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オルクス  作者: 和達譲
Side:S
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Episode15-2:鷺沼藍子の遺言



私が犯した、二つ目の罪。

それは、生後まだ間もなかったゼロツーをさらい、共に研究所から逃げ出したことです。


私には、ゼロツーの世話係という重要な役目がありました。

誰より長くゼロツーの側にいたので、人目を逃れて密かに彼女を連れ出すことは、そう難しくありませんでした。


皮肉なものです。

今まで、従順な手下の一人として在り続けた私だからこそ、無事にあの闇の中から脱出することができたのですから。


上官や同僚達の目には、さぞ健気で、愚かで、優秀な研究員として映っていたことでしょう。


故に、これからもその忠誠は変わるはずがない、という生温い信用が、彼らの目を濁らせた。

あくまで私は格下の若輩者だから、という驕りが、油断が、きっと私の裏切り行為の発覚を遅らせてくれたのです。



ゼロツーを連れて研究所を出た後は、いっそこのまま国外逃亡してしまおうかとも考えました。


ですが、他国に向かうとなると、どうしても国内のシーゲートを通過しなければなりません。

そうなると、この国を治めるフェリックス氏に、逐一足取りを知らせながら逃げ回ることになります。


悩んだ私は、最後には国内に留まることを決め、行き先はプリムローズに定めました。


単純に身を隠すという目的であれば、適している場所は他にもあります。

浮浪者も多くうろつくというガオや、今や人種の坩堝となっているホークショー、クロカワなど。

あの辺りは規律が厳しくない分潜入も簡単なので、後ろめたい事情を隠すためならば無難な地域といえるでしょう。


ですが、私はあえて逃亡先にプリムローズを選びました。

理由は、プリムローズが国内で最も結束の堅い、平穏な街であるということと、連れ出したゼロツーの存在があったからでした。


幼いゼロツーを無理に連れ去った私には、今後彼女を安全に保護し、親代わりとなって育てる義務と責任がありました。

故に私は、子供の成育に良い環境をと考慮し、ゼロツーと一緒にプリムローズでの生活を始めることにしたのです。




ーーーーーーーー


プリムローズに越した際、私は鷺沼藍子という本名を捨て、倉杜花藍という偽名に改めました。

ゼロツーには、私同様に日本人らしい名前をと思い、朔と名付けました。


国民証の偽造には少し手を焼きましたが、一度受理されてしまえばこっちのものです。


近隣の住民達も、問題さえ起こさなければ詮索してこない。

ひっそりと暮らしたいと思っていた私達にとって、プリムローズは申し分のない環境でした。



肝心の子育ての方は、なにもかも初めての経験だったので、しばらくは戸惑いと不安の連続でした。

ただ、朔はとても手のかからない子だったので、思っていたよりは苦に感じませんでした。


なにより、朔の容姿が。あの子の目元が、私によく似ていて。

それが、純粋に嬉しくてなりませんでした。


自分はあくまで、代理で人様の子を産んだ器に過ぎない。

頭では理解していたはずなのに、どうしても情は芽生えてしまって、止めようがありませんでした。



次第に、少しずつ大きくなっていく背丈が、少しずつ豊かになっていく表情が。

私の指を、縋るように握り締めてくる小さな手が、じっと見詰めてくる真っ直ぐな瞳が、愛おしいと思うようになって。


初めて朔が、私の顔を見てお母さんと呼んでくれた時。

私は、自分の胸に温かいものが満ちていく感じを覚えました。


そしてその切なさが、愛しさが、紛れも無い母性であることに、気付かされました。



当初は、責任を感じて、罪滅ぼしのために始めたことでした。


たった一人救い出したくらいでは、私の犯してきた罪は到底償えないけれど。

たった一人でも、救い出すことに意味があると思ったのです。


けれど、あの子を見ていると。

私はたまらなく嬉しくて、幸せで。

同時に酷く苦しくて、切なくて、度々胸が焼けてしまいそうになるのです。


朔が、私にそっくりだから、勝手に愛着が湧いてしまったのかもしれません。


でも、私は罪人。朔にとっては所詮他人。

朔への愛情が大きくなっていくほどに、私の葛藤も膨らんでいきました。



私なんかが、この子に触れても良いのか。

私は、この子に愛していると伝えても良いのか。

いっそあなたが、本当に私の子供だったら良かったのに。


朔の温かい肌に触れている時。

無邪気に笑っている顔を見た時。

あの子への愛情を確かめる度に、何度もそう思って、願っていたことを、今でも鮮明に覚えています。



やがて、彼女の成長を見守っていく内に、私はあることに気が付きました。

朔の成育速度が、平均よりとても速い様子だったのです。


そこで私は、信頼できる現地の病院に赴き、朔の体に異常がないかくまなく調べてもらいました。

判明した診断結果は、朔が一年で通常の二年分成長する特異体質である、ということでした。


つまりあの子は、一年の内に二歳分年をとる。

一年前までは生まれたての赤子だったはずが、それから一年後には言葉を操り始める二歳になっている、というわけです。


この症状から、私は老化の進行が早い、早老症という病の疑いを持ちました。

ですが、朔の体にそれらしい特徴は見られませんでした。

人並みより成長が速いという点を除けば、彼女は至って普通の健康優良児であったのです。



異変はそれだけに留まりません。


その後もすくすくと成長していった朔は、あっという間に立って歩けるようになりました。

私の言葉もすぐに理解できるようになって、研究所を出た一年後には、自分から積極的にお喋りをするまでになりました。


そして、朔が言語を操るようになってから発覚したことがありました。

自分の意思を言葉で表現できるようになったおかげで、生来彼女に備わった特別な能力を確認できるようになったのです。



その内の一つが、驚異的な記憶力。

もう一つが、俗に共感覚と呼ばれる能力でした。


朔は、一度目にしたものを完璧に記憶し、記憶したものを長期間新鮮に保つ力を持っていました。


本来記憶とは、完全に忘却するということはありませんが、時の経過と共に少しずつ思い出すのが困難になっていきます。


ですが、朔は違いました。

あの子は、その時その時に目にした光景を、覚えた感覚を事細かに脳に刷り込み、思い出したい記憶を時期に関係なく引き出すことができたのです。


例えば、一年前の日付と、その日起きたちょっとしたニュースなどをヒントに与える。

すると朔は、当時の自分が体験したことを、今まさに感じているかのように的確に説明することができました。


その日は何時に起床したか。

朝食のメニューはなんであったか。

何色の服を着て、なにをして遊んだか、など。


記憶はあるはずなのに、どうしても思い出せなくてやきもきする。

誰しも一度は経験したことのあるあの感覚が、朔には全くなかったのです。


あの時、あの瞬間の記憶をと、一度(ひとたび)自分の脳に問い掛ければ、あの子はすぐにそれを引き出すことができた。

きっとそれは、何十年も前の出来事であっても。


簡単な言い方をすると、脳の容量が一般人と比べて多く、記憶を保存しておける引き出しの数が生まれつき多かったからなのかもしれません。



次に、共感覚と呼ばれる特殊能力についてです。


今やご存知の方も多いと思われますが、通称シナスタジアと言われるこの能力は、通常の人間には感知できない知覚です。

諸説ありますが、幼少期の経験が後々も強く印象に残っているために発現するもの、とされています。


文字に色を感じたり、色に味を感じたり、音に映像を視たりなど。

症状や程度は個人によってまちまちですが、一つの知覚に対し、他の知覚も同時に刺激されるような感じ、といったところでしょうか。


原因は、当人が過去に目にした、感じたイメージが概念として脳にインプットされたからではないか、と唱える学者もいます。


例えば、数字。

保育園や幼稚園に通っていた幼児期に、教室の壁に張り出されていた本日の日付が、数字によって色分けされていたとします。

1なら赤、2なら黄色、3なら緑と、子供にもわかりやすいよう一つ一つに色がつけられていたとします。


すると、それらを毎日繰り返しチェックしていく内に、今日が何月の何日であるのかを瞬間的に色で判別する子供が出てきます。

ぱっと目に入った色が赤と緑であったから、今日は1月の3日である、というように。


つまり、習慣化した色のイメージがその人の中で定着し、大人になってからもただの数字に色を感じるようになる、という理屈です。


無論、前述の仮説は多岐に渡る要因の一つに過ぎません。

統計的には、幼少期の内から能力を発現させ、大人になってからそれが共感覚であると自覚するケースが大半だそうです。


明確に共感覚とはなにが原因で引き起こされるものなのか、謎は未だ解き明かされていません。



朔に発現した共感覚は、対象を人間に限定したもの。

肉眼で直接人の姿を見ると、視覚と同時に色覚や触覚も刺激される、というものでした。

所謂、オーラと呼ばれるものに近いかもしれません。


事例を上げますと、朔は無意識の内にその能力を使って、特定の人物の近親者を言い当てたり、対象の相手の感情を読み取ることができました。


ある時は、我が家のご近所に住まわれている、とある主婦の方が病に犯されていることを見抜き。

またある時は、行きつけのパン屋の主人が、笑顔の裏に重い悩みを隠していることを見抜きました。


前者の若い主婦の女性は、これまで一度も悪い病気にかかったことがなかったそうです。

まさか自分の身に癌が巣くっているなどとは夢にも思わなかったと、後に仰っていました。


後者のパン屋の主人は、常に笑顔の絶えない明るい人でした。

今も変わらず商いに精を出しているようですが、当時はご子息の結婚のことで悩みが尽きなかったそうです。


誤解のないように言っておきますが、女性が病に犯され始めていたことも、主人が人知れず悩んでいたことも、彼らと近しい友人や家族ですら知りえなかったことでした。

無論、彼らと特別な接点を持たない私達も同様です。


にも関わらず、朔はそれをいとも容易(たや)すく可能にしてしまったのです。



本人に話を聞いたところ、朔は瞼を開いた時、視界に映る一人一人の人間に個別の色と手触りを感じるのだといいます。


色は、その人の肌から湯気が立っているような感じ。

もしくは、淡い球体状のものが複数辺りを浮遊している感じで、全身がぼんやりと覆われているように見えるのだそうです。


感情の起伏や、僅かな呼吸の乱れ等も大きく作用するそうなので、あの人いつもと微妙に色合いが違うと感じた時には、当事者になんらかの異変が起きている可能性が高いようです。


手触りの方は、対象の相手に接近した時に限り、穏やかな風が頬を掠めるようにして伝わってくることがあるそうです。

人によってそれは柔らかかったり固かったり、時には熱や冷たさを感じる場合もあるとのことでした。



これらの能力は、朔本人が意識を集中させることによって、より強い視覚化を可能とします。

故に、個人の識別も正確になるというわけです。


血縁関係にある者同士は比較的色味が近く、波長も似ているので、見分けることは簡単だと昔言っていました。


誰と誰が兄弟で、誰と誰が親子なのか。

度々クイズ形式に試してみた問いを、あの子は外したことがありません。


まさに百発百中。

朔の特異な能力により、予期せぬ収穫を得たり、難を逃れた人間も過去に少なくなかったはずです。



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