Episode22-4:少女のみている世界
「今、アンリさんが優しく笑った瞬間に、アンリさんのオーブの色も変わったのを感じました。
トマトみたいに真っ赤だったのが、ほんのちょっとだけ、ピンクっぽくなって。優しい感じになった、気がします」
「へえ……。やっぱり、君の目はすごいな。僅かな感情の動きも敏感に察知できるというわけだ。
君を前には、どんな大嘘つきも間抜けなピエロだな」
「そんなにすごいものじゃないですけど…。
でも、その人の気持ちや、体の具合が変わったりすると、オーブの色も同じように変わるので、役に立つことはあります。
……それで、なんですけど」
あの瞬間、アンリの心持ちがふっと解れたのを見逃さなかった朔は、同時にある人物に対して覚えた違和感を思い出していた。
「このお屋敷で働いてる、黒髪に眼鏡の…。ヘイリーさん、でしたか?
あの人ってどんな人なのか、アンリさんは知ってますか?」
思いもよらなかった人物の名前が出て、アンリは首を傾げた。
「ヘイリー…?ああ、シャノン君の側近の。
そうだな……。物腰が穏やかで、仕事が丁寧で…。真面目で勤勉な、使用人の鑑のような青年、なんじゃないかな。
……といっても、俺は弟と違って、バシュレーの一族とはあまり縁がなかったから。詳しいことはよく知らないんだ。だから、適当なことは言えない。
彼がどうかしたのか?」
「………私も、よくわからないんですけど…。ただ、おかしなことがあって」
"あの人だけ、全然色がないんです"
不思議そうに呟いた朔は、自分でもこの事態をどう処理すればいいのかわからないようで、怪訝に眉を寄せていた。
「色がない…、というのは、彼には所謂オーブが存在しないということか?
それはそんなに珍しいことなのか?」
「珍しいどころか、初めてです。
今まで色んな人を見てきましたけど、オーブが全くない人なんて一人もいませんでした。
平均より少し色が薄かったり、オーブの量が少ないって人なら、何人か見たことがありますけど…。ゼロの人は初めてです」
生来、オーブの色素が薄い者、容量の少ない者は、少数ながら確かに存在するという。
しかし、朔の目に映るヘイリーは全くの無色だった。
どんなに意識を集中させてみても、彼からは一滴のオーブも確認できなかったそうだ。
朔は、そんなヘイリーのことを初めて会った時から疑問に思い、不気味さすら感じていたという。
オーブがないということはすなわち、彼だけは朔の千里眼を通しても見通せない。
つまりは、一般人から見た姿と変わらない、ということになる。
だが、生まれつき多彩な色に囲まれて生きてきた朔にとって、この事態は酷くイレギュラーな現象だった。
彼の感情だけ、どうしても読めない。
彼がどういう人間なのかわからない。
だから正直、なんだか気味が悪い。
時に自らの能力を厄介に感じることもあったが、無色透明の得体の知れない存在が出現したことにより、朔は急に不安を覚えてしまったのだ。
「それは確かに気になる現象だな…。
彼と君の間に面識はなかったんだろう?だったら、この異変は二人の間に生じたもの、というより、彼自身にいわくがあると考えるべきだ。
本当になにも、思い当たる節はないのか?」
アンリの問いに、朔は短く思案してからぽつりぽつりと語りだした。
「……それが、自分でもおかしいなって思うくらい、他に変なところは一つもないんです。
さっきアンリさんも言っていましたけど、ヘイリーさんはとてもいい人です。だから、あまり疑うようなことは、したくないんですけど…」
アンリは、記憶の中にあるヘイリーのイメージを想起し、確かにとでも言うように頷いた。
「……そうだな。俺も、彼が悪い人間とは思えない。
でも、これが君にとっての異常事態であるなら、善悪に関わらずなにか理由があるんだろう。
……後で俺の方から、それとなくシャノン君に話を聞いてみるよ。彼の経歴が分かれば、そこからヒントを得られるかもしれない」
「わかりました。急に変なことを言ってごめんなさい。
アンリさんだって忙しいのに…」
「謝る必要はないよ。君の場合はむしろ、もっと勝手気ままに振る舞っていいくらいだ。
物分かりがいいのは偉いことだが、たまには子供らしく、わがままを言うことも必要だよ」
申し訳なさそうに肩を落とす朔に、アンリは慈しむような目を向け、おもむろに手を伸ばした。
"自分のような、所詮顔見知り止まりの男が、こんな幼気な少女に気安く触れていいものか"
一瞬の躊躇いはあったものの、アンリの大きな掌はそっと朔の頭を撫でた。
こんな風に子供に触れたことのないアンリの手つきは、ややぎこちないものだった。
けれど、そんなアンリの想いが伝わったのか、朔は気持ち良さそうに目を閉じた。
"この感じは、ミリィが自分に触れてくれる時の心地好さと同じ"
"鮮やかな赤い髪や、表情の変化だけでなく、ふとした仕草の様子まで、彼らはよく似ている"
朔は、ミリィが側にいる時のような安心感を、まだ会って間もないアンリにも見出だし始めているのを密かに感じていた。
「───そういえば、君自身はどうなんだ?
自分のオーブが何色であるかは、わからないものなのか?」
最後に、じっと身を委ねる黒髪を一撫でしてから、アンリは朔から手を離してやった。
ついでに、たった今湧いた疑問を口にすると、朔は当たり前のように答えた。
「いいえ。わからないのではなく、わたしのオーブは透明なんです。どの色の属性にも当て嵌まっていません。
やっぱり、自分で自分の全身を見ることはできないから、なのかもしれないです」
「……?自分の姿を見る時は、当然鏡なんかの道具を通して、ってことになるだろうが…。
君の言う透明という表現と、ヘイリー君が無色であることはほぼ同義だと思うんだが、違うのか?」
アンリの言葉に、なにかを感じたらしい朔の動きがぴたりと止まった。
肉眼で自分の顔を見ることは、誰にもできない。
鏡や水面、陽射しを浴びた硝子など、光を屈折する対象物を間に介することで、間接的に見ることは可能だ。
ただし、直接視界に納められるのは、精々首から下の部位が限界。
千里眼という特異な能力を持つ朔でさえ、自分自身の姿を客観的に見ることはできない。
故に彼女は、鏡などを通した状態でしか、倉杜朔という人間の姿を確認したことがないのだ。
光の壁を隔てた自分の姿は、他の人達と違って色を持っていなかった。
それを本人は、自分自身には千里眼の効果が及ばないもの、もしくは直接目に映したことがないからだろうと解釈し、あまり気に留めていなかった。
だからこそ、初めてヘイリーを見た時、とても驚いたのだ。
まさか自分以外にも、オーブを持たない人間が存在するだなんて、と。
「言われてみれば……。ヘイリーさんを見た時のあの感じは、鏡に映った自分と、目があった時の感覚に似ている気がします。
……なのにどうして。同じ無色透明なのに、あの人とわたしとでは意味が違うと、思ったんでしょう」
アンリに指摘されてようやく自らの矛盾点に気付いたのか、朔は焦点の合っていない目でぼんやりと自分の両掌を眺めた。
この現象は、果たして偶然の一致なのだろうか。
朔とヘイリーの間に接点はないし、双方に共通点らしきものも見当たらない。
しかし、だからといって無関係と決め付けるのは早計だ。
原因は定かでないが、同様の特徴を持つということはつまり、朔はヘイリーに対してのみ他にはない特別な意識を向けていることになる。
となると、彼も例の人体実験に関与している可能性が、あるのではないだろうか。
"これはシャノン君とヘイリー君に、詳しい話を聞く必要がありそうだな"
困惑している様子の朔を横目に眺めながら、アンリは訝しげに目を細めた。
『One's shadow in a mirror』




