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オルクス  作者: 和達譲
Side:A
160/326

Episode26:ドクターウルフマン



11月11日。PM5:00。

プリムローズで再びミリィ達と別れたアンリ一行は、バシュレー家別邸を後にした足でキルシュネライト州へ向かった。


通称、本の街とも言われるここキルシュネライトは、初代メルヒオール・キルシュネライトが著名な小説家であったことから、同じく執筆活動によって収入を得ている作家が多く属している街である。


メルヒオールは現在は亡くなっているが、存命時は数々のヒット作を生み出した人気作家として知られ、その内映像化された作品は二桁にも上る。



そして、キルシュネライトが本の街として世間に認知されるに至ったもう一つの理由。

それは、メルヒオールが趣味で収集したとされる本が、下手な図書館よりも膨大な数を有していたということだった。


本を書くこと、そして読むことに人生最大の喜びを見出だしていた彼は、自らの統治する領地作りに着手する際、まさに本の山に埋もれるような生活がしたいからと、大枚を叩いて世界中の書物を買い漁った。


中には貴重な歴史文献等も含まれ、以前よりメルヒオールが所有していた分も合わせると、彼が生涯で集めた本の数はざっと300万冊にも上ると言われている。


残念ながら、残りの人生でその全てを読破することは叶わなかったようだが、到底個人が有したとは思えない本の山は、後にメルヒオールの遺言により半数近くがキルシュネライトの図書館に寄贈されたという。



ちなみに。

彼のお宝の残り半分が、大切に保管されているもう一つの場所。

それが、今アンリ一行の目の前に聳え立っている、ホラー映画にでも出てきそうな不気味な洋館だった。


そう。

この古めかしいが立派な屋敷こそが、キルシュネライト州二代目主席、エヒト・キルシュネライトの邸宅であり、以前アンリ達が一度訪れた場所。


生前はメルヒオールの住まいであったここを、今は彼の一人息子のエヒトが相続して暮らしているのである。




「───失礼します。

先日お電話差し上げたアンリ・ハシェです。約束通り伺いました」



後ろにマナ達を引き連れて、アンリは屋敷扉のドアノッカーを二回叩いた。


すると、庭先にたむろしていたカラスの群れが、家主よりも先にノックの音に反応して一斉に羽ばたいていった。




「ワアびっくりした。マジでなんなんだいこのお屋敷は?

カラスなんて久々に見たよ。しかもあんなにワラワラと」



前回は一人別行動を取っていたため、シャオがエヒト邸を訪問するのは今日が初めてのことだった。


一方、屋敷の独特な雰囲気に困惑する彼とは対照的に、アンリ達は全く動じていない。

二度目の訪問ともなれば、恐ろしげな佇まいにも慣れてしまったようだ。




「前の時は、シャオは一緒じゃなかったもんね。

でも、こないだ来た時もカラスはいっぱいいたよ。ここが好きなんじゃないかな」



カラスが飛び立っていく音にも一切驚くことなく、マナは冷静に呟いた。

シャオは怪訝に眉を潜めると、そわそわと辺りを見渡して自分の二の腕を撫でた。




「この怪しげな外観といい、マジでなんか出てきそうな感じだねえ。

幽霊の一人二人いた方がむしろ自然なくらいだよ」


「へえ。アンタ幽霊苦手なの?意外とかわいいところあるんじゃない」



珍しく平静でないシャオの様子を見て、ジャックは意地悪そうに口角を上げてからかった。

それに対しシャオは、ムッとした表情になってすぐに言い返した。




「あ、今鼻で笑ったねキミ?

別に私は幽霊が怖いんじゃなくて、そういうハッキリしない存在は扱い方がわからないから困るってだけで、」


「二人ともシッ!」




途中でマナが割って入ったため、シャオは仕方なく口を閉ざした。


間もなく、屋敷の中から足音が響いてきた。

ゆっくりとした歩調で、真っ直ぐにアンリ達のいる玄関へと向かって来る。


やがて扉が開かれると、壮年の男性が一人顔を出した。




「ああ、お待ちしていましたよ。どうぞ中へ」




出迎えてくれたのは、他ならぬこの屋敷の主人。

エヒト・キルシュネライト本人だった。






ーーーーー


すんなり屋敷の中へ通されたアンリ達は、エヒトに案内されて彼の書斎へと向かった。


エヒトの仕事場兼、彼にとって何よりの癒し空間となっているこの書斎には、部屋中の壁に沿って一分の隙間なく本棚が並べられている。

そこに敷き詰められた書物は、全て父メルヒオールから贈られたものであるとのこと。


ただし、書斎に保管された書物はあくまでメルヒオールの遺品の一部に過ぎないため、他の部屋にも溢れ返る程の本が眠っている。



ちなみに、今回のように来客があった際には、よくここを会合の場として使っているという。


確かに、部屋の空間自体は広々としているので、ちょっとした話し合いをするには悪くない場所かもしれない。

だが、いかんせん窓が一つもない上に、これだけの量の本に囲まれてしまうと、一般人はやや窮屈な感じを覚えてしまうだろう。


"本に埋もれるような暮らし"とは、まさにこのことだ。




「換気の悪いところで申し訳ないが、どうぞそちらに掛けてください」



エヒトは、部屋の中央にある応接スペースまでアンリ達を連れて来ると、彼等をソファーに座らせた。

片や自分は、その向かいにある大きなロッキングチェアに腰を下ろした。


応接スペースの更に奥には、仕事用と思われる立派なデスクが設置されている。

そこは前方以外を完全に本棚に包囲されているが、本人はやや手狭な空間の方が色々と捗るらしい。




「いや、いつもご足労頂いて申し訳ないね。

本を書くこと以外に取り柄のない老骨なもので、自分から外に出ていくのがつい億劫になってしまうのですよ」


「それはこちらの台詞です。ご多忙の中、我々の無理を聞き入れて下さって、感謝しています。

お体の具合は、あれからどうですか?お変わりはありませんか?」


「ああ、どうもありがとう。お蔭様で、ここ10年は風邪の一つも引いておりませんよ。

悪い病原菌を貰うほど、密には人と接していない生活なのでね。

………ところで、今日はお連れの方が一人多いようですが」



アンリの挨拶に穏やかに返しながら、エヒトはふとアンリの隣に座るシャオに視線を移した。


アンリがシャオに目配せすると、シャオは背もたれに掛けていた体重を少し浮かせてソファーに座り直した。




「ああ、そうなんです。毎度大勢で押しかけてしまって申し訳ありません。

ですが、ここにいる全員訳ありで、口は滅法堅いですから。ご安心ください」


「どうも。シャオライ・オスカリウスと申します。お会いできて光栄ですミスター。

こちらは皆見るからに胡散臭いのばかりですが、今彼がおっしゃったように秘密は厳守致しますので。安心して口を滑らせて頂いて結構ですよ」


「シャオ」



シャオがいつもの調子で軽口を叩くものだから、アンリは咎めるような声でシャオの名を呼んだ。

しかしエヒトは、失礼な物言いをするシャオに対しても寛容な姿勢を見せた。




「ああ、いいんですよ。この際堅苦しいのは抜きにしましょう。ユーモアのある若者は、私は好きです」




シャオに至っては今日が初対面となるが、前回アンリ達が急に押しかけた際にも、エヒトは紳士的に対応してくれた。



エヒト・キルシュネライト。

ドイツ系の御年63歳。


すらりとした長躯に、切れ長なブルーグリーンの瞳。

後ろで一纏めに結われたロマンスグレーの長髪、知性を感じさせるチェーン付きのモノクル。

髪と同色の眉と口髭も綺麗に整えられ、相手に清潔な印象を与える。


服装はシャツの上にフォレストグリーンのベストを着用し、下はスラックスのみとシンプルな出で立ち。

だが、年齢を感じさせないスマートな体型をしているおかげで、地味というよりは気品を感じさせる雰囲気である。



昔は愛妻家としても知られていた彼だが、妻とは10年以上前に死別してしまったらしく、以降は誰とも交際をしていないとのこと。

子供もいないため、現在は気ままな独り身生活を送っているのだと本人は語る。


父親のメルヒオールとの仲は特別良好というわけではなかったそうだが、互いに読書家であるという共通点があったおかげで、つかず離れずのバランスのとれた親子関係を築けていたという。


そして、エヒト自身の職業も、父メルヒオールと同じ作家。

数年前に映画化された彼の代表作は、全米一位を12週連続で獲得するほどの人気を博し、世界にその名を轟かせるきっかけとなった。



自分では自らのことを偏屈な年寄りだと謙遜するが、実際はとても情のある人物で人望も厚い。


メルヒオールからキルシュネライトの主席の座を引き継ぎ、およそ20年が経過しようとしている今もその人気は衰えることがなく、住人達からは生涯エヒトがこの街のリーダーで在り続けることを望まれている。


ただし、強いて欠点を上げるとするなら、本人も言うように出無精であることと、他州との交流に消極的であることだろう。

キルシュネライトでは絶大な支持を得ているエヒトが、他州ではただの変人のような印象を持たれているのもこのせいだ。




「このような辺鄙なところまでよく来てくれました。

堅物な爺様とそっぽを向かないでくださいね」


「とんでもない。こちらこそ、ユーモアと受け取って頂けて幸いです」



エヒトは、初対面のシャオとテーブル越しに握手を交わすと、大したものじゃないがと一行に温かい紅茶を振る舞った。




「───じゃあ、私のつまらない話は割愛して、早速だが本題に入りましょうか。

君達もあまりゆっくりしている時間はないのだろうからね」


「なにからなにまでお気遣い頂いて、恐縮です。

エヒトさんの個人的なお話も、機会があれば是非お聞かせ願いたいところですが…。

今はそうして頂けると、こちらとしては助かります」



紅茶を煎れたカップを一つ一つテーブルに置き、ティーポットをワゴンテーブルに戻すと、エヒトは眼鏡のブリッジを指で持ち上げた。




「前回いらした時にも、口が酸っぱくなるほど再三お願いしたことですがね。しつこいようですが、改めて確認をさせてほしい。

君達は、……君は、本当にあの方のことを知らないんですね?」



椅子に深く座り直したエヒトの表情が、ここにこて急に鋭いものに変わった。




「はい。お恥ずかしい話ですが、私と父の間には全くと言っていいほど接点がありませんでした。

我々がフレイレ氏とのコンタクトを望むのは、純粋に父が、フェリックスが何者であるかを知りたいからです。

そちらが我々を信じて下さるのであれば、我々も包み隠さず、全てをお話することを約束します」




前回の対面時に、こちらの事情はおおよそ伝えてある。

しかし、当時にはまだ判明していなかったFIRE BIRDプロジェクトの実態や、神隠しの真相については明かしていない。

エヒトの方も、持ち札を全て晒してはいない。


なにもかも包み隠さず打ち明けるか否かは、双方の出方によるところだ。


エヒトがアンリを、アンリがエヒトを互いに信用すれば、互いが欲している情報を共有することができる。


だが、もし裏切られれば。

ここで自分の秘密を明かしてしまうことは、後に自分の首を絞める結果を招くことに繋がる。



信じるべきか、訝るべきか。

この二月(ふたつき)の間にエヒトはよく考え、今回ようやく答えを出した。


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