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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
198/326

Episode30-2:ゼロワンの封印



「きれい………。」



振り返って少女の顔を目にした私は、無意識にそう呟いていた。

今まで見たどんな映画女優より、彼女は美しい姿をしていたから。


すると少女は、一度驚いたように目を丸めた後、今度は訝るように眉を潜めて私の全身をまじまじと見詰めてきた。



「───あなた、もしかしてゼロワン?」



少女の美しい声で名前を呼ばれて、私はびくりと肩を揺らしてしまった。


この人、私の名前を知っている。

ということは、やはり外部から流れてきたよそ者ではない。



開かれた彼女の脚の間にすっかり納まった形で、緊張から何故か正座してしまっている私の姿が少女の鋭い双眸に映っている。


私に危害を加えようとしている気配はないが、彼女の真っ直ぐな目に見詰められると、なんだか自分が丸裸にされている気分になっていたたまれなかった。



「私を、知っているんですか」


「……ってことは、やっぱりあなたがゼロワンなのね。

話に聞いていた通り、本当にこんな、小さい子が…」



逆に私が尋ねると、少女は肯定も否定もしなかった。

ただ、みるみる内に表情が歪んでいって、途中で言葉を詰まらせてしまった。

その様子は、なんだか酷く辛そうにも見えた。


どうしてそんな顔をするのだろうか。

どうして彼女は、私のことを悲しい目で見てくるのだろうか。


私に対して感情的な目を向けてくる人は他にいないので、少女が私をどんな風に思っているのかわからなかった。

少女が今なにを考えているのか想像できなかった。


ただ、この眼差しには覚えがあった。

過去に鑑賞してきた映画の中で、劇中シリアスなシーンが流れたりすると、登場人物が度々こんな目付きをしていたのを覚えていた。

この目は、相手を哀れんでいる目だと。


何故?

スクリーンの向こうにいる彼らは役者で、その一挙一動は全てお芝居によるものだけれど。

彼女はどうして私を見て、哀れみの感情を持ったのだろうか。



「悲しい顔、しないでください」



気付けば私は、少女の顔に向かって無意識に手を伸ばしていた。


自分でも、何故そうしようと思ったのかはわからない。

けれど、彼女の頬に見えない涙が伝っているように感じて、気付けば彼女の白い頬を指先で撫でてしまった。


不思議だ。

この二ヶ月、誰かにこうしろと指図をされない限りほとんど動こうとしなかった私の体が、彼女を前にしていると、勝手に手が、口が、心が動く。

頭で考えるよりも先に、自然とそうしようという気になってくる。



すると少女は、また驚いたような顔をして、私の手を優しく握ってくれた。


あったかい。この人の手、とてもあったかい。

職員や研究員達の手は、みんな固くて冷たくて、こんな風に触れてくれることもなかったけれど。


人間の手って、本当はこんなに温かいのだということを、今初めて知った。



「……優しい子。その様子だと、なにも聞かされていないのね」


「私は、なにを聞いていないんですか?」


「全部よ。あなた自身のことも、私のことも。

けど、ごめんね。私にはあなたに説明してあげる時間がないの」


「お姉さん、これからどこかに行くんですか?」


「わからない。けど、そうなったらいいね」



お姉さんは私の問いに短く答えると、私の手を自分の両手でぎゅっと握り締めて、私の胸に返してきた。


曰く、これから研究所とは別のどこかへ行く予定があるのだそうで、ここには長居できないのだという。

改めて周囲に目を配り、なにやら警戒している様子の彼女は、先程からずっと人目を気にしていた。


研究所の職員達に見付かるとまずい事情がある、ということは、もしかすると先程の緊急事態も彼女の行動と関係しているのかもしれない。



せっかくまともな人と出会えたと思ったのに、この後研究所を出て行ってしまうなら、もうこうして話をすることもできないのか。


少し落胆した気持ちになって俯くと、お姉さんは私の手を握り締めたまま、ずいっと顔を近付けてきた。


突然間近に迫ってきた薄桃色の瞳に、一瞬私の呼吸は止まった。



「だから、最後に一つ、あなたにいいことを教えてあげる」


「いいこと…?」


「そう。一度しか言わないからよく聞いて。

さっきの騒ぎは、ここのメイン電力が落ちたせいなの。

今は予備の電源でどうにか賄っているみたいだけど、研究所全体のシステムを完全に復旧させるためには、もうしばらく時間がかかるはず。

私の言ってる意味、わかる?」



互いの鼻の先が触れてしまいそうなほどの至近距離で急に話し始めたことには驚いたが、お姉さんはハキハキとした声で丁寧に説明してくれた。

なので、内容は一度で理解できた。



お姉さんの話によると、先程の緊急事態警報は研究所のシステムに一時的な不具合が発生したことによるもの、なのだという。

それら全てを元通りにするためには、落ちたメイン電力そのものを復旧させなければならないらしい。


必要最低限の機能や設備は予備電源のおかげでどうにか無事のようだが、この事態が収拾されるまでにはもうしばらくの時間を要するはずだと。


つまり、現在一時的に薄暗くなっている研究所の明かりがまたいつもの明るさを取り戻すまで、全ての活動は不完全な状態のままにあるということだ。



最後の確認の言葉に私が無言で頷くと、お姉さんはさすが賢いわねと言って不敵に微笑んだ。



「つまり、普段は頑丈なセキュリティーで守られているものも、今なら少し力を加えてやるだけで、簡単に崩壊する。

一時的にマグパイとゴーシャークの研究所を封鎖したのは、その機密が外に漏れてしまわないようにと懸念してのことよ。

けどそれは、逆を言えば手も付けられないほど中がカオスに陥ってるってことでもある」


「……じゃあ、今なら。普段見られないようなものも、近付けない場所にも…」


「侵入できる。

今なら、あなたの知りたいと思っていることが全部わかるはずだよ」



そう言ってお姉さんは、首に下げていた紐を引っ張って、取り外したものを私に差し出してきた。

今までは服の内側に仕舞っていたようなので見えなかったが、それはとある研究員の身分を証明するためのIDカードだった。


カードの表面に記載されている所有者の名前は、ジャスパー・キッドマンとある。

この名前は確か、マグパイ研究所に所属している研究員の一人だ。


名前の横には本人の顔写真、名前の下の欄には生年月日等の簡単なプロフィールが記載されており、カードの裏面には個体識別番号とデータ読み込みのためのバーコードが印刷されている。

間違いなく、これはジャスパー本人のIDカードのようだ。


マグパイの研究員に、ゴーシャークのメンバー。

それから、マグパイとゴーシャーク両研究所に所属している職員らは、全員これと同じIDカードを所有している。

このカードがないとそもそも研究所に出入りすることもできなくなってしまうらしいので、皆欠かさず身に付けている。



しかし、何故そんなものを彼女が所持しているのだろうか。

ジャスパーと私はたまに廊下で擦れ違う程度で接点がないので、彼とお姉さんがどういう関係なのかわからない。


ただ、このカードは研究所内で使用する機会が多く、カードのデータには個人情報も含まれるので、他人に預けるような不用心な真似は誰もしないはずだ。


となると、彼女はこれをジャスパー本人から強奪したのか、或いは本人の目を盗んで勝手に持ち出してきたということになる。



「これ…。IDカード、ですよね。どうしてこれをお姉さんが…、」


「悪いけど、それを説明している時間はない。

とにかく、これがあればあなたも中に入れるはずよ。使い方はわかる?」


「立入禁止区域に指定されている場所に入る時、皆これを使って中に入ってます。

たまに、その様子を傍から見ていたので、カードの使い方は、一応わかります。

でも、他にパスワードと網膜認証が必要になるので、カードだけあっても、どうにも…」


「なるのよ。今なら特別にね」



何故お姉さんがジャスパーのカードを所持しているのか。

気になることは色々とあったが、それは今はどうでもいいことなのだとお姉さんは言った。


そして、早口で私の言葉に被せてきたお姉さんは、差し出してきたジャスパーのカードを私の手に握らせた。

絶対に失くしてはいけないよと、触れ合った指先からお姉さんの思いが伝わってきた。



ちなみに、例の立入禁止区域に指定されている場所は、マグパイとゴーシャーク両研究所の内部に計四つ存在している。


一つは、私がいつも身体機能調査で使用している、あの扉の向こう。

結晶部だ。


ここは私の体を使って実験を行うための場所なので、私とゴーシャークのメンバー以外は立ち入ることが出来ない。

立入禁止区域に指定されている場所の中で、唯一私も出入りが許されている場所だ。


問題なのは、他の三つ。

マグパイとゴーシャーク、両方の研究所にある特別資料室と、マグパイ研究所の実験室だ。


前者の特別資料室はIDカードと秘密のパスワードがあれば入室できるそうだが、後者の実験室は網膜認証も加わってくるので、セキュリティーはとても頑丈だ。

この実験室に出入りできるのは、三つの条件を全てクリアできるマグパイの研究員のみ。



しかし彼女は、今ならそれらの場所に私でも忍び込むことが可能であるという。



「さっきも言ったけど、今は一時的に研究所のシステムがダウンしてるの。落ちたのはマグパイの方だけだから、ゴーシャーク研究所の方までは、多分無理だろうけど…。

少なくとも、メイン電力が復旧するまでの間、網膜認証の機能は役に立たないはずよ」


「じゃあ、このカードとパスワードがあれば、今だけ研究員以外でも立入禁止区域に侵入できるってことですか」


「その通りよ」


「でも、私はパスワードを知りません。カードがあってもパスワードがなかったら…」


「言ったでしょ。いいことを教えてあげるって。

特別資料室の方はわからないけど、実験室のパスワードなら私も知ってるわ。

かなり長いんだけど、メモをとらなくても覚えられる?」



お姉さん曰く、封鎖されたのはゴーシャークとマグパイ、両方の研究所が同時にだったそうだが、メイン電力が落ちているのはマグパイの方だけだという。

二つの研究所は地下で繋がっているが、電力はそれぞれに分けて賄っているかららしい。


故にゴーシャークの方は、地上とのアクセスが一時的に封鎖されているという点を除けば平常運転。

反面、実際にダメージを受けているマグパイ研究所はかなりの影響が出ているようだ。


ダメージはセキュリティー面にも及んでいるようなので、少なくともシステムが復旧されるまでの間は網膜認証機能は停止したままであるという。



外部への機密漏洩だけは絶対にあってはならないことなので、そうならないための措置なら既にとられている。

研究所の封鎖は最終手段の一つだが、その分確実だ。


しかしそれは、言い方を変えれば臭いものに蓋をしているのと同義。

"中"に閉じ込めてしまえば、確かに"外"には漏らさずに済む。

だが、原因を突き止めて問題を解決しない限り、"中"には秘密が充満し続けるのだ。


つまり、現在"中"にいる私には、この混乱に乗じて秘密を探ることができる。

網膜認証という壁がなくなった今、研究所のテクノロジーはやや後退しているのだから。



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