Episode03-3:深まる謎と、古い鍵
ティーブレイク後。
はしゃぎ疲れて眠ってしまった朔を一人リビングに残し、花藍はミリィを伴ってある場所へと赴いた。
そこは、これといって変哲のない物置部屋だった。
二坪ほどの広さに、日用品や非常食などが数点。
小物は決まった順に配列され、掃除の行き届いた床には塵一つ落ちていない。
空気も意外と澄んでおり、多少長居をしても平気そうな環境が整っている。
流石に此処で生活をする気にはならなくとも、単なる物置にしては整然とした空間であると言えるだろう。
だが、それにしても客人を招き入れるに相応しい場所とは言えない。
一体なんのためにここへ?
内心疑問に思うミリィだったが、敢えて自分から問うことはせず、花藍が事情を説明してくれるのを待った。
すると花藍は、徐に上着ポケットの中身を探り始めた。
「ミリィくんに、これを」
そう言って花藍がミリィに手渡したのは、一つの小さな鍵だった。
テクノロジーが発達した現代において、実際に形を成す鍵で秘密を管理するのは、今や時代遅れとなりつつある。
ネットワークを通じたパスワード等を用いた方が手軽である上、盗難の恐れもないからだ。
しかし花藍が差し出してきたのは、紛れも無く金属製の鍵だった。
見るからにアンティークな造りで、くすんだゴールドの表面は一部塗装が剥げている。
つい最近作られたものではなさそうだ。
「これは……。なんの鍵だ?この扉の、じゃないよな」
ミリィは受け取った鍵を指先で摘まみ、もう一方の手で部屋の扉を叩いてみせた。
花藍は頷くと、話しながら車椅子を部屋の隅へと移動させた。
「ええ。それの使い道については、今説明するわ。
……悪いんだけど、これから私の指示に従ってくれる?」
「そんなに大掛かりなものを開けるのか?」
「大掛かりという程ではないけれど……。この通り、私は自由が利かないから。
朔がいない以上、どうしてもミリィくんの手を借りるしかないのよ。いいかしら?」
「そういうことなら喜んで」
「ありがとう」
ミリィの承諾を受け、花藍は室内に敷かれている深紅の絨毯を指差した。
「じゃあ最初に、そこの絨毯、めくってみてくれる?」
「これか?オッケー。失礼するね」
上に積まれていた木箱をずらしてから、ミリィは指示にあった絨毯をめくってみた。
隠されていたのは、床下収納の開け口と思われる大きな蓋だった。
「さっき渡した鍵はね、その扉を開けるためのものなの」
「へえー……。なんとも古めかしいな。こういう造りのは今時珍しい。
ここを開ければいいんだね?」
「そう。お願い」
その場に膝を着いたミリィは、貰った鍵を蓋の鍵穴に差し込み、解錠した。
そして摘まみ部分に指を引っ掛け、慎重に持ち上げていくと、ギシリと軋んだ音が室内に木霊した。
蓋を限界まで開けた先には、暗く物淋しい気配漂う無音の空間があった。
どうやら、物置部屋の下に更にもう一つ部屋が作られてあるらしい。
手前には、その階下へと続く短い階段が設けられている。
「見せたかったものって、これ?」
想像とは異なる光景を前に驚きつつ、ミリィは花藍に振り返って尋ねた。
ここは秘密の地下室なの、と花藍は答えた。
「降りてみるけど、いいんだよね?」
「ええ。足元気を付けて」
階段を下りていった先には、上の物置部屋よりも一回り広く、ひやりと肌寒いコンクリート張りの地下室が広がっていた。
置いてあるのは、棚が一つと、畳まれた毛布が二枚。加えて、鍵付きの大きな箱が一つだけ。
棚には保存食や飲料水などが並べられており、一週間は此処で篭城できそうな分が備蓄されている。
「ハアー……。これは驚いたな。本当に秘密の部屋だ。災害用のシェルターか何か?」
「そうね。まあ、そのようなものよ」
ミリィの声が地下室中に反響し、その様子を花藍が入口から俯瞰する。
間もなく、一通り地下室を見物したミリィが物置部屋へと戻った。
「このことは、私とあなたの秘密よ」
地下室の扉を閉めるミリィの背中に向かって、花藍は暗い声で呟いた。
めくった絨毯も全て元に戻したミリィは、全身に付いた煤を軽く払ってから花藍と向き合った。
「その鍵はね、世界に二つしかないの。
内の一つは朔が持ってる。だから、もう一つはあなたに持っていてほしいの」
「………オレは、いいけど…。
でも、どうしてオレに?花藍さんが自分で持っていればいいじゃないか」
花藍は首を振ると、虚ろに目を伏せて話し始めた。
「その地下室にはね、私の秘密を隠しておくの。誰にも言えない秘密を」
「……それで?」
「だからね、ミリィくん。私にもしものことがあったら、あなたにそれを拾いに来てほしいの。あなたにだけは、私の秘密を知ってほしい。
……そして、最後にはすべて葬って。この世からその痕跡を、代わりに消してほしいの」
"あなたにこんなことを頼む資格はないんだけれど"
"それでも、あなたしかいないの"
そう言って申し訳なさそうに俯くと、花藍は膝に乗せた手をぎゅっと握り締めた。
「本当に、オレでいいのか?もっと他に、信用できる相手に頼んだ方がいいんじゃないか?」
「信用できる人なら、確かに他にも何人かいるわ。
でも、このことを知ってほしいと思うのは、ミリィくんだけなの」
「理由は?」
「……ミリィくん、なにか隠しているでしょう?」
"私にだけじゃない。
他の誰にも打ち明けていないような、自分の胸の内にだけ潜めているような、大きな秘密。
そんな重いものを抱えながら、あなたは生きているでしょう?"
"だから、あなたに頼むの。
あなたならきっと、闇の中でも夜目が利きそうだから"
いつも朗らかな笑みを絶やさない花藍だが、彼女は時にこうして、何もかもを見透かすような目をすることがある。
相手の心臓を鷲掴みにするような、細い針で射るような鋭い目を。
それがミリィには恐ろしかった。
花藍の瞳に捕われた自分が、無防備な丸裸にされている気がして。迂闊に顔を合わせられなかった。
知られたくない。けれど知ってほしい。
いっそ全て暴露して、この人に本当の自分を曝け出してしまいたい。
そして丸ごと、醜態さえもを含めて受け止めてもらいたい。
相反する思いがミリィの胸中でとぐろを巻き、二の句を紡ぐことを躊躇わせる。
「オレ、は────」
彼女は知らない。けれど知っている。
自分が秘密を抱えているということを知っている。
その上で敢えて自分に頼むのは、彼女が自分に対して重要な何かを見出だしたということだ。
闇の中でも夜目が利く。
光がなくとも道を、我を見失わないという意味を持つ言葉。
その真意を今は知る由もないが、愛する女性が自分を唯一として頭を下げているのだから、断るという選択肢は最初からなかった。
「───わかった。花藍さんがそれでいいと決めたことなら、なにに換えても、あなたの秘密はオレが守ってみせる。心配しないで」
「……ありがとう、ミリィくん。迷惑をかけてばかりで、ごめんなさい。
本当に、あなたにはなんと言ったらいいか───」
「もー、花藍さん。頭を上げてよ。そういう堅苦しいのはナシナシ。
レディの秘め事を独占できるなんて、男にとってはこれ以上ない誉れなんだ。そんな思い詰めた顔をしないで」
おどけた調子で和ませるミリィに、思わず花藍の頬も綻ぶ。
「ふふ、ミリィくんは私なんかよりずっと大人ね。
感謝してもしきれないわ」
「えへへ、そーお?
……にしても、急にどうしたんだよ。もしものことって、花藍さんまだ若いじゃないか。縁起でもない」
「………。」
「……もしかして、病気なのか?」
また浮かない表情で俯いた花藍を見て、ミリィははっと声を潜めた。
花藍はすぐに違うのと首を振ったが、浮かない表情は変わらずだった。
「最近急に体調を悪くしたとか、そういうんじゃないの。
ただ、なんだか無性に……。嫌な予感がするというか、不安になる時があるのよ」
「なにかあったのか?」
「いいえ、特別なことはなにも。
けど、私はこんな体だから。まだそんな歳じゃないとは言っても、いつなにが起こるか分からない。
だから、取り返しのつかなくなる前に、できるだけのことをやっておきたいのよ」
"もう、私だけの問題ではないから"
胸に手を当てて語る彼女は、触れれば壊れてしまいそうでいて、紛れもなく母の姿をしていた。
「私になにかあった時には、その鍵を使って、ここへ来て。
私の大切なものを、すべてここに隠しておくから」
「わかった。肌身離さず持ってるよ」
「……それと、朔のことなんだけど」
自分の身にもしものことがあった場合、花藍にとって最も気掛かりとなるのは、やはり娘の朔の存在だった。
彼女、朔は故あって公的機関には所属していない。
過去には地元の小学校に通わせることも検討したそうだが、本人がそれを頑なに拒否したため、結局どこも入学までには至らなかったという。
花藍によると、いつも校内見学や体験入学の段階で体調を崩してしまい、団体行動を極端に忌避するような傾向が見られたのが原因だったとのこと。
以来、朔は日々の殆どを自宅で過ごし、最低限の知識や勉学は花藍が教師代わりとなることで身に付けている。
そんな朔の様子に花藍は強い責任を感じており、今の窮屈な生活を辛く感じていないだろうかと、よく心配していた。
「キャヴェンディッシュからは少し離れているけど…。エイデン通りにね、知り合いがいるの。
スタンフィールさんといってね、農業を営んでらっしゃるご夫婦よ」
「いざという時は、そこで朔の面倒をみてもらうってこと?」
「そういうことになるわ。さすがミリィくんは察しがいいわね。
……重ね重ね面倒をかけて、本当に申し訳ないのだけど。お願いしてもいいかしら」
「このこと、朔はどう思ってるんだ?」
「理解してくれたわ。ちゃんと一から説明した。
スタンフィールさんのお宅には、たまに伺っているから、お芋を作ってるお家に行くんだと言えば、朔が住所を案内してくれるわ」
花藍の言うスタンフィール家とは、フォーサイスでじゃが芋をメインに栽培している農家の老夫婦のことである。
以前から時たま作業の手伝いをしに伺うことがあるそうで、花藍達にとっては数少ない知人の一人に当たる。
「スタンフィール、だな。よし覚えた。
大丈夫だよ花藍さん。朔にはオレがついてるし、オレには頼りになる友人もいる。
後のことは任せてくれていい」
「……ありがとう、ミレイシャくん」
花藍の肩にミリィが優しく手を乗せると、花藍は目にうっすらと涙を浮かべて深く頭を下げた。
心からの安堵の表情。
よほど深刻に思い詰めていたと見える。
反して、ミリィの心中は複雑だった。
好きな人に頼ってもらえることは、素直に嬉しかった。
彼女からの頼みを面倒とは思わないし、頼まれたからには責任を持とうとも思った。
ただ、内心まだ腑に落ちてはいなかった。
本人の前では物分かりのいいふりをして、心の底では実は納得できていないのだ。
何故、このタイミングで遺言のように自分に語ったのか。
朔のことを思えば、将来を見据えて色々と準備しておきたい気持ちは分かる。
だが、それがあまりに具体的過ぎる気がするのだ。
まるで、そうなってしまう日が目前まで迫っているかのような口ぶり。
いつか、というよりは、近々そうなりそうだというニュアンスが感じられた。
「本当に、なんでもないんだよな?何となく、思い付いただけなんだよな?」
だとすれば、素直にそれを肯定することは出来ない。
なにか不安があるのなら拭ってやりたいし、危機が迫っているのなら共に回避する方法を考えたい。
花藍のことを一途に想い続けてきたミリィにとって、そんな考えが過るのは至極当然の事だった。
「ええ。ちょっと心配が過ぎるだけだから。どうか気にしないで」
けれど、いくらミリィが尋ねても、花藍は最後まではぐらかすばかりだった。
「───じゃあ、そろそろ戻るか。もうじき朔も起きる頃だろ」
「待って、ミリィくん」
物置部屋を後にしようとミリィが動き出すと、花藍はとっさにミリィの裾を掴んだ。
「最後にもう一つ、質問してもいい?」
「ん?」
「……ミリィくんは、朔のことをどう思う?」
上目がちに問い掛けてくる花藍。
ミリィは僅かに戸惑いつつも、感じるままを答えた。
「どうって……。好きだよ、もちろん。
歳の割にすごくしっかりしてるし、オレみたいな奴とも仲良くしてくれる。
実の妹みたいに思ってるよ。朔はいい子だ」
「……そう。そうよね。あの子は優しい子。
ありがとう。あなたにそう言ってもらえると、私も嬉しいわ」
"どうかこれからも朔と、仲良くしてあげてね"
眉下がりに微笑む花藍。
今日の彼女は、珍しく饒舌だった。
口を開けば、いつにも増して朔のことばかり。
ひょっとして、彼女の胸の内に巣喰う不安の芽は、あの少女とも関係しているのだろうか。
すっかり花藍の不安が伝染してしまったミリィは、これからはより二人の様子を小忠実に観察していこうと、改めて気の引き締まる思いだった。




