Episode25-2:肌でわかるんだよ
「ちなみに、こいつに名前はあるのか?」
バルドの何気ない問いに、東間は懐かしそうに目を細めて答えた。
「ああ、ありますよ。一応。
権三郎といいます」
聞き慣れない響きに、バルドは一瞬怪訝な表情を見せた。
確かに、ロボットという近代的な存在に名付けるには些か古風な名前かもしれない。
「ご、ゴン…?変わった名前だな。お前が名付けたのか」
「はい。せっかくだから日本風の名前にしようと思って」
「……そうか。まあ、いいと思うが…。
ゴンザブロウ?ってのは、ちょっと俺には言いにくいな。ゴンって呼んでもいいか?」
バルドが申し訳なさそうに言うと、またしても東間とうさぎの返事が重なった。
『いいですよ』
「いいですよ」
ちなみに。
ゴンの声に採用された桂一郎のボイスサンプルは、概ね東間の自宅に設置された監視カメラや、通話記録の中から勝手に採取したものである。
けれど、後に東間が確認に行った際には、桂一郎は喜んでそれを承諾した。
『ではそろそろ着地しますね~。朔さんカバーをお願いします~』
「はーい」
間もなく、天井すれすれを浮遊していたゴンが満足げな声で宣言した。
上機嫌に返事をした朔は、大きく腕を広げてソファーに座り直し、ゴンの着地に備えた。
モーターを緩め、ゆっくり下降してくるゴンの体を、朔の両腕が優しく受け止める。
やがて先程と同じポジションに落ち着いたゴンは、嬉しそうにぱたぱたと耳を揺らした。
朔の方もすっかりゴンを気に入ったようで、まるで宝物に触れるようにゴンの体を抱き締めている。
バルドはそんな二人の前で立て膝を着くと、ゴンの手を握って改めて挨拶をした。
「改めて。これからよろしくな、ゴン。
新しい仲間の一人として、頼りにしてるぞ」
バルドのごつごつとした右手に、ゴンのマシュマロのような右手が重なる。
パーツの構造上握手を返せないゴンは、両手でバルドの指先を包むことで応えた。
『こちらこそ、よろしくお願いします。バルドさん。
羊一くんと朔さんを守るため、お互い協力し合っていきましょう。
特に羊一くんは、ちょっと口下手なところがありますけど、本当はとても可愛い人なんですよ』
「ちょ………、」
ついでにゴンが東間のことを引き合いに出すと、東間は狼狽えて肩をびくつかせた。
ゴンの手を離してやったバルドは、軽やかに笑って同意した。
「ハッハッハ。東間が実はかわいい奴なんだってことは、みんなもう知ってるよ」
するとゴンは、楽しそうにお尻を揺らしながら、立て続けに話した。
『そうですか。なら良かったです。
羊一くんってば、いつも皆さんに嫌われていないかを気にしていて、しょっちゅうぼくに今日の自分は駄目だったとか、あそこはもっとこうするべきだったとかって愚痴を聞かせてくるんですよ。
本当は皆さんと仲良くなれて嬉しいのに、素直に嬉しいと言えないのがコンプレックスだっていうのも───』
「ストップ」
しかし、途中で割って入った東間に頭を鷲掴みにされ、ゴンは強制的に閉口させられてしまった。
どうやらこの話題は、東間にとって最も人に聞かれたくない類の話だったようだ。
もしこの場にミリィが居たなら、きっと大喜びで東間のギャップを愛でていたに違いない。
「まったく。本当にかわいい奴だな。
そんなこと気にしなくても、お前は十分面白い男だよ。もっと自分に自信を持て」
いとおしそうに眉を下げたバルドは、父親を感じさせる笑みを携えて東間の頭を撫でた。
東間もいつになくしおらしい態度で、黙ってバルドの子供扱いを受け入れた。
「ハー……。もう。
権三郎、お前は後で説教だ」
俯きがちに東間がゴンの顔を睨むと、ゴンは相変わらずのポーカーフェースで首を傾げた。
『またそんなことを言って。
君がぼくに辛く当たったことなんてないじゃないか』
東間の威圧を軽くあしらうゴンからは、どこか年上の余裕のようなものが感じられた。
立場的には当然マスターである東間の方が上なのだが、なまじ桂一郎の面影があるせいで境界線があやふやなのである。
「口答えするなうさぎ風情が。お前なんてこうしてやる」
ゴンの悪びれない態度にとうとう怒った東間は、ゴンの長い両耳を指で横に引っ張った。
無論、ロボットであるゴンに痛みはないし、東間自身手加減をしてやっているので、お仕置きはあくまでポーズのみだ。
『ァワ、ワー!!
待って待って羊一くん!もげちゃうよ!もげるから!悪かったよごめんね!』
ようやく自分の失言を認めたゴンは、慌てた様子でじたじたと手足を動かした。
こういったお茶目なキャラクター性は、東間とゴンの疎通によって自然に育まれたものである。
なので、実物の桂一郎と比べると、やや茶目っ気の部分が強調されている。
しかし、権三郎のおかげでムードはすっかり和やかになった。
彼と接している時の東間はいつになく快活だし、朔も控えめにではあるが楽しそうに笑っている。
特に、母を失って間もない朔の状態は心配されたため、仲間内でだけでも笑顔を見せられるようになったのは良い傾向だった。
東間との間を取り持つ架け橋的な役割だけでなく、朔の心の安定剤としてもゴンは大きな存在になりつつある。
今後は両者のサポートとして立ち回る出番も増えることだろう。
「───あ、」
ふと、朔の視線がバルドの方に向いた。
と思ったら、振り返ったバルドと目が合うなり、朔は再び顔を背けてしまった。
その意味深な仕草になにかを感じたバルドは、朔の目の前で屈んだ。
「さっきからよく目が合うな。
どうした?俺の顔になにかついてるか?」
俯く朔の顔を覗き込みながら、バルドは穏やかな声で問うた。
というのも、バルドがシャワーを済ませて部屋に戻ってきてから、朔は頻繁にバルドを見るようになったのだ。
バルド自身も随分前から気付いていたが、いざ目が合うと朔は先程のように逸らしていた。
ばつの悪そうに窺っては逸らすを繰り返す様子は、まるで盗人のように後ろめたそうだった。
それをバルドは、なにか自分が気に障ることをしてしまったからではないかと、密かに気にしていたのだった。
「あ、あの…。えっと……」
「ん?なんだ?遠慮しないで言ってごらん」
言い辛いことなのか、朔はなかなか本心を切り出そうとしなかった。
彼女の隣では、お仕置きを済ませた東間が大人しくなったゴンを膝に乗せた。
「───あ。もしかして、バルドさんのタトゥーのこと?」
口ごもる朔に代わり、東間はふと思い付いたことを口にした。
それに対し朔は、怖ず怖ずといった様子で小さく頷いた。
どうやら、朔が先程から気にしていたのはバルドの顔ではなく、バルドの左側頭部に施されたタトゥーのようだった。
普段はターバンを巻いているため人目に触れることはないが、本人は別にこれを隠すためにそうしているのではない。
実際、今まで共に旅をしてきた東間やヴァンは、すっかり見慣れているものだ。
だが、最近一行に加わったばかりの朔は、スキンヘッド姿のバルドを見たことがなかった。
故に、初めて目にするそれに興味を持ったものの、自分のような新参者が突っ込んでいいことなのか分からず、言及せざるべきか悩んでいたというわけだ。
「ああ、こいつのことだったか。驚かせてごめんな。
頭に入れてる奴はあんまり見かけないから、びっくりしただろう」
朔によく見えるよう顔を背けたバルドは、タトゥーの彫られた部分を指先で叩いてみせた。
「ほら。これで見えるかな?」
ようやくタトゥーの全貌を確認した朔は、その特徴的な形に目を見張った。
「あ……。お月様、ですか?」
「そうだ。俺が軍人になって間もない頃に、お守り代わりに入れたものなんだ。
どんなに暗く寂しい夜でも、自分には月の加護がついてるんだと、勇気が出るように。
まあ、ついこの間まで髪を伸ばしていたから、こいつが表に出るようになったのは久々なんだがな。
触ってみるか?」
「いいんですか?」
「ああ」
バルドの大きな左耳を、ぐるっと囲うようにして描かれた黒い三日月。
細かい模様が幾重にも連なって形を成したそれは、バルドの白い肌に映えて不思議な存在感を放っていた。
このタトゥーは、まだバルドがイタリア陸軍に入隊して間もない頃、そして妻のディアマンテと結婚したてだった青年期に、特別な思いを込めて刻んだものだった。
暗い夜道も、月明かりが照らしてくれれば足元が見える。
故に、どれほどの闇が己を包んだとしても、迷わず家に帰れるように。
愛する妻と、後に生まれた愛しい娘の待つ家に、最後には必ず戻れるようにと。
軍人という危険な立場にあったバルドを、三日月はいつも寄り添い、見守ってきた。
ふとその月に触れれば、自分には守るべきものがあるのだと思い出させてくれた。
残念ながら、月明かりは我が家に迫る悪魔の影まで追い払ってくれることはなかったけれど。
「わー……。なんだか、ちょっと…。普通のとこより、ざらざらしてる気が、します」
恐る恐る触れてくる細い指の感触に、バルドはそっと目を伏せて追想した。
あれはまだ、娘のグリゼルダが赤子だった頃だ。
あやすバルドの三日月に、じゃれる彼女の柔らかい手が触れた時。
自分は、ディアマンテと二人で、この子と出会うために今まで生きてきたのだと、バルドは思った。
「………ありがとう、ございます。もう大丈夫です」
朔は、三日月の輪郭を指先でなぞった後、ゆっくりと手を離してバルドを見た。
そして、彼のオーブがじわりと悲しい色を帯びたことに、気付いた。
「かっこいいですよね、その月。
タトゥーってあんまりいいイメージなかったですけど、バルドさんのを見て気が変わりました。
やっぱり、ただお洒落でやってる人と、そのための理由がある人とでは見え方も違ってくるものなんですね」
東間が感心した顔で言うと、ゴンもうんうんと頷いて同意した。
「まあ、理由なんて人それぞれだから、その人の信念はその人にしか理解できないけどな。
……朔はどうだ?俺のタトゥー、怖いか?」
バルドは、敬遠されることを覚悟の上で朔の本心を尋ねた。
しかし朔は、小さく首を振っていいえと答えた。
「タトゥー、って、話で聞いたことはあったけど、実際に見るのは初めてで、ちょっと、驚きました。
でも、怖いとは思わないです。お月様は、わたしも好きだから。
わたしの名前も、お月様と関係のある名前ですから」
「ああ、そういやそうだったな。ミリィから聞いたよ。
……朔か。お母さんは、いい名前を付けてくれたな」
バルドの言葉に、朔は嬉しそうに頷いた。
バルドは、そんな朔の笑顔を可愛らしいと思う反面、グリゼルダの無邪気な姿と声を思い出して切ない気持ちになった。




