Episode26-6:ドクターウルフマン
「そこで私は、彼女の逃亡先が割り出せないのなら、そもそも何故彼女が脱走したのか、その原因を探ることにしたんです。
これまで通り研究を続ける傍ら、アイコをおかしくさせた毒をあぶり出すために裏でこそこそと嗅ぎ回った。
そのために費やした期間というのが、さっき言った空白の3年間ですよ」
闇雲に藍子の所在を探し回っても埒が明かないと判断したウォレスは、手がかりを得るため自分は研究所に残ることを決めた。
あんな意味深な忠言を受けた後では、正直いつまでも残留したくはなかった。
彼女の言葉通り、一刻も早く辞職を願い出るべきかとも思った。
だが、友人の謎の行動の訳を解明しないままでは引き下がれなかったのだ。
以降ウォレスは、表では今まで通りを装いながら、藍子が脱走するまでに至った経緯がなんであるのか密かに調べ始めた。
彼女が最後に携わった、ゼロツー誕生に関するデータを重点的に。
「当時のアイコの気持ちを悟った時、彼女が残した忠告の本当の意味を、私はようやく理解した。
我々はずっと騙されていたんですよ。プロジェクトの総指揮官である、君のお父上にね」
「………。騙されていたとは、どういう意味でしょうか」
「まず一つは、代理母体の人選についてです。
我々はその役を買って出てくれた女性達のことを、ボランティア団体のメンバーだと思っていた。いや、思わされていた。
妊娠不良に悩む主婦や、結婚はしてないが子供は欲しいという独身女性。
そんな彼女らに、確実に妊娠できる手段で自分の子供を与えてやる。代わりに、生まれた子供から研究に必要なデータを採取させてもらうと。所謂ギブアンドテイクの関係で成り立っているのだと、当初は思っていました。
ところがです。蓋を開けてみれば、そんな話は全くのデタラメ。
実験に協力した女性達は全員命を落とし、生まれた子供も例外なく死んでいる。
流産か、死産か。もしくは出産されて間もなく、研究員達の手によって無慈悲に葬られたか。
……生んだ母親も、生まれた子供も。結果として全員死んだんですよ。
FIRE BIRDプロジェクトに参加した被験体の中で、その後も無事だったのはゼロワンとゼロツー。そして、アイコだけだったんです」
ウォレスの説明の中に一つ引っ掛かる点を見付けたアンリは、怪訝に眉を潜めた。
「………一つ、質問をしてもいいですか」
「なんです?」
「仮に、今の作り話が事実だったとしても、矛盾が生じていませんか?
ボランティアとして協力してくれた女性達は皆、自分の子供が欲しくてプロジェクトに参加した、ということですよね。
しかしそれは、体外受精による代理出産で、遺伝子的にはただの他人です。いくら子供が欲しいからといって、見ず知らずの男女の子を出産するというのは、……。
抵抗がなかったんでしょうか?」
アンリのもっともな質問にウォレスは短く閉口し、確かにというように頷いた。
「そうですね。ですが、今の時代そういった輩も一定数存在する、というのもまた事実です。
血縁に関係なく、単純にスペックを重視した子供を欲しがる連中もいる。実の子でなくとも、優秀であればそれでいいという、良い意味ではさっぱりとした価値観を持った奴らがね。
それに、この話は我々を納得させるためにでっちあげた、ただの作り話だ。君の意見も一理あるが、問題はそこじゃない」
「………わかりました」
ウォレスを含むリトルアウルのメンバーは、漏れなくフェリックスから偽りの情報を吹き込まれ、事実とは全く異なる認識を持ったまま研究を行っていたという。
土台となる赤ん坊はあくまで人様の子で、必要なデータを提供してもらった後は、協力してくれた代理母達の元へ引き取られるものだと。
子供を欲していた彼女達の元で、今後は普通の人間としての人生を歩んでいくのだと。そう信じていた。
しかし、現実はその真逆。
代理母体として選ばれた女性達はボランティアなどではなく、生まれてくる子供達に健やかな未来など訪れない。
全ては真っ赤な嘘。
誰一人として幸せにならない、非道で残酷な命の冒涜。
その事実を知った時、ウォレスは当時の藍子がどのような心境であったかを身を以て知った。
「では、リトルアウル以外の部署はどうだったんでしょう。
代理出産を実行していたマグパイの面々は、当然全てを承知の上で実験を行っていたのでしょうが…。
もう一つのゴーシャークは?彼らも、リトルアウルと同様に嘘で丸め込まれていた可能性は?」
「いえ。恐らく、騙されていたのは我々だけです。
実際に作業を担当していたマグパイが黒であるのは間違いないですが、ゴーシャークの連中も全てを承知していたと思います。
彼らはフェリックス氏の側近の集まり。つまりは、あの方の右腕、左腕のようなものでしたから。
マグパイがフェリックス氏の信者であるとするなら、ゴーシャークは盲信者の集団です。
なにも知らなかったのは、我々リトルアウルのメンバーだけ。我々だけが、正義の名のもとに力を尽くしていると信じていた。
……自分の手元に送られた遺伝子が、どのようにして生まれたものであるのかも露知らずに」
フェリックスの掲げた信念のもと、このFIRE BIRDプロジェクトは始動した。
いつの日か、本物の不死鳥がこの世に希望を齎してくれるようにと、三羽の鳥が切磋琢磨して夢を追い掛けた。
だが、その内の一羽が見ていた夢は、嘘に上塗りされた幻想だった。
"全人類が、平等に立って歩ける世界を"
"この世から、避けられぬ窮地を、抗えぬ不幸を一掃し、皆が眠るような穏やかな最期を迎えられるように"
"我々研究者が世界平和のために貢献できること"
"それは、病気を治すこと。誰しもが平等に、健康でいられる万能薬を作ることだ"
これは、FIRE BIRDプロジェクトを本格的に始動させる際に、フェリックスが立てた計画の指標である。
全人類が平等に生きることが不可能ならば、全人類が等しく苦痛のない死を迎えられる世界にしたい、と。
そんなフェリックスの情熱とカリスマ性に魅入られ、世界中の研究者が世界平和のための手伝いをさせてほしいと名乗りを上げた。
実はそれが、表向きに飾られた綺麗事であるとは思わずに。
「ハイせんせー、私からも質問」
そこへ、シャオがわざわざ挙手をしてウォレスに質問を投げ掛けた。
「なんでしょう」
「先生が研究所をお辞めになった動機は大体分かりましたけど、そのゴーシャークって連中は具体的になにをやってたんです?
土台のポテンシャルを底上げするための云々、とかってさっきは仰ってましたけど、なにをどうすればステータスは伸びるんですか?
まさかただ高等教育を受けさせるだけじゃないですよね」
ウォレスが研究所を辞めた理由は、自分達の犯した罪を自覚したからだった。
これまで誠心誠意努めてきた万能薬の開発が、実は数多の屍の上に成り立っていたなどという事実を知っては、こんなことはもう続けられないと思った。
人の命を救いたいと始めたことのはずなのに、これではなんのために研究を続けているのかわからないと。
「……ああ、そうですね。彼らの所業についても、きちんとお話するべきでした」
ウォレスは、シャオの質問に小さく頷いて、エヒトに煎れてもらった二杯目の紅茶を一口飲んでから、再び椅子の背もたれに寄り掛かった。
「───ここで少し話は戻りますが、私が研究所に3年も留まっていた理由です」
「例のマグパイの件を調べるために費やした期間、じゃないんですか?」
「それもありますが、私にとって3年という月日は、階級を上げるために要した最低限の日数でもあります。
言ったでしょう?裏でこそこそと嗅ぎ回りながら、表では今まで通り従順な一研究員を装っていたと。
あれから私は、マグパイの実態を把握してからもう少しだけ我慢をして、フェリックス氏の側近と同等の地位まで上り詰めました。
大した成果は残してないですが、一度だけ、ワクチン精製の障害となっていた問題点を解決したことがありましてね。
それが評価されて、私はリトルアウルの幹部から一段階上の、指令官の座にランクアップすることができたんです」
「……意思があってもすぐにお辞めにならなかったのは、上に近付くために時間が必要だったからなんですね」
「ええ。予定より随分手間取りましたが、結果としては思惑通りに事が運びました。
これで、まだ幹部だった頃には立ち入ることを許されなかった、特別資料室への出入りが可能になった。
プライドを捨ててまで上司に取り入ったのは、そのためです」
フェリックスの側近にのみ出入りが許されていたという、研究所内部にある特別資料室。
ウォレスがじっと息を潜めて機会を窺っていたのは、その部屋の中にある物を確かめるためだった。
残念ながらフェリックスは4年前に亡くなってしまったので、彼から直接話を聞くことはできなくなってしまったが、彼の側近達ならばきっと全ての情報を把握している。
そこでウォレスは、フェリックスの側近だったゴーシャークのメンバーに取り入って、彼らに認めてもらえるよう地道に努力を重ねた。
やがてその努力が実を結び、3年がかりで目的の地位まで登り詰めた。
ウォレス曰く"指令官"というのは、全部署に配置されている各幹部達に、文字通り総指揮官からの指令を伝達することを任されている役職である。
階級順に言えば、生前のフェリックスが唯一その立場にあった"総指揮官"が、プロジェクト最上位の役職。
次に、ゴーシャークのメンバーとして名を連ねているフェリックスの"側近"達と、話に出た"指令官"がほぼ同等の階級にあり、上記三つの役職の下に、各部署に配置された"幹部"がいるとのこと。
ウォレスが在籍していた当時の各定員は、幹部のメンバーが11人、指令官が5人、ゴーシャークが13人という体制で組織されていたらしい。
幹部よりもゴーシャークの人数が多いのは、マグパイとリトルアウルとで定員を分けている幹部と違い、ゴーシャークはメンバー全員がフェリックスの側近で構成されている組織だからである。
ゼロツーの件で二階級の昇進を果たし、ウォレスと同じく指令官となった当時の藍子も例の特別資料室に立ち入った。
先程ウォレスが語っていた"確信"というのは、かつて藍子も見たであろう極秘データを自分も確認するため、という意味だったのだ。
「これまでずっとベールに包まれていたゴーシャークの実態が、そこでようやく明らかになった。並びに、ゼロワンの正体についてもね」
「例の特別資料室に、関連するデータが保管されていたということですか」
「ええそうです。……気になるのは、アイコのことですか?」
「はい。彼女も、特別資料室にある資料を洗ったそうですが、彼女の遺書にはゼロツーに関する情報しか記されていませんでした。
だとすると、ゼロワンやゴーシャークについてのデータは見落としてしまった、ということでしょうか?」
アンリの疑問にウォレスは一度首を傾げたが、もしやという顔で続けた。
「いや、抜かりのないアイコのことだ。うっかり見落とすなんて初歩的なミスは犯さないだろう。
恐らく、彼女はもう一つの存在には気が付かなかったんでしょう」
「もう一つの存在?」
「特別資料室は、全部で三カ所あるんですよ。
過去の代理母体に関するデータと、ゼロツーの情報を纏めたデータ。それから、ゴーシャークの実験記録、及びゼロワンの情報を纏めたデータと、計三つ。
見落とすという表現を当て嵌めるとするなら、彼女は資料の中から項目を見落としたのではなく、ゼロワンのデータが保管されている資料室そのものを見落としたのだと推察できます」
当時のことを思い出しながら話しているのか、冷静な口ぶりとは裏腹に、ウォレスの全身からは微かに怒りのオーラが滲んでいた。




