Episode03-7:溜め息と足音
夕暮れ時。
一足先に別邸へ戻ったトーリを、シャノンが玄関まで出迎えに来た。
「────おかえりなさいトーリくん」
「ああシャノンさん。ただいま戻りました」
「結構かかったみたいだね。疲れたろう?」
「移動には少し時間をとられましたが、疲れるほどじゃないので平気ですよ。
ミリィはまだ帰ってないんですか?」
「ミリィはまだだよ~。多分もう少し遅くなるんじゃないかな~」
意味深に語尾を伸ばすシャノン。
曰く、郊外まで足を運んだトーリよりも、近辺で聞き込み調査を行う手筈だったミリィの方が、まだ帰っていないという。
調査が難航しているのか、手筈にない用を足して時間を食っているのか。
ミリィが今どこで何をしているのかトーリには覚えがなかったが、シャノンは彼の居所について見当が付いている風だった。
「まあ、夕食前には帰ってくるはずだからさ。一緒にお茶でも飲んで待っていてあげよう」
一服に誘うシャノンに連れられて、トーリはダイニングへと向かった。
その途中、洗濯物を抱えた使用人らしき青年と廊下で擦れ違った。
「おかえりなさいませ」
「あ……、どうも」
青年がトーリに挨拶し、トーリも青年に軽い会釈を返す。
青年はシャノンにも頭を下げると、そそくさと持ち場へ戻っていった。
見覚えのない若い男。
昨夜の内に顔を合わせていないということは、彼はこの屋敷には住んでいないのだろうか。
トーリが青年を気にしていると、前を歩くシャノンが尋ねられる前に説明した。
「彼はボク専属の執事でね、ヘイリーというんだ。
昨日紹介したメリアやアクセルはここで暮らしているけど、彼は別なんだ」
「メリアさん達よりも立場が上、ということですか?」
「ううん、その逆。ボクの従者達の中では、ヘイリーが一番の新参だよ。
ただ、彼だけちょっと事情が特殊でね。今は本邸の方で、ボクや両親と一緒に住んでいるんだ」
少し気弱そうな雰囲気で、黒髪に眼鏡をかけた彼の名は、ヘイリー・マグワイア。
近頃シャノンがスカウトしたばかりの新人で、五人いるシャノン専属チームの中では最年少に当たる青年だ。
シャノンが国外出張する際にも付き従う側近として、基本的な家事雑事をこなす他、バシュレー家のボディーガードも兼任しているという。
「ちょうど一息入れようと思ってたところだからね、タイミング良かったよ。
トーリくんはコーヒーと紅茶、どっちがいいかな?」
「……じゃあ、コーヒーをお願いします」
「オッケー。すぐだから、掛けて待っててね~」
鼻歌を唄いながら手早くお茶の準備を始めたシャノンを尻目に、トーリは聞こえないよう溜め息を漏らした。
というのも、別邸に戻ったらまず、集めてきた情報を整理しようと思っていたからだ。
以前までのトーリであれば、たとえ相手が誰であれ、関心のない事柄には一切見向きしなかった。
こんな風に、何気なくお茶でもどうかと声をかけてくれた人に対しては、面倒だからと素っ気ない態度をとってしまうことが多かった。
それが、どういう心境の変化か。
内心乗り気じゃないにせよ、目の前の彼に言われるまま従ってしまっている。
「(まるで自分が自分じゃなくなっていくみたいだ)」
これまでを改めて振り返ってみると、利益があるか否かで選択をしてきた人生だった。
他愛のない世間話に花を咲かせている若者を見ては、なんと不毛な行為に耽っているのだろうと小馬鹿にしてきた日々だった。
だが、今となっては少し違う。
人付き合いは相変わらず苦手だけれど、こうして誰かと過ごすだけの時間も、前より苦痛に感じなくなった。
「(これも、ミリィの影響なんだろうか)」
シャノンの後ろ姿にぼんやりとミリィの面影を重ね、トーリは心中で呟いた。
「────ハイおまたせ~。熱いから気を付けてね」
二人分のコーヒーを手にキッチンから戻ってきたシャノンは、トーリの向かいの席に腰を下ろした。
「どうも。……シャノンさん、今はお一人なんですか?」
「うん?……ああ、二人なら自分の部屋にいるよ。
一時間くらい前までは、一緒におやつを食べていたんだけどね」
"一人で考える時間も必要だと思うし、今はそっとしておくよ"
シャノンによると、少し前までリビングに集って談笑を楽しんでいたが、今はウルガノもヴァンも自分のゲストルームに戻ったという。
トーリ達が暫く屋敷を空けていた間に三人は随分と打ち解けたようで、ミリィのお友達は愉快な人ばかりだねとシャノンは嬉しそうだった。
そんなシャノンを見詰めながら、トーリは本日二杯目となるコーヒーに口を付けた。
シャノン・エスポワール・バシュレー。
滑らかなブロンドの髪に、深いアメジストの瞳。
通った鼻筋に、きめ細やかな肌、ドールのように長い睫毛。
彼の姿は、まさに非の打ち所のない完璧な美男子といっていい。
白馬に乗った王子様が実在するならば、きっと彼のような姿をしていることだろう。
そこまで思案して、トーリははっとあることを思い出した。
「君達の留守中に彼らと話をしたんだけどね、とても面白かったよ。
ヴァンくんは見た目は少し怖い感じだけど、中身は癒し系というか……。甘い物が好きらしくてね、ボクの用意したチョコレートをあっという間に食べてしまったんだ。
こんなに美味いものは食ったことがないってさ。かわいいよね」
「………。」
「あ、それから……。トーリくんはもう知ってるかな。
ウルガノさんって、稼いだお金の殆どを寄付しているんだって。世界の恵まれない子供達のために。
すごいよねえ、彼女も年頃の女の子なのに。世の中には本当にこういう人がいるんだって、ボク感動しちゃって───」
「あの」
今日あったことを思い出して楽しげに語るシャノンに、トーリは小さく待ったの声をかけた。
昨晩からずっと胸中で引っ掛かっていた疑問。
このまま黙っておくべきか悩みもしたが、一度気になると割り切れない性分のトーリは、本人を前にして尋ねずにはいられなかった。
「遮ってすみません、シャノンさん。先に一つ、僕から質問させてもらっていいですか」
「おや、改まってどうしたんだい?いいよ。なんでも聞いてくれ」
「……昨夜、一緒に食事させていただいた時のことなんですが。
その時のミリィの発言で、個人的にちょっと気になった箇所があるんです」
「そうなのかい?ボクには思い当たらないけど、なにか変わったこと言ってたかな……」
昨夜ディナーを共にしたこの場所で、トーリは当時の風景を思い浮かべた。
「才能とは、生まれではなく育ちだということを証明した男。
貴方のことを称賛するミリィは、あの時そう言っていました。
……僕の記憶が間違いでなければ、確かシャノンさんのご両親も著名な音楽家だったはず。
ならば、育ちの前に生まれという、完璧な土台がありますよね」
"なのに何故、彼はあのような言い方をしたのでしょうか"
真っ直ぐに見据えてくる眼鏡越しの鋭い瞳に、シャノンは一瞬呆気にとられた。
主席という立場上、こうも率直に向き合ってくれる人は、こんな目を向けてくる人はなかなかいない。
知り合って間もない間柄となれば、まず一歩引いた態度を取られるのが常だ。
となればきっと、彼のこの言葉に他意はないのだろう。
駆け引きなしの問答。互いに腹を探ろうとする算段もなし。
だったらこちらも、はぐらかさずに応えてやるのが礼儀というもの。
手元のカップに視線を落とし、シャノンは静かに口を開いた。




