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オルクス  作者: 和達譲
Side:S
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Episode18:フィグリムニクス



11月6日。AM9:48。

倉杜花藍殺害事件が発生してから一夜が明け、昨夜の出来事が嘘のように新たな一日が始まった。

フィグリムニクスの空は今も雪雲に覆われており、全土に渡って細かな雪が降り続いている。


やや時期の早いこの粉雪は、触れればたちまち人肌で溶けてしまうものの、物悲しい冷気を帯びていた。

空中に向かって息を吐けば、儚い白が眼前に煙ってゆくほどに。


屋敷内では、昨夜に引き続き仕事に取り掛かっている使用人達の足音が絶えず響いている。

外では、今年初観測の雪に喜ぶ子供達の姿が見える。

自分の知らないところで誰かが死んでいたことなど、無邪気な彼らはきっと想像もしないだろう。



そんな中、アンリは自分のゲストルームを出て、備え付けのバルコニーで過ごしていた。

今は外壁に背を預けながら、一人煙草を吹かしている。


するとそこへ、部屋の外からドアをノックする音が聞こえてきた。




「開いているよ。どうぞ」



アンリはその場を動くことなく、開けっ放しの窓の向こうから返事をした。




「お邪魔す────」



ドアが開かれると、すっかりいつもの服装に着替えたシャオが現れた。

しかし、同時に突風が突き抜けていったため、彼の長い髪が一瞬爆発したように飛び散った。




「………ファー、びっくりした。何事かと思ったら、窓が全開のままじゃないか。

バルコニーに出るならさっさと閉めてしまいなよ。暖房がもったいない」



とっさに目をつむって立ち止まったシャオは、風が大人しくなったのを見てから恐る恐る口を開いた。

ドアを閉めると風は静まったが、室内には既に外気の冷たさが充満していた。




「ああ、悪い。たまには換気も必要だと思ってな。

暖かい部屋にいるのは心地がいいが、慣れると少々、頭がぼんやりしてくるから」



アンリは首だけを後ろに向けて返事をした。

シャオは乱れてしまった髪を整えた後、寒さに肩をすくませながらバルコニーまで足を延ばした。




「なんだ、まだ寝巻きのままじゃないか。

そんな格好でだらだらと一服なんて、君らしくないね」



アンリの姿を目にしたシャオは、ふと意外そうな声を上げた。

アンリは、肯定するように煙草の煙を吐き出してみせた。




「そうだな。俺にだって、上品な坊ちゃんでいるのをやめたくなる時があるさ」



全く気にする様子のないアンリに代わり、シャオがバルコニーの窓を閉めてやると、しゃがれた声がぼそっと返ってきた。

思ってもみなかった返答に、シャオは驚いて目を丸めた。




「へえ。本当に珍しいこともあるもんだ。君にもそんな日があるんだね」




きっちり起床の支度を済ませてきたシャオと違い、アンリは貸し出されたパジャマにガウンを羽織っただけという適当な出で立ちをしていた。


几帳面で規則正しい性格のアンリが、こんな風にだらしのない振る舞いをするのは滅多にないことである。

それも、人前で醜態を晒すような真似はまず有り得ない。


今まで共に旅をしてきたシャオでも、こんなアンリは見たことがなかった。

故にシャオは、アンリの変貌ぶりを密かに案じ、いつもの軽口は控えた方が良さそうだと思案した。




「マナ達が一階で朝食をとっているんだけど、君はどうする?」


「今朝はいい。俺の分は必要ないと、家の者に伝えてある」



アンリが一つ煙を吐く度に、粉雪の輪郭が淡くぼやけていく。




「フーン……。

そういえば、弟君(おとうとぎみ)の姿が見えないけど、いつ出発したんだ?ちょっと前までシャワー浴びてたよね」


「出ていったのは一時間ほど前だ。シャワーを浴びた後、食事もとらずにさっさと行ってしまった。

メリアという女性から強引に軽食を持たされていたが、どうせ口を付けないだろうな」




アンリの言う通り、ミリィは今ここにはいない。

昨夜の議論が一段落した後、早々に支度をして再び屋敷を出ていってしまったのだ。


ミリィの一味であるトーリ達は現在、部屋数の都合でバシュレー家の本邸に身を寄せている。


こちらの別邸で宿泊をしたメンバーは、朔を心配して残ったミリィと、アンリら一行。

それから、シャノン専属の三名の使用人だけだ。


といっても、議論が終わったのは明け方だったため、皆ろくに眠れていないのは明白である。



そんな最中、誰にも告げずに発とうとしていたミリィを、たまたま居合わせたメリアとアンリが見送った。

二人は無理をするなと引き留めたが、ミリィは聞く耳を持たなかった。


血の気のなくなった青い顔で、重い足を引きずりながら、それでもミリィは前に進むことを選んだのだ。

その背中はとても頑なで、振り返ることを拒んでいるようにも見えたとアンリは言う。




「へえ…。まあ、遺体の第一発見者ともなれば、色々とやらされることも多いんだろうけど……。にしたって、ちょっと無理し過ぎなんじゃない?彼。

事情聴取だって、別に強制じゃないんだから。もう少し気持ちが落ち着いてからでもいいだろうに」


「だからだろ。いくら時間を置いたところで、あいつが負った傷は癒えるわけじゃない。

寝ても覚めても忘れることができないなら、せめて記憶が鮮明な内に、事件究明のための手助けを……と。

一刻も早く犯人を捕まえたいと願っているのは、誰よりあいつ自身だろう」


「気持ちはわかるけどね。ただ、相手は一個人じゃなく、国そのものだ。

世界規模で隠蔽されているものを、たかだか一角の警察風情がどうにかできるとは思えない」




囲いの柵に肘をかけ、シャオはだるそうに首の骨を鳴らした。

アンリはガウンのポケットから煙草の箱を取り出すと、シャオに向かって差し出した。


"この銘柄、あんまり好みじゃないんだけどな"

シャオは内心そう思ったが、中から一本引き抜いて口にくわえた。


すると今度はシルバーのジッポを投げ渡された。これもアンリの私物だ。

シャオはそれも難なくキャッチすると、くわえた煙草に火を着けた。

シャオの一本目と、アンリの五本目が着火したのはほぼ同時のことだった。


その間、二人は一切言葉を交わさなかったが、二人ともこの沈黙を痛いとは思わなかった。




「───君こそ、弟に負けないくらい急に老けた顔をしているけど。その割に随分冷静でいるね。

昨夜やっと明らかになったのは、私にとっては所詮人事でも、君にとってはそうじゃない。

お父上が既に亡くなられている今、血で血を洗う骨肉の争いは回避できるわけだけど……。

だとしても、事の真相を知って一番ダメージを受けているのは、君だろ」



シャオは、着火した煙草の煙をゆっくり吸い、吐き出すと、今一度アンリに視線を向けて問うた。


しかし、アンリは反応を示さなかった。

ぼんやりと焦点の合っていない瞳は、遠く地平線の向こうを映している。




「冷静、か。

お前ほどの目利きにそう言わしめる程には、俺も面の皮が厚くなったということだな」



他人事のように呟くアンリの横顔には、うっすらと空虚な笑みが浮かべられていた。




「傍からはそう見えるだけで、実は結構パニクってたりするのかい?」


「かもな。少なくとも、お前が想像してる以上には、混乱してるさ」




神隠し。人身売買。人体実験。


今まで追い求めてきた謎が、ようやく判明した時。

あの場に居合わせた誰しもが、思わず目眩を起こすほどの絶望を覚えた。

これでやっと全貌が見えてきたと、手応えを感じるよりも先に放心した。


全員、相応の覚悟はしていたし、真実が明らかとなった後も決して歩みを止めないと心に誓った。

だが、改めて直面したそれを余さず受け止められた者はいなかった。


そんな非現実的なことは有り得ないのではないか。

自分達の見ているものは、ただの偶像に過ぎないのではないか。

以前まではあった懐疑の思いも、微かな希望も、あの一瞬にして全て打ち砕かれてしまった。


自分達が立ち向かおうとしているのは、正真正銘の化け物である。

痛感すると同時に、そこはかとない恐ろしさが明確な恐怖となって、全員の胸に重くのしかかった。




「だが正直、この結果を全く想定していなかったわけでもないんだ。

……具体的な内容を知った時には、流石に血の気が引いたが。

父が、───フェリックスが、人道に反する悪事に手を染めている気配は、薄々感じていた。

それが殺戮を伴うものであっても、さほど驚きはしない」


「そういえば、初めて会った時にもそんなことを言っていたね。

じゃあ君は、最初からなんとなく分かっていて、今までの旅は、確信を得るための材料を集めていたに過ぎないと?」


「お前だって、一度は想像したことがあるだろう?

才ある若者が次々と姿を消し、彼等を吸収した先が一国の研究機関である可能性、と。ここまでくれば、大体皆考えることは一緒のはずだ。

今のご時世、どの国も必ず腹に一物は抱えている。

どれほどの平和を、平等を語っていても、裏では決して公表できないような、ヤバいことに費やしていたりする。

人類の更なる栄華と繁栄のため、などと聞こえのいい信念を掲げていても、結局は自分の快楽と野望のためだ。

兵器を開発するのも、地球外のミステリーを追い求めるのも、突き詰めれば全て人間のエゴだ。

人体実験なんて、むしろ前時代的で有り触れていると言っていい。有り得ない話じゃないさ」




昨晩、花藍の遺した秘密を紐解いた時。

共有した面子の中で、一番冷静でいたのはアンリだった。


無論、フェリックスの野望をアンリは知らなかったし、事実を知った時には驚いた。

ただ、ショックで打ちのめされていたミリィ達と比べると、アンリだけはさほど狼狽しなかった。


フェリックスの狂気を誰より間近に感じていたのはアンリだ。

だからこそ、アンリはこの結果を意外とは思わなかった。

父に狂気を感じていたのは、決して自分の勘違いではなかったと判明しただけのことだから。



いつの世にも、悪党という生き物は存在するものだ。

自らの野望のため、人を犠牲とすることを厭わない彼らが跡絶えることは、きっと未来永劫ないだろう。


人が人であるが故に、争いは生まれるし、憎しみはなくならない。

今回はたまたま、その核にいたのが自分の父であったというだけ。


賛同する者があったということは、父が名乗りを上げずとも、いつかは誰かが代わりを務めたに違いないのだ。




「問題なのは、いつから神隠し(これ)が始まっていたのかということだ。

我が国を立ち上げた彼の14人の権力者が、皆フェリックスの野望に賛同していたとするならば……。

彼等も片棒を担いで、禁断の領域に踏み込んでいたことになる」


「全員に等しく秘密を明かしたとは考えにくいが…。

一見接点のなさそうな彼等を纏め上げたのは、他ならぬ立案者のフェリックスだ。

となると……」


「大方、他の13人はフェリックスの口車に乗せられたんだろう。自分に協力すれば、更なる飛躍と栄光を約束する、だとか上手いことを言われてな。

中には具体的な説明を受けて、自分もその研究に一枚噛ませろと志願した者もいるかもしれないが……。それはまだ断定できないな」




花藍の遺書によれば、例のFIRE BIRDプロジェクトは少なくとも20年以上存続していることになる。

となれば、頃合いから推測するに、この国を立ち上げたこととも密接に関係しているはずだ。


そもそも、彼等は何を以て同盟を結び、新たな国家を作り上げようなどと思い立ったのか。


もし、フェリックスの首謀するFIRE BIRDプロジェクトの存在が根底にあり、研究の礎を築くためにフィグリムニクスという国が生まれたのであれば。




「この国のシンボルマークが彼の不死鳥をモデルにしているという話は、つまりそういうことだったらしい」




最初から、その目的のために生まれた。


より研究に集中できる環境の確保。

高ステータスの選ばれた人間にのみ与えられる、国民の資格。


全ては、不死鳥の目覚めを促すための贄だ。



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