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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
195/326

Episode29-5:ゼロワンの生生



「あ"、は…っ、づ、あ"あ"あ"あ"ああああああああぁぁぁあっっ!!!!」



その後。

二度目のサイレンは、一度目から10分程が経過した頃に再開された。


部屋に時計は設置されておらず、時間はあくまで私の感覚でカウントしたに過ぎないため、正確さは保証できない。

だが、スピロスは病的なほど規則や決め事に煩い男なので、10分と30秒などの中途半端なタイミングでないことだけは確かだ。



加えて私は、実験が推し進められるにつれ、命からがらある一つの法則を導き出した。


サイレンが部屋に響く時間は、およそ3分から5分の短い間。

その間は一定の大音量で絶えず音が鳴り続け、次の空白時間が訪れるまで、絶対に途切れることがない。


たった5分弱の短い時間でも、相当な苦痛であるのは確かだが、問題なのは空白時間の方だ。

合間合間に訪れるその静寂の時間こそが、恐らく今回の実験における最大のポイント。



スピロスはあえて空白時間の長さをランダムに設定することで、私に休ませる余裕を与えないようにしている。


5分、10分、15分。

時には20分、30分と長い間隔を空け、私の体内時計を狂わせるのが目的なんだろう。

先程の空白時間に30分の猶予があったからといって、次の空白時間も同じく30分与えられるとは限らない。


次のサイレンがいつ再開されるか。

今度の空白時間は何分休憩できるのか。

意図的にタイミングをずらされては推測もできず、いつまたあの音が始まるかわからないという恐怖から、身も心も全く休まる隙がない。


常に気を張り、身構えていなければならないのは、想像以上のエネルギーを要する。

いっそ余計なことはなにも考えずに、休める内に休んでおこうと開き直っても、そういう時に限って直後にサイレンが再開されたりする。


これはきっと、ガラスの向こうからこちらの様子を監視しているスピロスが、私に楽をさせまいとしてわざとやっていることなんだろう。



「ハーッ、ハーッ。…っく、……はあ、っ」



じわじわと神経を擦り減らされ、次第に疲弊していった私は、最早立っていることも座っていることもままならなくなり、力無くその場に倒れ込んだ。

胎児のように丸くなり、しかし両耳に当てた掌だけは絶対に離さずに。



視界が回る。吐きそうだ。

繰り返し鈍器で頭を殴られるような痛みがこめかみの奥から響いてきて、呼吸をするのも辛い。

叫び過ぎたせいで、喉が焼けるほど痛い。水が飲みたい。

全身から嫌な汗が滲んでいて、服が冷たい。寒い。


少しずつ、意識が遠退いていくのを感じる。

だが、間もなく再開されるサイレンに激しく神経を攻撃されて、気絶することもできない。

そんなことが、ただ延々と繰り返されている。


苦しい。痛い。怖い。

気付けば、生理的な涙が溢れてくる。

だが、それでも実験は中止されない。平常運転だ。


気が遠くなってくる。

こんなことが、あとどれくらい続くんだ。

あとどれくらい我慢すれば、私はこの地獄から解放される。


あれからどれだけの時間が経過したのか、もうわからない。

常に明るい電灯に照らされているこの部屋では、今が昼なのか夜なのかを把握することもできない。



なにを、やっているんだろうか、私は。

こんなに辛い思いをして、一体なにがどうなるというのか。

こんなことをして、先にどんな結末が待っている。

この所業に、どんな意味があるというんだ。


今までも疑問に感じたこと、納得のいかないことは数多く経験してきたし、私の住む世界には過酷と不条理が蔓延っているのだと、ずっと前から理解していた。


けれど、こうしてぼんやりと思案する今。

改めて直面する理不尽という名の暴力に、沸々と堪えきれない激しい怒りが込み上げてくる。



私は、もう何度目ともわからないサイレンが鳴り止んで間もなくに、残り僅かな力を限界まで振り絞って、むっくりと床から起き上がった。


引き攣った四肢は上手く筋力が働かず、思わず震えてしまいそうになる腕は気合いで支えた。

ずりずりとトカゲのように床を這い、少しずつ前に進んでいく。


そして、やっとの思いで壁際まで詰め寄った私は、分厚いガラスの壁を思い切り叩いた。


真っ黒なガラスの向こうには、隣室で控えている彼らがいる。

こちらからはなにも見えないが、このガラスを隔てた目の前には、今もスピロスを筆頭とした早成隊のメンバーがいるはずだ。

実験室にいる私を、見世物でも観劇するように観察しているはずだ。


彼らが今どんな表情を浮かべて、苦しむ私の姿を眺めているのかはわからない。

だが、これまで散々弄ぶような真似をしてきたのだから、きっと、私のことを哀れだとは思っていないのだろう。



「……く、に、」



冷たいガラスの表面に自分の額をくっつけて、私はガラスに反射した自分の顔をきつく睨んだ。


苦痛に歪む私の顔。

その顔は今まで見たことがないほどに獰猛な顔付きをしていて、鋭い目は絶えず涙を溢れさせていた。


だがわかる。

自分の中で、かつてないほどの激しい憎悪が、漲っているのがわかる。

腹の奥でぐつぐつと煮えたぎっているこの感覚が、殺意だということが、わかる。



「じごくに、おちろ………!」



それは、いつぞやに見た映画の主人公が、劇中に言っていた台詞だった。

悪役に追い詰められ、絶体絶命の状況の主人公が、命乞いをしろと銃口をつきつけられた時の台詞。


しかし主人公は、言われた通りに命乞いをすることはなく、自分に対して銃を構える悪役に吐き捨てるようにそう言った。

なにがあっても、お前にだけは絶対に屈しないと。確かな決意を宿した顔で。


彼はどんなピンチに追いやられても、いつも必ず切り抜けてみせた。

どんな時も必ず助けにきてくれる、仲間という存在が、彼にはあったから。

きっと最後には仲間が助けてくれると、信じることができたから。

だから彼は、どんな時も気持ちを強く持ち続けられたんだ。



私には。

私には、窮地を救ってくれる仲間はいない。

身を呈して守ってくれる親も、悲しみに寄り添ってくれる兄弟もいない。


だから、私は彼とは違う。

いくら助けを求めても、誰も私の元には駆け付けてくれない。

私を取り巻く現実(リアル)は、最後には必ずハッピーエンドで終わる、あの映画のようには上手くいかない。


それでも。ふと思い出したあの台詞を、無意識に口に出してしまったんだ。

心の底から、奴らが地獄に堕ちることを望んだから。

奴らが私のいる地底まで堕ちてくればいいと、思った。




「が…っ、あ"あ"あ"あああああああああああああああああああああっっ!!!!!」



すると、私がガラスに向かってそう吐き捨てた直後に、騒音の更に上を行く爆音のサイレンが、まるで雷のように私の頭上に落ちてきた。


今度の空白時間は、まだ5分から10分程度しか経過していない。

ということは、自分の決めたルールに反すると分かった上で、彼は私に仕置きを与えることを優先させたという訳か。


先程の私の反抗的な態度が原因か、それとも台詞の内容が気に食わなかったのか。

これまで耳にたこが出来そうなほど何度も、規則は絶対だと常々口にしていたあのスピロスが、自分の理念に背いてでも短気を起こしたということは。

どうやら私は、彼の逆鱗に触れてしまったようだ。


最早私の状態の変化を調べるためでもなんでもない。

怒りで我を見失ったスピロスは、ただ私を苦しめるためにサイレンを打ち出している。



痛い。あつい。

頭の中を、なにかが食い荒らしているみたいだ。


私は再びその場に倒れ込み、背中を弓なりにのけ反らせて絶叫した。

ふと喉の奥で、太い糸がちぎれたような感覚がして、私は床をのたうちまわりながら咳込んだ。


渇いた咳は次第に湿った音を伴って、私の口から微量の血が吐き出された。

先程の糸がちぎれたような感じは、叫び過ぎたせいで喉の中が裂けたせいだったらしい。



喉は裂け、とうとう鼓膜も破れてしまった。

最早声を上げることも、息をすることもできない。


陸に上げられた魚のように、じたばたと手足を動かし、少しでも呼吸が楽になる場所を求めて、床を這いずり回って移動する。

だが、どこへ逃げても、何度体勢を変えてみても、深い水の底で碇に繋がれたように息苦しさは続いた。



誰か。助けて。誰でもいいから。

お母さん。お父さん。誰か。


視界がちかちかと明滅し始める。

手が、足が、指が、もうぴくりとも動かない。


自分の虫の息が微かに肌に伝わり、サイレンの音が徐々に遠ざかっていくのを感じる。


サイレンの音量が小さくなったのではない。

私の意識が、今度こそ遠退いていっているんだ。



ああ、私はこのまま死ぬのかもしれない。

けれど、この苦しみから解放されるなら、死ぬことはなにも怖くなかった。


サイレンが聞こえなくなった。

音自体が止められたのか、それとも私の聴覚が、キャパシティオーバーで破壊されてしまったのか。


わからない。

だがもうどうでもいい。



待ちに待った静寂に安堵する間もなく、耳に当てていた手が力無く剥がれると、私の視界はみるみる内に暗くなっていった。


そして、完全に意識を手放す刹那。

ふと、誰かに抱きしめられるような、心地好い感覚が私の全身を包み。

誰かが、耳元で優しく、私の名を呼んだ気がした。



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