Episode25:肌でわかるんだよ
PM3:36。
ミリィ達三人がレヴァンナの城へ発った後、バルドを筆頭とした残りのメンバーは今回の滞在先となるホテルへ向かった。
外観からしてきらびやかな雰囲気が滲むそこは、街で三本の指に入るとされる高級ホテル。
さすが高級と評されるだけあり、宿泊料金も洒落にならない金額だが、それでも一同がここを選んだのには理由があった。
一つは、並みのホテルだとセキュリティ面に不安があるから。
そしてもう一つが、今はいないミリィ達を含め、七人全員が同じ部屋に宿泊する必要があったからだ。
ただでさえアブドゥラーには疑惑があるため、街中ではいつどこで危険な事態が発生するかも分からない。
故に、万全を期すためにも、仲間同士の距離は密に保っておきたいというミリィの意向があったのだ。
「───それでは、こちらがお部屋の鍵になります。
ご用命の際には私が伺いますので、いつでもそちらの内線からお申し付けください」
その後、目的地のホテルに到着したバルド達は、専門のバトラーに連れられて部屋まで通された。
今回一同に割り当てられたのは、このホテルにおいて四番目のランクに相当する部屋。
しかし、最上ランクではないとはいえ、四番目でも充分ミリィの意向に合った条件が揃っていた。
内装が美しいのは勿論のこと、設置されている家具も全て海外から輸入したブランド品が使用されている。
ネット環境等の設備も最新のシステムが導入されており、万一の不備があった際には、直ちにバトラーが駆け付けてくれることになっている。
まさに痒いところに手が届く仕様だ。
なにより、七人が余裕を持って過ごせるだけの広さを有している。
これだけでも、普通のビジネスホテルを選ぶよりは安心というもの。
言ってしまえば、マネーという対価を支払って、最低限の安全を買ったということなのである。
ーーーーー
PM6:56。
チェックインからおよそ三時間が経過した頃。
ルームサービスで早めの夕食を済ませた一同は、それぞれ思い思いのブレイクタイムを過ごしていた。
そこへ、備え付けのバスルームでシャワーを浴びてきたバルドが、ラフな格好に着替えてリビングルームに戻ってきた。
「おかえりなさい。早かったですね」
真っ先に声をかけたのは、ソファーに座っていた東間だった。
その隣には、なにやらぬいぐるみのようなものを胸に抱いた朔の姿もある。
「まあな。流石にこんな状況じゃ、ゆっくり湯には浸かっていられんだろう」
濡れた頭をフェイスタオルで擦りながら、バルドは東間達の手前で足を止めた。
「それで、どうだ?
俺が席を外している間、あいつらから連絡はあったか?」
「いいえ、まだなにも。思っていた以上に難航しているようですね」
「……ただ話が長引いているだけなら、いいんだがな」
東間の返答を聞いて、バルドは不安そうに眉を寄せた。
というのも、あれきりミリィ達と連絡が取れなくなったのだ。
事前にミリィは、タイミングを見て逐一メールで状況を報告すると言っていた。
にも関わらず、それらしいメッセージは未だに一通も届いていない。
電話ならともかく、メールの一通も送信できないほど余裕がないということは、話し合いがスムーズに進んでいないのか。
それとも、なにか別の理由で通信手段を絶たれているのか。
いずれにせよ、向こうから連絡がこない限り、こちらがミリィ達の様子を知ることはできないのである。
人一倍仲間思いで心配性なバルドは、ミリィ達と別れてこのホテルにやって来てからというもの、彼らの安否がとにかく気掛かりでならなかった。
「───ところで、朔が持っているそいつはなんだ?朔の荷物にぬいぐるみなんてあったか?」
考え事をしながら、バルドはふと目に入った朔のぬいぐるみにつて尋ねた。
「ああ、これは彼女のじゃなくて、おれの私物ですよ。
さっき鞄から出したところなんです」
バルドの問いに対し、東間は珍しくはにかんだ様子で答えた。
てっきり朔の持ち物かと思いきや、ぬいぐるみは彼の私物だったようだ。
「へえ、お前のなのか。
ぬいぐるみ集めなんて、意外とかわいい趣味があったんだな」
意外な事実にバルドがくすくすと笑うと、東間が返事をする前に朔が小さく口を開いた。
「………この子、ただのぬいぐるみじゃないですよ」
「え?そうなのか?」
およそ20cmの体長に、長い垂れ耳とブルーの瞳。
一目見て分かるように、このぬいぐるみは黒うさぎをモチーフとして作られたものである。
見るからに柔らかそうな毛質といい、細部まで丁寧に作り込まれたパーツといい。
素人目にも高級品と分かるほどよく出来たその姿は、確かにただのぬいぐるみと呼ぶには洗練されているかもしれない。
ただ、その真価は美しさだけではないのだと朔は言う。
「おはなし、してあげて」
朔がおもむろに腕を緩めると、彼女の胸に収まっていたうさぎの頭がぴくりと反応した。
直後、垂れていた耳がぴんと逆立ち、あろうことかうさぎは独りでに動き始めた。
朔の腕の中を抜け出した後は、彼女の黒いタイツに包まれた太股をのそのそとよじ上っていって、立てた膝にちょこんと顎を乗せた。
『ぼくは確かにぬいぐるみだけど、ただのぬいぐるみではありませんよ。バルド』
「………動いてる」
目の前の光景が俄に信じられないバルドは、思わず目を丸めて驚いた。
だが、それもそのはずだ。
ただのぬいぐるみと思われた小さなうさぎが、自ら動き出しただけでなく言葉まで発したのだから。
「ええ。ロボットなんで」
「お前が作ったのか?」
バルドの問いに対し、東間とうさぎは順に答えた。
「はい。モデルにしたぬいぐるみ自体は、普通にネットショップで買った既製品ですけど」
『フランスの有名なトイメーカーが、創立50周年を記念して作ったものなんです。
ぼくと同じ見た目をしている子は、世界に100体しかいないんですよ』
やや機械的なニュアンスは残っているものの、うさぎの声は限りなく人の肉声に近い響きをしていた。
喋り方や発音の抑揚まで生身の人間そっくりなので、中に実物の成人男性が入っているかのような錯覚さえ覚えるほどに。
その後もうさぎは、自身の身体能力を証明するように朔の体の上をちょこまかと動き回った。
朔は、うさぎの細やかな動きにくすぐったそうに笑って、ぱたぱたと足をばたつかせた。
「……これは凄いな。ロボットってのは今までに何体か、種類の違うのをテレビで見たことはあったが…。
こんなになめらかに動いて、喋っているのは初めて見た。まるで生きてるみたいだ」
ふとバルドがうさぎの体を持ち上げると、うさぎの動きも一旦止まった。
続けてうさぎが首を傾げると、何故かバルドもつられて首を傾げた。
「どうも。ただ、こいつは試作品第一号なので、改良点は色々とありますよ。
ご覧の通り体が小さいので、雑務用ロボットとしては性能がイマイチですし。
サンプルが足りないので、言語もまだ英語と日本語しか喋れません」
「サンプルって、生身の人間の声を採用してるのか?じゃあこの声も、実在の誰かと同じ声なのか」
『その通りです。
ぼくの声は、羊一くんの恩師である、黒川桂一郎氏のボイスサンプルを基に作られています。
ぼくが英語と日本語しか喋れないのは、桂一郎氏もその二つの言語しか喋れないからなんですよ』
先程と同様に、東間とうさぎが交互にバルドの問いに答えた。
「ハー…。こりゃ参った。
本当にその桂一郎ってのと話してるみたいだ。面白いな」
バルドが思わず感嘆の溜め息を漏らすと、突然うさぎの耳が垂直に折れ曲がった。
頭の部分に仕舞っていた骨組みを開いたことで、垂れていた耳に芯が通ったためだ。
直後、全身からブブブと空気を振動させる音を鳴らし始めた。
とっさにバルドが指の力を緩めると、うさぎは徐々に体を浮かせていって、やがてバルドの手中から抜け出した。
だが、驚くべきはここから。
ある程度まで上昇してから旋回したうさぎは、そのままドローンのような動きで空中移動を開始した。
水平に張った耳は翼の代わりのようで、器用に重心をとりながら浮遊状態を維持している。
残念ながらスピードは出せないものの、高さの調節や進行方向の切り替えは自由自在だ。
二足歩行のうさぎが、自らの耳を頼りにふわふわと飛行している様子はなんだか可笑しいが、別に東間が彼を遠隔操作しているわけではない。
うさぎは、本当に自らの意思で、自分の力だけで独りでに飛んでいるのである。
「ハッハッハ。うさぎのくせに空も飛べるのか。
ロボット工学をかじってるという話は聞いていたが、まさかこれほどの腕とはな。
こういうのはどうやって作るもんなんだ?」
小蝿のような羽音を伴って飛ぶうさぎを見上げながら、バルドはとうとう声を出して笑った。
バルドの新鮮な反応を見て、東間も少し可笑しそうに口角をあげた。
「そんなに難しいことじゃないですよ。
頭の部分に核となるAIチップとマイクロスピーカーを入れて、手足や耳なんかの動かしたい部分に、AIと連動させたパーツを仕込むだけですから。
後は、AIが自分の意思で思考して、その波動に反応したパーツが、それぞれ歩くなり喋るなり機能するだけです。
大変なのはロボットを作ることよりも、基盤になるAIを完成させることですよ」
「うーん……。理屈はなんとなくわかるが、それを実際にやってのけるってのは、やっぱり並大抵のことじゃないな。
東間、お前は凄い男だよ」
「うん。東間さんはすごい人です。尊敬です」
バルドと朔が心底感心した顔で褒めると、東間は照れ臭そうに赤面しながら、か細い声で返した。
「………あ、ありがとうござい、ます」
先程バルドも言った通り、現代にはそれぞれの分野に特化したロボットが数多く存在している。
寝たきりの家族のケアが重労働で困っているという人には、介護用ロボットを。
心の病に苦しみ、薬以外の治療を求めているという人には、セラピーロボットを。
まだ一家に一台普及されるほどの実用化には至っていないが、往年と比べてロボット達の活躍が増えたのは明らかだ。
少なくとも、展示品として飾られていた時代は終わったと言えるだろう。
しかし、未だにどのロボットにも共通する欠点が、ロボット自身にすべてをお任せできないということだった。
人の代わりに雑事をやらせる場合は勿論のこと、暇潰しに話し相手になってほしい時ですら、事前に希望に合った設定を入力してやる必要がある。
逆を言えば、入力を忘れた時点で、どんなに高性能なロボットもただの置物同然になってしまうわけだ。
その点、東間の作ったこのぬいぐるみ型ロボットは違う。
一般に普及されている家庭用ロボットと比べると、体格等の理由からやや性能は落ちるが、彼は自分の意思で自由に行動することができる。
自ら思考し、独自の思想を持ち、状況を見て的確な判断を下す。
時には主人に寄り添い、主人に命令されるまでもなく率先して物事を行うこともある。
故に、人工知能の面のみで見れば、東間は界隈でも一歩リードしたところまで進んでいるのだ。
もしかしたら、AI開発の技術者として東間羊一の名が知れ渡る日も近いかもしれない。
「(気まぐれでなんとなく作り始めたものが、まさかこんなところで役に立つなんてな)」
バルドと朔に構われているうさぎを眺めながら、東間はふと感慨に耽った。
思い出されるのは、うさぎの彼を作り始めた数年前のことだ
。
忙しい家族とはなかなか会えず、友達と呼べるような親しい相手もいなかったあの頃。
孤独に喘いでいた少年期に、せめてもの慰めにと生み出したのが彼だった。
東間は彼をただの玩具としては扱わず、対等な一人の友として命を吹き込んだ。
その結果彼は、東間にとって最も信頼の置ける人物、桂一郎によく似たキャラクターへと成長した。
声のモデルとして採用したのは計算でも、性格まで桂一郎に似たのは偶然の産物だったのだ。
無論、魂のない人形に傾倒するより、生身の友達を作る努力をした方が建設的だということは理解していた。
それでも東間は、毎日欠かさずメンテナンスを行い、改良を重ねて、人情の機微とはなんぞやと彼に教育を施してきた。
誰に褒められずとも、注目されずとも。
いつかはなにかの役に立つ日が来ると信じて、飽きもせずつぶらな瞳と向き合い続けてきた。
そして現在。念願の"仲間"という友を得た東間の前に、あの頃の自分とよく似た少女が現れた。
自分と同じ日系人で、特殊な事情を抱えているという不思議な少女だ。
東間は彼女と仲良くなることを望んだが、どうすれば仲良くなれるのかは全く見当がつかなかった。
十も年下の異性が相手なんて、ほぼ宇宙人と接するような感覚だったからだ。
いっそ思い切って踏み込んだ方がいいのか、しかしなにがきっかけで傷付けてしまうか分からない。
そうして堂々巡りを続けていく内にタイミングを失い、やがて東間は自ら歩み寄ることを断念しようかとも考えた。
そんな時だ。
困り果てた末に過った言葉が、結果として東間の窮地を救った。
"失敗でしか学べないこともある"
それは、いつかに桂一郎が贈ってくれた、自分を鼓舞するための言葉だった。
その瞬間、ようやくひらめいた東間は、私物の鞄を漁って彼を取り出すと、少女の元へ走った。
ずっと触れることすら躊躇っていた少女、朔の元へと。
"こんにちは、かわいいお嬢さん。
良かったらぼくの話し相手になってくれませんか"
久々に目を覚ました彼は、初めて会う朔に向かって当たり前のように手を差し出した。
東間がどうと言わずとも、彼は今の自分に必要とされていることを察したのだ。
すると、ずっと無表情だった朔の顔が、みるみる内に明るくなっていった。
傷付くのを恐れていたのは東間の方で、朔は最初から東間を敬遠などしていなかったのだ。
"ああ、そうか"
"きっと自分は、こんな日のためにずっと"
朔の心からの笑顔を目にした瞬間、東間は言い様のない達成感が胸に満ちていくのを感じた。
例え利益にならずとも、目の前にいる女の子が笑ってくれるなら、それだけで今までの努力が報われたと。




