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オルクス  作者: 和達譲
Side:A
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Episode28-10:扉の向こうにあるもの



10分の休憩を終え、約束通りアンリがキオラを起こしてやると、キオラは小さく辛そうな声を漏らしながらゆっくりと瞼を開けた。


やはりたった10分で疲れを抜くことは出来なかったようだが、顔色は先程までと比べて少し良くなっている。

数分でも眠ったおかげで、絡まった頭の中は一度リセットすることができたようだ。



その後、マナとジャックに支えられてお手洗いに向かったキオラは、パチパチと自分の頬を両手で叩きながら戻ってきた。

少しでも眠気を飛ばそうとしているのだろう。


それから、ヨダカに用意してもらった水を飲み、気付けにチョコレートをもう一粒食べて、キオラは再びソファーに横になった。


仕上げにアンリから手渡された装置を胸に抱けば、準備は万端。

キオラとアンリ以外のメンバーも、既に所定の位置についている。



「では、続きを始めます。

準備はいいですかキオラさん。どこか痛いところはありますか?」


「大丈夫です。一眠りしたおかげで、少し体は休まりましたが、頂いた薬はまだ効いています。

段々、また眠くなってきました」



ヘイズの質問に答えるキオラはとても冷静な様子で、声色にも張りが戻ってきていた。


それでも、事前に服用した睡眠導入剤の効果はまだ持続しているようだった。

再びソファーに横になった途端に、程よい眠気が襲ってきたとキオラは言う。

現に、返事をする間もうとうとと目を細めている。



「そうですか。それは良い傾向ですね。

じゃあ、アンリさん。またキオラさんの支度をお願いしてもいいですか?」


「はい」



キオラの状態を確認したヘイズは、もう一度くらいの退行催眠なら十分に耐えられるだろうと判断し、いそいそとインカムを装着した。

アンリは、先程と同じようにキオラの準備を手伝ってやり、彼女の頭に装置を被せてやった。


そして、キオラのすぐ側で再び膝を折ると、アンリは先程よりも少し強い力でキオラの手を握った。

それにキオラも優しく応え、私なら大丈夫だとでも言うように口角を上げて頷いた。



「準備できました」



装置越しにキオラの顔を見つめながら、アンリは後ろにいるヘイズに対して声をかけた。


途端に静まり返るスタッフルーム。

口元にマイクを寄せたヘイズは、今度は装置を通した状態でキオラに話し掛けた。



「再開します。スピーカーの調子に異常はありませんか?」


「ありません。さっきと同じように、先生の声がよく聞こえます」


「わかりました。じゃあキオラさん。深く息を吸って、吐いてください。

そして、呼吸を止めずに、イメージして。深い海の底に、ゆっくり沈んでいくように…」



ヘイズの声に誘われるように、キオラは自分の体が深く深く海の中へ沈んでいくイメージを思い浮かべた。

全身を柔らかい毛布に包むような、暑くも寒くもない心地のよい感覚だ。


すると、二号の本体が反応して、先程と同じようにタイプライターから紙が出てきた。

それによると、現在の彼女の精神状態は36。サインカラーはグリーンとのことだった。


先程あんなことがあったばかりで、ひょっとしたら二度目は入口で躓くかもしれない。

ヘイズは内心そう懸念していたのだが、どうやらキオラは自分の感情を上手くコントロールできているようだ。

呼吸も安定しているし、よくリラックスできている。


そこでヘイズは、この最適な状態を無駄にしないためにも、今回は事前のストレッチを省略することにした。

一度催眠状態を経験してしまえば、そこから二度三度と繰り返す毎に感覚を覚えていって、再び催眠状態に入るのが上手になるからだ。



「じゃあ、今度はキオラさんが18歳だった当時に遡ってみるよ。

今のキオラさんと肉体はほぼ変わらないはずだから、6歳の時よりも感覚は掴みやすいと思う。

二年前にあった出来事で、特に思い出に残っていることはあるかな?」



ヘイズが問うと、キオラは短く思案して、微かに口元を綻ばせた。



「……誕生日。私の、成人の誕生日に、みんながお祝いをしてくれました」



キオラの回答に、ヘイズも当時のことを思い出して目を細めた。



「そうだね。みんなでキオラさんの成人をお祝いした。

あの時、ソフィアさんが振る舞ってくれたチキンの香草焼きは絶品だったなあ。

キオラさんは、みんなにお祝いをしてもらって、なにを思った?」


「…とても、幸せだと、思いました。

たくさんの人に支えられて、私は、本当に恵まれた環境で生きているんだなと、心から思いました。

…母は料理上手な人なので、チキンの香草焼きは、私も子供の頃から好きです」


「あはは、だよね。君にとっても、僕にとっても、あれはとても良い時間で、幸せな記憶だった」



二年前の2月23日。

その日はキオラの18歳の誕生日で、同時に彼女の成人を祝う特別な記念日でもあった。


よって、当時のキオラの誕生パーティーには例年以上に人が集まり、列席者からはこぞってお祝いの言葉とプレゼントが贈られた。


その中には勿論、キオラの友人であるアンリやヴィクトールの姿もあった。

グレーヴィッチ家と縁のあるヨダカやヘイズも、是非娘の成人祝いに同席してほしいと、夫妻から招待されて参加していた。


ヘイズ曰く、その時パーティーで振る舞われたソフィアの手料理が美味だったという。

キオラ自身も母は料理上手だからと嬉しそうに頷いている。

同じように当時を思い返しているアンリも微笑を浮かべたが、キオラ達のやり取りに口は挟まなかった。


楽しかった記憶。

幸せだった思い出。

あの時ばかりは、アンリもヴィクトールとの確執を抜きにして、他の参加者達と共にキオラがこの世に生まれてくれたことを感謝できた。



ちなみに。

翌日の2月24日はヴィクトールの誕生日で、彼の誕生パーティーにも勿論キオラとアンリは列席した。

ヴィクトールとアンリの誕生日には、キオラは毎年必ず携わるようにしているのだ。


ただ、ヘイズの質問の内容は、18歳の当時で一番強く印象に残っている出来事。

なのでキオラは、他にもたくさんいい思い出はあるけれど、やはり人生に一度しかない成人の誕生日の思い出が、当時にしては最も印象深かった出来事として挙げたようだ。



思った通り、古い記憶よりも新しい記憶の方が幾分引き出すのが楽であるらしい。

一度目の時よりも饒舌に話しているキオラを見て、ヘイズは心の中で納得した。


特に、キオラの成人の誕生日の記憶は鮮明に残っているようなので、それを利用すれば上手くいく可能性が高いと思われる。



「じゃあ、…そうだな。18歳の誕生日の、翌日以降の記憶を探ってみようか。

キオラさんが楽しいパーティーを過ごした裏で、君の中に眠るもう一人の君は、なにを考え、なにを見ていたのか。その辺りの消されてしまった記憶に、これから介入していきます。

力を抜いて。いいですか?僕が合図をしたら、パチンと弾ける音と同時に、君は18歳になります。

……なにも考えないで。僕の声に集中して。

いきます。3、2、1…」



左手の指をマイクに寄せ、ヘイズはカウントを終えると同時に合図をした。


装置の中にヘイズのフィンガースナップの音が響き渡る。

パチンと弾けるその音を皮切りにして、キオラは少しずつ深層へと意識を引っ張られていった。


そして、合図から数十秒後。

キオラの精神状態が36から34に変わり、サインカラーがグリーンからブルーに変更された。

キオラが無事に催眠状態に入った証拠だ。



「上手くいったようですね。さすがはキオラさん。

今、目の前にはなにが見えますか?」



経過を確認して、一先ず舞台は整ったようだとヘイズは安堵の息を吐いた。


恐らく今、キオラは18歳だった当時のいつかに意識を飛ばされている。

一度目と同じようにあえて細かい日時を指定しなかったのは、キオラの記憶の一部が意図的に改ざんされているためだ。


つまり、催眠状態に入ったキオラが真っ先に辿り着く場所こそが、まさに消された記憶の中であるということ。

そして、消された記憶の中でも、当時としては特にキオラの心身に影響を与えた体験ということなのだ。


本人としては単純に忘れていたのではなく、第三者の手によって作為的に隠蔽された記憶であるので、体感的には思い出すというより全く知らない世界を見ている感覚だろう。



「……キオラさん?」



しかし、ヘイズが声をかけてもキオラは返事をしなかった。

ぼんやりと口を半開きにさせたまま、ほとんど呼吸もしていない。


間もなく、二号の本体が再び反応して、サインカラーがグリーンからイエローに変更された。

数値も34から68へと一気に跳ね上がり、記憶の中にいるキオラの身に想定外の事態が起きたことが窺えた。


驚いたヘイズは、それでも出来るだけ落ち着いた声で、再度キオラに声をかけた。

だが、二度目の呼び掛けに対しても、キオラは返事をしなかった。



「キオラさん、どうしたんですか?なにが見えるんです?

僕の声が聞こえるなら、返事をしてください」


「キオラ、しっかりしろ。俺達の声をちゃんと聞くんだ。そっちに引っ張られ過ぎちゃいけない」



見兼ねたアンリも一緒になって呼び掛けると、アンリの声でようやく我に返ったらしいキオラはぴくりと反応した。



「………っ、ぁ。」


「キオラ……!」



アンリの心配そうな声がもう一度キオラの名を呼ぶ。

するとキオラは、溺れかけたように一度喉を引き攣らせた後、すぐさま息を吸って深く酸素を取り込んだ。

どうやらこの一分弱の間、まともに呼吸が出来ていなかったようだ。



「……天井、が、見える。周り、に、白衣、を着た人達が、いっぱい、いて」



キオラの様子と口ぶりを見るに、催眠状態に入った直後から今までは、自分が過去の記憶に飛ばされていることを自覚できずにいたようだ。


催眠自体は上手く作用しているものの、今自分の目に映っている光景が再現されたものであることを一瞬忘れてしまった。

故に、アンリの呼び掛けでやっと状況を理解したと。


この事態は、よりキオラの意識が当時の記憶に持って行かれている証拠だった。

現在自分は退行催眠を受けているのだという経緯すら失念してしまったほどだから、感覚もほぼ現実と変わりなく機能しているはずだ。


果たして、これは良い傾向なのだろうか。

意識があちらに集中している分、より記憶の復元が確実になるということでもあるが。

しかしそれは、逆を言えば現実(こちら)に戻って来るのが難しくなるということでもある。


アンリの胸中に、嫌なざわめきが過ぎる。



"CEILING"(天井)

"DOCTOR"(医者)


タイプライターから続けて出てきたキーワードは、キオラが先程口頭で説明した状況と同じ。


ただ、キオラ自身の喋り方が妙というか、喋ること自体が難しそうな感じだった。

頭で考えながら話しているというよりは、何らかの要素で物理的に発声を妨げられているようなニュアンスが感じられる。


つい先程までは流暢な受け答えができていた。

なのでこれは、ただキオラの体調が変化したことによるものではない。


恐らく、あちらの世界にいるキオラが、上手く話ができない状態にあると推測できる。



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