Episode21-5:弱虫の手なずけ方
「───あ。ご、ごめんなさいトーリ!なかなか戻って来ないから、あの、心配になって、その…。
あ、でも、私達は今来たばかりですから!たった今お訪ねしようとしていたところで……、ね!」
最初に口を開いたウルガノは、今の状況を釈明しようと慌てて声を上げ、とっさにヴァンに同意を求めた。
ヴァンは一つ頷くと、当たり前のように答えた。
「ああ。もしバレた時は、丁度今着いたところということにしようと、さっきウルガノに言われて、」
「ちょっと!なんで全部言っちゃうんですか!
……違うんですよトーリ、ミリィ。私達は本当に、なにも聞いていませんから。
勝手に聞き耳をそばだてていたことは謝りますが、ここ壁が厚くて、お二人の声なんてほとんど…!」
しかし、ヴァンは口裏を合わせないどころか、正直に事の経緯を白状してしまった。
再三言い聞かせていたにも関わらず、何食わぬ顔であっさりと裏切ったヴァンに、ウルガノは小声で怒りながらあたふたし始めた。
そんな彼等のやり取りを見て、急に可笑しさが込み上げてきたトーリとミリィは、思わず吹き出して笑ってしまった。
「ハー。……なんか、一人でうじうじ悩んでたのが馬鹿みたいだ。
……心配かけてごめんな、皆。でも、今度こそ本当に大丈夫だ」
「だってさ。…そんな顔しなくても、一応は仲直りしたから。もう心配いらないよ。
ほら、怒ったりしないから、早く体起こしなよ」
先程の張り詰めた空気が嘘のように、ミリィとトーリはすっかりいつもの調子を取り戻した。
二人の穏やかな様子を見て、ウルガノはようやく安堵の表情を浮かべた。
トーリが促すと、一番上のヴァンから順に体を起こしていった。
それから、ヴァンとウルガノが二人がかりで、下に潰れていた東間を立ち上がらせてやった。
東間はヴァンに肩を支えてもらいながら、一人だけ疲れた顔で深く溜め息を吐いた。
「はぁ…。まったくどいつもこいつも人騒がせなんだから。
ただでさえしんどい時期なんだから、あんまり心配かけないでよね」
じっとりとした目付きで皮肉っぽく言う東間に、ミリィは苦笑しながら謝った。
「悪い悪い。反省してるよ。
けど、なんだかんだ東間もオレのこと心配してくれたんだ?嬉しいな」
「………別に。一応気にはしてたけど、そこの眼鏡の人ほどじゃないよ。
やけに親密そうっていうか、距離が近い雰囲気だったから、あのまま流れでキスでもするのかと思った」
「ええ!?ミリィとトーリがですか!?」
ミリィの反応が照れ臭かったのか、東間はごまかすように一つ冗談をついた。
冗談を真に受けたウルガノは上擦った声を上げると、ミリィとトーリの顔を交互に見た。
「やめてよ気色悪い。
僕だって、平素はあんな風に人に詰め寄ったりしないよ。今回は事情があったから特別ってだけ」
「おぉーい東間ぁ。勝手にオレらをホモにするんじゃねーよ。
さては、最近構ってもらえなくて拗ねてたんだな?可愛い奴め」
トーリは淡々と冷静な態度で答えた。
ミリィはニヤニヤと含みのある笑みを浮かべて、東間に接近していった。
東間の丸い頭を両手で撫で回したミリィは、抵抗しようともがく彼をあしらって、文句をぼやく顔を指先で横に引っ張ってやった。
楽しそうに自分の頬を摘んでくるミリィに、東間は益々仏頂面になったが、それ以上怒ることはなかった。
"西洋の人間って、やっぱり近すぎるから苦手だよ"
うなだれた様子で東間が小さく呟くと、ミリィは目を細めて笑った。
「それじゃ、一段落ついたところだし。僕は先に戻ってるよ」
ミリィと東間がじゃれていると、トーリは外した眼鏡をかけ直して、眉間を指で押さえながら歩き出した。
「なにか用事でもあるんですか?」
「いいや別に。ただ、久しぶりに大きい声を出したから、なんか肩凝った、気がする。
だから、ヘイリーさんに頼んで、下で温かい飲み物でも頂くことにするよ。
……慰めるのは、僕の仕事じゃないしね」
首を傾げるウルガノに返事をし、まるで後は任せたとでも言うように彼女の肩を叩くと、トーリは一同に背を向けて歩みを進めた。
ミリィは、そんなトーリの後ろ姿を見詰めながら、最後にもう一度だけ彼の名を呼んだ。
「………ありがとな」
少し気恥ずかしそうに、だが真面目なトーンで、ミリィは改めてトーリに礼を言った。
一度足を止めたトーリは、返事をする代わりに一つ柔らかい微笑を返すと、無言で部屋を出て行った。
その後、部屋の外で待機していたバルドも動き始めた。
扉の前を横切る際、彼はミリィに向かって一つウインクをしてから、階段を下りていくトーリの後を追い掛けていった。
「じゃあ、俺達もそろそろ行くか」
「うん。ミリィも早くおいでよね」
「……ああ」
トーリ達に続いて、ヴァンと東間もなにかを察したようにそそくさと退室していった。
部屋に残されたのは、ミリィとウルガノの二人だけになった。
ウルガノは、また考え事を始めた様子のミリィに、優しい声で話し掛けた。
「………あなたは行かないんですか?ミリィ」
ミリィはウルガノの顔を一瞥すると、ばつが悪そうに再び俯いた。
「……なんか、さ。トーリとあんな話した後で、これからどんな顔してシュイに会えばいいのかって、思って…」
トーリに叱咤され、自分の言動が思いもよらずシャノンを苦しめていたらしいことを知ったミリィは、彼に対して申し訳ない気持ちで一杯だった。
あえて詳しく言及しなかったのも、深く踏み込んでいかなかったのも、偏にミリィを思う優しさが故だったのだ。
ミリィの気持ちを第一に考えていたからこそ、シャノンは一定の距離を保って接してくれていた。
シャノンが自分を支えてくれていることは感じていたが、そういう意味でも見守ってくれていたとは気付かなかったミリィは、親友の情の深さを改めて実感すると共に、まずなんと言って彼に謝ればいいのだろうと悩んだ。
するとウルガノは、少し考えた後、真っ直ぐにミリィの目を見た。
「シャノンさんは、あなた一人に戦わせるくらいなら、自分も共に修羅の道を行きたいとおっしゃっていました。
自分が平和に呼吸をしている裏で、大切な友人が人知れず傷付き、倒れでもしたら。自分は二度と、永遠に笑えなくなるだろうと」
「……あいつ、君にそんなことを?」
「ええ。
友達なのに、どうしてなにも言ってくれないんだろうと、珍しく高ぶったご様子でした。
シャノンさんを見ていると、どれだけ彼があなたのことを心配しているか、よくわかります」
ウルガノの言葉が耳に痛く、ミリィは自己嫌悪で頭を抱えた。
「ハア。そうだよな。
……参った。今更どの面下げて会えばいいんだ、オレ」
ウルガノは、ここに来る前にシャノンと話したことを思い出していた。
無関係な一般人である彼を、こうして巻き込む形になってしまったこと。
そのことに責任を感じているのは、なにも親友のミリィだけではない。
ウルガノもまた、世話をかけてばかりいるシャノンに対して、頭が上がらない気持ちなのだ。
だが、前述のシャノンの言葉を聞いて、ただ申し訳なく感じているだけではいけないとウルガノは気付いた。
「花藍さんの死は、本当に、悲しいことです。辛いからと目を背けてはいけない。
……ですが、直視し続ければ、その分周りに目がいかなくなります。
私達が悲嘆に暮れている間、敵が待っていてくれるわけではありません」
「あの人の犠牲を無駄にしないためにも、今のオレ達にできることを、か?」
「その通りです。そのために私達はやってきた。
後悔はしていません。覚悟なら、とうに出来ています。
……ほら、息をして、ミリィ。深く吸って、吐いて。
一度に全てを抱え込んではいけない。皆で分け合って、一つずつ、片付けていけばいいんです」
諭すウルガノの声は穏やかで、まるで母親が絵本を読み聞かせてくれているかのようだった。
ミリィは彼女の言う通りに深呼吸をすると、ゆっくり目を閉じて思案した。
僅かでも気を緩めれば、喪失の痛みがまたじわじわと体を蝕んでいく。
酷く苦しい。悲しくてたまらない。
だが、少し前までと比べると、この痛みとも真正面から向き合えるようになった、かもしれない。
傷は癒えない。時の流れは、苦痛を和らげてはくれても、傷痕を消してはくれないだろう。
倉杜花藍という一人の女性がこの世を去った事実は、永久になくなることはない。
だからこれからも、苦しみながら、もがきながら生きるしかないのだ。
この胸を貫く、太い針のような鋭い痛みも。溺れるように呼吸が辛い感覚も。少しずつ受け入れていくしかない。
受け入れて、上手に付き合っていく方法を、自分自身で導き出すしかない。
自分にしか、その答えは見付けられない。
忘却という逃避に縋らずに、それでも止まらずに歩いていくためには、そうするしかないのだ。
だから、ごめんなさい。花藍さん。
今は、貴女の屍を越えていきます。
「まずは、皆とちゃんと話をすることから、だな」
瞼を開けると、すっかり見慣れた姿のウルガノがそこにいた。
「はい。後ろは私達に任せて。あなたは前だけを見据えていてください。
皆で力を合わせて、共に進んでいきましょう」
彼女に優しく背中を叩かれたミリィは、今度はしっかりとした足取りで歩き始めた。




