Episode27:Remember me?
同日深夜。AM2:11。
ウォレス達との密談に一段落つけ、今日のところは一先ずお開きという形で一同は解散した。
その後訳あって、アンリ一行はエヒトの別荘に宿泊することになった。
というのも、どうせ一晩キルシュネライトに留まるなら、人目につかない静かなところがいいだろうとエヒトが計らってくれたのだ。
街外れにある、二階建ての大きな洋館。
ダークグレーの外壁が物々しい雰囲気を放つそこは、エヒトが所有する別荘の一つで、持ち主ですら滅多に居着かないハリボテのような屋敷だという。
執筆活動に息詰まった際など、気分転換にふらっと立ち寄れる場所が欲しいと建てられたここは、郊外の森の中にあった。
敷地を出て少し歩くと、簡素な給油所と商店が道路沿いに設置されているが、それも23時を回ると同時に終業してしまうので、辺りには殆どといっていいほど人気がない。
だが、ライフラインはしっかりと機能しているし、定期的に業者に頼んで手入れを行っているそうなので、浮き世離れした外観とは裏腹に中は頗る快適で綺麗な家だった。
貸し切りにできる分落ち着けるし、そこらの宿よりずっと過ごしやすく、安全面も問題ない。
出来るだけ人目を避けて行動したいアンリ達にとって、この別荘はまさに最適といえる避難場所だった。
そして、エヒトの屋敷で夜食をご馳走になり、一行が別荘に到着してしばらく後。
それぞれが入浴や明日の荷支度などを済ませて、自分の部屋で休み始めた頃だった。
他の皆が旅の疲れでさっさと眠ってしまった中で、ただ一人アンリだけはなかなか寝付けずにいた。
シャワーを浴び、歯を磨き、手荷物の整理など必要な準備を整えて、あとはベッドに入って朝日が昇るのを待つだけ。
なのに、横になって目を閉じても、いまいち深い眠りに落ちることができない。
そうして睡魔を逃しているうちに、アンリは一時間ほど浅いまどろみの中をさ迷うはめになったのだった。
やがて、その寝心地の悪さに顔をしかめ、ベッドに入ってから六度目の寝返りを打った時だった。
ふと、穏やかな冷気が頬を掠めた感じがして、アンリはゆっくりと重たい瞼を開けた。
時刻はこの時丑三つ時。
ベッドに横になったままサイドテーブルの上のデジタル時計を手に取ると、先程からちっとも時間が経過していないのが確認できた。
就寝の体勢に入ったのは、大体午前の一時過ぎだった。
ということは、あれから自分は浅い眠りに差し掛かっては途切れを繰り返していたのか。
結局まともに寝付けなかったことを再認したアンリは、重い溜め息を吐いてうなだれた。
こうなったら仕方がない。
こうしてだらだらと寝転がっていてもどうせ寝付けないのだから、一階のダイニングで水を一杯飲んで、気持ちを落ち着かせようか。
微かに痛むこめかみを指先で押さえながら、アンリはむっくりとベッドから起き上がって辺りを見渡した。
すると、部屋の窓が一つだけ開いていることに、初めて気が付いた。
先程、ベッドに入る前に窓が全部閉まっていることは確認した。カーテンも全て引いて、部屋の中は完全に密室にしたはずだった。
なのに、二時間前には閉まっていたはずの窓が、何故か開いていた。
仄かな月明かりに照らされたその窓からは、時折晩秋の冷たい風が出入りしていて、アンリの赤い髪を優しく撫でていく。
「……、っ…」
そしてその窓枠の中には、一人分の人影が月明かりをバックに佇んでいた。
風にはためくカーテンから時折見え隠れし、縁にしゃがんだ状態でじっとこちらを向いているシルエットは、逆光でうっすらと黒い姿をしている。
アンリは、それを視界に捕らえた瞬間に思い切り目を見開くと、驚いて思わず息をのんだ。
対照的に、影の人物は至って普通の様子で、静かに微笑んでこう言った。
「こんばんは、アンリ」
優しい響きを伴った、穏やかな低音。
白いカッターシャツの上にファー付きのモッズコートを羽織り、黒のスラックスと、レザーのロングブーツを身につけた年若き青年。
加えて、全体的に細身な体格と、ふわふわと綿毛のような銀髪とくれば、思い当たる人物はアンリにとって一人しかいなかった。
会ったことがあるのは、これまでにたった一度だけ。
しかし、そのただ一度の邂逅がアンリの中に強烈なインパクトを残し、当時の光景を鮮明にフラッシュバックさせた。
アンリは、思わず震えてしまいそうになる呼吸を生唾を飲み込むことで堪えると、青年の陰った顔にしっかりと焦点を合わせた。
すると青年は、アンリの逃げない姿勢に一層笑みを深くすると、窓の縁から足を下ろして今度こそ部屋の中に入った。
床に着地し、アンリのいるベッドに一歩歩み寄ってから立ち止まった青年は、目深に被っていたコートのフードを脱いで、続けて言った。
「さっさと眠っていれば、こんな悪夢を見ずに済んだのにね」
あらわになった銀髪はきらきらと月明かりを反射し、明らかになった顔はまだ微かに影を残しつつも、妖艶な雰囲気を放っていた。
暗がりの中でもはっきりと見て取れる美貌と、どこか危うさを感じさせる佇まいは、絵画のように洗練されていて現実味がない。
まるで、夢か幻でも見ているような感覚がアンリを包む。
「どうして、君がここに」
しばらくの間を置いて、アンリはやっとの思いで青年に声を掛けた。
何故彼は今、ここにいるのか。
何故彼は自分の所在を知っていたのか。
わざわざこんな森の中まで足を延ばし、直接この部屋に侵入を試みたということは、彼は間違いなく自分を訪ねて来たんだろう。
自分達が初めて出会ったあの時のように、二階の窓から唐突に現れたのは、他の者達に出現を気取られないようにするためか。
まるで羽を休めにきた鳥のように、風に乗ってふわりと現れた彼の気配に気付く者は、自分の他にはいない。
だが、アンリはシャオ達に助けを求めようとはしなかった。
青年はおもむろにコートのポケットに手を突っ込むと、一個のスマートフォンを取り出して、明るい画面をアンリのいる方に向かって突き出した。
「君が、僕を呼んだんだろう?」
青年が差し出してきた画面には、受信されたメールの一文が表示されていた。
ただ一言、"君か?"と。
それがなにに対しての問い掛けなのか、具体的な説明も前フリも一切なく。
本当に、ただ一言だけ確認するようなメッセージが、今から数時間程前に突然青年のスマートフォンに届いたのだという。
差出人の名前は、アンリ。
「このメッセージを見て、僕は全てを理解した。だから、ここに来たんだ。君に会うために。
外からここまで近付くのは大変だったけど、すぐ側に大きな木が立っていたから。その木の枝を伝って、この部屋に忍び込んだんだ。
窓の鍵が開いていたのは偶然だったみたいだけど、僕としては手間が一つ省けてラッキー、だったかな」
お手玉をするようにスマートフォンを宙に投げてはキャッチし、青年は辺りをぐるぐると行ったり来たりしながら話し続けた。
本人曰く、屋敷の側に聳え立っていた大樹を利用したため、この部屋に接近することはそう難しくなかったとのこと。
当時窓は閉まっていたようだが、運よく施錠はされていなかったため、こじ開けるリスクも負わずに済んだと。
ただ、今の回答だと、彼が二階の窓から侵入した経緯は判明しても、そもそも何故アンリの所在を把握していたのか、肝心なことが不明のままだった。
だがアンリは、それを言及する前に俯くと、閉口して息を詰まらせてしまった。
ぐっと奥歯を噛んで、右手でベッドのシーツを握り締める。
「…信じたくなかったよ。出来れば、俺の勘違いであってほしかった。
…君は、俺のことを憎んでいたのか、
……キオラ」
アンリが恐る恐る顔を上げると、呼び掛けに反応した青年もそちらに振り向いた。
青年のヘーゼル色の瞳は、改めてアンリの姿を映すと、なにか言いたげに緩やかな弧を描いた。
格好も髪型も、喋り方も全然違う。
ころころと気まぐれに移り変わる割に、一貫して冷たい印象を与える作り物のような表情も、一見すると全くの別人に見える。
だが、元々の体型や顔立ちまでは隠しようがないし、なによりその声が、アンリにとってとても身近で、親しみのある響きをしていた。
彼、否、彼女の名はキオラ。
キオラ・シャムシュロヴァ・グレーヴィッチ。
アンリの幼馴染みにして、かけがえのない友人であり、想いを寄せる最愛の女性でもある人物。
彼女こそが、一連の猟奇殺人事件の犯人であり、FIRE BIRDプロジェクト第一の成功者にして、この世で最も神に近いと言われている存在。
ゼロワンなのである。




