Episode13-11:長い夜のはじまり
二曲目のタンゴが屋敷中に響く中、パートナーを見付けることのできなかったトーリとヴァンは、あぶれた者同士なんとなく行動を共にしていた。
今は、広場の隅に下げられたスイーツに手をつけている。
するとそこへ、なにやら大きなリュックサックを背負ったマナがやって来た。
二人の様子に気付いた彼女は、退屈を持て余す双方の顔を珍しいものでも観察するように見比べた。
「マナ。しばらく見ないと思ったら…、どうしたんだいその荷物。これから登山にでも行くの?」
華やかな席で一際目立つその出で立ちに、トーリは思わず声をかけた。
「登山には行かないけど…。前もって用意してたものなんだ。
ほら」
一旦トーリに背を向けると、マナは背負ったリュックの中身を二人に見せてやった。
リュックの中には、タッパーのような入れ物がいくつも仕舞われてあった。
よく見ると、その一つ一つにパーティーで振る舞われた軽食や料理が詰められている。
どうやらマナは、これらを持ち帰るつもりでいるらしい。
「もしかしてこれ、バルドさん達の分?」
「そう。ただお留守番をするだけなのは可哀相だから、せめてお土産に、パーティーのご馳走を持って帰ってあげようと思って。
ちゃんと許可は取ってあるから、怒られることはないよ」
至って平然と答えるマナに、尋ねたトーリの方が困惑した顔になった。
「……怒られることはなくても、かなり目立ってるよ。それ」
「どうでもいいよ、そんなの。
悪いことしてるわけじゃないし、馬鹿にしたいなら勝手にすればいいよ」
閉じたリュックをマナが背負い直すと、ヴァンがおもむろにマナの肩を叩いた。
「マナ。こっちに日本食のブースがあるんだが、見たか?」
「えっ、そうなの?知らなかった。どこ?」
「こっちだ」
そう言うと二人は、トーリを置いて奥のスペースへと移動し始めた。
一人になったトーリの視界には、いつもと変わらない様子のマナとヴァンの姿が映っている。
周囲から集まる物珍しげな視線も、嘲るような微笑も。
時折聞こえてくる、卑しいわねという馬鹿にした声も。
全て耳に入っているはずで、感じているはずなのに、マナは全く臆することなく行動を続けている。
傍若無人に振る舞っているのではない。
ただ、自分のことが影で囁かれても、名前も知らない他人の謗りなど気にする必要はないと割りきっているだけなのだ。
バシュレー家の別邸で留守を預かっている三人の仲間。
訳あって出席できなかった彼らにも、少しでもパーティーの雰囲気を感じさせてやりたい。
彼女の行動の根底にあるのは、今はそれだけ。
「わー。どれも美味しそうだね。日本食なんて久しぶりだよ」
「マナは日系人の血を引いてるんだったな。自分で作ったりもするのか?」
「うん。生まれも育ちもアメリカだけど、養父が日本通の人でね。
彼のリクエストに応えているうちに、すっかり日本風の味付けも覚えて──」
ヴァンに連れられて日本食のテーブルへ向かったマナは、ジュリーはまだ日本食を食べたことがないんだと嬉しそうに笑った。
そんな彼女の姿を見て、トーリは自分の小心さが改めて情けなく感じた。
"悪いことをしているわけじゃない"
確かにその通りだが、間違った行動でなくても、自分ならつい人目を気にして最初の一歩を躊躇ってしまうだろう。
なにをするにも、周りの大人達にくどくどと口を挟まれ、難癖をつけられた幼少期があるから、トーリにとって人の目が気になるのは最早癖のようなものなのだ。
しかし、マナは違う。
あんなに小さな体で、自分より五つも年下で。
なのに、自分が正しいと思ったものに、彼女はとても正直だ。
ミリィといい、マナといい。
自分とは対極にいるような人間と触れ合うようになって、トーリは以前よりも少しだけ、自分のことが理解できた気がした。
「手が塞がっていたらやりにくいだろう。
俺が入れ物を持っててやるから、マナは好きなものを中に詰めるといい」
「いいの?ありがとう。じゃあ、最初はこれにしようかな」
まだ知り合って間もないにも関わらず、マナとヴァンはすっかり打ち解けた様子だった。
ジュリアンの保護者的な立場であることといい、マナは穏やかで体の大きな人と相性が良いようだ。
「───マナ」
途中、先程別れたトーリが二人に近付いていって、声を掛けた。
マナは持っていた皿をテーブルに置いて、彼に向き合った。
「お土産の用意はもう済んだかい?」
「うん。一通りゲットできたよ。ヴァンも手伝ってくれたんだ」
「ああ。暇だったからな」
トーリからの質問に、マナは背負ったリュックを小さく揺らして答えた。
ヴァンは、そんな彼女をいつになく優しい眼差しで見詰めている。
ヴァンの容姿が些か老けていることと、マナが実年齢より幼く見えることから、二人はまるで親子のような雰囲気だった。
トーリは、はにかむマナの笑顔を見て、なにかを決意するように浅く息を吐き出した。
「そっか。……あのさ、マナ」
「なに?」
「君って、その…。ダンスの方には、参加しないのかい」
「え、ダンス?
うーん…。別に嫌ってわけじゃないけど、そもそも相手がいないからね。
それにボク、こういうのは全然経験ないから、きっと下手だと思うし。だから今日は観る専門で…」
「じゃあ、僕ならどうかな?」
「え?」
実は、あぶれたトーリ達と同様に、マナにも今夜のパートナーがいなかった。
ほとんどの参加者は、マナを中学生ほどの少女だと思っているため、さすがに未成年の子供を相手にはできないと遠慮しているようだった。
中には、彼女の愛らしい姿を見て申し込んできた者もいたが、彼らは皆マナより年下の少年ばかりだった。
それに、マナ自身最初から誰の誘いも受ける気がなかったので、どのみち結果は変わらない。
しかしトーリは、その全てを踏まえた上で、マナに申し込むことを決めたのだ。
計算高い彼が、こんな風に玉砕覚悟で行動に出ることなど滅多にない。
「僕もパートナーがいないから、一緒に踊る相手がいないんだ。……だから、君さえ良ければ、だけど」
表面的には至って冷静に見えるトーリだが、内心はとても緊張していた。
以前から、自分と似た境遇のマナに対してシンパシーを感じていたトーリは、もっと彼女のことを知りたいと思っていた。
愛する人を取り戻そうと奔走している者同士、一番腹を割った話が出来るのではないかと。
だが、生来の人見知りな性格がストップをかけて、実際はなかなか歩み寄ることができずにいた。
いつも一歩引いたところから眺めるばかりで、ミリィ達がマナと仲良くしている様子を羨ましく思うだけだった。
だからこそ、今この時に勇気を出して、思い切ってダンスを申し込んでみることにしたのだ。
「せっかくだし、……一曲、どう?」
もし、断られたら。
これがきっかけで、前以上に気まずい間柄になってしまったら。
直前まで迷いに迷ったトーリだったが、ふと彼の脳裏で真っ赤な髪が揺れた。
"何事も、出来ないことはない"
"人それぞれ、慣れているかいないかの違いだけ"
"出来るか出来ないかは、自分がやるかやらないかの問題だ"
変わりたい。
躊躇うトーリの背中を押したのは、いつかにミリィが口にしていた言葉だった。
マナは、差し出されたトーリの手を見て、なにかを問うようにヴァンの顔を見上げた。
ヴァンはマナの頭を撫でると、後押しするようにゆっくりと頷いた。
「───いいよ。
けど、ボクの踊り方が下手っぴでも、怒らないでね」
怖ず怖ずと伸びてきた小さな手が、トーリの大きな掌に重ねられる。
その瞬間、トーリは張り詰めていた緊張の糸がようやく解けたのを感じた。
照れ臭そうに微笑むマナの顔が、トーリの視界一杯に映る。
他の誰でもなく、彼女が自分の手を取ってくれたことが嬉しく、達成感と高揚する気持ちがじわりとトーリの胸に満ちていった。
姉以外の人間とまともに触れ合った経験のないトーリは、ずっと女性という生き物に対して苦手意識を持っていた。
しかし、彼女に対してだけは、他と違って肩肘を張らずに済むということに、この時気付いた。
『I don't know that I can attend the party.』




