表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オルクス  作者: 和達譲
Side:A
184/326

Episode28-7:扉の向こうにあるもの




今朝突然キオラに会いに行くと告げた時にも、シャオ達は特に疑問の声を上げなかった。

その聞き分けの良さは却ってアンリの方が首を傾げるほどだったのだが、実はそういう理由があって誰も意見をしなかったのだ。


既に事情を把握していたから、流れ的に大方の見当がついていたと。



「アンリは、もう一人の私に、会ったことがあるの…?」



マナ達の話を聞いて、キオラが浅く呼吸をしながらアンリに尋ねる。

クリシュナと意識を交代している間の記憶はキオラにはないので、無論昨夜の出来事も彼女は知らない。



「……ああ。実は昨日、俺達の滞在していた宿に、もう一人の君が突然現れたんだ。そこで、色々と話をした」


「どんな話?」


「大体は君のことだよ。

彼は、…クリシュナは、キオラのことを心から大切に思ってる。

やり方はあまりスマートとは言えないが、それでも彼は、君のことを守るためにずっと奔走してきたようだ」



アンリの言葉を聞いて、キオラは難しい顔で口を閉ざした。


今の話を疑っているわけではないし、アンリがそう言うなら本当のことなのだろうと一応は納得はしたらしい。

ただ、記憶がないためいまいち実感が湧かないようだ。


もう一人の自分は、自分の知らない場所で一体どんな風に振る舞っていたのか。

自分の中にもう一人別の人間が住んでいるだなんて、やはり信じがたい話ではある。


しかしキオラは、もし彼とコミュニケーションを取ることが出来るのであれば、クリシュナと話をしてみたいとも思っていた。

今朝のような書き置きではなく、こちらから訴えかければすぐに返事が返ってくるような状況で。



「私からも、一ついいですか?」


「はい」


「今までの話を聞く限りでは、アンリさんがクリシュナさんと接触したのは昨晩が初めてのことだったんですよね?

その時彼は、今日のことをなにか言っていましたか?キオラさんの記憶はやはり復元させるべきだと」



根掘り葉掘り説明を求めるのではなく、今この状況で必要な情報のみをヨダカは質問した。

彼の背後では、ヘイズも無言でアンリ達の会話に耳を傾けている。



「ええ。諸悪の根源を叩くためには、キオラ自身に全てを思い出してもらうことが必要不可欠だと言っていました。

そのために、今までひた隠しにしてきた自分の存在を明かしてまで、キオラを貴方がたの元まで導いた。

……ですが、」



アンリは、質問には正直に答えたものの、最後にですがと区切って、改めてキオラの方に向き直った。

腰を屈めたまま彼女の顔を見上げる姿は、まるで王女に侍る騎士のようにも見える。



「正直、俺個人の意見としては、いっそ過去を封じたままでいた方が、キオラのためには良いんじゃないかと、…少し、思ってます」


「理由はなんですか?」


「彼女の中に眠っている記憶について、俺は大方のことを知っています。

だから、少し怖いんです。全てを思い出したら、キオラの心が壊れてしまう気がして。

キオラの片割れであるクリシュナが望んでいるのであれば、そうするべきなのかもしれませんが…。

結果的に、二度もキオラに苦しい思いをさせるくらいなら、真相に辿り着く前にやめておいた方がいいんじゃないかとも、思うんです」



言いながら、アンリはキオラの手を取ってぎゅっと握り締めた。

キオラは、終ぞ見なかったようなアンリの悲痛な顔を見て、自分の中に封じられているものがただの過去ではないことを理解した。



ここまでキオラを導いたのは、他でもないクリシュナだ。

誰よりキオラのことを理解し、キオラを愛している彼がそうするべきだと判断したのだから、例えリスクを負うことになっても、いずれはキオラの過去を解き明かす必要があるのだろう。


けれど、例えそれが乗り越えられる壁であったとしても、出来れば忘れたままでいてほしいというのがアンリの本音だった。


追体験とは、一度経験した出来事を再現するということ。

つまり、彼女に同じだけの苦しみと絶望を、二度も味わわせるということなのだ。



幾度となくキオラの心身を弄び、尊厳を踏みにじり。

都合が悪くなったら、後ろめたい記憶だけを強引に封じて。

その上で、自分達は何食わぬ顔で日常生活を送っているだろうゴーシャークの連中は、絶対に許されてはならない悪人だ。


だが同時に、キオラの健やかな未来を願うならば、辛いことは忘れたままでいた方がいいのではないかという考えもある。


あんなことを思い出しても、得られるものといえば真実と確信だけで、キオラ自身が幸せになれるわけではない。

むしろ、自らの正体を知った彼女は、悲観して生きることが嫌になってしまうかもしれない。


果たして、それほどの代償を支払ってまで、キオラに真相を明かすべきなのだろうかと。

ここまで来て今更な話だが、アンリの中ではまだ迷いと躊躇いが生じているのだ。



「それでも、私は知りたい」



見上げてくるアンリに、キオラは少しだけ身を乗り出して顔を寄せた。

まだ顔色は良くなっていないが、呼吸は落ち着いてきたようで、眼差しにも生気が戻ってきている。


アンリは、彼女の強い目力に、深いヘーゼルの瞳に吸い込まれそうな気分になって、思わず息を止めた。



「……それが、苦痛を伴うものと分かっていてもか?

自分の首が締まることを理解した上で、記憶の糸に自分から絡まりに行くってことだぞ?」


「分かってるよ。分かってるからこそ、私はもう忘れたままでいたくない」


「後悔するかもしれない」


「後悔はしない」


「必ず傷付く」


「それでもいい」



見つめ合ったまま、互いに一歩も譲らない押し問答が展開される。

特にキオラの方は、こうと決めたら梃子でも動かない様子で、窘めるアンリに強い決意で返した。


鬼気迫る二人の雰囲気に、ヨダカ達は横から口を挟むことが出来ず、息を呑んで成り行きを見守っている。



「本当にいいのか?

かつて君が見てきたものは、今の君が想像している以上の地獄だ。死ぬほど苦しい目に遭うんだぞ。

……それでも、君はやるのか?」



最後にアンリが悲しそうに問い掛けると、キオラはアンリの額に自分の額をくっつけて、目を細めた。



「さっき、アンリ言ったでしょう。彼はずっと、私を守るために戦ってくれていたって。

私は、彼のことをよく知らないし、会ったこともないけど。でも、なんとなく分かるんだ。

彼だって、きっと、ちゃんと弱い。普通の人間だってこと。

なにもかも全部一人で抱え込んで、今にも破裂してしまいそうになってるってこと」


「キオラ……」


「だから、これ以上彼にだけ背負わせたくない。

怖いけど、真実を知るってことは、彼がなにから私を守ろうとしてくれていたのかを、知るってことでもあるから。

だから私は、もう逃げたくない。偽物のままじゃ、私はアンリと対等でいられないもの」



ここで引き返してしまったら、それはクリシュナの存在を否定し、拒絶することにも繋がる。


何故クリシュナという異端の人格が生まれたのか。

彼がキオラから遠ざけようとしていたものの正体は。

彼を受け入れるためには、きっと失ったままではいられない。


キオラは、そのことを漠然と理解していた。

だからこそ、自分一人だけ偽りの平穏に浸り、彼に全ての災厄を背負わせるような真似はしたくなかった。


自分が多重人格者であることを知った以上、欠落した記憶を取り戻す術がある以上。

例え、先にあるものが地獄でも、逃げるという選択肢は最初からないのだと。



「本当に、やるんだな」


「うん」


「…いいんだな」


「うん」


「……なにか、俺にできることはあるか?」



キオラの揺るがない態度を見て、これはもうどうしようもないと観念したアンリは、心底腑に落ちない表情で質問の内容を変えた。


キオラ自身がどうしてもそれを望んでいるというなら、自分にはもう彼女を止められない。

ならば、せめて彼女にかかる負担を少しでも減らせるよう、自分にもなにか手伝えることはないかと。


するとキオラは、密着させていた額を離して、アンリから少し身を引いて微笑んだ。



「一緒にいて。なにがあっても、私をあなたと同じ、人間として見て。

私の中のなにかが変わっても、あなたはあなたのままでいて。

私は、それだけで充分、強くなれるから」



まるでこれから死にに行くようなシチュエーションだが、キオラ自身は、全てを取り戻した後もアンリと対等な関係でいたいと望んでいる。

今まで通り、くだらないことで笑い合って、触れることを躊躇わない関係を。


キオラの穏やかな顔に、クリシュナだった時の彼女の面影が重なる。

その瞬間、アンリは昨夜彼が言っていた言葉をふっと思い出した。



"君に愛されているという実感があれば、キオラはそれだけで強くいられた"

"どんなに辛いことがあっても、自分を待ってくれている人がいると思えば、耐えられる"と。


クリシュナと違って自制心の強い彼女は、本当は愛してほしいと願っていても、決して思いを口には出さない。

せめて今まで通りの関係でいてほしいと言うだけで、アンリを自分だけのものにしたいとは言わない。


だが、昨夜クリシュナからキオラの本心を聞かされたアンリには、今の台詞にどんな思いが込められているのかが透けて見えていた。



「俺は、なにがあっても、君から離れない。何度でも言うよ」



騎士が王女に忠誠を誓うように、アンリはキオラの薄い手の甲にそっと口づけた。



「……どんなキオラでも、俺は愛しているから」



そして、再び目を合わせて愛していると告げると、キオラは目を丸めて息を詰まらせた。



友人として好き。人として好き。

軽いニュアンスで好意を伝えたことはあっても、はっきりと言葉にして愛していると告げたことはなかった。


アンリの突然の告白に、側で見守っていたマナやヨダカも呆気にとられた様子で目を丸めている。

そんな中、アンリの背後を静かに通り過ぎていったシャオだけは、誰にも聞こえない小さな声でやっとかと呟いた。



「……ありがとう。今の言葉で、なんか無敵になれた気がする。

…私も、どんなアンリでも愛してるよ」



嬉しそうにはにかみながら、自分も同じ気持ちだとキオラは返した。

しかし、それでもまだ本気にしていないのか、今の"愛してる"は自分を励ますための言葉であって、アンリはあくまで友人として自分を好いてくれているものと解釈したらしい。


アンリ自身もすぐにそのことに気付いたが、本気の愛の告白は全てが片付いた後でも遅くはないだろうと、それ以上言い返すことはしなかった。



二人の様子をみて、この調子ならもう大丈夫だろうと判断したマナは、自分達の出番は終わったからとそそくさと席に戻った。

ジャックもマナに促されて自分の席に戻っていくが、その顔はマナと違って切なげな表情を浮かべていた。


自分に自信のないキオラは、悪い意味でフィルターがかかった状態にあるが、マナやジャックの目にはありのままのアンリの姿が見えている。

だからこそ、先程の愛してるが本気の告白であるということをマナ達は理解したのだ。



キオラに向かって愛を告げるアンリを間近で見ていたジャックは、ちくりと刺すような胸の痛みを覚えたものの、すっと目を逸らしてポーカーフェースを装った。

そんなジャックを遠くから見つめていたシャオは、もどかしそうに顔を背けた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ