Episode30-4:ゼロワンの封印
一面真っ白な空間。
境界部の中は、造りはゴーシャークの結晶部とよく似た感じだった。
だが、面積はこちらの方が断然広々としている。
ゴーシャークのメンバー数人しか出入りすることのできない結晶部と違い、こちらはマグパイ研究所に勤める研究員全員が共有する仕事場。
定員が多い分、あちらよりも広いのは当然か。
私が内部に足を踏み入れるのと同時に、背後で入口の扉が自動的に閉まった。
だが、外から中へ入る時と違い、中から外へ出る場合にはIDカードさえあれば簡単に通れるので、閉じ込められても焦る必要はない。
さて、無事マグパイ研究所の心臓部に到達できたわけだが、まずはどの部屋から探っていこうか。
左右に並ぶ計六つのドアを見比べて、私はとりあえず、右手の部屋から順に確認していくことにした。
別にどこから見てもよかったのだが、左手に並んでいる四つの部屋よりも、右手の二つの部屋の方が大きそうだったから。
広くスペースを設けている分、こちらの方が、なにか重要な作業をするための場所なのではないかと直感で思った。
そこで私は、向かって右手に並んでいる二つのドアの内、手前にある方のドアを最初に選んだ。
ドアに記されている部屋の名前は"COLONY"。
確か、英語で集団繁殖地という意味だったはずだが、繁殖の部屋とは一体どういうことなのだろうか。
コロニーのドアの脇に設置されている機械に先程と同じようにジャスパーのカードを差し込むと、すぐに読み込みが開始された。
入口の厳重なセキュリティーと違い、内部の小部屋はIDカード一つでも出入りできるようなので、認証もすぐに終わるだろう。
そして、間もなくドアが開かれ、その向こうに広がっていた光景に私は一瞬言葉を失ってしまった。
「な、………っ」
コロニーの中は思っていたより広く、奥行きがあった。
地下に建造している施設というだけあって、小部屋の一つにも贅沢に空間を割けるというわけなのだろう。
さすが、マグパイ研究所の心臓部といったところか。
だが、この部屋の特筆すべき点は、単純な広さだけではなかった。
「こ、ども………?」
部屋の入口から奥の壁際まで、一定の間隔で縦三列にずらりと並べられた、たくさんの保育器。
それも、全て満員で使用中のものばかり。
子供。子供がいる。
保育器とは文字通り子供を保育するための道具なのだから、中に子供がいるのは当然のことなのだが、それにしても何故こんなにたくさん。
これではまるで、産婦人科の病院だ。
しかし、見たところなんだか様子がおかしい。
予想外の展開に動揺しながらも、私は恐る恐る部屋の中へと足を踏み進め、保育器の中で眠っている赤ん坊達を起こしてしまわないよう慎重に見て回った。
「右足が、ない……」
すると、並んでいる赤ん坊達は全て、体のどこかに欠損の見られる障害児ばかりだった。
「こっちは……、両手がない。この子は…、目が…。
……っあ、顔、が……っ」
足がない子、手がない子、それから、手足の指の数が足りない子。
他にも、瞳が陰っている子や、耳の穴が塞がっている子など。
障害の種類や程度には個人差があるようだったが、一人として健常な肉体を持った子供がいなかった。
中には、顔面が見るも無惨に崩壊し、辛うじて原形を留めている唇から、懸命に息を吸おうともがいている子供もいた。
なんなんだ、これは。
ここはマグパイの実験室じゃなかったのか。
この子供達は一体どこの誰が産んだ子で、何故こんな場所に、物のように並べられている。
全く想定していなかった事態に私は酷く狼狽え、とにかく状況を把握しようと、子供達の様子を一人一人確認した。
その数、全部でなんと50人。
生まれて間もない赤ん坊達が、全員保育器の中に入れられて、50人もこの部屋の中に寄せ集められていた。
「……母親、と、次男…?」
やがて、ふと目に入った一冊のファイルに、私は手を伸ばした。
辺りをよく見てみると、それぞれの保育器の横に、同じほどの高さのワゴンが固定されていて、その一番上にファイルが置かれていた。
保育器の数だけワゴンとファイルが配置されているということは、これらのファイルは、子供達の記録を付けるためのカルテのようなものなのだろう。
最初に私が手に取ったのは、部屋の入口から見て左の列の、手前から六番目のファイル。
その隣の保育器で眠っている子供は、首から下のパーツには特に異常が見られなかったが、他の子と違って頭の大きさがとても小さいように見えた。
となると、この子の障害は小頭症か。
ファイルを開いてみると、中には思った通り、この子専用のカルテが納められていた。
西暦2014年、12月3日生誕。
性別男性。血液型O型。
体長45.2センチメートル。体重2983グラム。
左上に本人の全身写真が添付されていて、その他生年月日や血液型、出生時の身長体重などのプロフィールが詳細に記載されている。
一見するとそれは履歴書のようでもあるが、しかし肝心の氏名だけはどこにも明記されていない。
中には、私の予想した通り、小頭症の文字もあった。原因は染色体異常とされている。
やはり、この子の頭が他の子よりも小さく見えたのは、私の勘違いではなかったようだ。
気になったのはそれだけではない。
中国、オーストリア、メキシコ、アルメニア、ベルギー、チェコ。
本人の系譜に関する項目には、この子が多民族の血統を引く混血者であることだけでなく、この子の両親が実の親子だということも併記されていたのだ。
つまり、近親相姦。
実の母親と、その息子との間に生まれた新しい命が、今私の目の前にいるこの子だというのだ。
なるほど。そういうことか。
近親相姦によって生まれた子供は、遺伝的リスクが高いという説がある。
このカルテに書かれている情報が事実だとするなら、この子の体に異常が見られるのもその影響によるものなのかもしれない。
「………はい、き」
その時、カルテの一番下にある項目を見て、私は我が目を疑った。
"Observation/Disposal"。観察か、廃棄か。
見慣れない二つのキーワードが当たり前のように並んでいて、後者の方はボールペンの赤丸で囲われていた。
観察、はまだわかる。
小頭症は頭蓋骨そのものが小さい分、中身の脳の方にも深刻な影響が出るため、知能の発達が一般と比べて難しいという。
なので、その後の成長過程を注視する、という意味での"観察"ならば、納得もできる。
だが、廃棄は。廃棄とは、いらなくなった物を処分する、という意味の言葉だ。
となると、廃棄の項目に印が付けられているこの子は、文字通り廃棄される運命が既に決まっている、ということなのか。
なんだ、それ。なんだよ廃棄って。
人の命の在り方を、行く末を、赤の他人が勝手に決め付けていいはずがない。
まだ右も左も知らないような、こんなに小さな子供の未来を、見ず知らずの大人が勝手に潰していいはずがない。
たった一つの短い単語を目にしただけで、私の背中に戦慄のような気配が駆け抜けていったのを感じた。
なにかに急かされるようにページを閉じ、微かに震える手で、ファイルを元にあった場所に戻す。
「これも、………これも。……これも…!
なんで、なんで全部、なんで、一つも…っ」
信じられなくて。こんなことは有り得ないはずだと、認めるのが嫌で、恐ろしくて。
その後も無我夢中で、私は他の子達のファイルにも目を通した。
けれど、隣にいた子も、その隣にいた子も。
私の真後ろにいた子も、一番右の列の、一番奥にいた子も。
カルテに印が付けられていたのは、どの子も廃棄の方ばかりで。
白人、黒人、黄色人種。
色々な顔立ちの子がいて、骨格の子がいて。肌の色も、瞳の色もみんな違って。
一人一人に、確かな個性がある。
例え足が、腕がなくても。目が見えなくても、耳が聞こえなくても。
上手にお話ができない子でも、自力では息を吸うことすら難しい子でも。
それでもみんな、確かに一人の人間だ。
全員に等しく、この世界で生きる権利が与えられていい存在なんだ。
なのに。なんで。
どうして、ここにいるみんな、廃棄なんだ。
生まれたばかりの命に罪なんてない。
大人に、子供の優劣を、価値を決める資格なんてない。
この子達は、こんな、ゴミのように扱われていい存在じゃない。
合計20人分のカルテを確認して、わかったことは三つ。
恐らく、ここにいる全員が、多民族の血統を引く混血者であるということ。
それも、ハーフやクォーターの更に上、最低五ヶ国以上のミックスが当たり前と思われる。
加えて全員が、実の親子や兄妹など、自然血族同士の妊娠によって生まれた子供だということ。
中でも、傍系直系問わず、一親等、二親等の血族同士での妊娠の場合、障害の程度が一気に重くようだった。
つまり、三親等に当たる叔父と姪、従兄妹同士などのケースに比べ、一親等二親等に当たる親子や、兄妹などのケースで生まれた子供の方が、生まれつき重い障害を抱える確率が高いということ。
生物学上、より親密な関係にある血縁同士で受精を行った方が、遺伝的リスクが高まるという訳だ。
確かに、見たところ特に大きな障害を抱えている子は、総じて実の親子や、姉弟の間に生まれたとされている。
近親相姦によるリスクを考えれば、これは有り得ない現象ではない。
問題なのは、あの二つの選択肢だ。
少なくとも、確認した20人分のカルテ、全てに廃棄の印が付けられていた。
私がランダムに選び取った全員が廃棄予定にあるということは、恐らく他の30人も同じ末路だろう。
一体、どういうことなんだ、これは。
研究所で子供を育成しているだなんて話は聞いたことがない。
それも全員訳ありの事情を抱えているとなると、研究員達が単に子供を育てているだけとは考えにくい。
そもそも、廃棄とは具体的にどんなことをするんだ。
言葉の意味をそのまま当て嵌めるとするなら、どこかに棄てる、ということになるが。
棄てるって、どこへ?どうやって?
頭がどうにかなってしまいそうだ。
震える手つきで、21人目のカルテを確認する。
中央の列の、入口側から見て8番目の位置にいる子だ。
だが、その子のプロフィールも、やっぱり他の子達と大差ない感じで。
背筋にじわじわと嫌な汗が滲んでいく。
今の私は、きっと死人のように酷い顔色をしているはずだ。
すると、私がファイルを閉じて、元あったワゴンの上に戻した瞬間。
たった今プロフィールを確認したばかりの子が、ふと目を覚ましたのが見えた。
人の気配を感じたからなのか、それとも、私がファイルを置いた時の微かな振動が伝わってしまったのか。
今までぐっすり眠っていたはずのその子が、突然ぱっと目を開けて、私の顔を見詰めた。
まるで、"見たな?"とでも言いたげな、訝しい目付き。
見ず知らずの人間が突然目の前に現れたというのに、とっさに驚いたり泣いたりする様子もなく、ただ探るような目でじっと私の目を見詰めている。
明るいブラウンの髪にスカイブルーの瞳で、両腕が肩から丸ごと欠損している、白人の男の子。
年齢は約1歳半。これまで確認した21人の中では、彼が最年長に当たる。




