Episode19:届けども指は触れられず
AM10:32。
アンリ一行がバシュレー家の別邸で過ごしている頃、トーリ達の滞在する本邸の方では、遅めの朝食をとり終えたヴァンとウルガノが来客用スペースで話し合っていた。
対のソファーで向かい合う二人の手には、なにやら見慣れない資料がある。
そこへ、今朝の業務を済ませたシャノンが帰宅した。
自室に向かう途中、偶然ヴァン達の姿を見掛けたシャノンは、何気無く二人の元へ近寄っていった。
「怖い顔をして、二人で一体なにを話し込んでいるんだい?」
シャノンが話し掛けると、ウルガノがすぐに顔を上げた。
「シャノンさん。いつお帰りになられたんです?」
「今さっき戻ってきたところだよ。昨日の今日で疲れているだろうからって、秘書の皆が代わりにほとんど片付けてくれたんだ。
お蔭様で、今朝の分は随分早くに済んだよ」
「そうですか…。一州を治める主席ともなると、毎日多忙なのですね。お疲れ様です」
ウルガノの向かいに座るヴァンも、シャノンの姿を見て尋ねる。
「じゃあ、今日の分の仕事は終わらせてきたのか?」
「いいや、それはまだ。今のうちに少し休憩を挟んで、夕方からまた予定が入ってる。
………君達は?これからどうするのか、もう決まった?」
シャノンが尋ね返すと、ヴァンはソファーの背もたれに寄り掛かって答えた。
「それを今話し合っている。
とりあえず、午後にはまた別邸の方に顔を出すつもりだがな」
ウルガノは目を伏せ、心配そうな声で呟いた。
「ええ。……あの状態のミリィを、一人にはしておけませんからね」
三人ともなんてことはなさそうに会話をしているが、ウルガノとシャノンの顔はまだ微かに青白かった。
というのも、昨夜あんなことがあったばかりで、その上ろくに眠れていないのだ。
議論の最中に朝を迎えてしまったため、一度体を休めてリセットすることもできず。
あの場に居合わせた全員が、苦い思いを引きずったまま今日という日を迎えている。
心身共に強靭であるはずのウルガノでさえ、今は声色に覇気がないのだから、昨夜のパーティーを取り仕切る立場にもあったシャノンは最早疲労困憊だ。
普段とさほど調子が変わっていないのはヴァンだけで、皆一様に重い頭痛を抱えている。
ここにはいないバルドや、東間や、トーリも同様にだ。
腰を浮かせて移動したウルガノは、シャノンに着席を促した。
彼女の隣に腰を下ろしたシャノンは、倒れるように背もたれに体重を預けた。
「───ミリィ、今どうしてるのかな」
シャノンは一つ溜め息を吐くと、天井を仰いでミリィの名を囁いた。
ウルガノは資料を膝に置くと、気まずそうにシャノンの顔を窺った。
「………向こうにおられるアンリさんによれば、今朝早くに再度、地元の警察と合流しに行ったそうですけど…。
それも、いつ終わるかわからないそうです」
「そっか…。ボクは一応、本人から直接話を聞いたよ」
「ミリィから連絡があったんですか?いつ?」
当時のことを思い返しているのか、シャノンは目を細めながらぼんやりと語り始めた。
「丁度、ボクも彼も屋敷を出る頃だね。
受け答えもなんだか、妙にあっさりした感じでさ。ボクが心配して色々言っても、普通に、大丈夫だからってあしらわれちゃった。
……なにもなかったみたいに、本当に、普通に喋るからさ。一瞬ボク、誰と話してるんだろうって、怖くなったよ」
今から数時間前。
シャノンのプライベート用の携帯に、ミリィの携帯から電話がかかってきた。
まさかミリィの方から連絡がくるとは思っていなかったシャノンは、突然の着信にとても驚いた。
しかし、受け答えに緊張していたのはシャノンだけで、ミリィはやけに落ち着いた様子だったという。
"これから昨日の事情聴取の続きに行ってくる"
淡々とした声で用件を告げたミリィは、弱音も愚痴も一切零すことなく、平然としていた。
心配するシャノンに対しては、むしろそっちの方が大変だろうと労いの言葉を返すくらいだった。
今朝だって、シャノンはギリギリまでミリィの側にいると粘ったのだが、当のミリィに諭されて本邸に帰ることとなったのだ。
"心配すんな、シュイ。オレなら平気だ"
"お前には、お前を必要とする人達に応える、大切な仕事がある"
"オレは、今のオレにできることを精一杯やるから"
"だからお前も、お前にしかできない役目を果たしてくれ"
"ごめんな"
ただでさえ迷惑をかけてしまったのだから、これ以上シャノンの日常を狂わせたくないと思ったのだろう。
シャノン自身は、例え全てを放り出してでも、後で部下達に叱られることになっても、今は親友の側にいたいと望んだが、ミリィがそれを拒んだ。
だからこそシャノンは、ミリィのことで頭が一杯でも、どんなに気になっても、自分に課せられた長としての務めを全うすると決めたのだ。
シャノン・エスポワール・バシュレーとして、今日も変わりなく一日を過ごすことが、今の自分に与えられた役目だと。
「もう、何回ごめんって言われたか、覚えてないよ。
ミリィはなにも悪くないのに。彼に謝ってほしいと思っている人なんて、一人もいないのにね」
「……確かに、ミリィは悪くありません。ですが、我々には貴方を巻き込んでしまった落ち度と、責任があります。
無関係な一般人であるシャノンさんにまで、こうして重荷を背負わせることになってしまった。
勿論、貴方に害が及ばないよう、我々は全力を尽くしますが…。
今更、お詫びのしようがないです」
この件に無関係であるはずのシャノンまで、結果的に首を突っ込むはめになってしまったのは、やはりミリィの存在が大きいと言えるだろう。
決して意図して巻き込んだわけではないが、結果としてシャノンも道連れにするような運びとなったのだから。
無論、誰よりそのことを痛感しているのはミリィで、一番責任を感じているのもミリィだった。
シャノンと言葉を交わす度、息を吐くように謝罪の台詞ばかりが彼の口をついて出るのは、今はそうすることしかできないためだ。
未来のことなど、誰にもわからない。誰だって見えていない。
昨日の時点では、今の自分がどうしているかわからないし、今の自分には、明日の出来事を予知することはできない。
全ては結果で、選択から生まれた後付けの世界に過ぎない。
花藍の正体も、朔の出生の謎も。
知っていれば、きっとこんな選択はしなかった。
全てを把握した上で、巻き込むことになると承知の上で、親友の家に厄介事を持ち込んだりはしなかったろう。
ただ、結果としてこうなった。
あの時のミリィが、緊急避難場所としてシャノンの屋敷を選んだことで。朔という複雑な存在を連れ込んだせいで。
知ってはならない禁忌の秘密に、シャノンも触れることになってしまった。
「……君は優しいね。でも、一つだけ間違えていることがあるよ」
ウルガノが悔しそうに上唇を噛むのを見て、シャノンはむっくりと起き上がると、前屈みの姿勢をとった。
「確かに、ボクは一般人だ。君達のように強くないし、温室育ちの、無知で無力なお坊ちゃんだ。
でも、ミリィが深く関係している事柄なら、ボクにとっても無関係じゃない。
ミリィも君も、まるでボクが無理に巻き込まれたような言い方をするけど、そう思っているのは君達だけだよ」
「………シャノンさん。私は、」
「もし。もしミリィが、迷惑をかけたくないからって、全部一人でしょい込むような真似をしていたら。ボクはきっと、本気で彼を怒っただろう。
ボクはミリィのことが大好きだし、尊敬もしてる。だからこそ、今まで彼の下した決断には口を挟まなかった。彼が自分で選んだことなら、きっと正しいはずだと思ったから。
でも、今回は違うよ。違うんだよ。危険なことだっていうなら、尚更違う。
万一、ミリィがこの先、深く傷付いたり、……最悪、命を落とすようなことになったりしたら。
ボクは二度と、永遠に笑えなくなるだろう。一生悔やんで、苦しんで、痛みにのたうちまわる人生になる」
ミリィがシャノンを大切に思っているように、シャノンだってミリィを大切にしている。
ミリィが迷惑をかけたくないと思っているように、シャノンは力になりたいと望んでいる。
巻き込んだと感じているなら、何故謝るだけなのか。
こちらの想いを汲もうともせずに、ただ自分を責めることしかしてくれないミリィに対して、シャノンは怒りすら感じていた。
「ボクの知らないところで、ボクが気付きもしない内に、いつの間にかミリィが倒れていたなんてことは、絶対にあってほしくない。
ミリィはいつもボクのことを考えてくれるけど、今回ばかりは、なにもわかってないよ。
彼が死んだら、ボクがどれだけ悲しむか。どうしてわからないんだ、あの臆病の意地っ張りは。
親友が一人で戦っている時に、自分だけ、なにも知らずに平和を貪っているなんて、絶対に嫌だ。
だったら、ボクも同じ、修羅の道を行く。後になって無知を歎くくらいなら、共に背負う。
こんなの、普通のことだろ?友達なら、力になりたいって、思うだろ。隠し事なんてされたくないだろ。お前一人でなんとかしろなんて、思うわけないだろ」
膝の上できつく指を組むと、シャノンは辛そうにうなだれた。
「なのに、なんで。わかってくれないんだ。
初めて、ミリィのことが嫌いになりそうだよ」
ミリィもシャノンも、互いにすれ違いで、互いに苦しんでいる。
大切だからこそ放っておけないし、かといってどこまで踏み込んでいいのかわからない。
二人とも間違っていないから、どちらも納得できる正解がない。
どちらかが譲歩しない限り、生まれた亀裂はどんどん幅を広げていくだけだ。
毒を食らわば皿まで。
乗り掛かった船が、例え沈む結末を抱えていようとも、共に沈む覚悟はできている。
後は、ミリィがシャノンの願いを素直に聞き入れてやるかだ。
この諍いは、今まで一度も喧嘩をしたことがない二人にとって、初めて経験する痛みだった。




