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オルクス  作者: 和達譲
Side:A
168/326

Episode26-9:ドクターウルフマン



「ウォレスさんが退職された際には、上からなにも言われなかったんですか?脅迫紛いに引き留められたりだとか」


「一応は考え直すように言われましたが、念のため一芝居打ったおかげで、辞職の理由はさほど疑われませんでしたよ」


「芝居?」


「さっきも申しました通り、ビビって腰が引けてしまったという旨をやや誇張して訴えただけです。

いつかは皆あいつに殺される、自分はこんなところでみすみす死にたくない、と恐怖で気が変になったフリをして、自分はもう研究員として役に立たないということを遠回しにアピールした。

お蔭様で、辞表を出してもすんなり受理してもらえましたよ。使えない奴はばっさり切り捨てるという彼らの冷酷なやり方が、ここにきて初めて良い方向に働いた。

……それに、私のような取るに足らない人間に構っている暇はなかったでしょうしね」



ウォレス曰く、ゼロワンの引き起こした殺戮事件に恐れ戦いた芝居を打ったおかげで、突然の辞職願いにも上官は納得したという。


この程度のハプニングで動揺しているようでは、この先手下として使いものにならないだろうと。

仕方なく受け入れるというよりは、むしろお払い箱のような扱いに近かったそうだ。


無論、プロジェクトの秘密を知ったウォレスを、彼らがみすみす解放してやるはずはなく。

エヒトの庇護下にある今も、決して安全とは言い切れないのが現状である。


表立って監視されるようなことは今のところないらしいが、もし外部に情報が漏れた場合、真っ先に疑われるのはウォレスだろう。

辞職願いが受理された際にもプロジェクトの内容は絶対に他言するなと再三警告されたそうなので、それを破ったことが発覚すればウォレスは相当危ない立場になる。


もしアンリ達がこの情報を持ち出して、ウォレスが裏切ったことが知れたなら、その時は問答無用で命を狙いにくる可能性もある。

アンリ達との面会を一度は断ったのは、それを危惧したからでもあったのだ。



「とにかく。彼らは恐らく今でも、ゼロワンを本物の不死鳥に育てるために研究を続けているはずです。

ゴーシャークの奴らの所業には、流石の私も吐き気を覚えましたが。例の実験によって得た収穫も少なからずありますから」


「それは?」


「先程は話の順序をややこしくしないために省略しましたが、ゼロワンは驚異的な回復力の他に、人知を越えた特異な体質も備えていましてね。

分裂し、壊れてしまった細胞を、自力で修復することができたんですよ」


「……それはつまり、細胞が無限に増殖するということですか?

でも、増殖し続ける細胞は…」


「人の場合、多くが癌化します。ですが、ゼロワンの体にはその変異が見られなかった。

ゴーシャークの実験による物理的な破壊行為と、その際に受けた強い精神的ストレスにより、ゼロワンの細胞は一時的にかなり壊死します。

しかし、肉体の自己回復と同時に細胞が一気に増殖することで、減少した分を埋め合わせることができたのです。

癌細胞が無限増殖するのは、俗に細胞の不死化が起こるためですが、ゼロワンのこの現象は不死化によるものではない。

死んだ分だけ、新しい細胞が生まれるんですよ。それこそ、フェニックスが炎に包まれて、再び命を芽吹かせるようにね」



細胞の長短と老化現象の関係性についてはまだ明らかになっていないが、動物の細胞は時の経過と共に分裂を繰り返し、それに比例して肉体の老化が進んでいくという説がある。


だが、ゼロワンの場合は、消費した分だけ新しい細胞が作られるため、老化の進行が人より遅いという研究結果が出たのだ。


本来、人の細胞が無限増殖する場合には癌化などのリスクが伴うが、ゼロワンにはその変異が見られなかったという。


度重なる破壊と再生。

その行為を繰り返し強いたことにより活性化した細胞は、生まれ変わる度に強度が増して、段階を踏む毎に壊れにくくなっていった。


つまり。



「当時はまだ、壊死した分が再生した分を上回っていたため、老化も一般人と同様に進んでいたが…。徐々に再生が壊死した分に追い付くようになっていった。

この調子でいくと、恐らく死んだ分だけ完璧に埋め合わせることが可能になり、リスクのない細胞の無限増殖と同義になる」


「あと、どれくらいの年月でそれは実現するんですか」


「その後の実験の程度や頻度にもよるが、私が在籍していた当時と変わらないペースで今も続けられていると仮定するなら…。

恐らく、20歳前後の時期に、ゼロワンの老化は完全にストップする。この世で最も、不老不死に近い存在になる」



細胞が壊死した分だけ完璧に再生し、埋め合わせが利くようになれば、ゼロワンの老化はその時点で停止する。

平たく言うと、半永久的に若さを維持した状態が続くということだ。


ウォレスの見立てによれば、その現象が起こり得る可能性があるのはゼロワンが20歳を迎えた頃だという。

つまり、現時点でその年齢に達しているゼロワンは、少なくとも不老の肉体は既に得ているかもしれないのである。



「プロジェクトの内情は、今やゼロワンを中心に動いていると言っていい。ゼロワン以上のポテンシャルを秘めた子供が今後生まれる可能性は、ほぼゼロですからね。

だったら、より優秀な土台を新しく作るよりも、既存のものを最高形に整える方が確実だ。

……さて、私のここに入っている情報は大体明らかにしましたが、どうです?

私としてはかなりかい摘んでご説明したつもりですが、物足りないようならもっと詳細にお話して差し上げますよ」



ウォレスは、ここにきて区切りを付けるように手を打つと、自分のこめかみ部分を指先でとんとんと叩いた。

とりあえず、頭の中に入っている情報はこれで全部ということらしい。


今までノンストップでウォレスの話を拝聴していたアンリ達は、その言葉を聞いて一斉に溜め息を吐いた。

一方、ぶっ通しで話し続けていたウォレスはというと、意外と平気な風だった。

足を組み直し、豪快に椅子の背もたれに体重をかける姿は、まだまだ余裕といった感じだ。



すると、ぐったりと頭を抱えるアンリを見て、椅子に座り直したエヒトがおもむろに口を開いた。



「大丈夫ですか?何度も驚いたり、悲しい気持ちになったりして、疲れたでしょう。

後で美味しいケーキでもお出ししますので、今はもっと楽になさっていいですよ」


「……エヒトさんも、彼に事の顛末は伺っていたんですよね」


「ええ。だからこうして側にいるのです。

全ての発起人である君のお父上は亡くなられましたが、彼の意志を継いだ新しいボスが、いつウォレス君を捕まえにくるかわかりませんからね」


「……その新しいボスっていうのは、」


「それは、君もよくご存知でしょう。

今や彼は、かつてフェリックス・キングスコートの右腕だった男ではない。最早、フェリックス氏の生き写しですよ」



エヒトの口から出た言葉を聞いて、アンリは勢いよく起き上がった。


かつてフェリックスの右腕として力を尽くした男。

ということは、やはり現在のプロジェクトを指揮しているのは彼で間違いないらしい。


その瞬間、短い銀髪と群青の広い背中が、アンリの脳裏に閃光のようにちらついた。



「ヴィクトールは、貴方にも接触してきましたか?」


「はい。一度だけね。

ウォレス君が研究所を辞めて間もない頃に、わざわざ私の屋敷まで訪ねに来たんですよ。

そこで、少し話をしました。今まさに、我々がいるこの部屋でね」


「彼はなんと?」


「……突然いなくなったウォレス君の安否を心配していましたよ。建て前ではね。

ですが、彼の本来の目的は、恐らくウォレス君が今どこにいるかを探るためだったんでしょう。

ウォレス君と親しい間柄の私なら、現在のウォレス君の所在も知っていると思ったんでしょうね。何度も鎌をかけられました」


「それで、エヒトさんはどうなさったんですか」


「勿論、適当にはぐらかして切り抜けましたよ。

私も友人の一人として、彼がどこでなにをしているのか心配しているんですと言ったら、腑に落ちない顔をしながらもしぶしぶ納得して帰っていきました」



エヒトがにこやかに当時を振り返ると、ニヒルな笑みを浮かべたウォレスが鼻で笑った。



「そしてそのやり取りを、私もそこの隠し扉の向こうからこっそり盗み聞きしていたというわけです。

すぐ近くに本人がいるのに、私も友人の安否が心配ですだなんて言うんだから。タヌキもいいところですよ、ほんと」


「けれど、その狸のおかげで、君はこうして無事でいられるんですから。

たまにはしおらしく感謝してくれてもいいと思いませんか?」



エヒトが目を細めて言うと、ウォレスもやれやれと肩を竦めた。



「そりゃー当然感謝してますよ。

プロジェクトのメンバーと同じくらい、貴方は敵に回すと恐ろしい人です」



ウォレスが突如として研究所を去り、誰にも行き先を告げずに雲隠れした後。

しはらく経ったある日に、ヴィクトールが何の前触れもなくエヒトの屋敷を訪ねて来たらしい。


辞職願いを提出した際、酷く混乱して情緒不安定に陥っていたそうなので、その後の彼がどうしているのか心配しているのだと。

口ではウォレスの健康を気にかけるようなことを言っていたらしいが、本当の目的は恐らく、ウォレスの所在を割り出すことだったんだろうとエヒトは語る。


しかし、何度それとなく問い詰められてもエヒトは口を割らなかったため、最後にはヴィクトールも諦めて帰っていったという。


だが、見つけ出してどうにかする気ではなかったにせよ、ヴィクトールはエヒトにも揺さぶりをかけることで、間接的にウォレスに釘を刺していったのだ。

下手な真似をすれば、お前だけでなくお前の大切な友人もただでは済まないからなと。


意外にもあっさりと引き上げていったのは、最初から二人に対する牽制が目的だったのかもしれない。



そしてそのやり取りを、先程出て来た隠し扉の向こうからこっそり窺っていたウォレスは、いつエヒトの嘘が見抜かれるかと内心ヒヤヒヤしていたそうだ。


エヒトが巧みな話術でかわしてくれたおかげで、ここに匿われていることはバレずに済んだようだが、猜疑心の強いヴィクトールのことだ。

油断したウォレスが迂闊に外を出歩こうものなら、あっという間にそれを見つけ出して、今度こそ絶対に逃すことはないだろう。



今は既に終わったことなので、エヒトもウォレスも淡々と話しているが、二人ともやや笑顔が引き攣っている。



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