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オルクス  作者: 和達譲
Side:A
161/326

Episode26-2:ドクターウルフマン



「………はい、確かに。

何度も疑うような真似をしてしまって申し訳ない。どうか気を悪くしないでくださいね」


「滅相もありません。

……それで、我々のことは信用して頂けるものと、解釈してよろしいのですね?」


「ええ。信じますよ。

フェリックス・キングスコート氏のご子息としてではなく、アンリ・ハシェさんという、一人の対等な人間としてね」




事前のアポイントメントで既に承諾は得ていたのだが、エヒトは今のアンリの姿を見て、より確信を持ったようだった。

彼が自分達にとって害をなさない、信頼に足る人物であると。



「(この短期間になにがあったのかはわからないが、どうやら以前よりも自分の目的がはっきりしたようだ)」



今のエヒトの目に映るアンリは、二月前に見た時よりも一皮向けた逞しい姿になっていた。




「───ウォレス君。出てきていいですよ」




エヒトが独り言のように呟くと、彼の背後にある本棚の一つがギギギと重厚な物音を立てて横にスライドしていった。


やがて、動いた本棚が隣の本棚の前にぴったり重なると、その奥にある薄暗い空間が一行の前に現れた。


隠し扉の向こうにあったのは、地下室へと続く階段。

この扉の開閉は内側から操作する仕様になっているようで、一連の動きにエヒトは一切干渉していない。



その後、しばしの間を置いて、階段からゆっくりと一人分の足音が上がってきた。


足音が止まると同時に姿を見せたのは、アンリ達がずっと接触を狙っていた、ある男だった。




「紹介します。

彼が、私の友人の───」


「ウォレス・フレイレという。

遠路遥々ようこそ?リスキーでマニアックなお客人」




エヒトに促され、芝居がかった風に頭を下げた彼こそが、今の今まで雲隠れを続けていた重要人物。

ウォレス・フレイレその人で間違いない。


ウォレスは、初めて相見える一行を順に眺めていくと、ソファーの中央に座っているアンリに対してのみ、なにやら意味深な視線を送った。


それから、軽快な足取りで書斎の奥へと歩いていくと、エヒトのデスクから備え付けの回転椅子を引きずって持ってきた。




「ウォレス君。わざわざそれを持ち出さなくても、ちゃんとしたリクライニングチェアーがすぐそこにありますよ」



我が物顔で自分の持ち物を扱うウォレスに対し、エヒトは特に怒ることなく声をかけた。

ウォレスもウォレスで、まるで自宅にいるように慣れた様子で、持ってきた椅子を一行とエヒトの間に横付けした。




「ああいいんですよ私はこれで。

そのでっかいのはどうにも座り心地が微妙ですし、私はこの椅子が尻にフィットする感じがお気に入りなんです」



そう言ってウォレスが豪快に椅子に座ると、椅子の背凭れからギシリと軋んだ音が鳴った。




「そうですか。相変わらず変わった人ですね、君は」


「私は別に変わっちゃいませんよ。変なのは私よりも世の中の方です」



エヒトと小気味のいい会話を展開するウォレスは、アンリ達の予想とは裏腹にとても飄々としていた。


事情があって匿われている立場だと聞いていたので、もっと嫌々顔を出してくるのかと思いきや。

実物の彼の振る舞いはいっそ豪傑なほどで、アンリは完全に不意打ちを食らった気分だった。



するとウォレスは、改めてアンリ一行の方に向き直ると、両手を椅子のひじ掛けに置いて足を組んだ。




「ああ、驚かせてしまって申し訳ないね。

この人こういう仕掛けとかが大好きなもんで、ここの他にも隠し扉はいくつかあるんですよ。日本の忍者屋敷みたいなの。

良かったら皆さんにも後で見せてあげますよ」


「………ああ、それは、どうも。

……貴方が、ウォレス・フレイレさんでよろしいんですね?

我々は───」



アンリが挨拶をしようと立ち上がると、ウォレスは食い気味に返事を被せてきた。




「ハイハイ知ってますよ。エヒトさんからもう大体の話は聞いてるんで。

そちらから順にホワイトフィールドさん、マルククセラさん、レインウォーターさん、キングスコートさん、オスカリウスさんでしょ?

聞いてた通り珍妙なご一団みたいですね。特に彼」




ウォレスは、自分の右手に並んでいるアンリ一行に向かって、奥から順に遠慮なく指を差していった。

そして最後に、もう一度力強くジュリアンの方を指差すと、不思議そうに首を傾げた。



体格的に唯一ソファーからあぶれてしまったジュリアンは、ソファー横に置かれた一人掛けの椅子に縮まって座っている。


おまけにそれが、テーブル越しとはいえウォレスの正面の位置にあるものだから、必然的に彼と向かい合う形になってしまっているのだ。




「今時ハロウィーンでもないのにこんな妙ちくりんなもの身に付けてるなんて、よっぽど外の空気が不味いってことなんですかね?」



ウォレスは、ジュリアンのガスマスク姿が気になるらしく、動物園の熊でも眺めるような目付きでジュリアンを凝視した。


しかしジュリアンは、ウォレスの視線から逃れるように俯いているため、両者の視線が交わることはない。



一方アンリは、急にまくし立ててきたウォレスにタイミングを奪われ、仕方なく挨拶を中断して着席した。


その様子を見て、隣にいるシャオが顔を背けて小さく吹き出した。




「………ま、いいや。見た目が面白いのは彼だけじゃないしね」



ジュリアンにそっぽを向かれて仕方なく椅子に座り直したウォレスは、足で床を蹴って椅子を回転させると、再びアンリ達に向き合った。




「じゃあ、こちらも改めて自己紹介させてもらいますよ。

私がウォレス・フレイレです。そっくりさんじゃなくてちゃんと本人ですから安心してください。

こんな物騒な顔とナリをしているものだから、人からはよくマッドサイエンティストとかアサシンだとかって言われて怖がられますけど、昔の同僚からは"ドクターウルフマン"なんていうカッコイイあだ名で呼ばれてたりもしました。

まあそれも、現場を退いた今となっては過去の話ですがね。

どうぞよろしく」




迷いも淀みもない早口な口調で告げると、ウォレスは組んだ足の上で両手を合わせて不気味に微笑んだ。



ウォレス・フレイレ。

ポルトガル系の33歳。独身。


青白い肌にスラリと伸びた長い手足。

エヒトのものと揃いのような、古風な丸眼鏡。

見るからに堅そうな毛質の銀髪はワックスで逆立っており、真っ青で切れ長な目はぎょろりと鋭く、大きな口から時折除く犬歯はまるで野性の狼のよう。


服装は、藍色のカッターシャツに黄色のネクタイ、細身のチノパンツ姿で、シャツの上にはサスペンダーと着崩した白衣を纏っている。


その出で立ちは、本人の言うようにマッドサイエンティストか、険しい顔付きからアサシンと呼ばれるのが妥当な感じで、とてもまともな学者には見えなかった。



"ドクターウルフマン"。医者の狼男。


文字通り狼のような顔立ちと、その野性的な見た目とは裏腹の白衣姿がミスマッチであることから、昔の同僚が彼のことをそう呼び始めたのだという。


名は体を表すというか、まさにウォレスに相応しい異名だとアンリは思った。




「………ご丁寧にどうもありがとうございます。

この度は、我々のために貴重な時間を割いて頂いて、」



ウォレスのマシンガントークが途切れたタイミングを見計らって、アンリは一つ咳ばらいをして改めて切り出そうとした。


しかし。




「あーそういうのはいいですよ。政治家じゃないんだし、ただの民間人同士のお話合いなんですから、もっと気楽にいきましょう。

その代わり、私の対応の仕方が少々粗暴で気に障っても目をつむって流して頂けると助かります」




またしても返事を被せてきたウォレスに、ばっさりと一蹴されてしまったのだった。


こちらが無理を聞いてもらう立場なのだからと、アンリはウォレスの機嫌を損ねないよう下手に出たのだが、どうやら彼にその必要はなかったらしい。

どちらかと言うと、畏まられる方がウォレスにとっては迷惑のようだ。




「───わかりました。

では、お言葉に甘えて、私の長ったらしい社交辞令は割愛させて頂きます」


「ドーモ。話の分かる人は好きですよ。お互い賢くいきましょう」




相変わらずなにを考えているのか全く読めない態度で、ウォレスは自分の紅茶を美味しそうに味わった。

アンリは、思わず眉をしかめてしまいたくなるのをぐっと堪えると、貼り付けたような笑顔で頷いた。


すると、二人の漫才のようなやり取りが可笑しかったのか、シャオがまた小さく吹き出して、くつくつと喉を鳴らした。




「彼、見た目以上に食えない男かもね。あまりかっかするなよ」



愉しげに耳打ちしてくるシャオに、アンリは内心お前とタイプが似ている気がすると思った。




「不思議な人でしょう?」


「……そうですね。正直に言わせて頂きますと、今までに会ったことのないタイプです。

さすが有能な学者ともなると、パーソナルな部分も一筋縄ではいかないようですね」


「ははは。大抵の人はこの辺りで音を上げてしまうんですがね。君は我慢強い男のようだ」



エヒトの問い掛けにアンリが冷静に答えると、ウォレスは自分の扱いにやや不満そうな表情を見せた。




「なんです?エヒトさんその言い方。

まるで私を珍獣扱いじゃないですか。失敬な」


「珍獣も珍獣だろう。こんなにお喋りで小憎らしい狼なんて、他にはいませんよ」


「言いますねジジイ。減らず口はお互い様ですよ」




温厚で常識人のエヒトと、はっきり言って不躾で、変わり者のウォレス。

一見水と油のようなタイプの両者だが、ちぐはぐなように見えて意外と相性は良いらしい。


ウォレスはエヒトに対しては心を開いているようだし、エヒトも彼にジジイ呼ばわりされても怒る気配がない。

むしろ、彼の明け透けで生意気なキャラクターを気に入っている様子だ。


彼等が一体どこで出会って、どれほどの付き合いを経て今に至るのかは定かでないが、ここまで互いを尊重し合えるということは、純粋にエヒトはウォレスを、ウォレスはエヒトの人間性を好いているのだろう。



アンリは、ウォレスのこの態度はいかがなものかと心中でぼやきながらも、彼がエヒトと接している時の仕種を見て、どうやら悪人ではなさそうだと印象を改めた。




「じゃあ、減らず口のジジイはそろそろ席を外すとしますかね。

部外者がいると内緒話にならないでしょうし」


「いいえ、エヒトさん。

よろしければ、貴方もこのまま同席していてください」


「おや、いいんですか?用があるのは彼でしょう?

私がいると、話しづらいこともあるのでは?」


「まさか。私は最初からそのつもりでいましたよ。

……先程貴方は、我々のことを信じると言ってくださいました。ですから私も、貴方のことを信じます。

ウォレスさんとエヒトさん、是非お二方の視点からお話を伺いたい」




エヒトが気を遣って席を立とうとすると、アンリはそれを制止して、ウォレスだけじゃなくエヒトからも話が聞きたいのだと伝えた。


訳ありのウォレスを匿っていたのは、他でもないエヒトである。

彼なら当然ウォレスの事情を把握しているだろうし、そうとくればこちらも隠し事をする必要はない。


仮にウォレスの存在を抜きにしても、エヒトは生前のフェリックスと交流があったというし、きっと彼にしか語れないエピソードもあるはずだ。




「………。そういうことでしたら」



エヒトは、アンリに促されて退席を留まった。

ウォレスは、その展開が意外だったのか、ここにきて初めて驚いたように目を丸めた。


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