは、部外者に作業を邪魔されないようにするため、また悪用されないようにするためであり、研究員達がより作業に没頭しやすい環境を提供するためとも言われている。
もっとも、その辺りは機密中の機密なのであって、あくまで秘密を共有しているに過ぎない私には知る必要のないことだ。




