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オルクス  作者: 和達譲
Side:M
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Episode03-2:深まる謎と、古い鍵



"キャヴェンディッシュ"

フォーサイス地区郊外にある、閑静な住宅地。

その中でも一際古めかしい煉瓦造りの一軒家が、次のミリィの目的地だ。



「髪良し顔良し裾良し……、っし!」



玄関を前に足を止め、一旦深呼吸。

備え付けのブザーを鳴らすと、中からパタパタと軽い足音が響いてきた。


施錠が解かれる音に続いて、チョコレート色の重厚な扉がゆっくりと手前に開いていく。

それをミリィが空いた方の手で手伝ってやると、一人の少女が扉の影から顔を出した。

黒髪に黒目、黒のワンピースをきっちりと着込んだ小柄な少女だ。




「やあ、こんにちは(さく)。オレのこと、覚えてるかな?」



"朔"と呼ばれた少女は、ミリィの姿を見るや否やびくりと肩を揺らすと、慌てた様子で屋敷の奥の方へと引き返していった。

予想とは違う相手が訪ねて来たことで驚いてしまったらしい。


少女の可愛らしい反応に思わず笑みを零しながらミリィも後に続いていくと、その先にあるリビングで屋敷の主人が待っていた。




「───あら。朔があんまりびっくりしているから、誰かと思ったら」



"久しぶりね、ミリィくん"

そう言って迎え入れてくれたのは、柔らかい物腰が印象的な30歳程の美女だった。


フォレストグリーンを基調としたツーピース、少年のように短い髪、控えめなシルバーのイヤリング。

首筋には仄かに花の香りを纏わせており、その姿はどこを取っても東洋の大和撫子を感じさせる。

強いて違和感を上げるとするなら、健康そうな見た目とは裏腹に、車椅子に腰掛けているという点くらいだ。



「そんなこと言って、オレが来るのは見えてたくせに」


「ふふ。だから朔に出迎えさせたのよ。作戦成功ね」



鼻を鳴らすミリィに対し、美女は悪戯っぽく人差し指を口元に当ててみせた。


他の誰が訪ねて来てもしっかりと対応できている朔が、唯一ミリィが来た時だけは動揺して逃げてしまう理由。

その訳を知っているからこそ、彼女は敢えてミリィと朔を引き合わせているのである。



「オレは出迎えてもらえて嬉しいけど……。あんまりやりすぎると、お嬢さんに愛想尽かされちゃうよ?花藍(からん)さん」


「それは困るわ!後で朔に謝っておかないと」



倉杜(くらもり)花藍(からん)

朔と同じ黒髪に黒い瞳を持つ日系人にして、朔の実の母親。

重いハンディキャップを抱えながらも、娘と二人助け合って暮らしているシングルマザー。

それが彼女の正体であり、ミリィが密かに想いを寄せている女性の名である。




「二人とも元気そうで良かったよ。はい、これプレゼント」


「まあ~、胡蝶蘭ね!私の大好きな花!ミリィくん、覚えていてくれたのね」


「もちろん。あとフルーツの盛り合わせも。ラフランス、朔が好きだったでしょ?」


「ふふ、ミリィくんは本当に気遣い屋さんね。いつもありがとう。

今紅茶を煎れるから、掛けて待っていて」


「手伝おうか?」


「ううん、一人で大丈夫。ゆっくりしていて」



ここを訪ねる際、ミリィは毎度必ず手土産を持参するようにしている。

焼き菓子や果物などの食料品は当日のお茶請け、もしくは朔のおやつにと用意するもの。

そしてささやかな花束は、屋敷の主人である花藍に贈るためのものだ。


平素は時期によって旬の花を見繕うところを、今回は花藍が一番好きだという白の胡蝶蘭を選んできた。

無論これにも意味があり、単に綺麗だからという理由で品種を決めているのではない。


はっきりと言葉で明らかにすることはないものの、贈る花で自身の気持ちがそれとなく伝わるようにと。

本気で惚れている相手だからこそ、ミリィは花藍に対して露骨なアプローチはしないのである。




「こっちでお花飾っちゃうね。中の古いやつと取り替えてもいい?」


「ええ。お願いします」



キッチンでお茶の準備を始めた花藍の後ろ姿を見つめながら、ミリィは持ってきた胡蝶蘭を花瓶に生けた。


するとそこへ、朔が恐る恐る近付いてきた。

作業を済ませたミリィはハンカチで手を拭い、朔の背丈に合わせて屈んでやった。

朔は暫しモジモジと体を揺らしてから、後ろ手に隠していたものをミリィに差し出した。



「お、美味そうなクッキーだな。朔が焼いたのか?」


「………。」



無言で頷く朔の手には、ラッピングされた手作りのクッキーがあった。



「そっかそっか。上手に出来たな。これ、オレが貰ってもいいか?」



再び無言で頷いた朔は、ミリィがクッキーを受け取った途端に踵を返して走り出した。

そのまま助けを求めるように突進していったのは、言わずもがな花藍のもと。



「あらあら、この子ったら。また上手にお話出来なかったのね」



驚きつつも朔を受け止めた花藍は、お茶の準備を中断して朔の頭を撫でてやった。



「あんなに練習したんだから、ほら。頑張らなきゃ」


「………むり」



朔は花藍の膝にぎゅっとしがみ付きながら、ボソボソと低い声で呟いた。

そんな朔の気持ちを察したミリィは、彼女を追い掛けることはせずソファーに着席した。



「アハハ、ほんと可愛いなあ朔は。

このクッキー、今食べてもいいかい?」


「………。」



恥ずかしくて顔を上げられない朔に代わり、花藍がミリィに返事をする。



「それね、ミリィくんが来るって分かって、急にやりたいって言い出したのよ。

私は側で見ていただけ。本当に朔が一人で作ったの」


「へえー、それは光栄だな」



トレーを抱えた朔と、車椅子で移動する花藍が揃ってミリィの元へ近付いて来る。

朔はたった今花藍の煎れた紅茶をテーブルに並べると、空になったトレーを抱き締めて心配そうにミリィの反応を窺った。



「じゃ早速。いただきます」



包みのリボンを丁寧に解いたミリィは、少し形の歪なクッキーを一枚口に運んだ。

朔が昨日、何度も失敗を重ねて作り上げた代物だ。


バターの香りと、仄かな甘み。

確かに人の手で作られた優しい感触を、ミリィは目を細めてじっくりと味わった。



「こんなに美味いクッキーは初めてだ」



お世辞でも皮肉でもなく、心の底からミリィはそう賞賛した。

朔はトレーで顔を半分隠しながらも、嬉しそうに頬を赤らめて笑った。



本来であれば、ミリィがこうして心穏やかに一時を過ごすことは、まずない。

いつもどんな時でも、真の目的について考えない日はないからだ。


けれど今だけは、手放しで花藍達との時間を楽しむことが出来ていた。

否、楽しむことにしようと、ここへ来る前から気持ちを切り替えてきたのだ。



「(せめてこの時だけは、全てのしがらみを一度置いて、ただの男として、二人と接したい)」


「(二人にとってオレは取るに足らない人間かもしれないけど、オレにとって二人は、なくてはならない存在だから)」



花藍達と接している時、ミリィはいつも幸福と同時に苦い気持ちも味わっているのである。




「頑張って作った甲斐があったわね、朔」


「うん」



花藍の方はというと、まるで兄妹のような雰囲気のミリィと朔を、どこか遠い眼差しで見つめていた。

詳しい素性は知らないものの、ミリィがポーカーフェースの裏になにかを隠している気配を、彼女は以前から薄々感じていた。




「───あの、ミリィくん。後で少し、いいかしら」


「うん……?どうかした?花藍さん」


「……ちょっとね。あなたに、見てもらいたいものがあるの」




秘め事の香りのする彼だからこそ、彼にだけは、今この瞬間に伝えておきたい。

粟立つような胸騒ぎと正面から向き合い、花藍は一つ深呼吸をした。


人間、多かれ少なかれ、誰しも必ず秘密を抱えて生きている。

もし明らかになることがあるとすれば、それは本人が打ち明ける決心をした時か、隠す術を失った時だ。


ならば、いつかは来たるその瞬間が後者になってしまわないよう。

手遅れになってしまう前に、誰か信用できる相手に話しておきたい。


穏やかだが何やら意を決した様子の花藍に、ミリィもまた自然と背筋を伸ばした。



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