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オルクス  作者: 和達譲
Side:S
131/326

Episode20:眠れない夜



PM12:21。

今朝早くに別邸を発ったミリィが、およそ四時間後にようやく戻ってきた。

道中随分雪に降られたようで、黒いコートの肩口には払いきれなかった白が残っている。


音を立てないよう、ミリィが静かに屋敷に上がると、使用人のヘイリーが偶然付近を通り掛かった。

ヘイリーは、ミリィの姿を見掛けるなり驚いた様子で、忙しなく玄関の方へと駆けて行った。




「ミレイシャ様…!よくぞご無事でお戻り下さいました。

道中なにか変わったことはございませんでしたか?」


「ああ、ヘイリー。そんなに心配しなくても、別になにもなかったよ。

事情聴取の方も、一応は全部済ませてきたから。とりあえず、今日のところはもうなにもない」



心配するヘイリーを落ち着いた調子で宥めつつ、ミリィはコートを脱いだ。


その様子は、まだいつも通りとまではいかないものの、死人のような顔をしていた昨夜と比べれば幾分気持ちの整理がついた風に見えた。




「……左様でございますか。

ともあれ、お疲れ様でした。皆さんは今、それぞれの客室にてお休みになられていますが、お呼びして参りましょうか」



ヘイリーの方は、使用人用の制服と腰エプロンを身につけた状態で、仄かに柔軟剤の香りを纏わせていた。

というのも、つい先程洗濯物を干し終わったところなのだ。




「いや、いい。これからまた忙しくなる予定だし、休める内に休んでおかないと、体もたないだろ。

お前も、勤勉なのは立派なことだが、あまり根を詰めすぎるなよ。たまには昼寝くらいしろ」


「……ええ。ありがとう、ございます」



ヘイリーの働きぶりを知っているミリィは、彼の肩を叩いて労いの言葉をかけた。

するとヘイリーは困った笑みを浮かべながら、でも少し嬉しそうに頷いた。




「あ、……朔様のところへ?」



脱いだコートを腕に抱え、ミリィが二階へ上がろうとすると、ヘイリーがとっさに待ったをかけた。

ミリィは階段を三段上がったところで足を止め、もう一度後ろを振り返った。




「ああ。留守中はずっとメリアとマナに任せっきりだったからな。

………ヘイリー?どうかしたのか?」




振り返った先にいたヘイリーは、先程までとは打って変わって複雑な表情を浮かべていた。

なにか思い詰めているような雰囲気で、顔色もあまり優れない。


ミリィがどうしたのかと尋ねると、ヘイリーはぎゅっと拳を握り締め、言いづらそうに怖ず怖ずと口を開いた。




「あの少女は、……キングスコートの研究所を出て以来、ずっとお母様と二人で暮らしておられたんですよね」


「そうだよ。……どうした?なにか引っ掛かることがあるなら、遠慮せず言ってくれていい。

愚痴でも文句でも、オレはちゃんと聞くよ」


「いいえ。不満があるわけではないのです。ただ……」


「ただ、なんだ?」


「……おかしなことを言うようですが。昨晩、あの少女の姿を目にした時、……なんだか、その…。

過去にどこかで、会ったことがあるような、気がして…」




珍しく言葉を濁すヘイリーに、ミリィは意外そうに目を丸めた。



曰く、昨日初めて会ったばかりの朔に対して覚えたという違和感。

どこかで会ったことがあるような、見覚えがあるような気がするその感覚は、俗に既視感というものだろう。


しかし、ヘイリーと朔の間に面識はない。

ミリィが倉杜親子の話をしたことがあるのはシャノンだけだし、シャノンがこの話を口外したこともない。

つまり、ヘイリーは朔という少女が存在していたことすら知らないはずなのだ。


にも関わらず、ヘイリーは見知らぬ朔の姿を見て、自分はこの少女を知っている気がすると感じたらしい。


それは、何十年と疎遠だった相手でも、親しい人の顔であれば決して見間違えることのないように。

ヘイリーはあの一瞬で、自分は過去にこの少女と接点を持ったのではないか、と思ったそうだ。




「どういうことだ?お前、朔と会ったことがあるのか」


「……いえ。記憶にはないんです。あの少女の姿も、声も名前も、自分は一切知りません。

ただ、なにか覚えがあるような気が、しただけで…。

………すみません。やっぱり、僕の頭が変なだけですね。突然気味の悪いことを言って、申し訳ない」




ミリィが問い詰めると、ヘイリーは申し訳なさそうに俯いて首を振った。


その様子を見て、ミリィは益々腑に落ちない気持ちになったが、それ以上追及することはしなかった。




「……少し気にはなるが、ヘイリー。お前はどこも変じゃない。

お前が真面目で嘘をつかない人間だってことは、オレもよく知ってる。だから、その妙な既視感ってやつも、きっとなにか意味があるはずだ」



少し考えた後、ミリィはヘイリーの目を見詰めて静かに告げた。




「そう、なのでしょうか」


「違ったなら違ったでいい。本当にただの気のせいなら、その時はオレとお前の中で消化するだけだ。

……このことは、オレも頭の隅に置いておくから。お前はあまり気に病まずに、いつも通りにしていろ。なにか気付いたことがあれば、必ず教えるから」


「………はい。ありがとうございます、ミレイシャ様」




ミリィの言葉を聞いて、ヘイリーの険しい表情は徐々に解けていった。

昨夜から一人で思い悩んでいた分、誰かに打ち明けただけでも幾分気が楽になったようだ。



その後、ミリィはヘイリーと別れ、今度こそ二階へと上がっていった。


日頃、ミリィが別邸を訪ねてきた際に、決まって使わせてもらっているゲストルーム。

そこに、今は朔を匿っているのである。





ーーーーーーーー


部屋の前までやって来たミリィは、コートを腋に抱えると、ドアを二回ノックした。

それからゆっくり息を整え、オレだと声をかけると、案の定沈黙が返ってきた。


応答はない。だが、不在でないことは分かっている。

先程ヘイリーから現状を聞いたばかりだし、今もこの部屋で過ごしていることは確認済みだ。


ただ、もしかしたら返事をするかもしれないので、しばらく様子を窺ってみた。

が、待ってみても変化はなかった。



今度は入るぞと一方的に告げ、ミリィが扉を開けると、部屋の中にはやはり朔の姿があった。


クイーンサイズのベッドの上で仰向けに寝転がった彼女は、なにやら小ぶりの筒のようなものを右目に当てていた。

その姿はまるで望遠鏡を覗いているようで、なにもない天井になにかを見出だしているかのようだった。




「───朔、」




それは以前、朔の誕生日にミリィがプレゼントした、手作りの万華鏡だった。


街の教会が改装される折、処分予定だったステンドグラスの一枚を買い取って加工した物。

細かな破片が鮮やかな色彩を描き、雨上がりの虹を閉じ込めたような世界が中に詰まっている。


よほど気に入ったのか、以来朔はこの万華鏡を肌身離さず持ち歩いていた。

時にこうして、人知れず小さな枠の中を眺めていることもある。



そして、万華鏡に使用したステンドグラスは、花藍に贈ったフォトフレームにも応用していた。


ミリィは、朔の痛々しい姿に胸を痛めながら、ポーカーフェースを装ってベッドの方へと歩み寄っていった。




「朔、ただいま」


「……おかえり、ミリィ」




ベッドに腰を下ろしたミリィが改めて話し掛けると、朔は万華鏡を持ち上げる手を下ろし、顔だけをこちらに向けて返事をした。


それからむっくりと体を起こして、もそもそとミリィの隣に座った。

しかし、姿勢を正した後も、目線は手中の万華鏡に落ちたままだった。




「一人にして、ごめんな。少しは眠れたか?」


「うん」


「そっか。ごはんは食べれたか?」


「うん」


「……どこか、痛いところとか、ないか?」


「………ない」


「………そうか」




ミリィの質問に一言だけ答える朔。

全く応じないというわけでもないようだが、それにしても、いつにも増して口数が少ない。

表情がなく、ほとんど身動きもしないその姿は、まるでよくできた人形だ。


ミリィは、いつ花藍のことについて言及されるかと内心緊張しながら、出来るだけ朔の心を揺さ振ってしまわないよう言葉を選んだ。




「外、今雪降ってるんだよ。

今朝から降り始めてさ、もう結構積もってる。子供も大人も、皆初雪ではしゃいでたよ」


「………。」


「この家はな、オレの親友の別荘なんだ。

前に話したろ?プリムローズで新しく主席になった、シャノンっていう綺麗な男の、……」


「………。」


「…………あのな、朔。昨日のことなんだ、けど…」




どうにか気を紛らわせようと、ミリィが当たり障りのない話題を選んで話しても、朔はぼんやりと俯いたまま万華鏡の側面を指で撫でるだけだった。


ミリィは、そんな朔の様子に今にもくじけてしまいそうな気持ちだった。



いくらごまかそうとも、きっと彼女には通用しない。

あえて本題を避けたところで、この先ずっと隠したままではいられない。

先延ばしにしても、いずれは真実を明かさなければならない時が来る。


幼くとも、賢い彼女はきっと感じている。

今ここに自分がいる理由(わけ)も、母がいない理由も。



悲劇の夜、彼女は母の言い付けを守り、息を殺してあの地下室に潜んでいた。

後にミリィが助けに来るまで、どんなに不安でも一歩も外に出なかった。


響く足音。轟く銃声。

陽炎のように空気を震わせる、ただならぬ気配。


姿形は見えずとも、きっと肌で感じていた。

我が家に忍び寄る恐ろしい悪の存在を。手にかけられた母が、ゆっくりと息絶える瞬間を。



その時の朔は、一体どんな気持ちだったのだろう。

家中に落雷のように鳴り響いた銃声を聞いて、なにを思っただろう。


本当は、すぐにでも様子を見に行きたかったに違いない。

母の無事を確かめに行きたかったに違いない。

そして、何事もなかったのだと、安心したかったに違いないのだ。


それでも朔は、母の言い付けを守ることを優先した。

どんなに恐ろしくとも、不安で胸が張り裂けてしまいそうでも。

あんなに、暗くて狭い、寂しい場所で。たった一人で、君は戦い続けていたんだね。



悲しくて、健気で、哀れで。

たまらなくなって、ミリィはもう本当のことを全て明かしてしまおうと口を開いた。


すると朔は、それを遮るように急に立ち上がって、なにも言わずに窓の方へと歩いていってしまった。


突然のことに驚いたミリィは、大きな窓の前で立ち止まった朔を呆然と眺めることしかできなかった。



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