Episode21:弱虫の手なずけ方
警察の事情聴取を片付けてきたミリィが、朔の元に戻って一時間ほどが経過した頃。
本邸の方に拠点を移していたトーリ一行が、作戦会議のため再び別邸へと集まった。
使用人のメリアに出迎えられ、一行が屋敷のリビングに足を延ばすと、そこにはアンリ、シャオ、ジャックの三人組が顔を揃えていた。
ぐるりと半円を描くソファーに並んで座った三人は、一足先に会議を始めていたようだった。
先頭を歩くトーリがソファーに近付いていくと、真っ先に気付いたアンリが顔を上げた。
「ああ、来たね。待ってたよ。向こうではなにか変わったことはなかったかい?」
アンリが声をかけると、トーリは短く返事をした。
「いえ。特にはなにも。そちらは?」
「ご覧の通り、今後のスケジュールを組んでいるところさ。
……それで、君達の方はこれからどうするつもりなんだ?大体の見当はついているのか?」
シャオが代わりに答えると、今度はウルガノが返事をした。
「我々の方針については、今のところはまだ未定です。
一応、疑わしいと思った箇所を虱潰しに当たっていく、と大まかな段取りは相談したのですが……。
リーダー不在で、勝手に計画を推し進めるわけにもいきませんからね」
トーリの後に続いて、東間やバルドもリビングに顔を出した。
すると、ウルガノの背後から前に出てきたヴァンが、きょろきょろと周囲を見渡して誰にでもなく尋ねた。
「何故ここにはお前達しかいないんだ?
いつも一緒にいるマナと、ジュリアンとかいうでかいのはどうした」
その質問には、足を組んだジャックが適当に答えた。
「ジュリアンさんなら、ここの使用人のなんとかって人に連れられて、近くの商店まで買い出しに行ったわよ。
難しい話はよくわからないし、自分は決められた方針に従うだけだから、会議に参加する必要はないって」
ジャックの説明に、向かいに座るアンリが付け加える。
「彼は昨夜のパーティーには出席していなかったからな。
あの風貌では当然人目を引くだろうが、敵に面が割れていないという意味では、まあ問題ないだろう」
「あのルックスなら相当目立ちそうだがな……」
ジュリアンが席を外している理由を知り、ヴァンは納得すると同時に些かの不安を覚えた。
「それでは、マナは今どちらに?彼女も買い出しに同行されたのですか?」
ウルガノが尋ねると、中央に座るシャオが肩をすくませながら答えた。
「マナは今バスルームにいるよ。例の倉杜の娘と一緒に入浴中だそうだ」
アンリ達の言う通り、ジュリアンは現在使用人のグレンと共に買い物に出ている。
マナは起床した朔を連れて風呂の世話をしているため、もうしばらくは出てこないだろう。
実は、ミリィ以外の面子の中で、最も朔と相性が良かったのがマナだったのだ。
ミリィが不在の間、朔の世話役を買って出ていたのも彼女で、彼女が相手の時は朔も落ち着いた様子だという。
母を失ったショックから情緒が不安定になっている朔だが、その危うさをマナの気安さと寡黙さが上手くカバーしているとのこと。
やはり、同じ日系人で年頃が近い分、肩肘を張らずに済むのかもしれない。
「それで、ミリィは?姿が見えないようですが、もう帰っているんでしょう?
まだいつもの部屋に閉じこもっているんですか?」
アンリ達の答えに怪訝な表情を見せたトーリは、先程より低い声で再び尋ねた。
「……ああ。今も多分あの部屋にいるよ。
マナが風呂に誘うまでは、あいつがあの子と一緒にいて……」
言動には出さないものの、なにやら虫の居所が悪いらしいトーリの様子に気付いて、アンリはとっさに口を閉じた。
彼の隣にいるウルガノとヴァンもそのことに気付いて、互いに目を見合わせる。
「あ、……でしたら、私がミリィを呼びに行って、」
「いいよ。僕が行く」
気遣ったウルガノが率先して名乗りを上げると、その声を遮断してトーリが淡々と呟いた。
そして、傍らで控えていたバルドの制止も無視して、彼は一人で階段を上がっていってしまった。
黙ってトーリの背中を見送ることしかできなかったウルガノは、心配そうに浅く息を吐いた。
「……彼、なんだか様子が変だね。大丈夫?」
これまで共に旅をしてきたウルガノ達と違い、トーリのキャラクターをよく知らないアンリでも、彼の様子が妙であることにはすぐに気が付いた。
「ミョーに不機嫌な感じだったし、生理が近くて苛ついてるんじゃ、」
「アンタは黙ってなさい」
アンリだけでなく、人情の機微に目敏いシャオもまたその異変を見抜いていた。
しかし、敢えて茶化した物言いをしたせいで、すかさずジャックに突っ込まれてしまった。
「………どうでしょう。ここに来る前からずっとあんな調子でしたから。大丈夫…、とは言えないかもしれませんね」
ウルガノは、心配して声をかけてくれたアンリ達に対し、少し考えてから答えた。
だが、このまま彼等を放っていていいのだろうかと、内心は落ち着かない気持ちだった。
そこへ、バルドがゆっくり歩み寄ってきて、安心させるように優しくウルガノの肩を叩いた。
「ほれ、肩が強張ってるぞウルガノ。もっと楽にしろ。
こっちがいくら気を揉んだところで、自分の気持ちは自分でケリをつけるしかないんだ。最後には本人の意思に任せるしかない」
「ですが……。本当に、大丈夫なのでしょうか。ミリィもトーリも、まだ立ち直るには時間が…」
心配そうに眉を下げたウルガノは、怖ず怖ずとバルドの顔を見上げた。
「ダメージ食らって落ち込んでんのは、別にあいつらだけじゃない。しんどいのは皆一緒だ。
むしろ、紅一点のお前にこんなに心配かけるなんて、男として情けないくらいだろ」
「バルドさん……」
「あいつらなら大丈夫だよ。今はさすがに弱ってるが、二人ともそんなにヤワな性分じゃない。あれでも一端の大人なんだから、自力で這い上がるだけの底力は備えてるさ。
でなきゃ、ここに辿り着く前にとっくにへばってる」
そう言うとバルドは微笑んで、ウルガノの頭に手を乗せた。
「きっと、頭を抱えていられるのも今の内だ。考えるより先に行動を迫られるようになったら、もう自分自身の直感に委ねるしかない。悩むことも、きっと今のあいつらには必要なことなんだよ。
……俺達が仲間に加わるまで、ミレイシャとトリスタンは二人だけで神隠しを追っていた。なにもないところからスタートして、二人三脚で地道にここまで来たんだ。
きっと、俺達の誰よりミレイシャの性格を理解しているのはトリスタンで、ミレイシャもトリスタンを理解している。
だから、今は傍で成り行きを見守っていてやろう。
もし失敗したら、その時は俺達が間に入って収めてやればいい。
男同士の諍いってのは、下手に横から口を出さない方が上手くいくもんなんだよ」
大きな掌でワシワシと頭を撫でられ、ウルガノは驚きながらもほっとした表情を浮かべた。
バルドの落ち着いたテノールがじんと胸の中に染みてくるようで、彼の言葉に耳を傾けていた全員が、思わず彼に理想の父親像を重ねてしまった。
「さすが、ベテランが言うと締まるね。年の功ってやつは、ただそこにいるだけで深みが出る」
珍しくシャオが感心すると、バルドはでしゃばってしまって申し訳ないと困ったように笑った。
「ああ、すまん。新参が偉そうに語ってしまったな。
歳をとると、どうも話が説教臭くなってしまうんだ。どうか怒らないでくれ」
「怒るだなんて滅相もないですよ。おかげで自分も気が引き締まりました。
頼りがいのある年上の男性というのは、一個のグループに一人は必要な存在ですね」
アンリは真っ先にバルドの気概を肯定すると、含みのある目付きでシャオの方を見た。
それに対し、シャオは子供のように口を尖らせた。
「エ~なにそれ?私が無駄に歳食ってるって言いたいのかい?手厳しいなあ。
ていうか、こっちで最年長なのは私じゃなくてジュリアンでしょー?もしかして彼の悪口?」
皮肉っぽく目を細めたジャックが、いつもの調子で突っ込む。
「そんなわけないでしょ。アンタみたいな減らず口より、寡黙でも風格のあるジュリアンさんの方がよっぽど頼りになるわ」
悪ノリしたアンリも、珍しくからかった口ぶりで続ける。
「なんだ、お前彼より年下なのか?自分の年齢だけは頑なに教えようとしないから、てっきり俺達の中ではお前が最年長なのかと」
「その見た目で四十越えてたら、さすがに褒めてあげるわよ」
「ワハハひで~。君達私が相手なら好き放題言っても構わないと思ってるね?まあ辛辣に扱われるのも嫌いじゃないけど」
軽口を叩き合う三人はすっかり打ち解けた様子で、からかわれているシャオもまんざらでない風だった。
そんな彼らの姿を見て、ウルガノはもう一度トーリの消えていった階段を一瞥した。
自分達もあんな風に憎まれ口を叩いても笑って許し合えるような関係を築けたら、という願いを込めて。
「これからは、より一層互いの信頼関係が重要になってくる。
いざという時はツーカーでやり取りできるように、俺達ももっと積極的にコミュニケーションをとっていかないとな。
な!ヨウイチ!」
バルドは改めて気合いを入れ直すと、東間の首根っこを掴んで背中を叩いてやった。
先程まで傍観者を気取っていた東間は、その一撃で一気に現実へと引き戻された。
「ぐへえっ。ア、は…っ。ちょ、いきなり叩かないでよバルドさん。
おれの繊細な体に、陸軍上がりの鼓舞は重すぎ…」
「おお、すまん。つい加減を忘れてしまった」
バルド自身は手加減してやったつもりなのだが、華奢な体格の東間にはなかなかの衝撃だったようだ。
よたよたと体勢を崩した彼は、生理的に二、三咳き込んだ後、苦笑いでバルドの顔を見上げた。
こうして皆を勇気付けてやろうと振る舞っているバルドも、なにも気にしていないように平静を装っている東間も。
今は席を外しているマナやジュリアンでさえ、心の中には底知れぬ闇を抱えている。
僅かでも気を緩めれば、今すぐにでもその身を乗っ取らんと主張してくる、深い闇。
一度飲み込まれてしまえば、再び浮上することは難しいだろう。
でも、今の彼らには、彼らがいる。
落ちた時には、上から引っ張りあげてくれる存在がいる。
自分は一人ではないのだと、辛い時には何度でも教えてくれる心強い味方がいる。
だからこそ、彼らは今ここにいられるのだ。
一人では決して成し遂げられなかったことも、皆と一緒なら、希望が潰えることはない。
"仲間など、自分には一生必要のないものと思っていたのに"
他者に干渉することも、されることも許されなかったあの頃をふと思い出しながら、ヴァンは人知れず穏やかな笑みを浮かべた。




