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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
204/326

Episode30-8:ゼロワンの封印



「さて。部下の処罰などどうとでもなることだが…。

問題はなにより、お前をどうするかだな。ゼロワン」



先生が再び冷たい眼差しで私を見下ろす。

それを合図に、後ろに控えていた研究員達の目付きも変わった。


私は、いつ誰が突然飛び掛かってきても対処できるよう身構え、身長差からまるで高い壁か山のように見える先生の動向に目を見張った。



「私を殺しますか。ここにいる彼らのように」


「ほう?何故そう思う?」


「隠し扉にある本棚の中を見ました。

…みんな、殺してしまったんでしょう。先生がそうするように、命令したんでしょう。

だから、ここにいる子供達も、いずれはあなたに…」



私がそう言うと、急に先生の雰囲気が変わった。

無表情だった顔は僅かに綻び始め、ニヤリと口角を上げて目を細めている。

この顔は、相手を馬鹿にしている顔だ。


私は、先生のあからさまに嘲る態度に腹が立って、先程よりも大きい声で噛み付いた。



「…っなにが可笑しいんですか!」


「いや、すまんな。つい先日まで、抜け殻のように憔悴していたと聞いていたから、こんな風に生き生きとしているお前が新鮮なんだ。

怒っている顔も、お前は美しい」



珍しく感情をあらわにしている私が見ていて面白いのか、先生は心底愉快そうにくつくつと喉を鳴らした。

つい先日まで抜け殻のようだったのに、という指摘には確かにとも思ったが、それ以上に私は先生の言動が不可思議でならなかった。


笑っている。あのフェリックス・キングスコートが。

テレビの向こうで見かけるような上っ面の営業スマイルではなく、生理的な可笑しさを堪えきれずに、声を上げて笑っている。


この事態に驚いているのは私だけじゃない。周囲を取り囲む研究員達も、皆信じられないものを見る顔で先生のことを凝視している。


これは珍事だ。だからこそ、この笑顔の後になにが待っているのか想像できなくて、こわい。

先生がなにを考えて笑っているのか、全くわからないのが恐ろしい。



呆気にとられている私の顔に向かって、先生が触れようとゆっくり手を伸ばしてくる。

それを私は素早く払い落とし、引き攣る喉で深く息を吸い込み、叫んだ。



「馬鹿にしないでください!

確かに私は力のない子供だけど、あなたと同じ人間です!ここにいる子達もみんな、同じ生き物です!

それを、神でもないあなたが、あなたの意思で蔑ろにするなんて、絶対に正しいことじゃない。

どんなに偉い立場にある人でも、生まれたばかりの子供を殺す権限なんてない!」



こんなに大きい声で自分の言葉を発したことはなかったから、慣れていないせいもあって、途中で声が上擦ってしまった。

だが、私は最後まで言い切った。


分不相応だとか向こう見ずだとか、先のことを考えてしまえば身動きができなくなる。

先生と私の関係を意識してしまえば、そんなことはおこがましいと腰が引けて、思ったことをありのまま言えなくなる。

だから、あえて後のことはなにも考えずに、衝動的な本音を腹からぶちまけてやった。


私の思いがけない行動に、研究員達の驚く顔が視界に映る。

けれど、先生だけは変わらず余裕たっぷりといった佇まいでいて、その貫禄が酷く憎らしい。



「……なるほど。お前の気持ちはよくわかった。

お前の感性は、人として正しいものだ。こんな浮き世離れした環境の中にあっても、しっかり人間らしい情緒が育まれている証だ。

お前の成長は実に喜ばしい。父としてこれほど嬉しいことはないよ」



先生は納得した穏やかな表情で頷くと、興奮している私とは対照的に、やけに冷静な口調で返してきた。


だが、この笑顔を信用してはいけない。

この人は私の父ではないし、私の成長が喜ばしいという言葉の裏には、必ずなにか悪辣な他意があるはずなのだ。


すると思った通り、徐々にまた冷たい顔付きに戻っていった先生は、首を傾げてこう続けた。



「だが、同時にとても残念だ。

賢いお前なら、私の信念にもきっと賛同してくれるだろうと期待していたんだがな。

半端に分別がつくようになってしまっただけ、見栄えのいい正義感に心が毒されている。

例えリスクを負ってでも、成し遂げなければならない天命が確かにこの世にあることに、まだ理解が及んでいない。

どうやら、育て方を間違えてしまったようだな」


「なん、…なに、が。どういう、……」



急に早口でまくし立ててきた先生に、私の動揺も益々大きくなっていく。

今先生はとても重要なことを言った気がするのだが、混乱した頭では冷静に処理できず、殆ど入ってこない。



「お前の言う通り、我々は同じ生き物だ。

この世で最も理知的で、聡明で、それでいてあさましく、美しく醜い、人間という動物に生まれた生命体だ。

私にそれらの命を弄ぶ権限などない、という意見も一理ある。

どれほど飢えた獣でも、同じ種族を腹の足しにはしないからな」


「だったら、」


「しかしだ。お前は違うんだよ、ゼロワン。

前にも聞かせてやったのを忘れたか?お前は世に生きる大多数の凡人共とは、格が違うんだ。

いや、そもそも人間などと同列に扱うこと自体が、お前にとっては失礼な話だな。

お前ももう直生まれて10年になるのだから、そろそろ自分が何者であるかを自覚するべきだ」



こちらに思考する間すら与えずに一方的に喋り続け、先生はふと私から顔を背けると、側にあった一台の保育器に手を伸ばした。


そして、保育器の側面に付いている開閉用のレバーを下ろし、保育器のカバーを大きく開くと、あろうことか先生は中にいた子供を引っ張り出した。

子供の小さな頭を、物のように片手で持ち上げている。


その子は、先程私が不注意でファイルを落とした際に、音に驚いて泣かせてしまった女の子だった。

先生達がぞろぞろと部屋に集まってきてからは、いつの間にか泣き止んで大人しくなっていたようだが。

無理矢理に保育器の中から引っ張り出され、乱暴に頭をわし掴みにされたことで、また激しく泣き始める。


先生は、泣きながらじたばたと手足を暴れさせているその子を、ずいっと私の目の前に差し出してきて、私は思わず息をのんだ。



「見ろ、この醜い姿を。

目があり、鼻があり口があり、手足を動かせるだけの力があり、一応は人間としての形を保っているようだが、我々とは根本的な部分が決定的に違う。

それはどこだと思う?」



差し出されたこの子供には、立派な肢体があった。音に反応するということは、多分聴覚にも異常はないはずだ。

となると、この子の障害は盲目か。それとも脳の発達に問題があるのか。


少し考え、明確な答えが出せなかった私は、わからないと正直に聞き返そうとした。

すると先生は、私に口を開かせる前に思い切り目を見開いて、悪魔のように獰猛な顔で告げた。



「正解は脳だ。ここにいる全員に、例外なく脳の障害が見られる。症状や程度には個人差があるが、完全に機能している者は一人としていない。

脳は生物にとっての核だ。全てを司る魂そのものであり、脳が機能しているからこそ、我々はこうして営みを続けられる」



泣き続ける子供と、それを全く気に留めない先生。

その子の激しい泣き声に反応してか、保育器の中で眠っていた他の子供達も、一人、また一人と伝染するように泣きはじめる。


赤ん坊の悲痛な叫びが充満する室内で、それでも先生の低い声ははっきりと響いている。

なにか言い返してやりたいのに、頭を持ち上げられて苦しんでいるこの子を奪い返したいのに、私の体はぴくりとも動かない。


指に力が入らない。まるで金縛りに遭っているみたいだ。

先生の瞳に見つめられていると、先生の声を聞いていると、呼吸することすら忘れてしまいそうになる。

声の代わりに、ただただ生理的な涙が溢れてくる。



「すなわち、脳に欠陥のあるこいつらは、生き物ではあっても"人"じゃない。

"人"の皮を被った、"人"ではないなにかだ。

お前も食事に出された肉を食べるだろう?豚も、牛も鳥も、大きく定義すれば我々と同じ生き物だ。

しかし、お前は家畜に対して可哀相だと思うことはあっても、今のように全力で抗議することはしなかった。

それは何故だと思う?」


「………っぁ、」


「人間じゃないからだ。

命に対する慈悲はあれど、全く同じ存在でないものに対しては、不快感や罪悪感が軽減される。

食肉用の家畜も、衣類の革として転用される動物も、実験用に使われるマウスだって、みんな等しく命だろう?

だが殺す。殺すことができる。

それは人間じゃないからだ。法的に認められている手段であれば、殺しても罪に問われない。人間が作った法律を人間のために適用し、実際に命を奪われる彼らは抗うことすら許されず、奪う側の我々はさほど心を痛めない。

だったら、」



子供の頭を掴み上げている手を持ち替えると、今度はもう一方の手を子供の首に回した。

泣きじゃくるその子としっかり目を合わせ、心底不愉快そうな顔で先生が呟く。



「人間に値しないこいつらを処分するのも、家畜を殺すのと同じことだろう?」



そう言うと先生は、子供の首に回した指にぐっと力を入れて、締めた。


まさか、本当に殺す気なのか。

途端に子供の動きが弱くなり、くぐもった幼い喘ぎが小さな口から漏れ始める。


私はその光景を見てようやく我に返り、先生の腕を力付くで振り払って、子供を奪った。

それから急いで子供の状態を確認し、楽に呼吸ができる姿勢に抱えてやる。


見たところ子供は、急に息が吸えなくなったことに混乱はしたようだが、すぐに私が止めに入ったおかげで大事には至らなかったようだった。

まだ泣きじゃくるだけの体力もあるみたいだし、この様子だと後にも残らないだろう。



しかし、ほっとしたのは束の間。

先生から引き離した子供を大切に抱え、両手が塞がった私に、研究員達が待ってましたと一斉に飛び掛かってきたのだ。


日頃実施訓練で鍛えている分、真っ向勝負では返り討ちにされるだけと思ったのか。子供を抱いて腕が使えなくなったところに、一斉に畳み掛けてくるなんて。

なんて卑怯な奴らだ。


それでも私は、飛び掛かってくる研究員達を一人ずつかわして、どうにか出口まで逃げようと奮闘した。

だが、やはりそこは多勢に無勢。


脚力だけでこの逆境を突破するには技量が足りず、集団の大人の力を前に為す術もなくなった私は、子供を没収されて乱暴に床に押し倒された。


先頭をきって私を押し倒したのはシムだった。

胸と腹を床にぴったり密着させた体勢で捩伏せられ、後ろ手に捻り上げられた腕には手錠がはめられる。

他にも複数人の研究員が全身にのしかかってきて、抵抗をしようにも、彼らの体重が重くて身動きができない。


こういうの、刑事ものの映画とかで見たことがある。

刑事が犯人を確保する重要なシーンで、よくこんな捕まえ方をして事態を収拾していた。



くそ、シムのやつ。

頭でっかちなデスクワーク派かと思いきや、もしもの時のための訓練も怠っていなかったというわけか。

これほど手際が良いとなると、プライベートでもトレーニングを欠かせていないのかもしれない。



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