Episode23-2:後戻りはできない
フィグリムニクス、ラムジーク。
白の街ヴィノクロフと隣接した、緩やかな坂の多い街。
此度のミリィ一行が目指す新天地だ。
ここで一つ話が変わるが、シグリムは国章のデザインにもある通り、島の輪郭が飛翔する鳥のようであることからその名が付けられた。
そして、前述した"鳥"の頭部。
つまりは、全ての機能を司る脳の部分。
シグリム最北端に位置し、国内最大の面積を有するこの頭の部分に、首都キングスコートは存在している。
このキングスコートの下方に隣接するのが、ヴィノクロフとラムジーク。
これら三角形の構成は、それぞれの州を創設した主席同士が密接な関係にあったことを示唆している。
そこから更に輪をかけて、フェリックスと生前最も親交が深かったとされるのが、ラムジーク州初代主席。
イスハーク・ラムジーク。
言わずと知れた石油王である彼は、フェリックスの新国家設立計画に最初に賛成した男で、フェリックスにとっては一人目の盟友に値する重要人物であったという。
そんなラムジーク州の特徴といえば、まず第一に美しい景観が挙げられる。
中世のアラブをイメージして造られた街並みは、東のプリムローズ、南のクロカワに並び、タイムスリップ気分を味わえる情緒的な街としてマニア達から人気を博している。
加えてラムジークは美女が多い地域としても知られており、人口のおよそ七割が五十代以下の女性で占められている。
これは初代イスハークが無類の女好きであったことに他ならないが、彼は別にフェミニストなわけではない。
年頃を過ぎた女は醜いからという理由で問答無用に追放してしまうし、事故や病に倒れて健康を損なった者に対しても、彼は一切の慈悲を与えない。
ラムジークに住まうことを許されるのは、若く美しく、そして健康で才ある女。
もしくは、イスハークに対して絶対の忠誠を誓う、一握りの男のみ。
この条件から外れてしまえば、たとえ数日前までお気に入りと可愛がっていた相手でも、容赦なく突き放す。
それが、イスハーク・ラムジークという男で、ラムジークという街の在り方だったのだ。
ただしその代わりに、イスハークの寵愛を受ける者には一生の安寧が約束されていた。
石油という貴重な根源を幾つも所有するイスハークには、建国のため投資した分を差し引いても、住民全員を養えるほどの莫大な資産があった。
そしてそれらに糸目をつけなかったイスハークは、時に特別手当てとして、自らのポケットマネーを住民達にばら蒔くことがあった。
労働者の最低賃金が国内最高水準であったのも、逆に納税額が割安であったのも、イスハークが自分の資産で賄っていた部分が多かったからなのだ。
とどのつまり、ラムジークに住んでいる限り、イスハークの眼鏡に適っている限りは、誰しも楽して大金を手にすることが可能だった、というわけだ。
故にこそ、ラムジークの永住試験が完全にイスハークの独断によるものでも、異議を唱える者は一人としていなかった。
ラムジークの民として生きるということは即ちイスハーク個人に囲われるということであり、皆そのことを承知していたからだ。
しかし、この世の贅の限りを尽くしたイスハークであっても、寄る年波にだけは抗えなかった。
今から約四年前。
老衰という形で華やかな生涯に幕を下ろした彼は、享年92歳だった。
生前は、金の力に物を言わせて延命措置を繰り返していた。
健康管理も徹底し、晩年には極力贅沢も控えるようになったという。
にも関わらず、努力の割には早く訪れた最期だった。
これはやはり、若い頃の無茶が祟った結果と思われる。
イスハークが最初に石油源を掘り当てたのは二十代の頃だが、彼が見付けた石油源はこれだけではなかった。
実は、その更に二十年後にも、別の地域で新たな石油源を発見しているのだ。
つまりイスハークは一代で二つの石油源を有した、とてつもない幸運の持ち主だったのである。
だが、身に余る大金は、使い方を誤れば毒にもなる。
みずみずしい青年期に突如大富豪へと成り上がり、貧乏の苦学生から一気にブルジョワの世界まで進出した彼は、若気の至りで散々遊び回った。
毎晩浴びるように高価な酒をあおり、時には快楽を求めて違法な薬物に手を出すこともあったという。
要するに、そんな彼が往生間際になってから体調管理を始めたところで、焼け石に水だったのだ。
イスハークの死が街に与えた影響は、それはそれは大きなものだった。
彼に見初められようと努力してきた者達からは不満が噴出。
これからラムジークはどうなってしまうのかと、街の未来を不安視する声も多く上がった。
そんな時。
白羽の矢が立ったのは、一人の若い男だった。
美女に目がなかったイスハークは、反対に男に対しては全く愛想がなかった。
どんなに優秀で信頼に足る人物であっても、男は決して自分の寝室に入れなかったほどに。
そのイスハークが、唯一敷居を跨ぐことを許していた男。
それが、前述の彼だったのである。
彼は、イスハークの遺言により次期主席に就任。
混乱したラムジークを、僅か一年で元通りに立て直してみせた。
頭が良く、環境の変化にも素早く順応する。
実力があり人望があり、その上で驕らず、横柄でない。
ラムジークの新しい王として、玉座についた彼に難色を示す者は一人もなかった。
最後には、誰しもがこの予期せぬ展開を喜んで受け入れるようになった。
彼個人に対する好感度は、金の力で全てを支配していたイスハークと違い、完璧に近いものであったから。
これで、ラムジークは安泰だ。
彼が統治する新しい街は、きっとイスハークの時代よりも快適になることだろう。
ラムジークの民達は皆そう確信し、若すぎる王の治世に期待を寄せた。
ところがだ。
イスハークの時代にはなかった異常事態が、現在進行形で発生している。
確かにイスハークは独裁者だったが、それ故に自らの領地を守ることには余念がなかった。
奇しくも、慕われる彼より、中身のない偶像のように思われていたイスハークの方が、まだ長としての務めを果たしていたのだ。
ラムジークで失踪事件が頻発するようになったのは、イスハークが亡くなってから。
つまり、イスハークの没後に玉座を引き継いだ彼が、関連の事件を独断で揉み消しているということになる。
妙ではないか。
フェリックスと直接関係があったのはイスハークの方だ。
特に親しかったとされるイスハークなら、例の人体実験の存在もきっと把握していただろう。
もしかしたら、積極的に協力もしていたかもしれない。
なのに何故、このタイミングで彼が、イスハークではなく彼が、見るからに疑わしい行動をとっているのか。
一連の失踪事件は、彼個人が企てたものであるのか。
それとも、イスハークの意志を継いで、あくまでイスハークに成り代わって行っていることなのか。
それは当人達にしか知る由がないことだ。
どちらにせよ、この事態をみすみす野放しにしておくわけにはいかない。
イスハークが黒であったのはほぼ確定だ。
ならば彼は。イスハークの意志を継いだ彼は、一体どこまで把握しているのだろうか。
あくまでラムジークの主席としてのノウハウを学んだだけなのであれば無害だが、FIRE BIRDプロジェクトの概要まで全てイスハークから聞き及んでいたのだとすれば。
彼もまた、ヴィクトールと結託して、一連の人体実験に加担していることになる。
それを確かめるため、ミリィ達は正面から立ち向かっていくことに決めた。




