Episode21-4:弱虫の手なずけ方
「君に心がないなんて、本気で思ってるわけじゃないよ。
でも、言ってくれないと、ちゃんと言葉にしてくれないと、伝わらないよ。
傷付いた君を慰めてやりたくても、支えてやりたいと思っても、僕はどうしたらいいのかわからない。君が今なにを考えているのか、全然わからないんだよ。
……こんな時こそ、手を取り合って、声をかけ合うのが、仲間だと僕は思った。
だから僕は、目一杯君に手を伸ばそうとしているのに、君はずっと背を向けたままで、こちらに振り向いてもくれない。
なにも言わない。何一つ教えてくれない。
頼ってくれないのは、僕が頼りないからか?本当の気持ちを打ち明けるには、相応しい相手じゃないから?
ミリィ、僕は。
どうしても君の世界の、脇役でしかいられないのか?」
今にも泣き出してしまいそうな表情で、トーリはミリィの目を見詰めた。
するとミリィは、更にもう一筋静かな涙を流して、そろそろと口を開いた。
「オレ、辛い時は、自分が我慢すればいいんだと、思ってた。
ぶちまけてもきっと、相手を困らせるだけで、無意味だって。
傷は消えなくても、痛みは、時間が経てば少しずつ引いていくから。
だから、その時までじっと、我慢すれば、誰にも迷惑かけずに済むって、思ってたんだ」
いつから自分は、こんなに臆病になってしまったのだろう。
いつから、人の心に踏み込んで行くのも、自分の心に踏み込まれるのも、恐ろしいことだと思うようになったのだろう。
どこまでなら暴いてもOKなのか、どこまでなら探っても構わないのか。
他人の許容範囲が、セーフラインが、明確に目に見えたらいいのにと、子供の頃よく思った。
もし、君の心を丸裸に開いた時。
実は君が、オレのことを嫌っていたらどうしようって。
もし嫌われているのなら、憎まれているなら、本心など知りたくないと思った。
好意的な笑顔の裏で、みんなが本当に抱いていた感情が、嫌悪や侮蔑や、憎悪であったらと思うと、怖くてつい腰が引けてしまった。
オレのことが好きかと尋ねて、もし否定を返された時のことを考えると、どうしてももう一歩を踏み出す勇気が持てなかった。
真実を知る覚悟が出来なかった。
そんなことでは、いつまで経っても上辺の付き合いが続いていくだけと、頭では理解していても。
きっと彼は、彼女は、自分のことを好いてくれていると、なにがあってもこの関係が壊れてしまうことはないと、信用することができなかった。
「人に、嫌われるのが、こわいんだ。
いつか、お前なんかいらないって、捨てられたらどうしようって、悪い方にばっか考えて。
他人の評価を気にし過ぎて、いつの間にか、自分は本当はどうしたいのか、わからなくなってた。
ただ、嫌われないように振る舞うことだけ、意識して。本質はなにも見えてなかったんだ。
本当に大事なことを、オレはずっと見落としていた」
無条件に愛してくれた母という存在を失い、ミリィの心の闇は一層深く根を生やした。
ミリィは、なにより孤独を恐れていた。
誰からも必要としてもらえなくなることが、彼にとって一番の恐怖だった。
だからいつも、他人の目ばかりを気にして愛想を振り撒いた。
常に平静を装って、どんな時も、誰に対しても公平公正でいようとした。
例え、心底気に食わない思いをしても、その不満を表に出すことはしない。
自分には肯定できないような事柄も、相手が好ましいとしたことであれば、とりあえず同意する。
一途な好意を伝えたい相手がいても、失敗した時を先に想像してしまって、素直に気持ちを伝えられない。
いつの間にか、自分がどうしたいかではなく、状況を見てこうするべきと判断した行動をとるようになっていたのだ。
「まるで、ピエロだ。
嫌われたくないばっかりで、好かれる努力をしてこなかった。
誰にでも同じ態度で、どんな時もヘラヘラしてる奴なんて、誰からも愛されるわけない。
ごめん、トーリ。オレ、やっと理解したよ。自分がどれだけ、愚かだったか。
ぜんぶ、お前の言う通りだ。オレはずっと、逃げてきたんだ。人と向き合うことが怖くて、誰とも目を合わせないで生きてきた。
自分では、迷惑をかけたくないと思って、やっていたことが、却って皆に、余計な心配を、させてた。
トーリにも、シュイにも、そんな思いをさせてたなんて、気が付かなかった。
………ごめん」
まさか自分が、それほどに思われていたなどとは知らなかった。
自分に対して、こんなに激しい感情を持ってくれていた人がいたなんて、思いもしなかった。
ここにきてようやく、ミリィは真正面から自分自身と向き合った。
ミレイシャ・コールマンという一人の人間が、何者であるのかを改めて考えた。
酷く臆病で、小賢しく、回りくどくて嘘つきで。
愛してほしいと素直に言えず、せめて嫌わないでくれと幼子のように寂しがる。
ミリィの親友であるシャノンは、ずっと前からミリィの本性を見抜いていた。
でも、それを指摘してしまったら、彼は尚更自分の殻に閉じこもってしまう気がしたから、ずっと言い出せなかったのだ。
"彼は決して、最後には選んでもらえない人なんだよ"
トーリは、以前シャノンが悲しげに言っていた言葉を思い出した。
あれだけ人気者のミリィを、一番の親友であるはずの彼がそんな風に語るのは何故なのか。
いつも人に囲まれていて、愛されているはずのミリィを、やけに確信めいた口ぶりで予言したのは何故か。
当時は疑問すら覚えた言葉だったが、今となってはその真意がよく解った。
それはきっと、誰からも嫌われずにいようと生きてきたミリィに、いつか必ず降り懸かるであろう、罰にも等しいツケだ。
目まぐるしく変化し続けるこの世界で、自分だけ変わらずにいようとすれば、時代という奔流に置いていかれるのは当然だ。
変えたくないと望むならばこそ、時には望まぬ変化も受け入れなければならない。
人と人との営みは、そうして脈々と続いていくものだから。
トーリはミリィの過去を知らない。
共に幼少期を過ごしてきたシャノンと違い、本人の口から語られたエピソードしか、トーリは把握できていない。
しかし、だからこそ。
まだ友と呼ぶには僅かに足りない関係だからこそ、トーリの目は冷静にミリィを見ることができた。
ミリィの固く閉ざされた心に、鋭い切っ先を向けるということ。
シャノンが長年望み、だけど躊躇い続けて出来ずにいたことを、まだ出会って間もないトーリが代わりに果たした。
一度懐に入ってしまえば、あとは簡単なこと。
切り口から溢れ出した洪水のような膿を、受け止める器があればいいだけだ。
「───花藍さんが君宛てに遺書を遺したのは、誰より君を信頼していて、そしていつか、自分の身には避けられない死がやってくることを予感していたからだ。
辛いことを言うようだけど、遅かれ早かれ、彼女はいずれ命を落とす運命だった。
あの時、犯人が突入する前に、運良く救い出せていたとしても、結果として、僅かに死期が延長されたに過ぎなかった。
どうしたって、無理だったんだよ。君のせいじゃない」
「だけど………」
「ミリィ、僕によく言うだろ。
果たせなかったものを悔いることはいつでもできる。まずは、今の自分にしかできないことをやろうって。
だったら僕らは、彼女が命懸けで伝えてくれたことを無駄にしないためにも、ここで目を閉じてはいけないんだ。
一人で立ち向かうには無謀すぎる相手でも、今の僕には皆がいてくれるし、君には僕らがついてる。
みんな、一緒なんだよ、ミリィ。僕達の運命はもう、一つだ」
徐々に力強く、熱の入った声でそう言うと、トーリはゆっくり立ち上がって、ミリィの目の前で足を止めた。
「ていうか僕、出会ったばかりの頃は、ぶっちゃけ君のこと嫌いだったし。
悪い印象から始まった関係なら、それ以上嫌いになることもないでしょ」
赤く腫らした目で見上げてくるミリィに、トーリは手を差し延べた。
「君がちょっと噛み付いてきたくらいで倒れるほど、僕達は弱くない。
僕も変な意地を張るのはやめるから、君も怖がるなよ、ミリィ。
差し出された手をとることも、勇気だ」
トーリの瞳がゆるやかに弧を描く。
ミリィは思わず息を呑み、恐る恐るトーリの掌に自分の指先を重ねた。
トーリはその手をぎゅっと掴むと、思い切り上に引っ張り上げた。
強引に浮上させられる感覚に、ミリィは少し体のバランスを崩したが、トーリにもたれ掛かることはなかった。
ぐっと床を踏み締めて、自分の力だけで体勢を整えてみせた。
「君が弱った時は、僕が思い切り背中を叩いてやるよ。
……だから、僕が暴走しそうになった時は、君が手綱を引いてくれ。
未熟な半人前同士、精々頼りになる仲間に叱ってもらおうじゃない」
トーリが安堵の表情を見せると、ミリィの顔からも険しさがなくなっていった。
そして、ミリィがトーリの言葉に返事をしようと口を開いた刹那。
全く同じタイミングで、部屋の外から物音が聞こえてきた。
思わず口をつぐんだミリィは、同じく意表を突かれたらしいトーリと共に、怪しげな扉の向こうに意識を向けた。
すると、なにやら息を潜めた話し声が、ひそひそと室内に漏れ聞こえてきた。
「あ、ちょ、押さないで下さいよヴァン!これ以上寄り掛かると東間さんが…」
「いや、だって全然中の声聞こえないし……」
「……っ、二人とも…!そんなに体重かけないでよ、苦しい…」
よく耳を澄ますと、複数の囁き声が会話をしているのが聞き取れた。
口調や語気の様子から察するに、なにか喧嘩でもしているような、言い争っているような雰囲気だ。
「あ、おいヴァン。そこに手置いたらドアノブ、」
「え?」
それから一人の冷静な声と、また別の声が続いてから、バタンと扉が開け放たれた。
"あ"
次の瞬間、複数の間抜けな声が同時に響き、声の主達が部屋の中に雪崩れ込んできた。
為す術もなく現れたのは、先程まで外で話していた東間、ウルガノ、ヴァンの三人だった。
じっと扉に寄り掛かっていたせいで、アクシデントに反応しきれなかったのだろう。
縦一列に仲良く重なった彼らは、まるで積み木のように高さを築いた。
一番上には、相変わらず能天気そうな表情を浮かべたヴァン。
真ん中には、しまったと太字で顔に書いてあるウルガノ。
最下層には、今にも失神寸前の東間が、二人分の重みに潰れている。




