Episode14:終わらない夜の幕開け
『そっちの様子はどうだい?』
送られてきたメッセージに目を通し、慣れた手つきでそれに返信する。
電気の点いていない暗い部屋で、一際明るい光を放つブルーライトに照らされながら、東間はベッドに横になってスマートフォンを弄っていた。
「───ヨウイチ、俺だ。
メリアが紅茶を煎れてくれたんだが、入ってもいいか」
すると、誰かが部屋の扉をノックし、中に向かって声をかけてきた。
この渋いテノールボイスは、バルドの声だ。
曰く、屋敷の使用人が紅茶を用意してくれたとのこと。
そのことを伝えるために、彼はわざわざ東間のゲストルームまでやってきたようだ。
東間は、バルドの声にびくりと肩を揺らして反応すると、慌てて体を起こし、小さくどうぞと返事をした。
「お、わ。なんだ真っ暗じゃないか。
電気も点けずにそんなもの見つめてると、目を悪くするぞ?」
てっきり明かりが点いているものと思っていたバルドは、室内の暗闇に驚いた。
東間は平静を装いながら、改めてバルドに用件を尋ねた。
「別に平気ですよ。それで、なんですか?」
「ん?ああ、いや。
余計なお世話かとも思ったんだが…。せっかく俺達三人の分も用意してくれたわけだしな。お前も一緒にどうかと思って」
実は、一時間程前まで、東間はバルド達と共にいた。
もう一人のゲストであるジュリアンも交えて、一階のダイニングで夕食をとっていたのだ。
しかし東間は、食事が済むなり自分のゲストルームへと引っ込んでしまった。
最初に出会ったミリィやトーリが相手ならともかく、まだ知り合って間もないバルドや、ジュリアンとまではどう接してよいか分からなかったからだ。
バルドは、そんな東間の性格を何となく理解していた。
だからこそ、今まではあまり彼に絡んでいこうとしなかった。
他人との付き合い方には個人差があるし、本人にその気がないのなら、あまり深入りしない方が傷付けずに済むだろうと。
だが、今日のバルドはいつもとは違うらしかった。
このままでは、いつまで経っても距離が縮まらず、互いに気まずい思いをするだけ。
そう考えを改めた彼は、今度はこちらから積極的に歩み寄っていくことにしたようだ。
「……そう、ですか。じゃあ…。おれも、行ってみます」
何度か目を泳がせた後、東間はしぶしぶといった様子でバルドの誘いを受け入れた。
内心は乗り気でなかったものの、正面から真摯にぶつかってきた相手に面と向かって嫌だと言うこともできなかったようだ。
間もなく、バルドに連れられて一階へ降りてきた東間を、ティーブレイクの準備をしていたメリアとヘイリーが歓迎した。
「お帰りなさいませ東間様。お体の具合はいかがですか?」
メリアが声を掛けると、東間はそわそわと落ち着かない様子で返した。
「え、あ……。大丈夫、です。
ただちょっと、一人で考え事をしたい気分、だったので」
「左様でございますか。でしたら、脳の疲れには甘い物が効果的ですよ。
たった今ヘイリーがマドレーヌを焼きましたので、よろしければそちらもどうぞ」
「……どうも」
笑顔で話し掛けてくれるメリアに対し、東間はつい素っ気のない態度をとってしまった。
申し訳ないとは思いつつも、まだ彼には愛想よく振る舞うということが出来ないのだ。
東間とバルドがダイニングのテーブルに着席すると、メリアはそれぞれに紅茶の入ったカップを差し出した。
ヘイリーは、焼きたてのマドレーヌを詰めたバスケットを抱えて、二人に向かって会釈をした。
「おお、どっちも美味そうだな。
ヘイリーは菓子を作るのが得意なのか?」
バルドが何気なく尋ねると、ヘイリーははにかみながら答えた。
「いえ、得意というほどのものではありませんが…。
私がバシュレー家の使用人として働き始めて、最初に教わったのが焼き菓子の作り方だったんです。
秀でた才能のなかった私に、お仕えするシャノン様が直々に指導して下さって…」
ヘイリーの言葉を聞いて、メリアも懐かしそうに昔話を始める。
「そうそう。
"初めてボクが自分で選んだ子なんだから、ボクの方から直接、使用人としてのイロハを教えるよ"、なんておっしゃって。私達の方から指導するまでもなくなったんです。
ヘイリーがここまで成長したのは、他ならぬシャノン様ご自身が仕込まれたからなのですよ」
「へえ…。確か彼は、ここの養子になる前は執事見習いをしていたんだったな。
だから、主人としてよりもまず、使用人の先輩として君に接したというわけか。面白い子だな」
感心するバルドに対し、ヘイリーとメリアは感慨深げな様子で頷いた。
「はい。あのお方には感謝してもし尽くせません。
自分のような根無し草に、暖かい居場所を与えて下さって…。
叶うのならば私は、一生シャノン様と、バシュレー家にお仕えしたいと思っております」
「同感ですわ。
ご奉公させて頂く身として、あのお方以上の主は、他に考えつきません」
メリアもヘイリーも、心からシャノンのことを慕っているようで、とても穏やかな表情をしていた。
特にヘイリーは、バシュレー家に拾われる以前は路頭に迷っていたとのことで、当時と比べると今の生活は天国だと語った。
話に一区切りつくと、メリアの煎れた紅茶とヘイリーが焼いたマドレーヌが全てテーブルに並び、ティーブレイクの準備が整った。
バルドは、用意してもらった紅茶とマドレーヌを前に、せっかくだから二人も一緒にどうだと声をかけた。
しかし二人は、自分達はただの使用人なのでお気遣いなく、と最初は遠慮した。
それに対し、お茶はみんなでする方が楽しいからと、尚もバルドは食い下がった。
メリアとヘイリーは互いに目配せをすると、困ったように笑いながら着席した。
「───それで、その後のパーティーの様子はどうだって?
お前の恩師の…、クロカワ?って奴もそっちにいるんだろ?
さっきここに来た、神坂って側近も一緒に」
バルドが思い出したように尋ねると、隣に座る東間は声だけで返事をした。
その視線は、変わらず手元のスマートフォンに向けられている。
「ええ。さっきから連絡くれてるのも彼ですよ。
黒川桂一郎。クロカワ州の主席です。
パーティーの方は順調に盛り上がっているようですよ。ミリィ達からもちょいちょいメッセージ来ますし」
「はっは。みんな楽しんでるようでなによりだな。
それで、ミリィからはなんて?」
「彼からのは殆ど写真ですが。ほら」
東間は、バルドにも画面が見えるように手元を傾けてやった。
画面に表示されていたのは、ミリィから届いた新着メッセージの文面だった。
そこには、パーティーの様子が収められた写真が何枚か添付されており、中には黒川と共に写ったものもあった。
「おお、会場の雰囲気がよく伝わってくるな。
メリア達にも見せていいか?」
「どうぞ」
「まあ、この方が東間様の……。とても誠実そうな御仁ですね」
「お召し物は、確か袴というんでしたよね。
定番は燕尾服ですが、こういった民族衣装も趣があっていいですね」
写真とメッセージをメリア達にも一目見せてから、東間が手早く返信すると、ミリィもすぐに続きを返してきた。
『やっとミスタークロカワとも話が出来たよ。
なかなか姿が見えないと思ったら、さっきまでお前らのとこに様子見に行ってたんだって?』
ミリィの言う通り、黒川家一行がなかなか姿を現さなかったのは、パーティー会場に赴く前にここへ立ち寄っていたからだった。
ミリィ達との出会いを経て、東間が一人クロカワ州を離れてからというもの、桂一郎は東間の安否が心配でならなかったらしい。
少し前まで自宅に引きこもってばかりいた彼が、見知らぬ人達と見知らぬ土地を巡って旅をするだなんて、と。
東間の親代わりでもあった桂一郎にとって、この変化はとても喜ばしく、同時に不安な事態でもあったようだ。
そして、シャノンの誕生パーティー当日。
てっきり東間も出席するものと思っていた桂一郎は、直前に彼の欠席を知って酷く動揺した。
そちらで久々に再会できると思っていたからだ。
後に、急遽予定を変更した桂一郎達は、慌ててこちらの別邸へと顔を出した。
この機会を逃せば、次いつ会えるかわからない。
故に、せめて元気でやっているのかだけでも確認したいと、わざわざ袖の下まで持参して東間の元に会いに行ったのだった。
黒川家一行の会場入りが開演時間ギリギリだったのは、これが理由である。
「シャノン様も、大切なご友人に囲まれてとても嬉しそうですね。
我々の主は幸せなお方です」
添付された写真の中にシャノンの姿を見つけ、メリアは嬉しそうに頬を緩めた。
「君達も、実際にその目で彼の晴れ舞台を見たかっただろう?
悪いな、俺達のためにこっちに残ってもらって」
バルドが申し訳なさそうに謝ると、ヘイリーはそんなことはないと首を振った。
「いいえお気になさらず。ミレイシャ様のお連れの方々をお世話できるなんて、私達にとっては誉です。
ですよね?メリアさん」
「その通りでございます。
パーティーのご様子は、後日主の口から土産話をお聞かせ頂く予定ですので。今からそれが楽しみですわ」
ヘイリーが同意を求めると、メリアはにっこり笑って頷いた。
バルドは、目の前の二人の笑顔が本物であると分かると、少しほっとしたように紅茶に口をつけた。
「そうか。こんなに慕ってくれる臣下がいて、確かに彼は幸せ者だな」
「あ」
「ん?どうした東間」
「またメッセージがきました。今度はマナからですね」
東間のスマートフォンが、更に続けてメッセージを受信した。
今度の差出人は、ミリィではなくマナだった。
「───マナ?」
そこへ、ある人物が突然一同の前に現れた。
「うわ!びっくり、し……。
………ジュリアンさん?」
現れたのは、今まで席を外していたジュリアンだった。
どうやら、東間の口から出た"マナ"の名前に反応したようだ。
背後からぬっと出て来たジュリアンに、東間は珍しく大きな声で驚いた。
「ジュリアン。おかえり。手伝いは終わったのか?」
「終わった」
「て、手伝い?今までなにかやってたんですか?」
バルドの台詞に東間が首を傾げると、彼に代わって別の男が返事をした。
「あー、それ僕です。
さっきまで溜まった洗濯物を片していたんですけど、ジュリアンさんが畳むのを手伝ってくれたんですよ。
おかげで助かりました~」
ジュリアンに続いて屋敷の奥からやってきたその男は、シャノン付きの使用人の一人である、グレン・スクリムジョーだった。
暗い赤毛にがっちりとした体格で、執事と呼ぶには些か品の無い無精髭をたくわえた彼は、軽快に笑ってメリアとヘイリーの元に近付いていった。
「終わったよ、メリア。
喉が渇いたから、僕の分もお茶を煎れてくれないかい?」
「いいですよ。
ただし、お客人の御前で締まりのない顔は慎むように」
「は~い」
「ふふっ。
メリアさんとグレンさんは、たまにどちらが年上だったかわからなくなりますよね」
へらへらと笑うグレンと、冷静に彼を注意するメリア。
そんな二人のやり取りを見ながら、ヘイリーは可笑しそうに眉を上げた。
グレンは、バスケットの中のマドレーヌを一つつまんで口に運ぶと、メリアの隣に座って美味しそうに頬張った。
こうして見ると、あまり頼りがいのなさそうな人物ではあるが、彼もまた選ばれたプロフェッショナルの一人。
ここにいるメリアやヘイリーと同様に、総員5名に及ぶシャノン親衛隊に名を連ねる程度には優秀な男なのである。
「これでやっと全員揃ったな。こっちにいる面子は君達三人だけなんだろ?」
「ええ。シャノン様個人にお仕えしている使用人は、私達を含めてあと二人いるのですが。
彼らは今パーティー会場の方で執務執行中でありますので、今夜はこちらには戻らないでしょう」
向かいに並んだ使用人三人組を見比べながらバルドが確認すると、中央に座るメリアが代表して答えた。
「……隣、座ります?」
「………うん」
バルドの隣では、東間とジュリアンがぎこちなくも距離を縮めようとしていた。
これで、ティータイムは屋敷にいる六人全員で共有することとなった。
すると、またしても東間のスマートフォンが新着メッセージを受信した。
またマナだろうかと思いつつ、東間がメッセージを確認すると、今度の差出人はミリィだった。
「"心配だから迎えに行ってくる"……」
「なに?ミリィがどうしたんだ?今度はなんだって?」
「ああいや、それが…。
今夜出席する予定だった友人がまだ来ていないそうで、彼だけ一時パーティーを抜けることになったみたいです。
これから迎えに行くって」
この時、時刻はPM9:03。
会場の方では、一度目のダンスタイムを終えて休憩に入った頃だろう。
先程までと違い、華やかな写真が添付されることもなく、ただ目的のみを告げた短いメッセージ。
それが今のミリィの心境を如実に現しているとは露知らず、東間はわかったと一言だけ返信をすると、スマートフォンをパーカーのポケットに突っ込んだ。




