Episode19-3:届けども指は触れられず
「ということは、やはり不参加だった5人が疑わしいですね」
「来ていなかったのは、キルシュネライト、ラムジーク、ガオ、ブラックモアにヴィノクロフ、だったか?
ヴィノクロフはまあ保留として、注意すべきは残りの4人だな」
ヴァンが疑惑の四名の名を列挙すると、シャノンは先程とは違う意味で眉を寄せた。
「この4人とはボクも全然接点がないなあ。
一応お会いしたことはあるけれど、流石に一・二度顔を合わせたくらいじゃ、人となりまではわからなかったよ」
これ以上は、シャノンにとっても未知の領域となる。
ウルガノは納得したように一つ頷くと、書類の束を重ねてテーブルに置いた。
「でしたら、これから接点を作るまでです。
彼等が潔白であるかどうか、我々の目で直接確かめます」
「次の予定が決まったな」
シャノンの見込みが外れていなければ、前述の4名の中に黒幕が潜んでいる可能性が高い。
キングスコートのヴィクトールが黒であるのは決定事項だとして、キルシュネライト、ラムジーク、ガオ、ブラックモアの内の誰かが、プロジェクトの共犯者だ。
30年もの長い間、世代が交代しても尚秘密が明るみになっていのは、彼らの間に相当な執念と信頼関係が築かれている証だ。
ヴィクトールだけでなく、共犯の彼らもよほどのキレ者であることが窺える。
これがもし4人ともであった場合は、敵が増えた分今まで以上に慎重に進まなければならない。
誰が敵で味方か見当もつかなかった頃に比べれば、少しは対処もしやすくなったが、それでも多勢に無勢であることは変わらない。
相手は国そのものに等しく、大きな敵だ。
こちらには精鋭が集まっているとはいえ、真っ向勝負を仕掛けて勝てる相手ではない。
本命のキングを討つ前に、まずは城壁を固めるナイトから。
これからは武力の出番も増えそうですねとウルガノが呟くと、ヴァンも頷いて同意した。
「シャノンさん……?どうかされました?」
すると険しい顔付きでいる二人の側で、シャノンが急に姿勢を伸ばして室内を見渡した。
様子に気付いたウルガノが声をかけると、シャノンは長い髪の毛を耳にかけながら、なにか言いたそうな表情を見せた。
「ああ、いや……。ごめん。なんでもないよ。
そういえば、本邸に戻ってきてから一度もトーリ君の姿を見ていないなと思ってね。
今も自分の部屋にいるのかな?」
そういえば、と何気なくシャノンが尋ねると、ウルガノはヴァンと一度目を合わせてから、少し悲しそうに視線を下げた。
「実は、それぞれ客間に通して頂いてから、彼だけずっと部屋から出てこないんですよ。
食事もとっていませんし、声をかけてみても返事はありませんでした」
「そうなのかい?
まあ、こっちに到着した頃には、すっかり朝だった訳だし。疲れてまだ休んでるってことも……」
「いえ。私が案内していただいた部屋は彼のお隣だったのですが、微かに動いている物音が聞こえていました。
恐らく、こちらに来てから一睡もしていないと思います」
「……そっか。今は、一人でいたい気分なのかもしれないね」
バシュレー家の本邸に宿泊した一行の中で、一度も部屋から出ていないのはトーリだけだった。
あの出不精の東間でさえ朝食の席には並んでいたのに、トーリに至っては顔も出さなかった。
ウルガノや屋敷の使用人が声をかけても一切返事をせず、向こうからなにかアプローチを掛けてくる気配も今のところない。
就寝中でないのなら、そもそも呼び掛けに気付かなかった線は薄い。
かといって、わざと無視をするような真似もトーリはしないはずだ。
大方、まだ誰とも顔を合わせたくないが、せっかく様子を伺いに来てくれたのを断るのも申し訳なくて、狸寝入りを決め込んだのだろう。
"このプロジェクトで命を落とした人間の数は、恐らく我々の想像を絶する"。
神隠し現象の終点が判明した今、より現実味を帯びた実姉の末路。
自分達がこうしている間にも、愛する彼女は残酷な仕打ちを受けているかもしれない。
もしかしたら、既に命を落としているかもしれない。
きっとトーリは、セレンのことを考えるとなにも手につかず、自分の感情を制御するだけで精一杯でいるのだ。
ウルガノも何と無くその気持ちを察したから、彼が自分から外に出てくるまではそっとしておいてやることに決めたという。
「昨日の一件を経て、トーリ君が深く傷付いただろうことは、ボクにも何と無くわかるけど……。
真実を知ってショックを受けたのは、君達だって同じだろう?
無理をせずに、今は少しでも体を休めた方がいいんじゃないかい?」
「俺は別に平気だ。三・四日程度なら全く寝なくても問題ない。
昨日のことは、確かに驚きはしたが……。精神的なダメージでいえば、俺はほとんど無傷のようなものだからな」
シャノンの言葉に先に返事をすると、ヴァンは先程屋敷の者が用意してくれたコーヒーに口を付けた。
そんな彼の堂々とした態度を見て、ウルガノは一つ自嘲気味に溜め息を零した。
「さすが、伝説のジョブキラーは風格が違いますね。たかだか一介の兵士に過ぎなかった私とは違う」
「ウルガノくん……」
「正直なことを申しますと、私は、花藍さんの遺されたお言葉を聞いて、真っ先に恐怖を覚えました。
プロジェクトの内容についても勿論そうですが、一歩間違えていれば、私も実験の材料にされていたのかと思うと……。情けないことに、恐ろしくて手が震えてしまうんです」
独り言のように語りながら、ウルガノは俯いて自分の手首をぎゅっと握り締めた。
彼女の脳裏を過っているのは、数ヶ月前にミリィと邂逅したあの日のことだ。
彼と出会っていなければ、彼が導いてくれなければ、今の自分はなかったかもしれない。
少しでも歯車が狂っていれば、自分も例のプロジェクトに強制投入されていたかもしれない。
全ての選択が正しかったという保証はないが、少なくとも、海上を進む船を飛び降りた瞬間から運命は回り始めていた。
そう考えると、間近に迫っていた魔の手が急に恐ろしくなったし、あの時の判断を誤らなくて良かったと心から思った。
だが、ほっと胸を撫で下ろすことも出来なかった。
まだ自由の利く立場にあった自分と違い、トーリの実姉やマナのガールフレンドは、是非もなく地獄に引きずり込まれていったのだ。
そんな状況で、自分は助かって良かったなどと喜べるはずがないし、前向きに考えられるはずもない。
自分に落ち度はなくても、自分だけが運良く生き延びてしまった事実が、まるで罪のように重く感じられる。
ウルガノがトーリ達に対して引け目を覚えている理由は、なにより自分が無事でいる現状が後ろめたいからなのだ。
シャノンは、うなだれた様子のウルガノを心配そうな目で見詰めた。
ヴァンは、温くなったコーヒーをゆっくり飲み干すと、静かにウルガノの名を呼んだ。
「───ウルガノ。お前はまだ若い。
いくら場数を踏んでいようと、自分だけ時の流れを早めることはできない。
ショックなのは分かる。だが一人で背負おうとするな。怖いのは皆一緒だ。お前だけじゃない。
だから、自分のせいだみたいな顔をするのはやめろ。ミリィもお前も、悪い癖だ」
「一兵士として、私はまだまだということですか」
「ああ。一兵士としては、お前はまだ甘い。だが、一人の人間としてなら、お前は正常だ。
俺は殺し屋としては優れている自負があるが、人間としては欠落している。
それでこそプロだと評する奴もいるが、どんな立場でも人間であり続けることこそが、真の強さだと俺は思う」
今まで一度も自分の話をしようとしなかったヴァンが、ここにきて饒舌に語り始めた。
シャノンとウルガノは少し驚いた様子で、しかし真剣に彼の話に耳を傾けた。
「残酷なことを言うようだが、いっそ死んだ方がマシと思えるような目に遭っている奴は、世の中に掃いて捨てるほどいる。
実験の材料にされるってのも惨い話だが、それ以上の苦痛を強いられている人間だって少なくない。
サイコパスの殺人鬼に捕まって、酷い拷問の末に跡形もなく葬られる者。未知の病原菌に感染して、何日ものたうって息絶える者。
形は様々だが、苦痛の程度でいえば、例のなんとかって実験と大差ないだろう。
そんなことが、どの国でも、どの時代でも、人知れず行われてきた。
今だって、世界中のどこかで誰かが死んでいる」
ぞっとするほど無表情でいるヴァンは、機械のように淡々と喋り続けた。
ヴァンの言葉になにかを感じたらしいウルガノは、苦い表情を浮かべながら再び問い掛けた。
「一つ、教えてください。
今の私に、一番必要なものは、なんだと思いますか」
苦しげに絞り出された声をしっかりと聞くと、ヴァンはウルガノの目を見詰めながら答えた。
「それは、お前が一番よく分かっていることだろう。
目的は決まっている。お前もそれに賛同した。引き返す気がないのなら、後は自分に言い聞かせるだけだ。
俺が考えることはただ一つだ。この先どうやってお前達を、ミリィを守っていくか。
俺は欠陥人間だが、約束は守る主義だ。命を拾ってもらった恩がある以上、俺は命をかけてあいつを守る。
余計なことは考えない。自分一人の力じゃどうにもならないことは、考えるだけ無駄だ。
あいつが敵を倒せというなら従うまで。盾になれというなら身代わりになるだけ。
救命に報いるということは、そういうことだ」
ウルガノの体を蝕む恐怖を打ち消すように、ヴァンは彼女の顔を指差して淀みなく言い切った。
ウルガノはしばらく閉口した後、思い切るように短く息を吐き出して、ゆっくり面を上げた。
「貴方の言う通りです、ヴァン。おかげで目が覚めました。
恐怖に打ち勝つためには、やはり正面きって勝負を決するに越さない。
私も、余計なことを考えるのはもうやめます。彼を支える柱の一人として、全力を尽くします。
必ずや、この悪夢を終わらせてやりましょう」
ヴァンの朴訥とした鼓舞が効いたのか、ウルガノは少しだけ明るくなった顔で不敵に微笑んだ。
「ボクも、出来ることはなんでも協力させてもらうよ。
例え世界を敵に回すことになっても、我がプリムローズは永遠に、君達と、赤毛の兄弟の味方だ。
どんな危機に晒されても、君達には帰る場所があるのだということを、覚えていてくれ」
シャノンもヴァンの姿勢に勇気づけられたようで、声色に張りが戻ってきた。
ヴァンは、もう少し前に身を乗り出すと、二人の前に無言で拳を突き出した。
これは、彼がミリィと出会った時、誓いを交わすために行った儀式である。
ウルガノとシャノンは互いに顔を見合わせると、気持ちを改めてからそれぞれヴァンの所作に倣った。
三人の拳がぶつかり合った瞬間、鈍くも響きのある音が辺りに響いた。
『I know that you are good at lying.』




