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オルクス  作者: 和達譲
Side:M
17/326

Episode03-4:溜め息と足音



AM8:52。

ミリィと同時刻に屋敷を出たトーリは、出発から一時間近くかけて、ようやく目的の住所までやって来た。


路地裏にひっそりと佇むバー。

全く儲ける気のなさそうな立地に店を構えている此処のマスターに、トーリは会いに来たのだ。


繁華街の賑わいがとても遠く感じられるほど辺りは静まり返っている。

足元を通り過ぎていった野良猫以外に生き物の気配もない。


無人で無音。

黒塗りのドアにはCLOSEDのカードがぶら下がっており、余所者は絶対不可侵と言わんばかりの雰囲気が立ち込めている。

それでも、そんなものはお構いなしとトーリはドアを開けた。



薄暗い店内を進んでいくと、淡いオレンジの光の向こうに、味気のない内装が見えた。


リサイクル品と思しき種類の異なる椅子の列に、使い込まれたカウンターテーブル。

カウンターの奥にある棚には年代ものの酒が所狭しと並べられており、中にはラベルの表記が掠れたものもある。

この分だと、一万ドルは優に越える品も幾つか紛れていることだろう。


ただし逆を言うと、この店の自慢といえば本当にそれくらい。

他に持ち味といえそうな特徴は何もなかった。


何故ならここは、純粋に自分の好きな酒を呑むための場所だから。

ふらっと立ち寄って一杯引っ掛たり、何気ない世間話ができる場所を求めている人にお勧めできる店ではないのだ。

故に、間違ってデートの場所に選んでしまった場合には、御愁傷様ということである。




「───キミィ。まぁた何か失礼なこと考えていただろウ」



ボックス席の側でトーリが店内を見渡していると、カウンターテーブルの下からゆっくりと黒い頭が生えてきた。

筍のようにじわじわと立ち上がって姿を見せた彼は、このバーのマスターである男。

今回トーリが会いに来た目的の人物である。



「あんまりジロジロ見ないでよネ。うちは純粋に味を売りにしているんだかラ。

綺麗で小洒落た店がいいってんなら、流行りのとこを探しナ」


「ああ、そんなところに居たんですか。相変わらず不気味ですね。

ここが流行らないのは何も雰囲気のせいだけじゃないと思いますが?」


「オメーも相変わらず減らず口だナ!このクソインテリメガネ!」



微妙に訛った喋り方をして、遠慮なくトーリの顔を指差した彼の名は、アリス。

焼けたような縮れ毛と、ふてぶてしい半目の表情が特徴的な黒人男性で、開店当時から一人でバーを切り盛りしている変わり者だ。


しかし、寂れたバーの店主というのは、実は仮の姿。

アリスの本来の生業は、アングラ向けの情報屋なのである。

界隈ではそれなりに名の知れた腕利きであるため、国内外問わず彼の元を訪ねに来る客も多いという。


人脈を活かした雑学の豊富さも然ることながら、なんといってもアリスの真骨頂は守備範囲と瞬発力。

全く専門外の分野であったとしても、依頼から十五日以内には必ず客の要望通りに尻尾を掴んでくる。

一度(ひとたび)目標を定めてしまえば、なにかを得るまで絶対に標的(ターゲット)から離れない。

たとえそれが、透明人間であったとしても。


風体はやや変わっているものの、情報屋としての実力は折り紙付き。

訳ありのミリィとトーリにとって、彼は数少ない頼みの綱の一人だ。




「突然電話してきた思うたら、こっちの予定お構いなしに"明日行く"だもノ。

アタシだってそんなに暇でないですヨ」


「それでもちゃんとスケジュール空けておいてくれたんですね。ありがとうございます」


「……オマエほんとにムカつくナ。今日は一人か」


「ええ。ミリィは別行動です」


「なんだよー。久しぶりにコールマン来る思て、ゆうべパックして髪も切ってきたのニ」


「はは。自意識過剰な色ボケ女みたいなことするんですね。

まぁあまり気を落とさないで下さいよ。後で彼の方も連絡すると言っていましたから」


「本当カ!それは楽しみだ。コールマンの話は面白いからネ」




"よく見ると、君は綺麗な目をしているね"


昔、ミリィが何気なしにアリスの褐色の瞳を褒めたことがきっかけで、アリスは以前より身なりに気を遣うようになったという。

次いつ彼が訪ねて来ても、恥ずかしい思いをしないように。


なんでも、アリスにとって自らの容姿を褒められたのは生まれて初めての経験。

中でも特にコンプレックスに思っていた目を綺麗だと言ってもらえたことは、ここ数年で最も嬉しかった出来事なのだそうだ。


以来ミリィだけは特別に、相場より二割引きの額でアリスと取り引きさせてもらえている。




「ミリィも罪作りな男ですよね。本人はただの挨拶のつもりでも、貴方のように本気にしてしまう人が後を絶たないのだから」


「アァ?それくらいちゃんと分かってるっつーノ。別に本心からの言葉じゃなくてもいいんだヨ。

社交辞令でもなんでも、どんな奴でも、ミリィは必ず相手の目を見て話すル。ちゃんと向き合ウ。

汚い奴でも、醜い奴でも、ちゃんと人間扱いしてくれル。アタシはそれが嬉しかっただけサ。

オマエもそういうとこ見習えよな、ポンコツ」


「………ハァ。だから一人で来るの()だったんだよ」




アリスは、トーリの前でだけは、よくミリィの話をする。


ミリィが格好よかった話。

ミリィに言われて嬉しかったことの話。

他にも、ミリィと自分の間だけで交わされた秘密や約束事の話などなど。


トーリがアリスと二人きりになる状況を避けたがっていたのは、なによりアリスの長話に付き合わされるのが面倒だったからなのだ。

一度でもミリィの話題が出れば、小一時間は聞き役を強いられるのが常だから。


だが、アリスは別にミリィに心酔しているわけではない。

彼を称賛する言葉ばかりを口にする一方、その全てが本心とも限らないのだ。



情報屋とは孤独な生き物だ。

決して人には言えない秘密や、人の道を外れた悪どい思惑。

依頼人の秘めたるものを唯一自分だけが共有しているというのに、互いの間にはどうしようもない溝がある。


どれほどの信頼関係を築こうとも、結局のところそれはビジネスの延長でしかない。

情報屋と客という上辺だけの繋がりを、どうやっても覆すことはできない。

それが彼ら、裏社会に生きる者達のルールであるから。


故にこそアリスは、ミリィを信頼こそすれ、信じてはいない。

あくまで友人として接してくれる彼に心を開きたいと思う反面、胡散臭いと疑う気持ちも拭いきれない。

だから深く踏み込むのも踏み込まれるのも、本心では良しとしていないのだ。


ミリィの人柄は一般人には大いに親しまれるが、アリスのように警戒心の強い者からは、距離の詰め方が露骨だと時に気味悪がられることがある。

ミリィ自身もそれを自覚しているため、アリスとミリィは一見とても仲が良いように見えるが、内心は腹を探り合っていたりするのだ。




「オマエがここに顔出すのは、半年ぶりくらいになるカ?」



インスタントコーヒーを煎れながら、アリスはトーリに問うた。

カウンター席に腰を下ろしたトーリは、正確には三ヶ月と六日ですよと答えた。


あの日、ミリィとトーリが初めて出会った場所が此処だった。

当時の二人の決意の表情を、アリスは今も鮮明に覚えている。



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