Episode26-5:ドクターウルフマン
「なるほど…。ウォレスさんと鷺沼氏は、通称リトルアウルと呼ばれる部署で、共にワクチンの精製作業を行っていたということですね」
「そうです。全部署の中で、最も構成員の人数が多かったのがリトルアウルでした。
私が在籍していた当時にも、メンバーはざっと80人近くはいましたか」
「ちなみに、そのリトルアウルの責任者は誰だったんでしょうか?
ウォレスさんが任されていたわけでは…」
「いいや。管轄は大まかに三つの部署に区分されていると言いましたが、そこから更に、部署毎に細かく担当が分けられていましてね。
特にリトルアウルでは、作業工程が複雑だった分チームの数も多かった」
「つまり、ウォレスさんは数いるチームリーダーの一人に過ぎず、組織を管理するほどの立場にはなかったと?」
「そういうことです。
分かりやすく言うと、我々の関係は所謂、あれですね。契約農家と卸し業者、そしてレストランの厨房係。
契約農家の"マグパイ"が材料の作物を作って出荷し、マグパイから仕入れた作物を、卸売り業者である"ゴーシャーク"が審査して、品質を保証する。
そして、ゴーシャークが我々、レストラン"リトルアウル"に自慢の品を納入し、我々は彼らが用意したみずみずしい作物に下ごしらえ、調理、盛り付けをして、料理を完成させる」
アンリとウォレスの淡々としたやり取りを聞いて、シャオが横から茶々を入れる。
「で、さっき言ってたチームっていうのは、材料の下ごしらえをするバイトと、調理担当の正社員、最後に全部をチェックして整えるコック長みたいなもんだ、ってことでしょ?
そんでもって、その農家と業者と飯屋をまるっと全部管理してるのが、株式会社FIRE BIRDプロジェクトのオーナー、フェリックス・キングスコート」
「ガッハッハッハ!そうだよその通り!私が率いていたのは、リトルアウルの調理担当チームだ」
シャオの皮肉めいた冗談を聞いて、ウォレスが初めて声を上げて笑った。
どうやらアンリの推測通り、この二人は少し波長が似ているようだ。
互いにリアリストで軽口を好む辺り、通ずるところがあるのかもしれない。
「……まあ、下ごしらえを任されていた下っ端の連中と比べれば、ちょっとは偉い立場にありましたがね。それでも、オーナーにとっては手駒の一つに過ぎない。
幹部は他に十八人もいたわけですし、私一人が突然辞表を出したところで、プロジェクト自体が倒れたりはしないんですよ」
ウォレスは、一同にFIRE BIRDプロジェクトの流れを分かりやすく説明するため、それぞれの部署を飲食業の経営に例えて話した。
土台となる試験管ベビーを量産する部署、通称マグパイは、材料の作物を育てている契約農家。
土台の地力を底上げするための実験を行っている部署、通称ゴーシャークは、カササギが育てた作物の品質をチェックし、出来の良いものだけを選別して卸す仲介業者。
ワクチンの精製作業を行う部署、通称リトルアウルは、一般客に提供しても問題のないレシピを考案し、ゴーシャークが保証した作物を調理する飲食店だと。
ちなみに、前述の"作物"というのは、暫定二名の実験成功者、被験体ゼロワンとゼロツーのことを指している。
"一般客への提供"というのは、一般人への流通のことを指している。
FIRE BIRDプロジェクトに参加した当初からリトルアウルに所属し、一貫してワクチンの精製作業に当たっていたウォレスは、後に"下ごしらえ"から"調理担当"のチームに移動し、程なくしてチームリーダーへと昇格した。
その後、"調理場"を仕切る立場となったウォレスの元へ、新人の藍子がやって来た。
しかし、一個のチームを率いるリーダーに昇格したとはいえ、その程度では特別な権限が付与されなかった。
ウォレス曰く、自分と同格の幹部は他に何人もいたとのこと。
"オーナー"であるフェリックスに直接意見ができるのは、幹部よりも更に階級が上の側近のみであったという。
「それで、そのワクチンは結局どうなったんですか?
未だに成功していないのか、それとも一般には流通していないだけで、既に完成したものを隠し持ってるのか…」
「それはなんとも言えないね。
少なくとも、私が現場を退くまでは、完成なんて夢のまた夢でしたよ。理論上は有り得ない話でしたからね。
何度繰り返しても失敗続きで、中には半信半疑で作業してた奴も少なくなかったはずです。現に私がそうだった」
本人の話によると、ウォレスが研究所に在籍していた頃までは、ワクチン開発は絶望的なほど捗っていなかったという。
故に、あのままの調子でいけば、突破口が見付かるまで向こう10年以上は要するだろうというのがウォレスの見立てだ。
ただ、ウォレスが抜けて以降の研究所については一切情報がない。
その後彼らが問題点を解決するに至ったのなら、10年という猶予は短縮している可能性がある。
最悪の場合、この2年の間に、完成を目前に控えた段階まで進められていることも有り得る。
「しかし今もそうとは限らない…。
ウォレスさんが研究所をお辞めになった時期は、厳密にいつ頃だったんですか?」
「2年前です。2年前の3月10日」
「2年前……。差し支えなければ、辞職の訳も伺いたいのですが…」
「……差し支えるもなにも、その辺のことも全部引っくるめて、私に話を聞きに来たんでしょう?」
何故2年前という半端な時期に研究所を辞めたのか。
アンリが理由を尋ねると、ウォレスは先程まで浮かべていた余裕な笑みを引っ込めた。
「……本当なら、5年前には既に辞める意思があったんですけどね。
それでも、すぐに出ていかなかったのは、確信が欲しかったからです」
「5年前ということは、鷺沼氏がゼロツーを連れて逃亡した時期と重なりますね」
「ええそうです。私があそこを辞めたいと思うようになったのは、彼女からの忠告を受けて目を覚ましたからだった」
ウォレスがこのFIRE BIRDプロジェクトを脱退しようと意思を固めたのは、今から約5年前。
だが、正式に辞職が認められたのは、それから3年が経過してのことだった。
そして、ウォレスが辞職の決意をした理由と、その上で3年もの間ずるずると研究所に留まった訳。
これら全てに鷺沼藍子の存在が深く関係していた。
「───7年前。アイコがゼロツーの代理母体として、候補に上がったという話を聞いた時。私は心底驚きました。無論本人もね。
だが、"候補に選出"なんていうのは、所詮ただのポーズに過ぎない。名前が上げられた時点で、それは既に確定していたようなものですから、本人の意思は最初から度外視だったんです。
能力は折り紙付きでも、当時の彼女はまだまだ下っ端の新人。上官からの要求に逆らうことはできなかった。
故に彼女は、奴らの"提案"という名の"命令"に従うしかなかったんです。
これは名誉ある仕事で、きっと自分にしか成し遂げられない使命なんだと、自らに言い聞かせてね」
「彼女をその候補として選んだのは、例のマグパイですか?」
「直接本人に言い渡したのはマグパイの奴らだったそうですが、あいつらに人選の権利はない。
恐らく、君のお父上のご意向だったんでしょう。総指揮官の采配とあらば、拒否権はないも同然だ」
藍子に事情を説明したのはマグパイの幹部だったが、そもそも彼女を指名したのはフェリックス本人だろうとウォレスは言う。
代理母体に相応しいと見込まれた女性達の人選は、殆ど総指揮官であるフェリックスが自ら行っていたそうだから。
「その後、アイコはゼロツーの母体として務めを果たし、無事に二人目の実験成功体を世に誕生させた。
前例のゼロワンの時にも、母親の方は後に命を落としたそうですから、母子共に健康というケースはプロジェクト始まって以来の快挙でした。
……期待以上の成果に研究所は湧き、アイコは功績を讃えられて一気に昇進した。
ゼロツーの誕生を機に、彼女は上司の私よりも階級が上がって、立場を一変させてしまったんです。
そして、消えた」
「……鷺沼氏が研究所から脱走したのは、ゼロツーが生まれて間もなくの頃でしたね」
「彼女が姿を消して以降のことは、なにも知りません。
どこへ逃げたのかも、どこで暮らしていたのかも。そもそも、今も生きているのかどうかすらわからなかった。
先日の、倉杜花藍のニュースを目にするまではね」
「ウォレスさんと鷺沼氏はご友人だったそうですが、貴方にも一切事情を明かさなかったんですか」
「ええ。誰にも、なにも告げずに、ひっそりと霧に紛れるように消えてしまった。生まれたばかりのゼロツーと共にね。
……ただ、行方をくらます直前、私にだけ意味深な忠告を残していったんです。
これ以上ここにいてはいけない。出来るだけ早く、あなたもここから逃げた方がいい。
ここは地獄だ、とね」
第一の実験成功体、ゼロワンの母体となった女性については、残念ながら極秘中の極秘事項であったため、幹部のウォレスでも詳細は把握できなかった。
ただ、その女性がゼロワンを出産して間もなくに死亡したというデータだけは明かされていたため、母子共に健康で実験を成功させた藍子は、同僚達の間で一時期英雄のように持て囃されたらしい。
しかし、ゼロツーの誕生により予期せぬ昇格を果たした藍子は、その結果を純粋に誉としなかった。
フェリックスの新しい側近として名前が上がる日も近いだろうと、周囲で囁かれ始めた直後に彼女は突然姿を消したのだ。
生まれたばかりのゼロツーを連れて。
藍子と最も親しかったウォレスでさえ、当初は彼女が脱走を企てた理由が全くわからなかったという。
まして、ゼロツーを無理矢理誘拐していくだなんて。
それは、誰より慎重で常識人だった彼女からは想像もつかない、常軌を逸した行動だった。
けれど藍子は、研究所を飛び出して以降の消息は完璧に絶ってしまったものの、友人のウォレスにだけは唯一、直前に意味深な忠言を残していたという。
「顔面蒼白で、なにかに怯えるように全身を震わせていた。彼女のあんな姿は見たことがなかったから、すぐにこれはただ事ではないと理解した。
けれど、いくら問い詰めても、彼女はそれ以上のことは教えてくれなかった。
ただ、私達のやってきたことは間違いだったと、壊れた機械のように自分を責める言葉ばかりを繰り返すだけだった。
……後に、アイコがゼロツーをさらって研究所から脱走したという話を聞き、私は内密に、一人で彼女の行方を探すことにしました。
ですが、聡明で賢い彼女は、この世に自分が存在した痕跡を一切残さずに、見事に我々の前から姿を消してしまった。
……それで、私は納得しました。先日の彼女の様子がおかしかったのは、これの予兆だったんだと」
"鷺沼藍子"という本来の姿を捨ててまで、彼女は全力で逃亡した。
研究所もまた全力で彼女の行方を探したが、全くの別人として新たな人生を歩み始めた彼女を見付けることは、雲を掴むよりも困難なことだった。
やがて、ウォレスが再び藍子の姿を目にした時には、既に彼女はこの世界のどこにも存在しなかった。
皮肉にも、倉杜花藍の不幸な死を悼むニュースを見てようやく、ウォレスは彼女が今まで無事に生きていたということを知ったのである。




