Episode22-3:少女のみている世界
「最近のミリィは、特にすごかったです。
急にオーブが濃くなったり、大きくなったり。ずっと不安定で、ゆらゆらしていて、まるで海みたい」
「それは感情の起伏による変化ってやつか?」
「はい。……あの時、私を迎えに来てくれた時のミリィは、全身燃えているみたいでした。
ミリィの手に触ったら、そんなはずないのに、何故かすごく熱く感じて。
あんなミリィは、今まで見たことがなかったので、少し、怖かったです」
朔の言うあの時、というのは、花藍が殺されたあの夜のことを指している。
犯人達の魔の手を逃れ、たった一人暗い地下室に潜んでいた朔を、最初に見つけたのがミリィだった。
否、ミリィ以外に朔を救い出すことはできなかっただろう。
アンリは、自分のことよりもミリィの精神状態を心配する朔の姿を見て、少し切ない気持ちになった。
「今のあいつは、本当にいい人達に囲まれているんだな。
君のような女の子にまで、こんな顔をさせるなんて…。我が弟ながら、罪つくりな奴だ」
「……わたしはただ、ミリィに悲しい思いをしてほしくないだけです。
ミリィが暗い顔をしていると、私まで、悲しくなるから」
もじもじと爪先を重ね、困ったように肩をすくませる朔は、心からミリィのことを案じているようだった。
その様子を見て、アンリは朔の想いを確信した。
「………好いてくれているんだね。あいつのことを」
アンリが優しく尋ねると、朔は俯いたまま躊躇いがちに頷いた。
直後、短い静寂が訪れて、妙に気まずい空気が二人の間に流れ始めた。
アンリは、弟のミリィほど口が達者でないし、人とのコミュニケーションも得意な方ではない。
故に、目の前にいるこの少女を慰めてやりたいと思っても、迂闊に口を開くことができないのだ。
"こんな時、弟だったらもっと気の利いた言葉をかけてやれただろうに"
"何故自分は、他人を前にすると、それだけで腰が引けてしまうのか"
"こんな小さな女の子を相手に、なにをそんなに怯えている"
己のふがいなさを改めて痛感したアンリは、無意識に眉を寄せた。
「……君は、今の状況をどう見ている?」
とにかく、今はこの気まずい沈黙を打破しなければ。
そう考えを改めたアンリは、思い切って回りくどい話はやめることにした。
「状況…?」
それは、誰しもが気にかけていたことであり、だが、誰一人として触れられずにいた話題だった。
「何故自分はここにいるのか。……あの夜、自分の身になにが起きたのか。
君は、どこまで理解しているんだ?」
恐る恐る、しかし単刀直入に核心を突いてきたアンリに、朔は少しだけ驚くような表情を見せた。
朔は、ミリィに連れられてこの屋敷にやって来てからというもの、不満や疑問の言葉を一切口にしていない。
ここは一体どこで、何故自分は今こうしているのか。
大まかな経緯は、ミリィやマナが当たり障りのない言葉を選んで説明したため、一応理解しているとみえる。
だが、こうなった肝心の原因、花藍の死については、誰も彼女に詳しく話していない。
というのも、朔自身尋ねようとすらしないのだ。
ただ、ミリィの言い付けをひたむきに守って、彼の帰りをじっと部屋で待ち続けている。
その姿は、まるで全てを忘却してしまったかのように大人しかった。
中でも親しくなったマナでさえ、花藍が殺害された夜のことはどう伝えてよいかわからず、その話題だけはずっと避けていた。
故に、母が亡くなったという辛い現実を朔がどう受け止めているのか、誰も言及できずにいたのだ。
「───初めてです。そんな風に、真っ直ぐに質問してくる人」
「ああ。それは俺も自覚してるよ。
けど、ごめんな。俺は弟と違って口下手で、鈍感だから。
あいつみたいに上手に話が出来ない男なんだ」
「……いいえ。そんなことないです。
直接聞いてきたのは、アンリさんが初めてだったので、少し驚いちゃいましたが…。私は別に、なにを言われても、平気です」
朔はアンリの態度を意外に思ったようだが、無神経だと怒ったりはしなかった。
どうやら、周りが勝手に誤解をして、戸惑っていただけのようだ。
本人としては、別に本音を隠していたわけではなく、現実と向き合うことを拒否していたわけでもなかったらしい。
ただ、誰もそのことについて触れてこないから、聞かれなかったから、答えるまでもなかっただけ。
「理解しているか、という質問なら、わたしは"はい"と答えます。
どうして自分は今ここにいるのか、わたしは理解しています。
お母さんが死んだことも、お母さんを殺した人達が、次はわたしを狙っていることも。
ぜんぶ、わかっています」
「……それは、最初から全て、自力で受け入れたということか?」
「……その質問の答えは、半分正解で、半分違います。
あの時、お母さんがわたしにだけ隠れろと言った時から、こうなることはなんとなく分かってました。
でも、ミリィがいてくれなかったら、わたしはきっと、あれは全部幻だったんじゃないかって、思ったと、思います」
語る朔の様子はとても落ち着いていた。
本人の言葉通り、花藍の死については彼女なりに整理をつけたようだった。
「お星様に生まれ変わったとか、どこか遠い国へ旅に出たとか。
ミリィは、そんな曖昧な言い方で、わたしに空しい希望を持たせるようなことはしません。こっちから質問をしても、はぐらかしたりしません。
ミリィはちゃんと、本当のことを話してくれます。それで、一緒に悲しい気持ちになってくれます。一緒に泣いてくれます。
子供だからって、嘘をついたりしません。子供だからこそ、真実を伝えるべきとミリィは言います。
だからわたしは、ミリィのことを誰よりも信じています。
おかあさんと一番仲良しでいてくれたのも、ミリィだから」
見た目は普通の、年相応の小さな女の子。
しかし、時に彼女は、思わず周囲がはっとさせられるような、的確で鋭い言葉を発したりする。
見掛けが幼いだけで、中身はとっくに大人であるのだと言われても不思議じゃないほど、朔は聡明な子供である。
逆を言えば、朔が相応のあどけない振る舞いを見せるのは、最も信頼するミリィと、母の前でだけなのだ。
だからこそミリィは、花藍がただ亡くなったのではなく、何者かの手にかけられたのだということを、正直に朔に打ち明けた。
優しい嘘で取り繕ったところで、朔の千里眼と洞察力を前には、すぐに偽りと見抜かれてしまうだろう。
それに、子供向けの甘ったるい表現で納得するほど、彼女は無邪気ではない。
神隠しのこと、人体実験のこと。
彼女の生みの母、花藍の正体について。
核心的なところは上手く切り離して、賢い朔にも見破られてしまわないよう、出来るだけリアリティのある作り話でミリィは飲み込ませた。
花藍は、突如押し入った犯罪グループの手によって射殺された。
そして、その模様をどこからか目撃していたであろう朔のことも、念のため始末するべく狙ってくるはずだ、と。
何故花藍は殺されたのか。
襲ってきた犯罪グループとは一体何者なのか。
そんな話を聞かされては、朔も当然疑問を呈したが、ミリィはとっさに原因をでっちあげるのではなく、それはわからないと正直に答えた。
自分達もその理由が知りたいから、これから皆で力を合わせて、犯人を捕まえに行くのだと。
子供とは。
自分の手に届かない不明瞭な事柄を、急場凌ぎの言葉で適当に教えられるよりも、わからないことはわからないと素直に言った方が案外納得してくれる生き物だ。
故に朔は、未だに自分の正体を知らない。
母の過去も人体実験のことも、なにも知らない。
理解しているのは、母が銃で殺されたということと、それでも自分は一人ぼっちではないということだけ。
側にはミリィがいてくれる。
今の朔にできることは、ただ、ミリィを信じることだけだった。
「───そうだな。あいつは、君のことをとても大切に思ってる。
あいつだけじゃない。俺達だって、みんな君の味方だ」
アンリは、こちらを見上げる朔としっかり目を合わせて言った。
すると朔は、なにかに気付いた様子で二回大きく瞬きをした。
「……やっぱり」
「ん?」
「今、笑った顔がミリィとそっくりでした」
朔から思わぬ指摘をされ、今度はアンリが大きく瞬きをした。
「え…。俺、今笑っていたか?」
「はい。とても綺麗な笑顔でした。
……初めてあなたのことを見た時、ミリィと全然似ていなかったから、本当に兄弟なのかなって思いましたけど…。
今のを見て、よくわかりました。アンリさんは、ミリィの本物のお兄様なんですね」
どうやら、朔の気持ちを励ましてやろうと言葉をかけた際に、アンリは無意識の微笑を浮かべていたようだ。
朔は、アンリのその顔を見て、ようやく心からの安堵の表情になった。
アンリは、全く意図していなかったことにやや気恥ずかしい感じを覚えたが、同時に嬉しくも感じていた。
ミリィと似ていると無邪気に喜ぶ朔の姿が、ここにきて初めて年頃らしい少女に見えたからだ。
彼女の心を動かすのは、いつだってミリィの存在なのだと。
これだけはいつまで経っても、弟に敵いそうにないなとアンリは思案した。
「まあ、俺は弟ほどスマートな男じゃないし、あまり頼りにはならないかもしれないが…。
俺個人としては、是非君と仲良くなりたいところだから。困ったことがあれば、いつでも言ってくれ。
俺で良ければ力になる」
「はい。ありがとうございます、アンリさん…。」
朔は、アンリの言葉に嬉しそうに返事をした。
だが、その表情は徐々に曇っていって、最後には思い悩むように口を閉ざしてしまった。
「………?どうした?浮かない顔をして。なにか気に障ることを言ってしまったかな」
せっかく本来の明るさを垣間見るほどには、距離を縮められたというのに。
再び陰り始めた朔の顔を見て、アンリは心配そうに声をかけた。
「いいえ。そうじゃないんです。
ただ一つ、思い出したことがあって…」
「思い出したこと?」
朔は、今ふっと思い出したことがあって、そのことが数日前からずっと引っ掛かっているのだと打ち明けた。




