Episode19-2:届けども指は触れられず
「───ごめんね。急に変なことを言って。君達にぶつけたって、困らせるだけなのにね。
でも、おかげで少し胸がすっとしたよ」
「……私達は構いません。こんな風に、心から心配して怒ってくれる友人がいて、ミリィは幸せな人ですね。
今度は直接、貴方の方から彼を叱ってやって下さい。本気でぶつかっていけば、きっと伝わるはずです。
ミリィと誰より深い絆で結ばれているのは、他でもないシャノンさんなのですから」
「うん。ありがとう。
次顔を合わせた時には、今度こそ本気で説教してやるつもりだよ」
ウルガノの励ましによって、少しだけ元気を取り戻した様子のシャノン。
自らを励ますように両手で頬を叩くと、端整な顔にいつもの朗らかな笑みが甦った。
「それはそうと、君達が今見ているのはなんの資料なんだい?
どれも最近作られたもののようだけど…。」
気を取り直したシャノンは、ウルガノ達が手にしている資料を指差して尋ねた。
ウルガノは、数枚ある書類の内から、たった今目を通していた物をシャノンに手渡した。
「これまでの旅で得た情報を纏めて、紙に書き起こしてみたんです。
照らし合わせてみれば、なにか新しいヒントが見付かるかもしれないと思いまして」
ウルガノが差し出した書類には、これまでの旅の記録が要約して記されていた。
神隠し現象に縁が深いとされる謎の人物、マックス・リシャベールについてや、一行に加わる前の東間が独自に調査していた、世界の行方不明事件の概要など。
平たく言うと、ミリィとトーリが邂逅してから、今日に至るまでの間に起きた出来事を纏めたものである。
それらをヴァンとウルガノが二人で吟味し、今後の役に立たないかと知恵を出し合っていたのだ。
先程までは東間とバルドもこの議論に参加していたのだが、そちらの二人は現在自分の客間に戻っている。
「マックス・リシャベール…。聞いたことないなあ。
これが偽名だとするなら、一体誰がこの名を騙っているんだろう」
下顎に指を添え、シャノンは怪訝そうに首を傾げた。
「神隠しと深い繋がりがあるということは、やはり例のプロジェクトにも精通している人物である可能性が高いですが…。
特定するには、まだ証拠不十分というのが現状ですね」
「うーん……。あ、じゃあこれは?黒川の一族が孤立した理由。
クロカワ州が国内でちょっと浮いた地域だっていう話は、ボクも前に聞いたことがあるけど…。
プリムローズはどことも分け隔てなく懇意にさせてもらっているから、どうしてクロカワだけがそんな扱いを受けているのか、未だによく知らないんだ」
シャノンが思い出したように尋ねると、今まで沈黙していたヴァンがそういえばと口を開いた。
「ああ、確かにクロカワの主席もそんなことを言っていたな。
ウチと友好的に付き合ってくれるのは、プリムローズと、あと……どこだったか?」
「ヴィノクロフですね。
それも、現主席を務めておられる黒川桂一郎氏個人に謂れがあるのではなく、あくまで州同士で微妙な軋轢があるとのことでした」
ヴァンの曖昧な言葉にウルガノが付け加え、それを聞いてシャノンも納得した。
「だよね。ボクは他に、シャンポリオンやシャッカルーガの主席と仲良くさせてもらっているけど、彼等も別に、クロカワに対して悪いイメージはないと言っていたよ。
むしろ、風情があっていい街だし、ミスター桂一郎も好印象だと褒めていたくらいだ」
「ええ。外交上は特に問題ないようです。少なくとも、各州の主席同士に私的な蟠りはありません。
ですが昔、初代黒川貴彦とフェリックス・キングスコートの間でなんらかの衝突があったようで、キングスコートとだけは今でも折り合いが悪いのだと桂一郎氏がおっしゃっていました。
クロカワ州が浮いた存在であるというイメージが波及したのも、かつてフェリックス氏の反感を買ったことが根底にあるようです」
「要は、リーダーの気に食わない相手と親しくしたら、そいつも同じように疎外にされるってことだろ。
まるで子供の喧嘩だな」
ヴァンの言う通り、キングスコートとクロカワの不和が解消されない限り、クロカワのマイナスなイメージが払拭されることはないだろう。
クロカワと特別に親しくすれば、自分達もキングスコートに目を付けられるかもしれない、と。
無論、そんな根拠はどこにもないのだが、そのせいもあって、どの州もクロカワとだけは積極的に交流できない状況なのだ。
「桂一郎氏のお話によれば、生前フェリックス氏が発起したという慈善活動に、お祖父様の貴彦氏も参加されていたんだとか。
この国を作り上げた彼の14人は、全員この組織に名を連ねていたと」
「ああ、それもナルシス様から聞いたことがあるよ。国内の教材にも載っているくらいだし、この国で生まれ育った人間なら大体は知ってるんじゃないかな。
えーっと、この世から格差をなくすための第一歩として、まず病気に苦しむ貧しい子供達を無償で診てあげていたとか…。
そのプロジェクトに、他の13人が投資して力添えをしていたって」
「ええ。ですが、貴彦氏はこの国を立ち上げて間もなくに、ただ一人プロジェクトから辞退されたそうです」
「それはどうして?」
シャノンがウルガノに問うと、ヴァンが代わりに答えた。
「詳しい理由はわからん。身内の桂一郎にさえ、死ぬまで口を割らなかったらしいからな。
ただ、祖父はこの計画の裏側に気付いた、とかなんとかで、知らずに協力してしまっていたことを悔いていたようだと、桂一郎が言っていた」
それは、東間との仲立ちをお願いするため、ミリィ一行が黒川の屋敷を訪ねた時のことだった。
ミリィを信用に足る人物だと認めた桂一郎から、絶対に他言しないという条件で耳寄りな情報を教えてもらったのだ。
フィグリムニクスが生まれる前から存在していたという、恵まれない子供達を支援するための慈善事業。
一見正義に則ったこの活動が、本当のところなにを目的に発起されたものなのか。
これまでは曖昧模糊に包まれていた事柄も、今となっては太い横糸で繋がっていることが分かる。
「恐らく、この慈善活動というのが、FIRE BIRDプロジェクトの隠れみのだったのでしょう。
途中で辞退された貴彦氏以外の面々が、プロジェクトの内容をどこまで把握していたのかはわかりませんが…。
少なくとも、黒川の一族は表向きのことしか知らされていなかったのでしょうね」
「本当に彼は、世界の恵まれない子供達のための運動だと信じていた…。
でも、後にこれが、……あんな恐ろしい研究の礎に利用されていたことを知って、援助を取りやめにした」
ウルガノとシャノンが交互に推論を述べる。
ヴァンは持っていた資料をテーブルに投げると、皮肉っぽく鼻を鳴らした。
「やっていることは国境なき医師団なんかと共通していたはずなのに、奴が他のどの団体とも手を組まず、独自に活動を続けていたのはそういう訳だ。
あっちは本当に善意から行っているが、こっちにはあくどい思惑がある。
無償で手当てしてやるというのも建て前で、実はこっそり研究に役立てるデータを採取する目的もあったんじゃないか?」
野心家で合理主義なフェリックスが、無益な慈善事業に力を入れていた理由は一つ。
世界中の信頼を勝ち取るため。自らが善人だと世に知らしめるためだ。
金も権威も名声も、結局のところ善意と人望には及ばない。
どれほどの権力者であっても、人望がなければいつかは失墜するし、どれほどの功績を上げても、善意がなければいつかは訝る者が現れる。
結局のところ、中身が伴っていなければ、外身だけ繕っても不完全なままなのだ。
しかし、逆を言えば、善意と人望のある者に対しては、人間は自ずと容赦してしまうもの。
失敗しても、罪を犯しても、それが善意から生まれたものと分かれば免罪される。
例え法律が許さずとも、世間の声が味方をする。
当時のフェリックスが求めていたのはそれだった。
より研究に没頭できる環境の確保、自らの理念を後押ししてくれる絶対的な後ろ楯。
全ては、FIRE BIRDプロジェクトの本懐を果たすために培われた、土台に過ぎなかったのだ。
領土問題で注目されていた島を私的に買い取りたいと言った時も。
そこを拠点に新たな国家を設立したいと宣言した時も。
突飛で勝手な思い付きであったにも関わらず、反対意見の方が少なかったのは、これが理由だ。
世界のために尽くしてきた彼ならば、また世界のために成し遂げてくれるだろう。
彼の力を以てすれば、不可能が可能じゃなくなる日も近いかもしれない。
善意と博愛という称号を手に入れたフェリックスを、実は悪党なのではと疑う者はいなかった。
故にこそ、世界は彼に一縷の希望を託し、万能薬の開発などという夢物語を本気にしたのだ。
真っ赤な嘘で上塗りされた黒が、どれほど深い闇を孕んでいるかも知らずに。
「クロカワの初代さんは後になってから気付いたんだとして…。残りの12人はどうなんだろう。
最初からフェリックス氏を支持していた人も、一人くらいはいそうだよね」
「流石に全員を欺き続けることは不可能でしょうから、最低でも2、3人の共犯者がいたはずです。
問題なのは、創立者の14人のうち、未だに現役である人物が一人もいないということ」
フィグリムニクス創立メンバーの中には、間違いなくFIRE BIRDプロジェクトの全貌を把握していた者がいたはずだ。
それが二人か、三人か、或いは半数以上に上るのか。
現段階で正確な数字を割り出すことは難しいが、彼等はこのプロジェクトが禁忌の行為であることを承知した上で、フェリックスの野望に賛同していたものと思われる。
自らの利益のためならば、例え人の命を踏みにじることになろうとも、強引に成し遂げようとする。
不遜で狡猾。道徳の心などとうに失われている。
留まることを知らぬ欲望のみに支配された、哀れな人間達だ。
ただ、そんな彼等も老いという絶対からは逃れられなかったようだ。
各州の長の座を退いた後は、才ある次世代に権利を譲り、等しく表舞台から姿を消した。
フェリックスを含めた創立メンバー、全員が既に玉座を降りているのがその証拠だ。
勤めを果たした以降は、悠々自適に隠居生活を送っている者もいれば、既に他界している者もいる。
偉業を成し遂げた彼等の名は後世にも受け継がれていくが、身を引いてからも民達に敬われているか否かについては、その人の人望による。
そして現在。
次世代の長となった新たな14人のうち、プロジェクトの真相を把握している人間は、果たして何人いるのだろうか。
「ボクはこんな悍ましい話は聞いたこともなかったし、ナルシス様も多分知らないと思う。
だから、ナルシス様と友人だった初代シルキア・プリムローズも、恐らく白だ。
彼もきっと、クロカワの初代さんと同様に騙されていたんだろう。最後まで、フェリックス氏を善人と信じたまま、亡くなった」
「フェリックスの共犯の奴らは、必ず後目を継がせる人間にもこのことを伝えたはずだ。
今の世代の中にも、プロジェクトの真の目的や、神隠しの裏側を知っている奴がいる。
心当たりはないか?見るからに胡散臭い奴、一人くらいはいるだろ」
ヴァンが身を乗り出して問うと、シャノンは腕を組んで記憶を手繰り寄せた。
「うーん……。ボクがそんな風に感じた人は、特にいないけど…。
消去法で言うならば、シャッカルーガとシャンポリオンは白、だと思うよ。単純に、彼等がボクのお友達だからだけど」
「他には?」
更にウルガノが促すと、シャノンは眉を寄せながら、ぽつりぽつりと思い出したことを喋り始めた。
「まず、クロカワは白で間違いないとして、後はヴィノクロフと、多分ホークショーも違うと思うなあ……。
君達も、昨夜のパーティーで本人の姿を見ただろう?ボクの目が節穴だと言われてしまったらそれまでだけど、皆いい人ばかりだよ。
真摯に自分の務めを全うしているし、とても残忍な思想を持っているようには見えない」
二人からの質問をじっくりと考え、シャノンは一つの結論を出した。
少なくとも、昨夜のパーティーに列席した面子の中には、黒幕はいないと。
これはあくまでシャノン個人の感想だが、主席同士の付き合いがあるのは彼だけだ。
その彼が言うならば、今はそうと信じるしかない。




