Episode26-4:ドクターウルフマン
プロジェクトにおける組織の名称についてですが、ずっと和名にするか英名にするかで悩んでいたので、このたび英語に変更することにしました。
混乱させてしまうかもしれませんが、意味は大体当初のものを英名にしただけなので、そんなに変わりはありません。
ただ、ハイタカだった部分はゴーシャーク(和名でオオタカ)に、トラフズクだった部分はリトルアウル(和名でコキンメフクロウ)に変えたので、そこは種類も違っています。
自分でやってて頭が痛いですが、所詮呼び名だからそんなに気にする必要ないな、くらいに気楽に受け入れて頂けると幸いです。
「その質問の答えでしたら、一応イエスとだけ。あれは文字通り、パンドラの"箱"でした。
FIRE BIRDプロジェクトの概要も、プロジェクトの実験により誕生したとされる、ゼロワン、ゼロツーと呼ばれる存在についても。
鷺沼氏が、直筆の遺言書と共にいくつかの資料を遺してくれたおかげで、一連の経緯はおおよそ把握できています。
……自らの死期が間近に迫っていることを予感した彼女は、その箱の中に全てを詰め込んで、この世に証拠として残した。そしてそれを、唯一私の弟にだけ託した。
彼女の愛娘、倉杜朔の身柄と共に」
「………。君の弟って、一体何者なんです。
キングスコート家の嫡男に弟がいたなんて話も初耳ですが、彼女が唯一心を開いた相手ということは、二人はただの知り合いじゃなかったんでしょう?」
「弟と彼女の間にどれほどの絆があったのかは、私には分かりません。
ただ、彼女からその"箱"を受け取るまで、弟は彼女のことを普通の女性だと思っていましたよ。
普通の、どこにでもいる、か弱く強い母親だと」
無表情で俯いていたウォレスが、ようやく面を上げてアンリと視線を合わせる。
アンリは、初めてミリィと出会った時のことを思い返しながら話を続けた。
「弟の名は、ミレイシャ・コールマン。
私の腹違いの兄弟で、フェリックスと、キングスコート家の小間使いだった女性との間に生まれた子供です。
公にはその存在が伏せられてきたので、弟はこれまで自分の父親が誰なのかを知らずに、キングスコートの一族とは一切関わりのない生活を送っていました。
ですが、彼の唯一の肉親であった母親が、先日急病により他界してしまった。
彼女はとても健康な女性だったそうですが、万一の事態に備え、遺言書を認めていたといいます。真実をひた隠しにしたままでは、死ぬに死にきれないと。
そこで初めて、弟は自らの出自を知った。母親の知られざる過去も、長年謎に包まれていた父親の正体についても、全て。
つい最近のことです」
彼の最愛の母が亡くなってから、まだ数日と経っていなかったあの日。
コールマン親子に突如降り懸かった不幸と、俺の導きが重なったのは偶然のことだった。
けれど、当時の彼にとって俺は、いくら兄といえど招かれざる客だったに違いない。
あの時、自分が弟の元に会いに行っていなければ。
出会っていなければ、今頃の俺達はどこでどうしていたのだろうかと。
あれから何度か考えた。
自分には事情を説明する義務があるとか、忠告をしてやらなければ、いずれ危険な目に遭うかもしれないとか。
事前にいくつかの大義名分は用意していったが、そんなものは所詮後付けの理由に過ぎなかった。
当時の俺は、ただあいつに会いたかっただけだ。
理屈じゃなく、今やこの世でたった一人、自分と血を分けた唯一の存在とやらに、俺はただ会ってみたかっただけだった。
そして、結果的に俺が、あいつをこっちの世界に引きずり込んだ。
父の秘密を解き明かし、父を中心に渦巻いていたという大きな陰謀を、野望を、全て解体して明らかにする。
俺とミーシャが初めて出会った雨の日。
当初は自分一人でなんとかしようとしていたその挑戦に、あいつは自分も協力したいと名乗りを上げてくれた。
そんなものはただの妄想だと、馬鹿なことを言うなと呆れられてもおかしくない話だと、本人ですら後ろめたく思っていたのに。
なのに弟は、嘲るどころか俺の正義に賛同すると言ってくれた。
例え世界そのものを敵に回すことになったとしても、自分だけはどんなことがあっても味方をしてやると、言ってくれた。
俺は、ミーシャのその心意気を嬉しく思い、同時にとても心強く感じた。
この先もずっと、吹けば消えてしまうような希望だけを糧にして、勝算のない孤軍奮闘が続いていくのだろうと覚悟していたから。
だが、よく考えてみれば。
俺と出会わなければ、あいつは今もミレイシャ・コールマンという普通の青年として、平穏な日々を送れていたのかもしれない。
大切な弟を危険に晒したくないと思って、接近したはずだった。
自分が警告をしてやることで、目に見えない悪からあいつを遠ざけてやれると思っていた。
しかしだ。
最近は、俺が近付いていく程に、却ってあいつを底のない闇の中へと引き寄せてしまっている気がする。
むしろ、俺が側にいる方が、あいつの人生は徐々に狂っている気がする。
全てが間違いだった、とは言わない。
わざわざ俺が告げに行かずとも、いずれはあいつも自分で自分のルーツを見付けただろう。
あのまま無視をして放っておけば、父の意志を継いだヴィクトールが先に捕まえていたかもしれない。
なにより、ミーシャ本人が俺と同じ道を行くと、同じ敵に立ち向かうと決めたのだから。
今更思い悩んだところで無意味だと、頭ではわかっているのだけれど。
こうして岐路に立たされる度に、今の自分の行動は果たして正解なのかと、つい足がすくんでしまいそうになる時がある。
「兄弟、か。あの方の忘れ形見は、君一人だけじゃなかったんですね。
その口ぶりだと、君と弟が知り合ったのも最近のことなんでしょう?」
「ええ。会ってまだ一年も経ってません」
「……それで、あの方の秘密を暴くために、兄弟で協力してここまで辿り着いたというわけですか」
ミリィの存在については今まで明かしていなかったが、アンリ達が何故フェリックスの裏の顔を探っているかについては、既にウォレスも把握している。
先日、ウォレス抜きでエヒトと交渉をした際に、事の顛末を大方話してあるのだ。
なので、ウォレスはエヒトから事情を又聞きしたのである。
「───正直、私は今少しほっとしていますよ。
あの方のご子息が、なにやら私の身辺を嗅ぎ回っているようだと知った時には、生きた心地がしなかった。
私のくだらない人生にも、そろそろ幕が引かれる時が来たかと、割と本気で思ったくらいです」
「……それは、私があのフェリックス・キングスコートの息子、だからですか」
「ええ。一体どんな悪辣非道を引き連れてやって来るのかと思えば。似ているのは精々、その赤い髪くらいのものですね。
本当に、あの方の血を引いているのか疑わしくなるほど、君は正常な人間だ」
アンリの問いに、ウォレスは自分の髪を指先で摘まみながら答えた。
今のところ、髪の色以外にキングスコート親子の共通点は見受けられないと。
そのやや蔑むような口ぶりから、彼がフェリックスに対して悪いイメージを持っていることが窺えるが、アンリ個人に対しては少しずつ気を許し始めているようだった。
ウォレス曰く、"あの方"の息子であるという割に、アンリはとてもまともな人物に見えるとのこと。
「それで、鷺沼藍子について知りたいんでしたね。
じゃあ彼女の娘の、あー。サク、でしたか?その子供のことはどこまで把握しています?」
「"仮称ゼロツー"。FIRE BIRDプロジェクト史上、通算二人目の被験成功体。
ここまで言えばお分かりでしょうか?」
「ああ、それでいい。間違ってませんよ」
アンリが簡潔に答えると、ウォレスは横目でエヒトに目配せした。
対しエヒトは、全て君に任せるとでも言うように小さく頷いた。
ウォレスもまたエヒトに頷き返すと、合わせた両手を自分の顔の前まで持っていって、まるでなにかを祈るようなポーズで指先を唇に宛がった。
「鷺沼藍子。仮称ゼロツーの代理母体にして、FIRE BIRDプロジェクト始まって以来の裏切り者と謗られた人物。
……当初は、フェリックス氏自ら目をかけたほど有能で、同僚達からも一目置かれた逸材だったんですがね。
例のゼロツーをさらって行方をくらましてからというもの、以後のラボでは、まるで戦犯のように囁かれるようになった。今じゃ立派な誘拐犯扱いですよ」
「ウォレスさんと鷺沼氏は同じ部署に配属されていたんですか?」
「ええ。例のプロジェクトは、大まかに三つの分野に持ち場が別れていましてね。部署別に、それぞれ鳥の名前が割り当てられていたんです。
簡単に言うと、プロジェクトに参加する研究員達の配属先を明瞭にするための組織名。所謂チームネームみたいなものですかね。
作業の工程は、……既にご存知かと思いますが。
ざっくり説明しますと、全ての根源となる土台の作成、基盤の底上げ、それからDNAの抽出の順に進められます。
土台の作成というのは、プロジェクトの大元となる試験管ベビーを量産することで、それを担当していた連中は"Magpie"と呼ばれていました。
基盤の底上げは、成功した土台…。つまりは、被験体ゼロワンとゼロツーのポテンシャルを、更に高めるための実験作業のことを指します。こいつらの名前は"Goshawk"です。
そして最後の、DNAの抽出というのは、おたくらの想像している通り、ワクチンの開発ですよ。
組織名は"Little owl"。流れ的には最終段階の作業になります。
プロジェクトに参加した研究員達は、それぞれこの三つの分野に別れて、手分けして作業を行っていた。
その中で、私とアイコが担当していたのが、最終調整とワクチンの開発。さっき言ったリトルアウルです。
全工程の内、これが最も難しい作業であったのは間違いありませんが、今思えば、一番気楽な仕事だったかもしれませんね」
ウォレス曰く、FIRE BIRDプロジェクトの参加者は、大まかに三つに区分された部署で手分けして作業に当たっていたとのこと。
部署別に名前が付けられているのは、プロジェクト参加者がそれぞれどの部署に配属されているかを明瞭にするため。
それが何故鳥の名前に当て嵌められていたのかについては、全ての起点となった不死鳥に肖ったことが由来だという。
試験管ベビーを量産する工程を任されていた部署は"マグパイ"と呼ばれ、同様に他二つの部署にも"ゴーシャーク"、"リトルアウル"の組織名があった。
そしてウォレスは、その内のリトルアウルのメンバーとしてプロジェクトに参加していた。
ウォレスと藍子が接点を持ったのは、当時ウォレスが率いていたチームに新人の藍子が配属されたことがきっかけ。
以降は同じラボで共にワクチン開発に努めていたらしい。
ウォレスと藍子が所属していた最終調整チーム、通称リトルアウルでは、ゼロワンとゼロツーから採取されたDNAを元にワクチンを精製する作業を任されていた。
もっとも、ゼロツーの方は誕生後間もなく藍子が連れ去ってしまったので、モデルとなるDNAは主にゼロワンから採取したもので賄われていたようだ。
しかし、これが成功するということは即ち、FIRE BIRDプロジェクトそのものの目的が、本懐が果たされるということでもある。
つまり、最終目標のワクチン精製という重要な工程で一個のチームを任されていたウォレスは、プロジェクト幹部の中でも相当な地位にあったということだ。




