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オルクス  作者: 和達譲
Side:S
111/326

Episode13-10:長い夜のはじまり



「───やーっと戻ってきた。

一匹狼も大概にしないと、そのうち誰からも相手してもらえなくなっちゃうよー?」




それぞれのカップルが広場でダンスに興じる中。

今は無人となったオープンテラスに一人、夜風に当たってぼんやりとしている人物がいた。

先程まで姿を消していたジャックだ。


持参した上着と暖かいファーのショールを羽織った彼女は、囲いの部分に寄り掛かって外の景色を眺めていた。



「……なんだ。またアンタ?」



そこへ、いつもの調子でシャオがやって来た。

自分への呼び掛けに反応したジャックは勢いよく振り返ったが、背後から近付いてきたのがシャオだと分かると、途端にいつもの無表情に戻ってしまった。




「つれないなあ。お誘いに来たのがアンリ君じゃなくて、がっかりしたかい?」


「……なんでそこでアンリが出てくるのよ」


「……見てただろ、ずっと。

彼を。というか、彼と踊ってる彼女を」




ダンス交流が始まる少し前に、人知れず会場に戻っていたジャックは、迷わずこのテラスへと足を向けた。

パートナーのいない彼女にとっては、盛り上がる広場にいても時間を持て余すだけだからだ。


ガラス張りの仕切りの向こうでは、たくさんの来賓達に紛れてミリィやアンリの姿も確認できる。

その様子を、彼女は少し離れた場所からずっと傍観していたのだ。




「綺麗よね、あの子」



一言そう呟くと、ジャックは自分の足元に視線を落とし、それから夜空に浮かぶ月を仰いだ。




「キオラちゃんかい?

……そうだね。確かに綺麗だ。なにもかも整い過ぎてて、本当に生きた人間なのか疑わしいほどだ。

………彼女が羨ましい?」


「別に。ただ、あれくらい美しく生まれていたら、きっと幸せな人生だろうなと、思っただけ。

私なんかとは、全然違うわ。私には、こんな眩しい場所も、こんな綺麗なドレスも不釣り合いだけど。あの子は違う。

あの子なら、例え誰から見初められても、どんな相手にも、きっと相応しい女性になる。絶対見劣りなんかしない。

……そういう意味では、ちょっとは羨ましいかもね」




まばゆいほどに明るい屋内と違い、ジャック達のいるテラスは静けさと闇に包まれている。



"まるで別世界ね"

どこか寂しげに呟くジャックの視線の先には、人混みの中で時折見え隠れする赤い髪と、美しい女の横顔があった。


シャオは、そんなジャックにもう一歩歩み寄ると、囲いを背に彼女の隣に並んだ。

そして、彼女と同じように広場の方を眺めた。




「今からでも申し込んできたらどうだ?」


「は?」



シャオの唐突な言葉に、ジャックは驚いて上擦った声を上げた。




「エンディングのダンスは必ずパートナーを変えなくちゃならない。

今アンリ君と踊ってる彼女は、例のヴィクトールって男で決まってるらしいけど、アンリ君の方は違う。

彼の二人目のパートナーは、まだ決まってない」


「………決めるもなにも、二度目のダンスには参加しないってさっき、」


「参加する気はないと言っただけで、誰からの誘いも受け付けないとは言ってない。

……よその女は駄目でも、君からの申し出なら、きっと彼は特別にオーケーするはずだ。

ほら、ワルツが終わって次はタンゴ。丁度二人は休憩に入ったみたいだし、声をかけに行くなら今だよ」



やけに確信めいた様子のシャオは、独り言のように淡々と言った。

ジャックは一瞬苦い顔をしてから、俯きがちにぽつりぽつりと語りだした。




「───余計なお世話よ。

ずけずけと人の中に踏み込んできて、私の心を見透かしてるつもり?

だとしたら、的外れもいいところだわ」


「的外れ?なにが?」



冷たく言葉を返し合う二人だが、視線はずっと広場の方を向いている。

時折ジャックの方を一瞥するシャオと違い、ジャックは頑なにシャオの方を見ようとしない。




「………私が、アンリを好きだとか、おかしなこと想像してるんでしょ。

だからそうやって焚きつけてきたり」


「へえ。違うんだ?」


「ええ違うわ。私は誰のことも好きにならない。

………それに。もし仮に、…例えばの話。

アンタの読み通り、本当に私がアンリを好きだったとしても、どうにもならないわ。

アンリには、キオラさんっていう心に決めた相手がいる。そうでなくたって、私が入り込む隙間なんて1ミリもない。

あの人に、私は相応しくない。あんなに綺麗な人に、私みたいな汚い奴は触れちゃいけないの。

……わかるでしょ」



なにもかも理解しているような口ぶりで諭してくるシャオに、苛立ちを隠しきれないジャックは徐々に声が大きくなっていった。

大きくなって、それからまた小さくなって、最後には消え入りそうなほど細い声で呟いた。


赤いドレスの裾を握り締める手は、微かに震えていた。




「触れちゃいけない、ね。

本人から直接拒まれたわけでもないのに、誰がそんなこと決めたんだか」


「………。」


「それに、君の言い分は矛盾してるよ。

触れちゃいけないなんて、口では殊勝なことを言いながら、最初に君は彼の手を取ったじゃないか。

差し延べられた救いを、君はあの時拒否しなかった」


「……っそれは、」




口をつぐんでしまったジャックに代わり、シャオは一方的に畳み掛けた。


そして、痛いところを突かれたジャックがとっさに顔を上げると、こちらを見詰めていたシャオと目が合った。

先程まで同じ方向を見詰めていたはずなのに、いつの間にかシャオの視線は真っ直ぐにジャックに向けられていた。




「俺の手を取れよ、ジャクリーン」



いつになく真剣な表情をしたシャオは、ジャックに向かって低く手を差し出すと、静かなトーンで告げた。




「お前が自分を汚い女だと言うように、俺だって汚れた醜い人間だ。

似た者同士だと思わないか?俺とお前。

釣り合わないだの、触っちゃいけないだのと、卑屈なことを繰り返し聞かされるのは面白くないが。お前にアンリが相応しくないというのは概ね同感だ。

お前みたいな品性のカケラもないじゃじゃ馬は、温室育ちの王子様にはとても乗りこなせないだろうよ」


「なに、……なに言ってんのアンタ。急に、」


「それでも、報われない恋に溺れていたいというなら、止めはしないさ。

……だがもし、お前が俺の手を取ることを選んだなら。俺はお前に優しくはしないが、お前を一人にもしない。

少なくとも、こんなところで寂しさに泣かせるような真似は、絶対にしない」


「………シャオ」



透明なガラスの向こうで、闇に埋もれた背中を見た時。

シャオはたまらない気持ちになった。



強がってはいるが、決して一人でいるのが好きなのではない。

本当は誰かに触れてほしくてたまらないのに、求めてそれを拒絶されるのが怖くて、だから身動きができない。

人一倍愛に飢えているのに、愛し方も愛され方も知らない。


それが、ジャクリーン・マルククセラという女の正体だと、シャオは気付いていた。


故にこそ、彼女の胸に空いた大きな穴を、どうにかして埋めてやれないだろうかと思ったのだ。


彼女の痛々しさが健気で、哀れで、いじらしくて。

まだ幼かった頃の自分を見ているようでもあったから。




「イラつくんだよ。お前見てると。

全然好みじゃねえし、可愛くねえのに、ほっとけねえ。

……言ったろ、似た者同士だって」



シャオの態度はとても真摯だった。

今この時ばかりは、普段の飄々とした感じが微塵も見受けられないほどに。


実のところ、シャオが本音で話をできる相手は、ここにいるジャック一人だけなのだ。

そのことに本人は気付いているが、当人は知らないままでいる。



ジャックは、差し出された左手と、シャオの強い眼差しを順に見詰めた後、恐る恐る腕を伸ばした。

しかし、拾われたシャオの手は、彼女に握ってもらえることはなかった。




「……セーラ、」



ゆっくりシャオの手を持ち上げたジャックは、それを彼の胸板まで連れて行って、彼の心臓の辺りにそっと押し当てた。




「もういい。いいから、やめて。私は、これでいいの。

アンタも、寝ぼけたこと言ってないで、さっさと似合いの相手を見付けなさい」



ジャックに突き返された掌から、どくどくと自分の鼓動が伝わってきて、シャオは思わず眉を寄せた。


ジャックは、涙こそ流さなかったものの、悲痛に歪んだ表情を浮かべてきつく下唇を噛んでいた。

まるで、なにかを必死に堪えるように、溢れだしそうなものに蓋をするように。




「アンタの気まぐれには、本当付き合ってらんないわ。

……けど、ありがと。慰めてくれて」


「セーラ。俺は別に君を慰めているわけじゃ、」


「ホラ色男。アンタに声かけたくてうずうずしてる女達が、物陰からこっちを見てるわよ。

いつもの軟派な調子に戻って、愛想振り撒いてきてやりなさい」



"声をかけたくてうずうずしている女達"

捲し立てるように告げられた言葉を聞いて、シャオが広場の方に目を向けると、そこには確かに三つ分の人影が集まっていた。


人影の正体は、三人とも若い女性のようだった。

なにやら内緒話をしながら、こそこそとこちらの様子を窺っている。

恐らく、この後どうやってシャオに声を掛けようか相談し合っているのだろう。




「───じゃあ。私は、マナのとこ戻ってるから」



最後にそう呟くと、ジャックは優しくシャオの手を解き、踵を返して歩きだした。

いそいそと遠ざかっていく背中は、先程よりも強い哀愁を纏っているようだった。




「あ、お連れの方行っちゃったわ」


「喧嘩?」


「どうかしら…。でも、お声がけするなら今がチャンスよね」



テラスに一人残されたシャオ。

広場から流れ始めるタンゴの演奏。

向けられる女達の熱っぽい視線。


呆然とするシャオは、離れていくジャックの後を先程のようには追いかけなかった。

ただその場に立ち尽くして、短い溜め息を吐き出した。




「まったく。誰のために他の誘いを断ったと思ってるんだ」



呟くと、シャオは結っていた髪を解いて、乱暴に首のタイを緩めた。



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