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オルクス  作者: 和達譲
Side:S
140/326

Episode22-2:少女のみている世界



PM2:10。

ミリィ達が花藍の密葬に出席している時分、留守番の一人であるアンリは、バシュレー家別邸のある部屋の前にいた。


ここは、先日ミリィとトーリが大喧嘩を繰り広げた場所でもある、ミリィ専用のゲストルームだ。

ミリィが不在の今は、代わりに朔の寝所のようになっている。




「───すまん、俺だ。ちょっと話があるんだが、マナ、いるか」



部屋の扉を二回ノックしてから、アンリは中に向かって呼び掛けた。

というのも、アンリはマナに用事があってここを訪ねて来たのだ。




「………どうぞ」




ところが、返事をしたのは朔だけで、マナからの応答はなかった。


予想と違う展開にアンリは首を傾げたが、当人が入室しても構わないと言うので、とりあえず中を覗いてみることにした。




「………。もしかして、今は君一人か?さっきまでここに、マナもいたと思うんだが…。入れ違いか?」




アンリが扉を開けると、そこには相変わらずの様子でベッドに腰掛けた朔がいた。

しかし、肝心のマナの姿はどこにもなかった。


朔の世話役を引き受けている彼女なら、きっと今も側にいるだろう。

そう思って訪ねて来たアンリの予想は、どうやら外れてしまったようだ。




「マナさんなら、先程シャオライさんという男の人が呼びに来て、一緒に出ていかれました。

なにかご用ですか?」



慣れない異性の訪問者にやや緊張した面持ちで、朔はぼそぼそと答えた。

曰く、先程まで共にいたというマナは、一足先にシャオに呼び出されていったとのこと。




「ああ、すまない。実は俺も、彼女に話があってここへ来たんだが…。

……君は、なにをしているんだ?」


「……特には、なにもしていません」



アンリは、用件のあるマナがいないのであれば早々に退室しようかとも思ったが、一人でいる朔の様子がなんだか心細そうだったので、とっさに踵を返すのを止めた。




「入っても、いいかな」



アンリが顔色を窺いながら尋ねると、朔は静かに目を丸めた。




「え…。わたしは、いいですけど。

でも、マナさんにご用があって来たんじゃ…」


「いや、それはもういいんだ。シャオに呼び出されていったんなら、多分俺の用件も済んでる。

隣、座ってもいいかい?」


「……どうぞ」




朔が頷いたのを見て、アンリは扉を閉めて中に入った。


ちなみに、アンリがマナを探していたのは、先日彼女にのみ行き届かなかった今後のスケジュールを伝えるためだった。

ジャックやジュリアンには既に話を通してあるのだが、マナだけは付きっきりで朔の世話をしていたため、なかなか接触するタイミングがなかったのだ。


ただ、今はシャオと一緒にいるそうなので、アンリが動く必要はもうなくなった。

アンリと共に予定を立てていたシャオなら詳しいことを知っているので、彼女は今まさに彼から話を聞いているところだろう。




「失礼するよ」



アンリがベッドの方まで歩み寄っていくと、朔は少し座る位置をずらして、アンリの顔を見上げた。


アンリは朔の隣に腰を下ろすと、見つめてくる彼女と視線を合わせた。

すると朔は、ぴくりと肩を揺らして、ばつが悪そうに慌ててアンリから目を逸らした。




「それ、肌身離さず持ってるんだな」


「え?……あ、万華鏡、ですか」



ふとアンリが呟くと、朔は一瞬だけ顔を上げて、再び自分の膝元に目を落とした。




「マナから聞いたよ。君の誕生日に、あいつがプレゼントしたものなんだって?本当に仲が良いんだな」




細い膝の上で結ばれた手中には、小さな万華鏡が収まっていた。

これは、数年前の朔の誕生日に、ミリィがプレゼントした手作りの品である。


ミリィが側にいない時には、これをミリィの身代わりとして寂しさを埋めているようで、入浴時以外は常に持ち歩いている。

花藍を失ってからは、その代償行為に益々拍車が掛かったため、一人で放っておくと何時間も万華鏡の穴を覗いていたりする。


見兼ねたマナが、うっかり無くしてしまわないようにと紐を通してくれたおかげで、最近は首から下げるようにもなった。




「アンリさんは、ミリィのお兄様、なんですよね」



怖ず怖ずと伺ってくる朔に、アンリは思わず苦笑した。




「様だなんて仰々しいからいらないよ。俺はただの、あいつの兄貴。

といっても、知り合ったのはつい最近のことなんだけどね」



朔は納得した様子で一つ頷いた。




「はい。マナさんやウルガノさんから、お話を聞きました。

ミリィにお兄さんがいるなんて知らなかったので、わたしはとても驚きました。

……顔はあまり、似ていないのですね」




メンバーの自己紹介は既に全員分済ませてあるが、それ以外にもマナやウルガノが個人的に話をしてくれたという。

おかげで、一人一人の詳細なキャラクターも朔は把握できているようだった。


アンリは、束ねた自分の髪を指で摘まむと、証明するように朔の方に持ち上げてみせた。




「ああ。皆からもよく言われるよ。けど、この赤い髪を見れば一目瞭然だろう?」



朔は、真ん丸の瞳でぼんやりとアンリの顔を見ながら答えた。




「はい。同じ色をしています。髪も、オーブも」


「オーブ?」



聞き慣れない単語に、アンリは僅かに怪訝な表情を浮かべた。




「───そういえば、君の目には、普通の人には見えないようなものも映るらしいな。

もしかして、俺の体にもなにかついているのか?」



アンリが尋ねると、朔は難しそうに首を傾げた。




「ついている…、という言い方でいいのかは、わからないですけど。

ただ、アンリさんからは赤いイメージを感じます。宝石みたいにキラキラしてて、すごく強い赤」


「赤…。君の言うオーブというのは、俗に言うオーラのようなものなのか?」


「……わたし以外の人で、わたしと同じ目を持っている人と会ったことがないので、なんと言ったらいいのか、とても難しいです」



アンリの素朴な疑問に、朔はどうにか答えようとしたが、あまりに特異すぎる能力であるため、上手く言葉で言い表せなかった。




「ただ、うーんと。こういう形のあるものと違って、オーブの色は、目で視ているというより、体の全部で感じるというか…。

……ごめんなさい。どう言えばわかってもらえるのか、わかりません」



手元にある万華鏡などを用いてみても、やはり思ったように表現することはできなかった。


自らの表現力の乏しさにうなだれる朔を見て、アンリは彼女の言いたいことを理解しようと思案を巡らせた。



本人曰く、オーブと呼ばれる色覚は、単純にその人の顔形を見ている時とは感じ方が異なるという。


通常、人間の視覚情報は、眼球を通して"見る"という行為を介することで、脳に信号を伝達して処理するものである。

しかし、朔の言うオーブの場合は、視界にはっきり色が映るというより、直接脳が赤であると認識している感じに近いらしい。


例えば、窓。

窓を開ければ、外の風が室内に流れ込んでくるが、陽の光は開閉状態に問わず室内に差し込む。

アンリ達一般人の見ている景色が、前述の風であるとするならば、朔の視ているオーブは、つまり陽光と同じなのだ。


瞼を開けていると、ただそれだけで朔の脳内にオーブが流れ込んでくる。

本人の意思に関係なく、これは自動的に発動する。

故に、朔の視野に距離という名の壁はない。


自分の立ち位置から遥か遠くにいる人物が何者であるのか、どういった姿形をしているのか。

一般人の視界には認識が難しいものでも、朔なら一目で見分けることができる。

何故なら、相手の外見ではなく、その人から伝わるオーブで識別が可能だからだ。



ただ、この"オーブ"の情報を休まずに処理し続けると酷く体力を消耗するそうで、近頃は出来るだけ控えるようになったという。


制御するのに最初は苦労したそうだが、今となってはコントロールの術も心得たとのこと。

意識すれば、窓に遮光のカーテンを引くことも可能になった、というわけだ。


朔はこの意識状態を、"もう一つの瞼"と呼称している。




「いや、謝ることはないよ。前例がないのだから、上手く説明できないのは当たり前だ。俺にそんな特別な力はないから、素直に感心するだけだよ。

ちなみに、俺以外の人達の、オーブ?が何色なのか、聞いてみてもいいかい?」


「えっと…。マナさんが赤っぽい橙色で、ウルガノさんとヴァンさんが青。シャオライさんが濃い緑で、トーリさんが黄緑。

それから………」




そして、現時点で確認できているオーブの色は、原則として七種類のタイプに組分けされている。


赤、青、緑、黄、紫、茶、白。

前述の七色は、その人の容姿や性格によって大まかに分類され、そこから更に詳細なキャラクター性や感情の起伏などが加味することによって、複雑な色合いとなっていく。


例を挙げるなら、まずシャオとトーリだ。

二人は同じ緑属性の人間でありながら、微妙に色味が異なっている。

これは、彼らの根本的な思想や価値観は類似しているが、生い立ちや人格などの厳密な部分には差があることを意味している。


ウルガノとヴァンが共に青属性であるのもこのためであり、色味が近い者同士には、大なり小なりなんらかの共通点があるものと朔は理解している。



朔が一瞬にして他者を見分けることができるのは、一人一人のオーブの色味が違うから。

原則の七色の内、タイプが共通していても、全く同じ色の人間は二人といない。


その微妙な変化を敏感に察知して、通常は不可視であるものも可視に変えてしまえるのが、朔の持つ特殊能力なのである。




「ミリィは…。昔は、綺麗な赤だった。今のあなたと、ほぼ同じ色」


「だった?……俺とあいつは、腹違いとはいえ兄弟だし、血縁者は同じ系統が多いというのは、何となく分かるが…。

後から色味が変化するなんてこともあるのか?」


「ある。すごく怒ってたり、悲しかったり嬉しかったり…。気持ちに波がある時は、一時的にその人のオーブが明るくなったり、暗くなったりします」


「つまり、今のあいつは情緒不安定ってことか…。

確かに、あんなことがあった後じゃ、無理もないと思うが…」



アンリの解釈に、朔は首を振って訂正した。




「いいえ。ミリィの色が変わり始めたのは、もっと前からです」


「そうなのか?どんな風に」



アンリが言及すると、朔は少し言いづらそうに、心配そうな顔で答えた。




「……ちょっとずつ、だけど。黒っぽく、濁り始めて。

前より綺麗な色じゃなくなりました」




ミリィのオーブが変色し始めたのは、およそ半年前。

最愛の母を亡くしたことをきっかけに、徐々に色が濁り出したようだと朔は言う。


その悲しみと絶望は、ミリィの心に深い傷を残し、永遠に消えることのない辛い記憶であるのは当然だ。


しかし、それが原因だとして、ここまで本来の色味からオーブが変色することはとても珍しいという。

朔はこの現象が、単なる精神的なものが要因ではないかもしれないと語った。



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