表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オルクス  作者: 和達譲
Side:S
132/326

Episode20-2:眠れない夜



やがて歩みを止めた朔は、閉められたカーテンの端をめくると、あらわになった窓ガラスに向かって深く息を吐き出した。

ハー、と吹き掛けられた暖かい吐息は、冷たいガラスに淡い白を残していった。




「───知ってる?ミリィ。

いつもよりちょっと早くに来た冬にはね、意味があるんだよ」


「……意味?」




先程まで沈黙していた朔が、外の景色を見据えたままおもむろに語り始めた。

その声はとても落ち着いて、一切の感情が添えられていないようだった。




「皆が寂しいよって思うとね、空から雪が降ってくるんだって。いつもより早く、風は冷たくなって、もう冬が来ましたよって、お知らせに来るんだって」


「……どうして、人が寂しがると、早くに冬が来るんだ?」


「……寒くなると、人は人の体温が欲しくなるから。

こんな寒い日には、側にいましょう、手を繋ぎましょうって、相手に伝えやすくなるから。

冬のせいにしてしまえば、好きな人と一緒にいる口実が、できるから」


「………へえ。そっか。確かに、そうかもしれないな。

その話、誰から聞いたんだ?」




急に饒舌になった朔にミリィは戸惑ったが、自分から話せるまでになったのは良い傾向のはずだと解釈し、普通に返事をした。


すると朔は、ミリィの何気ない問いに一度息を詰まらせてから、小さな声で呟いた。




「………おかあさん」




"お母さん"


小さな口から漏れ出たワードを聞いて、ミリィははっと顔を上げた。

しかし、朔の視線は変わらず窓の外に向いていて、ミリィと目を合わせようとしない。



しまった。

ミリィはとっさに、心の中で呟いた。


朔はずっと、体の不自由な母と二人きりで生きてきた。

自宅の屋敷からは滅多に出ない、悪く言えば閉鎖的な日常を送ってきた。


親しい相手といえば歳の離れた自分くらいのものだったろうし、他に友達と呼べる存在もなかった。

彼女にとっての世界には、母と自分以外に主な登場人物がいなかったのだ。


だとすれば、今の話を教えたのも当然、彼女の母である花藍以外にはいない。


少し考えればわかることだったのに。

やっと朔が自分から話してくれたことに安堵して、つい気が緩んでしまった。


こんな時に、彼女自身の口から、なにより恋しい母の名を告げさせてしまうなんて。

せっかく意識させないようにと話題を逸らしてきたのに、これでは全くの無意味だ。



オレはなんて、無神経なことを。

ミリィは自分の浅はかさに静かに腹を立てながら、立ち上がって朔の元へと歩み寄った。


しかし、あと一歩のところまで近付いた辺りで再び朔が語り出したため、ミリィは最後の一歩を踏み込む前に足を止めてしまった。




「あの時、おかあさん、初めてわたしに怒鳴った。

今まで、一度も怒ったことないのに、初めてわたしを怒った」


「………。」


「せっかく、パーティーにお呼ばれしたんだから、恥ずかしくない格好をしないとねって。わたしに、綺麗なお洋服、買ってくれた」


「……朔、」


「一緒にお着替えしてる時も、おかあさん楽しそうだった。

朔と一緒にお出かけできて、とっても嬉しいって、おかあさん笑ってた」




ふっと、なにかがその身に乗り移ったのではないかと思うほど。

姿勢も目線も一切動かすことなく、落ち着き払った態度で朔は話し続けた。


独り言を呟くように、すぐ側にいる自分の存在など、最初からなかったかのように。

こちらの動向に全く反応する様子のない朔に、ミリィはたじろいだ。


このまま、彼女の口からあの時の悲劇を語らせてはいけない。

辛いのなら、無理に話してくれなくていいのだと、そう伝えたいのに。

なのにどうして、こんな時に限って声が出ないんだ。


金縛りのような感覚が全身を支配し、朔に一切の干渉ができなくなってしまったミリィは、最早ただの傍観者でしかいられなかった。




「……でも、それから急に、おかあさんが怖い顔になって。

お家の庭に、変な人がいっぱい集まってきてるのが、監視カメラで見えたの。

みんな男の人で、真っ黒な服を着てて、お家の周りをうろうろしてた。

わたしも、あの人達が普通じゃないってこと、すぐにわかった」


「それって、………」


「それでおかあさん、わたしに地下室に行きなさいって言った。後でミレイシャくんが迎えに行くまで、絶対に出てきちゃだめって、すごく怖い顔で言った。

だから、わたし、急に、不安になって。おかあさんも一緒に行こうよって、嫌がったの。

……そしたらおかあさん、言うことを聞きなさいって怒りながら、きっと大丈夫だからって、わたしのこと抱きしめた。

だからわたし、鍵を使って、一人で、地下室に隠れたの」



今まで抑揚なく語っていた朔の声が、徐々に感情の波に揺さぶられていく。




「わたし、昔からあの部屋が嫌いだった。暗くて寒くて、閉じ込められてる感じがして、怖かったから。

おかあさんは訓練だって言って、よくわたしを地下室に行かせたけど、わたしはそれがなんのための訓練なのか、よくわからなかった。

でも、あの時、その意味がやっとわかったの」


「朔。もういい。それ以上言わなくていいから、もう……」




朔のとつとつとした言葉遣いは、断片的でまだ表現力には乏しいものだった。

けれど、当時の情景をミリィに思い浮かばせるには充分だった。


まるで、古いモノクロのフィルム映画でも観せられるように、断続的にミリィの脳内を駆け抜けてゆく悪夢。

朔の言葉を介して糸のように耳の中へ滑り込んでくるそれは、実際にその場に居合わせたわけでもないのに、フラッシュバックの如き鋭さでミリィの頭を叩き続けた。


その痛みと息苦しさに、ミリィは思わず膝から崩れ落ちたが、それでも朔は語ることをやめなかった。




「あの地下室は、入ってしまうと真っ暗で、なにも見えなくなるけれど、音だけはよく響くの。

だから、奴らが家に押し入ってきた足音も、よく聞こえた。

銃声が響いた時には、近くに隕石でも落ちたかと思ったほどの轟音だったわ」




最後には、どこからか別人が声を当てているのではないかと思うほど、冷静で大人びた口調になっていた。

大きく見開かれた目は、ガラス窓に映った自分の姿を睨んでいる。


そして、カーテンの裾を握り締めていた手を解くと、朔はようやくミリィの方に振り向いた。




「ミリィ。おかあさん、今どこにいるの?」


「………あ、」


「わたし、おかあさんに会いたい。どこにいるの?ミリィ」




再びいつもの子供らしい口調に戻った朔は、ミリィの顔を見詰めながら一筋の涙を流した。




「おかあさん、世界で一番、朔のことが好きだって言ったわ。朔のためなら、どんなことでもできるって言った。

朔が寂しい時は、いつでも側にいるって言った。朔が悲しい時は、いつだってすぐに駆け付けるって、言った」


「………さ、く」


「なのに、どうして来てくれないの。

朔、何回もお願いしてるのに。おかあさん、会いたいよって。ぎゅってしてほしいよって、心の中で、何回も、ずっと、お願いしてるのに。

……っなんで、きてくれないの?おかあさん、」




今は亡き母に向かって直接訴えかけるように、面影を重ねたミリィに思いをぶつける朔。


やがて、とうとう自分の感情にセーブが利かなくなってしまった彼女は、くしゃりと顔を歪めて泣き始めた。

大きな瞳から玉のような涙が溢れ出し、ぽたぽたと床に滴ってゆく。



そんな朔と真っ直ぐに目が合ったミリィは、一瞬びくりと体を麻痺させた後、かけられた(まじな)いが弾けたかのように反射的に身を乗り出した。

とっさに伸ばした腕は、小さな体をそっと包み込んで、割れ物に触れるように優しく、だが力強く抱き締めた。


ミリィの腕の中にすっかり収まった朔は、もう自分を抑えることができなかった。



"おかあさん"



時折しゃくり上げながら、涙に掠れた声で叫ぶように母の名を呼ぶ。


しかし、いくら叫んでも、どれほど恋い焦がれても、彼女の母が彼女の求めに応えることは、もうない。

何度呼び掛けても、花藍はもう二度と、娘を抱きしめることも、返事をすることもできない。



まざまざと蘇ってくる記憶。

ささやかだが、幸せだった日々。

いつもどんな時も、欠かさず彼女の側にいて、花のような美しい笑みを浮かべていたあの人は、今は。


大好きな母を、永遠に失うということ。

その果てのない痛みを自分も経験しているからこそ、ミリィは尚更辛くて、切なかった。




「────オレも、……。オレも、会いたいよ」




ぐっと奥歯を噛み締めて、込み上げてくる熱を強引に制したミリィは、朔の小さな肩に顔を埋めると、消え入りそうな声で呟いた。






『It hurts』



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ