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オルクス  作者: 和達譲
Side:S
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Episode17-2:パンドラの箱



ようやく帰ってきたミリィは、一同が想像していたよりずっと疲弊した様子で、身も心もげっそりと窶れた顔をしていた。

トーリに肩を支えてもらってなんとか歩く姿は、今にも崩れ落ちそうなほどだ。




「────ミレイシャ!!!」




ミリィが屋敷に上がると、リビングから走ってやってきたシャノンが大声で叫んだ。

トーリが気を利かせて離れると、シャノンは勢いよくミリィに抱き付いた。


互いに余計な言葉は交わさない。

ただ、シャノンが無言でミリィを抱きしめると、ミリィもシャノンの肩に力無くもたれ掛かった。

ミリィが小さな声でただいまと呟くと、シャノンも抱き締める力を強めることで返事をした。


そんな彼等の様子を遠くから眺めるアンリは、見守るだけで輪の中に入っていこうとはしなかった。






ーーーーーーーー



時刻はもう直、夜明けの頃。

しかし、外は変わらず暗闇に包まれたままだった。

日が昇る気配は全くと言っていいほど感じられず、まるであの瞬間から時が止まってしまったかのよう。



長時間に渡った事情聴取の続きについては、後日改めて行われることになったそうで、今夜のところは一時帰宅が許されたらしい。


現場では今も調査が続けられているが、後の始末は彼ら警察の仕事だ。

花藍の遺体も既に然るべき場所へと移送されているため、正式な弔いはもう少し先の話になると思われる。




「心配かけた。一先ず、今やれることは終わらせてきたから。

先に、朔の様子見に行かせてくれ」




迎えてくれた一人一人に順番に応対したいったミリィは、まず心配をかけてしまったことを詫びた。

それから、先程残していった朔の安否を気にして、一人二階へと上がっていった。


音を立てないよう、ミリィが部屋の中へ忍び込むと、大きなベッドで朔が寝息を立てていた。

泣き腫らした目元をすっかり閉じた彼女は、ミリィが近付いても一切起きる気配がなかった。

この分だと、もうしばらくは眠っていてくれるだろう。


こうしてゆっくり休ませてやることが出来るのも、頼りになる仲間達が側にいてくれるからである。

ミリィは改めて心の中で感謝すると、同時に朔に謝った。





「───待たせて悪かったな。

皆疲れてるだろうに…。せめて着替えるくらいはしても良かったんだぜ?」



朔の無事を確認したミリィは、再び一階のリビングへ戻った。

ミリィが姿を現すなり、一同の視線は再びミリィに集中した。




「なに言ってんの。一番疲れてるのは君だろ。

……本当に大丈夫なのかい?辛かったら、今は無理しなくても…」



そこへ、階段の近くにいたトーリが真っ先に歩み寄っていった。

顔を覗き込んで心配するトーリに対し、ミリィはうっすらと笑みを浮かべて返す。




「ありがとう、トーリ。けど大丈夫だ。休もうにも、今は眠れそうにないしさ。

……それから、シャノン」



続いてシャノンが歩み寄っていくと、ミリィは改めて彼に頭を下げた。




「………ミリィ、」


「ごめんな。せっかくの誕生日なのに、こんなことになっちまって。

心配、したよな。ごめん」


「君が謝ることじゃないよ。ボクはただ…。

……とにかく、ここにいる限りあの子は安全だ。彼女のことは、なにも心配しなくていいよ」



切なそうに表情を歪めながら、シャノンはミリィの頬を指先で撫でた。




「うん。……オレのが年上なのに、お前には迷惑かけてばっかだな。すまない」




先程、東間が緊急呼び出しの連絡を行った際、シャノンも又聞きで事件の概要を知った。


"すみません、シャノンさん"

"こんな時にお話するべきことではないかもしれませんが"

"貴方は彼の親友なので、一応耳に入れておきます"

"ミリィが、外で事件に巻き込まれたそうです"


事情を伝えたのはトーリで、まさにこれから演奏会の準備が始まろうというタイミングだった。



ミリィの身に迫る危機を知ったシャノンは、本当は真っ先に彼の元へ向かいたかった。

全て放り出して、深い傷を負ったろう友の安否を確かめに行きたかった。


だが、それを思い止まったのもまた、ミリィを思うが故だった。


ここで主役の自分が抜け出せば、きっと騒ぎになる。

事件のことを内々に収めるためには、ミリィ達の素性に疑いの矛先が向かないようにするためには、今夜のことを出来るだけ秘匿にするべきだ。


故にシャノンは、パーティーが無事に幕を下ろすまで、自分の務めを全うしたのだ。

最後の最後まで笑顔で舞台の上に立ち、毅然な態度を貫き、満足して帰っていく来賓達を一人一人丁寧に見送った。


別邸に集合したメンバーの中で最後に合流したのはシャノンだが、誰よりミリィのことを心配していたのも彼だった。




「そのスーツ…。汚れてしまったみたいだし、着替えを用意しようか?」


「いや、いい。今は着替える時間も惜しい」



シャノンの提案に、ミリィは首を横に振った。

せめて顔だけでも綺麗に、とメリアが温かいタオルを差し出すと、ミリィはそれも断った。


血に濡れたスーツもそのままに、ミリィが真っ直ぐ向かっていったのは、東間達のいるソファーの近くだった。




「………これ、やっぱり現場から持ち出したものなんだね」


「ああ。朔の身柄と一緒に、いざという時は任せると頼まれていた物だ。

自分の身にもしものことがあったら、娘の保護と、こいつの始末をオレにってね」




東間が例のトランクを差し出すと、ミリィはそれを受け取って床に置き、その場に膝を着いた。


そして首から下げていた鍵をトランクの錠前に差し込むと、固い金属音と共にトランクの蓋が僅かに持ち上がった。




「その鍵はどうした?」



歩み寄ってきたアンリに、ミリィは顔を上げずに答えた。




「……あの屋敷には、秘密の地下室があるんだ。そこに朔は隠れてて、だから無事で済んだ。

この鍵は、その地下室の扉を開けるためのもの。

もう一つは朔が持ってる。世界にたった二つしかない、秘密を解き明かすための鍵だ」




解錠されたトランクの蓋を持ち上げ、完全に開くと、中にはトランクより一回り小さい金属製の箱が仕舞われていた。

頑丈な硬さを持つ、漆塗りのような光沢を帯びた黒い箱だ。


箱の開け口には、電子ロックのパスワードを入力するためのモニターが仕込まれている。

掌ほどのサイズしかないそのモニターには、今のところなにも映っていない。


ミリィは、自分の手をズボンの裾で擦って汚れを拭うと、指先でそっとモニターの表面に触れた。




「"天使の名には意味がある"…。

なにかの暗号か?謎掛けの答えが、こいつを開く鍵になるのか」



ミリィの指の接触に反応したモニターは、意味深な一文を表示するなり再び動かなくなった。

傍で様子を見ていたアンリは、訝しげに眉を寄せて腕を組んだ。




「この暗号を仕込んだのって、その…。亡くなった持ち主本人、だよね。

じゃあ、その人と交流があったミリィにしか解けないってことでしょ?ミリィ、なにか聞いてないの?」



東間はミリィの隣までやって来て屈むと、箱がどのような仕組みになっているのか隅々まで観察した。

ただ、この手のものは下手に干渉すると取り返しのつかない事態に成り兼ねないので、直に触れることはしない。




「………天使の名には」




散り散りとなっていた他の面々も、続々とミリィの周囲に集まり始める。

ミリィはしばらく指で顎を支えて思案すると、何気なしにある言葉を呟いた。




「日本語で、始まりの日」




ぼそっと呟かれたその一言に、モニターの内部が瞬時に反応した。

意味深な一文が表示されていた画面が暗転すると、今度はCLEARの単語が表示された。


直後、ピ、と短い電子音が鳴り、箱の蓋が僅かに持ち上がった。

トランクの時と同様、施錠が解かれた合図だ。




「あ、開いた…。びっくりした。ミリィ、最初から答え知ってたの?」


「いや」


「では、当て推量がたまたま引っ掛かったんですか?」


「………天使って聞いて、ぱっと思い付いたのが、朔だった。

あの人にとって、天使に等しい存在といえば、我が子の朔以外には有り得ないと思ったから」


「始まりの日、というのは?」


「名前だよ。(さく)って、日本語で始まりの日、新しい月って意味があるんだって、昔言ってたから」



東間、ウルガノ、アンリからの問いに、ミリィは淡々と答えていった。



ミリィが一発でパスワードを解くことができたのは、本当に偶然だった。


そもそも、この箱の存在自体説明されていなかったので、開くための暗号も知っているはずがなかった。

ミリィ自身、確信をもって先程の言葉を呟いたのではない。


ただ、天使というワードが引っ掛かりとなって、ミリィを正解へと導いた。

結局のところ、意図せず導きだされた直感がたまたま的中しただけのことなのだ。



花藍の一人娘である、朔。

その名の由来について、彼女は一度だけミリィに話したことがあった。

それは、一見するとなんてことはない日常会話で、当時はミリィも深い意味があるとは思っていなかった。


それでも、ミリィはこの時のことを忘れなかった。

想い人の口から直接聞いたことであるからと、花藍のふとした一言でさえもずっと心に留めていた。

だからこそ、ミリィはこの鍵を開けることができたのだ。


もし、ミリィがこの話を忘れてしまっていたら、他の誰にも箱の秘密は解き明かせなかったかもしれない。




「じゃあ、開けるぞ」


「いいの?おれ達も一緒に見て」



東間が怖ず怖ずとミリィの顔色を伺う。

ミリィは一度深呼吸をしてから、ゆっくり蓋を持ち上げた。




「ああ。……多分、オレと彼女だけの問題じゃないから」




思い出されるのは、彼女との懐かしい日々。


この箱は、確かに自分が託された物であるけれど、収められているのはきっと、単なる遺品ではない。


彼女が命を掛けて守った秘密に、どんな闇が内包されているのか。

そしてそれは、我々にとってどのような意味を持つのか。


開けてしまえばもう、後戻りはできない。


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