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オルクス  作者: 和達譲
Side:A
162/326

Episode26-3:ドクターウルフマン



「では、せっかくなので私も内緒話に参加させてもらいましょうか。

人の秘密を拝聴するというのは、幾つになってもときめくものですね」


「相変わらず趣味の悪い年寄りだこと。

……それじゃ、私はまず何から話せばいいのかな?

おたくらは私に、具体的になにを聞きにきたんです?」



エヒトを邪険にしなかったアンリの態度が好感触だったのか、ウォレスは先程よりも少し柔らかくなった口調でアンリに問うた。


アンリは、短く思案してから意を決して切り出した。




「全て、ですね。

かつて貴方がキングスコートの研究所で行っていたこと、見聞きしたこと、全て。

そして、貴方の目に映っていたフェリックス・キングスコートとは、どのような人物だったのか。突然現場を退いて、匿ってもらわなければならない立場にまで追いやられたのは何故か。

余さず教えて頂きたい」




恐らく、このウォレス・フレイレという男に言葉遊びは通用しないだろう。


この手の肝が据わっているタイプは駆け引きや腹の探り合いに滅法強いため、生半可な揺さぶりには決して動じない。

故に、こちらが打算的な言い方をすれば、きっと彼もお茶を濁して返してくる。


掴み所のない軽薄な態度も、敢えて核心には触れようとしない無駄口の多さも。

全ては、こちらの動向を窺うために、わざと滑稽なピエロを演じてやっていること。



つまり、今アンリは、現在進行形でウォレスに度量を計られている。

彼から信用を試されているのだ。


エヒトの口利きでどうにか対面する段階まではこぎつけたものの、ウォレス自身はまだアンリのことを怪しんでいる。

お前は本当に、本気で自分とやり合う気があるのかと。


だからこそ、アンリも覚悟を決めて、彼に正面から挑むことにした。

こちらがいつまでも逃げ腰でいれば、軽い調子でまた煙に巻かれてしまうかもしれないから。



ウォレスは、品定めをするような目で改めてアンリの全身を眺めると、不敵に口角を上げて嫌みっぽく鼻を鳴らした。




「見かけによらず、意外と欲張りなお兄さんですね。

まあ、あれだけしつこく口説かれて今に至っているわけですから?どうせ、最初から全部欲しいって言うのは分かってましたけど。

……それはそうとして。別に洗いざらい吐いてやるのは構いませんが、一体どこからどこまでをお話すればいいんです?

私がまだ赤ん坊だった頃からの話となると、話し終えるのに少なくとも三日はかかると思いますが」



一応質問に答える気はあるようだが、ウォレスはわざと回りくどい物言いをして返答を渋った。

まるで、切羽詰まった様子のアンリをからかうように。


しかし、アンリとていつまでも相手のペースに振り回されてやるほど、気の長い男ではない。




「でしたら、これ以上煙に巻かれてしまう前に、俺の方から先導を引いて差し上げましょう。

単刀直入に伺います、ウォレスさん。

鷺沼藍子という名前の女性に、心当たりはありませんか?」



ウォレスの思惑や心境を大方見切ったアンリは、彼の調子に愛想よく付き合ってやるのをやめ、大胆に核心に迫っていった。


すると、"鷺沼藍子"という名前に反応したのか、今度こそウォレスは心底驚いた表情を見せた。




「……確かに、俺はフェリックス・キングスコートの一人息子です。

数年前までは、いつかは自分が彼の後を継ぎ、この国の首都を任される予定にありましたし、俺自身そのつもりでした。

ですが、そうなる前に、俺は彼との縁を切った。あの人が実はどういう人間なのか、理解する前に別れてしまったんです。

……ウォレスさん。たった今会ったばかりの相手を、すぐに信用しろというのは難しいことだと分かっています。心を開けとは言いません。

ただ、これだけは信じてください。

貴方が彼と、フェリックスと深い因縁があるように、俺にとってもあの人は、今や宿敵とも呼ぶべき相手なんです。実の父だからといって容赦するつもりはないし、庇う気もない。

本人亡き今、彼の意志を継いだ者が他にいるのなら。フェリックスの掲げた野望に賛同し、我々の前に立ちはだかる存在が尚あるのなら。我々は、そいつらも纏めて叩き潰すつもりです。

敵の敵は味方、ですよ。ウォレスさん」




この場にいる全員の耳に、アンリの声が、言葉が、深く重く浸透していく。


フェリックスとウォレスの間に一体なにがあったのか。それは当人達にしか知りえないことだ。

それでも、今のアンリの言葉は、確かに本心から口にしたものだった。


ウォレスがここまで執拗にアンリを訝る理由。

それは恐らく、アンリがフェリックスにとって、表向きには唯一の忘れ形見であるからだ。


いくら自分は無関係だと主張したところで、二人が血の繋がった親子である事実は変わらないし、アンリがフェリックスの手先でないという確かな証拠もない。


口ではフェリックスのことを嫌悪するようなことを言いながら、実はアンリこそが、誰よりフェリックスを盲信していた信者かもしれないのだ。



ただ、アンリの表情を見て、ウォレスにも一つだけ確実だと思えるものがあった。


彼は嘘をついていない。

実の父を宿敵だと語る言葉も、悪は決して許さないという決意も、目付きも。

真剣に訴える等身大の彼は今、己の身を守る鎧も剣も投げ捨てて、丸裸も同然で自分と向き合っているのだと。




「───なるほど。どうやら嘘は言っていないようですね。事前にエヒトさんから聞いていた通りだ。

……もし、おたくらが全くの無知の無謀で、その上で私に一から教えてほしいと頭を下げたなら。ぶっちゃけ面倒くさいので、適当にはぐらかしてさっさと追い返してやろうと思ってたんですが。

たった今、気が変わりました。

鷺沼藍子の名前を知っているなら話は早い」



ウォレスは白衣の衿を正すと、組んでいた足を下ろして眼鏡をかけ直した。


アンリは、このような状況は以前にも経験した覚えがあるなと、隣に座るシャオのことを一瞥してから自らも背筋を伸ばした。




「先に確認させてほしいんですが、ちなみに彼女のことはどこで知ったんです?」


「鷺沼藍子、という本名を知ったのはつい先日のことですが…。

実は、私の弟が彼女と知り合いでしてね。弟を介して、我々も彼女と接点を持ったんです。

素性を隠し、倉杜花藍という偽名を名乗って、プリムローズでご息女と静かに暮らしていたそうですよ」



予想を上回るアンリの返答に、ウォレスは再び驚いた表情を見せた。




「これは驚いた。

……そうですか。貴方のご兄弟が彼女と…。世間は狭いですね。

ということは、先日プリムローズで殺害された女性というのが…」


「はい。倉杜花藍と鷺沼藍子は、同一人物です。

公には突発的な強盗殺人として報道されていますが、恐らく、彼女を手に掛けた犯人は研究所の関係者でしょう」


「………。そのニュースを見た時から、もしやとは思っていたんです。この女性、アイコに似ている気がすると。

それがまさか、他人の空似ではなく、本当に本人だったとは。

きっと今もどこかで生きているだろうとは思ってましたが、……そうですか。

ついこの間まで、この世界で生きていたんですね、彼女は」




アンリの言葉を聞いて、ウォレスは全身の力が抜けたようにずるずると背もたれに沈んでいった。


先日プリムローズで発生した強盗殺人事件については把握していたようで、倉杜花藍という名前にも聞き覚えがあったらしい。


ただ、その殺害された倉杜花藍と、自分の知る鷺沼藍子が同一人物であるとは思わなかったようだ。

二人の外見がよく似ていたことから一度はもしやとも考えたらしいが、やはり確信を持つには至らなかったと。


ウォレスのこのリアクションを見る限り、どうやら彼と彼女の間には、ただの同僚としてではなくそれ以上の特別な感情や関係があったことが窺えた。

藍子のことを自然にファーストネームで呼んだことといい、ウォレスは生前の彼女と個人的な付き合いもあったのかもしれない。




「その件でしたら、現地以外の州ではあまり大々的に報じられなかったのですが…。

まだ犯人が捕まっていないということもあって、我がキルシュネライトでも、先日注意喚起のニュースが流されたんですよ。

その時に、被害者の女性の顔を拝見させて頂きました。

ウォレス君も私も、狐につままれたような思いをしましたよ」



感慨深げに天井を仰ぐウォレスの代わりに、エヒトがアンリに話し掛けた。




「エヒトさんも、以前の彼女と交流があったんですか?」


「交流、というほどの接点は、私にはありませんでしたが。

ウォレス君が彼女と親しかったので、その縁で一度我が家に招待させてもらったことがあるんです」



エヒトによると、やはりウォレスと藍子は親しい間柄にあったらしい。


なにせ、あの人間不信のウォレスが、唯一の友人であるエヒトに彼女を紹介したほどだ。

よほどの信頼関係がない限り、そういうことにはならないだろう。




「友人だったんですか?彼女と」


「友人ってほどのものじゃあないですよ。お互い、他にまともな奴がいなかったから、自然と話すようになっただけです。彼女以外の同僚は、本当に虫酸の走る輩ばかりでしたからね。

……それで、彼女の娘というのは今どうしているんです?アイコが奴らの手にかかったとなれば、娘だって無事じゃ済まないでしょう」



アンリの問いに、ウォレスは淡々と返した。

アンリの隣では、シャオが自分の紅茶に口を付けながら、ウォレスの一挙一動をさりげなく観察している。




「そこは心配ありません。現在は、私の弟が身柄を保護して一緒にいます。

頼もしい味方も引き連れているので、弟の側にいる限りは、ご息女は安全のはずです」




アンリが答え終えると同時に、今まで大人しくしていたシャオがある行動を起こした。

アンリの靴の側面を、自分の靴の爪先で二回小突いたのだ。


これは事前に示し合わせていた秘密の合図であり、ウォレスが今後こちらにとって敵になりうるか否かをジャッジした際に、シャオがその旨を知らせるための手段だった。


シャオがアンリの靴を小突いた場合には肯定、シャオが自分の足を左に組んだ場合には否定を表す。

つまり今の合図は、ウォレスのことは信用しても大丈夫だという意図を示している。


一流の情報屋である前に人間観察のプロでもあるシャオが駄目押しをしたとなれば、ほぼ間違いなくウォレスとエヒトは潔白ということになる。

世間的に後ろめたい事情はあるにせよ、少なくとも今後アンリ達の敵に回ることはないはずだ。



アンリは、シャオからの合図に気付くと、内心ほっと胸を撫で下ろした。




「……その様子だと、アイコの秘密の過去も、彼女の娘の正体についても、おたくらは既に把握済みなんでしょう。

……見ましたね?パンドラの箱になにが仕舞われていたのか、その中身を」




逆光できらりと光ったレンズの向こうに、ウォレスの虚ろな瞳がある。


アンリは、シャオに一瞬目配せをすると、ウォレスに言い聞かせるように答えた。


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