Episode25-5:肌でわかるんだよ
ヴァン曰く、実はこの街に足を踏み入れた当初から、どこからともなく見張られているような視線を感じていたらしい。
最初は遠巻きに窺ってくるだけ。
このホテルに通されてからは、ある場所を拠点として、本格的に監視してくるようになったと。
ヴァン達が現在宿泊しているホテルの、道路を挟んだ向かい側に隣接している高層マンション。
その一室から、恐らく男性と思われる謎の二人組が、ブラインドの隙間から望遠鏡を使ってこちらの様子を窺っていたのだという。
先程からヴァンが窓に張り付くようにして構えていたのも、この事態を敢えてバルド達に伝えなかったのもこれが理由だった。
素知らぬ顔をしながら、彼はさりげなく相手の動向をチェックしていたのだ。
「……本当に、俺達を監視してた奴らが、あのマンションのどこかにいたんだよな?」
ヴァンの説明を聞き、バルドは恐る恐るカーテンの隙間から外を確認した。
だが、辺りはすっかり暗くなっていて、どこになにがあるのか殆ど見えない状態だった。
「ああ。あの部屋だ。上から4番目の、右から6つ」
「………。本当に、あそこにいたんだな?俺には暗くてなにも見えんが」
「いた。少なくとも二人はな。
ブラインドが邪魔で顔までは分からなかったが」
バルド達のいる部屋は全てカーテンを引いてあるため、唯一遮られていないのはヴァンが陣取っていた窓のみだった。
そこへバルドが静かに駆け寄って行き、今度はヴァンが見ていた窓から外の様子を窺ってみるも、やはりバルドの目には怪しい二人組の姿を捉えられなかった。
この闇の中で、この部屋数で、どこに潜んでいるのかわからない連中を目視だけで見つけ出すなど、常人にはまず不可能な芸当だろう。
ただ、それは常人が行った場合の話であって、常人に該当しないヴァンには関係のないことだった。
生まれつき野性の獣並に視力が良好で、夜目も利く彼には、職業柄研ぎ澄まされた察知能力がある。
故に、ヴァンの広い視野を以てすれば、この程度の索敵は造作のないことというわけだ。
「いや、顔どころか、俺の目にはあの部屋に人がいるのかどうかすら見分けがつかん。
……ヴァン。お前、視力いくつだ?」
「さあ。計ったことない」
あっけらかんと返事をするヴァンに、バルドは感心すると同時に恐怖に似た感じも覚えて、思わず絶句してしまった。
「ねえヴァン。
そいつらってもしかして、ミリィ達が会いに行ったアブドゥラーの主席の……。
なんとかって人の差し金だったりするの?」
少し怖がっている様子の朔を宥めながら、東間は眉を寄せて尋ねた。
ヴァンは二人組のいた部屋をもう一睨みしてから、素早くカーテンを閉めた。
「可能性は高いな。どうにもこの街は様子がおかしいし、はっきり言って誰も信用ならない」
「どの辺がおかしいと思うんだ?」
「……上手く説明できんが、なんとなく、不気味な感じだ。
あと、街の明かりが全く点いていないのも変だろう」
「明かり…。そういや、さっきからずっと真っ暗だな。
日が落ちてから結構経つが、明るいのは屋内だけで、街灯は一つも……」
ヴァンの言葉を聞いて、バルドもようやく屋外の明かりが一つも点灯していないことに気付いた。
建物が列なるこの辺りは、屋内の光が漏れているおかげで微かに明るいが、それも精々自分の足元が見える程度。
その微かな光源すらないとなれば、道路や広場などの開けた場所は今頃真っ暗闇に包まれていることだろう。
ヴァンは先程からずっと窓の側にいたので、この異変にすぐに気付くことが出来たが、たった今まで席を外していたバルドや東間達には知る由のないことだった。
「この街に来てから、急にお前の様子がおかしくなったのはそのせいか。
……まさか、これも全部、ミリィ達の行動と関係してるのか…?」
「どうだろうな。
そうと仮定するならば、さっきのあいつらはミリィ達の方に向かったのかもしれん」
「随分冷静だな。その二人組ってのが、マンションから出てくるのを見たのか?」
「いや、正面口からは出てきていない。
恐らく、こちらからは見えない裏口があるんだろう」
やけに落ち着いた調子でいるヴァンとは対照的に、バルドは怪訝な表情を浮かべた。
自分達を監視する存在があったことといい、街中の様子が妙であることといい。
これらの不審な出来事が、全てミリィ達の行動によって引き起こされたものであるとしたら。
彼らは、ここまで無事に帰って来られないかもしれないと。
「───ちょっと、迎えに行ってくるわ」
「迎え?あいつらをか?
なにがあっても絶対に外には出るなと、ミリィに言い付けられただろう。
約束を破るのか?」
「説教なら後でたっぷり聞いてやるさ。
それより俺は、今ここで躊躇って、取り返しのつかない事態を招きたくない」
"彼らが戻るまで、決して外に出てはいけない"
ずっと心配はしていたものの、バルドは今までミリィの言い付けを固く守ってきた。
リーダーの指示を無視できなかったのもあるが、自分の勝手が原因で仲間を危険に晒したくなかったからだ。
しかし、ここに来て一気に不安が募ってしまったバルドは、その約束を破ってでもミリィ達の安否を確かめに行くことを決めた。
冷静に諭してくるヴァンを軽くあしらい、いそいそと出掛けの準備を始める姿にはもう迷いはない。
首から下げていたタオルを乱暴にサイドテーブルの方へ投げると、代わりにいつものターバンを頭に巻いた。
ジャケットを羽織り、ジャージの紐をきつく締め直した後は、ホテルのスリッパを脱いで自前のブーツに履き替えた。
そして最後に、自分のトランクから護身用のハンドガンを一丁と、予備の弾倉を一つ取り出して懐に仕舞った。
出来ればハンドガンよりも得意のライフルを携帯していきたいところなのだが、万一その姿が人目に触れて騒動になってはいけないので、武装は最小限のものに留めるしかない。
すると、最後に裾を正すバルドの元へ、ゴンを腕に抱いた朔が歩み寄って来た。
「バルドさん。……ミリィ、危ないの?」
バルドの顔を見上げる瞳は、不安そうに揺れていた。
なにがどうしてこうなったのかはよく分かっていないようだが、千里眼の影響もあって、今自分達がただならぬ状況に置かれていることは本能で理解したらしい。
ミリィと別行動をとることに、一番不安を感じていたのは朔だった。
例えそれが一時的な別れであったとしても、最も大切な存在と離れ離れになることは、彼女にとって命綱を外されるほどの憂慮に等しかった。
一見落ち着いているように見えたのも痩せ我慢をしていただけで、内心はバルドよりも心配でならなかったのだ。
バルドは、今にも泣き出しそうな朔の顔を見て、安心させるために優しい笑みを浮かべると、微かに震える小さな頭を撫でてやった。
「いいや。きっと大丈夫だ。
俺はただ、帰りの遅いあいつらを迎えに行くだけだから」
「ほんとうに?ほんとうにみんなで、ちゃんと帰ってきてくれますか?」
「勿論だ。必ず連れて帰るから、心配するな。
……だから、俺達が戻るまでの間、東間とヴァンの言うことをよく聞いて、二人の側から離れないこと。
できるか?」
「……わかりました。ちゃんと言うことを聞いて、みんなが帰ってくるの、ここで待ってます」
「そうか。えらいぞ」
その場に屈み、自分と同じ目線で話してくれるバルドに、朔はまだ不安そうな表情でいながらも頷いた。
バルドは、もう一度朔の頭を撫でてからゆっくり立ち上がると、ヴァンの方に向き直った。
「ヴァン」
「……駄目だと言っても、どうせ行くんだろう」
「そうだな。すまん。
出来るだけ急ぐから、少しの間、二人のことを頼む」
「………早く行け」
変わらず窓の近くで控えたヴァンは、無愛想ながらバルドの気持ちを尊重してやることにしたようだった。
割とあっさり返事をした後は、腕を組んでいつものポーカーフェースに戻った。
「バルドさん。くれぐれも気をつけて」
「いってらっしゃいバルドさん。早く帰って来てください」
後からやって来た東間も朔の隣に並んで、バルドの出発を見送った。
バルドはそんな二人に向かって力強く頷くと、静かに部屋を出て行った。
ヴァンは、彼が出て行ったドアをしばらく見詰めた後、もう一度だけカーテンの端をめくって、窓の向こうに広がる暗闇の街を睨んだ。
「………まさか な」
この街に来て、ヴァンの様子が急におかしくなったのには、実はもう一つの理由があった。
しかし、彼の呟きに答える者は、もう誰もいなかった。
『That cannot be seen with human eyes. 』




