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オルクス  作者: 和達譲
Side:A
169/326

Episode26-10:ドクターウルフマン



「それと、誤解をされたくないので言っておきますが。

私は例のプロジェクトには一切関与しておりませんからね。ウォレス君の話を聞いて、初めて研究の実態を知りましたから。

私も、そして私の父も」


「では、メルヒオールさんがフェリックスの計画に賛同して、建国に携わった訳はなんですか?」


「それは勿論、フェリックス氏の唱えた美しい展望を信じていたからですよ。

彼の研究が、いつか病に苦しむ人々を救うと。希望の懸け橋となってくれるはずだと信じ、心から願っていた。だから、自分も力添えを買って出た。

……まさか、世界平和を謡っていた裏で、殺戮を伴う人体実験が行われていたとは思いもせずにね」


「終生、真実を知ることのないまま、ご逝去されてしまったんですね」


「ええ。騙されていたなどとは露知らず、父はフェリックス氏を信頼したまま逝きました。

本気で悪いことをする人間というのは、野望を成し遂げるために見栄えの良い善行を積んでいるものです。

悲しいですが、それが現実です」



そう言うと、エヒトは切なげに目を細めた。



エヒトの父であり、初代キルシュネライト州主席であったメルヒオールは、フェリックスが新薬開発のため研究に勤しんでいたことは理解していても、その内容については一切把握していなかった。

恐らく、嘘の情報を吹き込まれていいように利用されていただけだったのだろう。


しかし、見方を変えれば、そのでっちあげられた嘘に真のような信憑性を持たせる程度には、フェリックスには確固な人望も実績もあったということである。


現に彼は、FIRE BIRDプロジェクトに着手する以前までは、確かに人々の命を救ってきた。

フェリックスの開発した薬で明るい未来を迎えられたという人間も世界中に大勢いる。


だからこそ、今の今まで、フェリックスの内に秘められた恐ろしい本性に誰も気付くことができなかったのだ。

彼が笑顔で語る美しい嘘に、誰も疑いの目を向けなかった。



とどのつまり、シグリム創立メンバーの殆どは、フェリックスに騙されていたということだ。


プリムローズも、シャッカルーガも、ロードナイトもクロカワも。

フェリックスの表の顔を信用して、知らず知らず悪徳の片棒を担がされていた。

そしてそれは、ここにいるエヒトを含む、後に各州の主席の座を引き継いだ者達も同様に。


現在ミリィ達が調査に向かっているラムジークを始めとした、ガオ、ブラックモアの疑惑の三強を除いては。



「アンリ・ハシェ君。

情けない話ですが、我々には彼らを止める手立てがない。

こんなことは許されないと知っていても、この老骨には、悪党と正面から戦う力がないのです。

……ですが、君達が代わりに立ち上がってくれるというのなら、我々キルシュネライトの民は、全力で君達の味方をします。

微々たるお手伝いしかできませんが、我が家で良ければ、いつでも隠れ家としてお使いください。

無責任な期待を押し付けてしまうことを、どうか許してくださいね」



改めて姿勢を正すと、エヒトはアンリ達一行に向かって深々と頭を下げた。



「こちらこそ、巻き込んでしまって申し訳ありません。頭を上げてください、エヒトさん。

我々は元より孤軍の身。味方をすると言って下さるだけでも、とても頼もしいです。

お心遣い、痛み入ります」


「ああ、ありがとう。そう言ってもらえると、随分肩の荷が下ります。

うちは最近、ロードナイトと良い関係を築かせてもらっているから。いざという時は我々の味方をしてくれるよう、ミカ君にもそれとなくお願いしておきますよ」



エヒトがロードナイトの話題を出すと、ウォレスがすかさず横から茶々を入れた。



「お願いというか、どうせいつもの賄賂でしょう?」


「賄賂?」


「ロードナイトの今の主席、エヒトさんの個人的なファンなんですよ。

あの偏屈な青年が心を開いてくれたのだって、エヒトさんが自分の著作で餌付けしたからですし」



ウォレスが皮肉るような目でエヒトを見ると、エヒトは変わらず穏やかな調子で飄々と言ってのけた。



「使えるものは使わないとね。

ともかく、彼は少し変わった感性を持った人だけれど、信用できる。

流石にまだプロジェクトのことを明かすわけにはいかないが、私が一言助けてと言えば、彼ならきっと助けにきてくれるはずだ。味方は多いに越したことはないからね」



ロードナイト州三代目主席、ミカ・ロードナイト。

偏屈で無愛想、朴念仁な人嫌いと、周囲からそれはそれは冷ややかな印象を持たれ、実際そのイメージに違わない独特なキャラクターである彼が、友人であるスラクシンのライナスを置いて、唯一心を開いている人物。

それがエヒトだった。


最早変態の域に達する程の秀才であるミカは、よく勉強の合間に読書に耽っているらしく、中でもエヒトの著作が大のお気に入りなんだとか。


その縁から、初めて対面を果たした数年前に、エヒトは手土産として自身のサイン入り短編集をミカにプレゼントした。

すると、その粋な計らいにミカは大層喜んで、以来エヒトの舎弟のように懐くようになったというわけなのだ。


他州との交流に力を入れているシャノンですら、ミカへのアプローチには随分苦戦させられているそうだから、エヒトが間を取り持ってくれるとなれば願ったり叶ったりだ。


ミカを懐柔することができれば、彼の友人のライナスもきっと手を貸してくれるはず。

エヒトも言うように味方は多いに越したことはないので、二人もバックに付いてくれればとても頼もしい。



アンリは、当初想像していたイメージと違い、エヒトもウォレスも実は情に厚い人間であることを知って、彼らと接触したのは間違いじゃなかったと心から安堵した。



「それから、ウォレスさん。エヒトさん。

最後にもう二つ、答えて頂きたい質問があるのですが、よろしいですか」


「ああ、いいですよ。ここまでべらべらと喋った以上、今更隠すこともありませんしね。

で、なんです?」



張り詰めていた空気がようやく解けてきたのを見計らって、アンリは最後の確認をするため身を乗り出した。



「先程お話して頂いた感じですと、ウォレスさんはゼロワン本人との面識はないんですね?

直接会ったことはなくても、顔は知っているとか、人づてにどういう人間なのか印象を聞いたことは?」


「ああ、そういえば一番肝心なことを話していませんでしたね。

残念ながら、貴方の言う通り、私はゼロワンの正体についてはほとんど知りません。

資料室に保管されていたデータは、あくまで実験の経過に基づく成育の記録であって、根本的なプロフィールは記載されていなかったんです。

恐らく、その辺のデータはゴーシャークの奴らが懐に仕舞っているんでしょう。なにせ、極秘中の極秘事項ですから。

がっかりさせて申し訳ない」



アンリが気に掛かっていたのは、今までの話の中で、ゼロワン本人のプロフィールに触れた話題が一切出てこなかったことだった。


しかし、それもそのはず。

ウォレスが徹底的に洗い出したという特別資料室の中には、ゼロワンの基本的なプロフィールを記したものだけが一切置かれていなかったのだ。


ゼロワンという呼称が仮称であるならば、本名は。

性別、血液型、外見的特徴は。

普段は表で日常生活を送らせているというなら、今はどこに暮らしているのか。

学生なのか、それとも既に自活しているのか。


最も重要な部分だけ、ごっそりと抜き取られている。

ウォレスも言うように、ゼロワンの個人的な情報については指令官よりも上の立場にある者だけが掌握しているのだろう。

それ以外の人間には、絶対に口外されない。


故に、ウォレスが把握できている情報はあくまでプロジェクトの内情のみで、ゼロワンに関するデータはまだまだ不明な点が多いということだ。



「では、近頃シグリム全域で、相次いで猟奇殺人事件が発生していることはご存じですか」



一つ目の問いに答えられないならと、アンリは続けて二つ目の質問をウォレスに投げ掛けた。

すると、ウォレスとエヒトは途端に閉口し、怪訝な表情を浮かべて互いに顔を見合わせた。



「……いや、それは初耳です。エヒトさん知ってましたか?」


「いいえ。私もそんな話は聞いたことがありません。

殺人事件というと、時期はいつ頃からなんでしょう。何故公にされていないのか……」


「やはり、主席にすらこの話は届いていませんでしたか」



本当になにも知らない様子のウォレスとエヒトを見て、アンリは少し肩を落とした。


先日、ここキルシュネライトで新たな殺人事件が発生したので、主席であるエヒトならば、もしかすれば情報が入っているかもと思っていたのだが。

どうやら向こうの隠蔽工作は、こちらが想像していた以上に徹底されているらしい。


となると、恐らくエヒト同様に、他の州の主席も事件のことは認知していないはずだ。

もっと大きな形で世間に発覚していれば、それぞれの主席は事件究明のため、そして犯人確保のため、早急に対応しているだろうから。



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