Episode26-11:ドクターウルフマン
「実は、今年の四月に入ってから、恐らく同一犯と思われる殺人事件が多発しているんですよ。
殺害の手口はどれも必要以上に残忍で……。過度の拷問の痕跡も見られたことから、犯人が被害者達に強い怨みを持っていることが窺えます。
関連する事件で亡くなった被害者の数は、現段階で四人。これは今後も増えていく可能性が高いですが。
……そして、この一連の事件の犯人が、ゼロワンと深い関わりのある人物、もしくはゼロワン本人なのではないかと、我々は睨んでいます」
アンリは、ウォレスとエヒトにこれまでの事件の経緯を説明すると、被害者達の名前と住所を順に読み上げていった。
レイニール・ヴェルスバッハ。
41歳男性。オーストリア出身。
妻子有り。スラクシン州在住。
ヘンドリック・クラウゼヴィッツ。
57歳男性。ドイツ出身。
妻有り。ブラックモア州在住。
ヴァーノン・ヴォジニャック。
60歳男性。ポーランド出身。
独身。ブラックモア州在住。
ラザフォード・ティッチマーシュ。
46歳男性。イギリス出身。
独身。ロードナイト州在住。
そして、モーリス・アイゼンシュミット。
52歳男性。ドイツ出身。
独身。キルシュネライト州在住。
彼らの氏名、年齢、それから出身地と配偶者の有無に加え、生前に暮らしていたとされる土地。
自分達が現在把握できているプロフィールを簡潔に述べ、アンリはウォレスの反応を静かに待った。
やがて全員分の紹介と説明を終えると、ウォレスは自分の口元を手で押さえて、少し驚いたような声で答えた。
「確かに、全員ゴーシャークのメンバーです。生き残っていた晩成隊の人間が軒並み……。
どこでこの情報を?」
ウォレスが問うと、シャオが子供のように挙手をして答えた。
「ハーイ。私と、私のお友達が一生懸命調べました。
世間には一切明かされていない、超機密事項ですよ」
「貴方が?」
シャオのあっけらかんとした様子が腑に落ちなかったウォレスは、本当にこんなやつが?という懐疑を隠すことなく顔に出した。
それに対し、アンリはすかさず付け足して説明した。
「彼、情報屋なんです。我々がここまで具体的な情報を得られたのは、彼と、彼の友人のおかげなんですよ」
「なるほど……。ゼロワンが犯人であるというおたくらの推測は、つまりそういう訳ですか。
その推測が正しければ、箝口令が敷かれているのも頷けますね」
シャオが共に調査を行ったという相手は、無論同業のバレンシアのことである。
諜報活動のプロである二人の力を以てしてもなお、この程度の情報しか探り出せなかったのだから、一応は一般人であるウォレス達が既知していなかったのは当然のことかもしれない。
「それで、犯行が全て同一人物によるものだという根拠は?」
「それは……、こいつですね。
これらのメッセージは、全て事件現場から押収されたものだそうです。
先程ご説明した通り、事件の発生を隠蔽している謎の集団が存在するようなので、中には見付からなかった現場もあったようですが」
アンリは、自分達の推測を裏付けるため、鞄の中からある物を取り出してウォレスに手渡した。
「"Orukus"。死者の国ですか。
これらが、遺体の発見現場にそれぞれ隠してあったんですね?」
「ええ。メッセージの意味は分かるんですが、一体これが誰に向けられたものなのかがどうしても腑に落ちないんです。
なにか心当たりはありませんか?」
それは、過去の事件発生現場から押収された、例の血文字のメッセージを収めた写真だった。
B5サイズの白い紙に、被害者の血液と指を用いて綴られたメッセージは、ドイツ語で冥府を意味している。
ウォレスは、受け取った三枚の写真をエヒトにも見えるようにテーブルに広げると、眼鏡のブリッジを指先で持ち上げて、短く唸るような声を上げた。
「うーん……。メッセージの意味は理解できますが、何故それがドイツ語なのかということですよね、問題は」
「ゼロワンを出産した代理母の女性がドイツ系だったからでしょうか?」
アンリの問いに、ウォレスは写真から目を逸らさないまま答えた。
「その可能性もあるが、ゼロワン本人は自分の親のことは一切聞かされていないはずだ。
血を分けた両親のことも、代理出産を行った女性のこともね」
「じゃあ、ゼロワンにとってドイツ語が最も親しみのある言語だったとか?」
今度はシャオが問うと、ウォレスは下唇を爪で引っ掻いて眉を寄せた。
「うーん。それが一番近い気はしますが……。
ゼロワンは幼少期から英才教育を受けて育ったので、少なくとも五カ国以上の言語に堪能のはずです。
その中で、シグリムの公用語である英語ではなくドイツ語を選んだ訳は、やはりメッセージを向けた相手の方に所以があるんでしょう」
ウォレス曰く、ゼロワンは現段階で少なくとも五カ国語以上を話せるマルチリンガルであるとのこと。
故に、教育も偏りなく施されてきたとするならば、取り分けドイツ語を贔屓する理由は考えにくいと。
よって、このメッセージは、ゼロワンの方にそうでなくてはならない事情があったのではなく、メッセージを宛てた相手側にドイツと縁があることを示唆していることになる。
「ということは、このメッセージはやはり、ドイツ出身のヴィクトールに向けられたものなんでしょうか」
アンリが以前から疑惑の目を向けていた人物は、やはり核心にいるとされるヴィクトールだった。
彼はドイツ出身なので、メッセージがドイツ語で綴られていた理由も当てはまる。
今や新しい総指揮官としてゴーシャークを率いる立場ともなれば、ゼロワンとの接点も十分にあるはずだ。
ゼロワンがヴィクトールに、個人的なメッセージを残す根拠は大いに有り得る。
「それか、君だろうね」
「え……」
しかし、ふと顔を上げたウォレスに射抜くような視線を向けられて、アンリはどくりと心臓が跳ねる感じを覚えた。
「考えなかったんですか?ライシガーと同様に、君にだってゼロワンと切っても切れない縁がある。
君のお母上がドイツ人だったこと、そしてなにより、お父上がフェリックス・キングスコートであること。
直接の接点はなくとも、君とゼロワンの運命は既に交わっている。君がゼロワンのことを知らずとも、ゼロワンの方は間違いなく君のことを知っていますよ。
自分をこの世に生み出した、魔王の息子だとね」
「……恨まれているんでしょうか、私は」
「それはわからない。ただ、違うとも言い切れない」
ウォレスの言葉を聞いて、アンリは急に背筋かぞっとした。
その可能性を全く考えなかったわけではない。
ただ、無意識の内に、自分の存在を除外して考えていたのだ。
自分よりもヴィクトールの方が接点が多いのだから、ゼロワンの射程圏内に自分は入っていないだろうと。
根拠はない。ただ、なんとなくそうだろうと思っていた。
そうであってほしいと思っていた。
これほどの激しい憎悪を抱えている人間が、真っすぐ自分の後ろ姿に焦点を合わせているなどとは、認めたくなかったのだ。
だが、改めて人から指摘されると、曖昧な不安が一気に明確な恐怖へと変わった。
これまで手にかけてきた死体越しに、ゼロワンが見詰めていた相手がヴィクトールではなく自分だったとするなら。
ゼロワンは一体、自分になにを求めて、なにを訴えようとしているのだろうかと。
その瞬間、飢えた獣と目が合ったような鋭い悪寒がアンリの全身を駆け巡った。
急に表情の変わったアンリを心配してか、マナが優しくアンリの背中を摩り、ジャックも心配そうな目を向ける。
「ともあれ、晩成隊のメンバーが続々と暗殺されているなら、生き残ったのは残り二人だ。
その後拠点を移しているとなれば話は別だが、彼らの所在なら私も知っている。
よければお教えしましょうか?」
「ええ、お願いします。先回りできれば、今度こそゼロワンと接触できるかもしれない」
「いいんですか?そんなことをして。
これまでに五人も手にかけてきたのなら、そろそろ手応えを覚えて、調子も乗ってきた頃でしょう。
興奮状態にあるところに鉢合わせれば、まともに話なんかできないと思いますよ。
下手をすれば、ついでに貴方の命も頂戴しにくるかもしれない」
「わかってます。ですが、ようやく掴んだ手がかりなんです。
……それに、俺は、ゼロワンと会わなきゃいけないと思います。
フェリックス・キングスコートの息子として、俺は、ゼロワンの言葉をちゃんと聞いてやりたい。
責任だとか贖罪だとか、殊勝な理屈を抜きにしても、俺はただ、会ってみたいんです。
父が、この世で最も愛したという、たった一人の存在に」
ゼロワンにとって、フェリックスは憎むべき敵でもあり、そして父親にも等しい存在だったのだろうとアンリは思案する。
ゼロワンをこの世に生み出したのは、他でもない彼だ。
フェリックスがいなければゼロワンは生まれていない。
だとすれば、自分とゼロワンの関係は、同じ親の元に生まれた血の繋がらない兄弟のようなものなのではないかと。
同じ男に支配され、苦しめられ。
憎悪しながら成長し、共に今の己がある。
きっとゼロワンは、自分の知らない父の顔を知っている。
フェリックスがゼロワンに強いた仕打ちは酷く惨いものだったけれど、同時に彼は、ゼロワンのことを愛してもいたから。
直接触れられることのなかった自分は、愛されるどころか見向きもされていなかったけれど。
ゼロワンは、傷付けられることで、フェリックスからの愛情を一身に受けていた。
残酷で、重厚で、熱と冷気を同時に帯びた、痛みを伴う歪んだ愛を。
それを、羨ましいとは言わないけれど。
自分にしか理解できない感情が、ゼロワンの中で燻っている気がした。
ゼロワンの固く閉ざされた心は、自分にしか解き放つことができないと、そんな気がした。
憎まれているかもしれない。
会っても、敵意を向けられるだけかもしれない。
かつて、弟と初めて出会ったあの時がそうであったように。
だが、アンリは純粋に、ゼロワンに会ってみたいという気持ちがあった。
自分のことを散々蔑ろにして、ないもののように放っておいた理由が、ゼロワンを作るために心血を注いでいたからなのであれば。
父が自らの手で作り出したという最高傑作を、この目で確かめてやりたいという思いがあった。
力の入ったアンリの言葉を聞いて、マナやジャックは驚いたように目を丸め、シャオとウォレスは面白そうに口角を上げた。
『Can you tell the twins apart?』




